ジョーカーのレビュー・感想・評価
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衝撃でした
気にはなっていましたが、観に行こうとまでは思っていませんでした。しかし鑑賞した近所の先輩から「絶対観たほうがいいよ!」と言われ、ダークナイトを予習してから観に行く事に。
自分にはアーサーほどではないにしろ、似たような境遇に立たされた事があるので、気持ちは理解出来ました。
加えてこんな困窮状態が何年も続いた挙句、社会からは無関心、打ちのめされた自分に寄り添ってくれる人はいないとなればキッカケさえあれば誰でも人の道を踏み外す可能性はあると思います。
アーサーが可哀想でもうやめたってくれ、とか思いながら観てました。
しかし、アーサーが初めて殺人を犯し、自らの中で何かが切れたとき、ジョーカーとして生きはじめて行く過程でアーサーが変わっていく様は心が震えたと同時にホアキンの演技に凄みを感じました。
ジョーカーと化した時はただただカッコ良かった…。
ダークナイトのジョーカーもヒースの怪演で唯一無二の存在感を放ってますが、今回のジョーカーも映画史に残る悪のカリスマ性があると思ってます。
なんというか、上手く表現出来ないですが、衝撃的な作品で素晴らしい作品であることは間違いないと思うので一度は観た方がいいと思います。
観に行って良かった!
反面教師になった映画
精神疾患があって社会に適応できなくて、理不尽な目にあって、社会や世間を憎んでても、ああはなりたくないと思いました。
コメディアンなんて才能と運が必要な職を目指してるのに、努力が全然足りてないし、自分の個性が周りに受け入れられないことなんて、当たり前じゃないかと思って、全然同情できなかったです。
証券マン殺してピエロを英雄視していた貧困層も、デモを起こしたり、街を暴れて破壊している暇があったら、貧困から抜け出して、上手く立ち回れるには、どうすればいいのかよく考えればいいのに、と思ってしまいました。
(学校は嫌い。僕はコメディアンになる)ってのは、いいけど努力が全く足りていないので、とても反面教師になる映画でした。
共感性羞恥の方に見てほしい
タイトル通りです。
私は共感性羞恥があるので、映画内で主人公が恥をかいたりするとなぜか恥ずかしくなり目を瞑ってしまいます。
結構な数の映画を映画館で観てますが、この映画は特に酷いです。鬱映画です。救いがないです。
ただ主人公が吹っ切れてからは爽快感があり、目を開けて見ていられました。
予習をまったくせずに鑑賞したので、ネタバレサイトを見て行ったら違っていたのかもしれません。
前半では追いかけて、後半では追いかけられる。
どこまでが妄想で、どこまでが現実なのか。
黒人の女性のシーンは途中見ていて違和感があっても、予想もしない展開でした。
逆にコメディー番組は本当に呼ばれたのか疑って見ていました。
最後の赤い足跡。
あれは何を意味するんでしょうか。
最後に出てきた方って、最初に出てきた臨床心理士の方ですよね。
すべてアーサーの妄想で、実際には起きてない出来事だったんでしょうか。
赤い足跡は臨床心理士の女性を殺害した血痕?
色々考えましたが、私はすべて実際に起きた出来事だと思います。
喜怒哀楽の楽のカリスマになりたかったアーサー。だけどジョーカーのカリスマ性は怒の部分で発揮されます。
とにかく映画館で観て、このネタバレ感想の意味を理解して頂きたいです。
そして自分自身の人生に潤いを与えようと共感して下さると嬉しいです。
シネマではないような気がした
観ていて、最初はアーサーが不憫で不幸な立場に置かれている可哀想な人間に思える。
しかし、最終的にはアーサーに感情移入してしまう自分が怖く思えた。
アメリカ全土の抱えるタイムリーな不安要素を問題提起した映画だった。観る人を選ぶ映画だと思う。
エンターテイメント不幸
ジョーカーは、ジョーカーという人間ができあがるまでの話だとは聞いていた。
でも本当にただそれだけのような気がした。少し物足りないので☆3つ。
辛い幼少期の過去、精神的な病を抱えて、せっかく手にした仕事もクビ、家ではお母さんの介護。
序盤のどこに怒りをぶつけていいのかわからない状況のオンパレードは湊かなえの作品を見たときと似ている。
でもかわいそうな人間が狂った殺人鬼になったわけではない、ということがようやく終盤のコメディ番組にゲストとして出演するシーンで伝わってくる。
しっかりと施したメイクと衣装で番組に出て『ジョーカー』と名乗る彼は、いつしかノーメイクで舞台に立ったときのように笑いの発作はもうおきない。
軽やかなステップで道化に徹するところはどこか堂々としている。
アーサーが生きやすいように生きてみたら、行き着いた先がジョーカーだった。
喜劇も悲劇も主観、ならもっとポジティブにとらえられたらよかったのに、それができないのがジョーカーなのだろう。
そして、その彼のもつ妙な信念、徹底された狂気に私たちは惹き付けられてしまう。
ストーリーよりも、ゴッサムシティの街並みやアーサーの近所にあるらしい長い階段など、ひとつひとつのシーンがお洒落に作られていてそこだけはずっと楽しめた。
ホアキンの演技もherの時と同一人物とは思えない、凄みを感じた。
でもこれがそんなに賞賛されるような作品なのか、よくわからない。
救われない街の救われない男の物語
ダークナイトが現れる前のゴッサムシティ。社会の底辺にいるアーサーには何の希望も無い。
そもそも精神的な病で社会から阻害され、
信じていた母親にも裏切られ、
ウェインにも邪険にされ、
シングルマザーとの恋愛など妄想に過ぎず、
あこがれていた有名コメディアンにも利用される。
そんな絶望的な日々をホアキン・フェニックスがガリガリな体で演じていく。
いつも日本のドラマで感じていた美男美女による難病もの、障がい者ものにありがちな違和感を感じさせない何かが彼のなかから静かに溢れている。
すごい。最高傑作としか
キング・オブ・コメディ。
タクシードライバー。
ファイト・クラブ。
MR.ROBOT。
共通のテーマが見える。
監獄の誕生。
秩序に対するアンチテーゼ。
ただ、ただ、圧倒されるしかない。。。
すごい、としか言いようがない。。。
現実であり得る嫌な事の積み重ね
正直主人公はオープニングからきわどい状態だった気がする あとはどのタイミングでだったけど結局拳銃を手に入れてしまったのが一番の原因だと思う 主演の人の演技力はすごい引き込まれてしまった でもジャンルが違う映画だけどダークナイトのヒースが演じてたジョーカーが格好よくて個人的には好きだな
これはジョーカーの映画なのか?
すべてを改めて反芻すればするほど、この映画はすべてが妄想で、ラストのホワイトルームのみが現実なのだと解釈する。そう考えると、この映画はジョーカーの映画ではないとも言える。これはアーサーという妄想癖のある精神異常者の話でしかないという、おそろしい結末なのではないか。
アーサーという、映画、アメコミ、お笑いが好きなサブカル精神異常者が、自分がジョーカーになりきって悪のヒーローとして生まれ変わることを妄想しているという、ただそれだけの話なのではないか。
そして、「良いジョークを思いついた」という台詞は、トッド・フィリップス自身の言葉をも代弁しているのではないかと。つまり、「良いジョーク」=「いまやドル箱となったアメコミ映画の顔した、ただの異常者の話を映画化すること」なのではないか。
この映画が製作され、アメコミ映画としてヒットしていることも含め、壮大なジョークとしての作品なのではと考える。アートシーンでいうバンクシーのようなトリッキーなプロジェクトであり、このことは『容疑者、ホアキン・フェニックス』にも通じる。
頭のいかれた妄想癖のアーサーは、トッド・フィリップ自身でもあり、とんでもないジョークをやってのけたのではないか。
ジョーカーは、ジョークを言う人
同僚が低身長の人をおちょくる発言をした時の
アーサーの笑い(その後の真顔)、
スタンダップコメディを一人で聞きに行って
大衆とズレたところで笑う。
普通の人に混ざろうとする姿に胸が痛む。
母親と踊る時の表情、
バスで子供を笑わせようとする姿、
小児病棟での明るく優しいピエロ姿、
恋人を見つめる表情、
デニーロの番組を見る時の輝いた目。
笑わせて人を幸せにしたい、
そこから自分の存在価値を見つけたいという人間の姿があった気がする。
笑いのセンスはあまりなかったけども。
「本当に楽しいから笑うんじゃなくて、笑ってると楽しい(かもと錯覚できる)」と日頃から思っている私も、アーサーと仲間かもしれない。
低身長の人を殺さず逃がした時の強く優しい顔。
電車で殺した後のトイレでの恍惚な表情。
ジョーカーになって階段を踊りながら堕ちていく姿。
暴動の中のパトカーの所での最大の自己表現ができた姿。
ヒースのジョーカーとホアキンのジョーカーは人物像が違うので、ホアキンの覚醒したジョーカーの姿を、まだ若いサイコパスのヒースレジャーのジョーカーが暴動のどこかで見ていてダークナイトに繋がったのかなと思ったり。
ジョーカーの一連の出来事全部が、
最後の病院でアーサーが本当に笑いながら言ってた、思いついたおもしろいこと(妄想)だったのかなと思ったり。
ジョーカーはジョークを言う人、という意味なのでこの映画全てがジョークなのかもしれない。
アメリカンジョークが私には全然面白くないと思うことが多いように、アーサーのジョークは腹を抱えて笑う類のジョークではないけどアーサーにとっては面白いこと。
ハングオーバーで私はこの監督に笑わせてもらった。ハングオーバーを撮って、ジョーカーも撮る監督なんて、ジョークが過ぎる。やはり、笑いを作れる人は他の才能に長けているという私の仮説は正しいと思った(逆はスベる事が多い)。
ホアキン・フェニックス、凄すぎた。
最初のアーサーと、ジョーカーと別人のような演じ分け。
この映画、色々言いたくなり過ぎて長文になるけど
もう一つ付け加えると、ホアキンの顔があの眉毛の存在感のせいで私は苦手だったけど、ピエロメイクでそれが薄れ、自信に満ち溢れると、途端に好きなタイプの顔になることを知った。
モヤモヤが残る
多くの方と同様に、私もダークナイトが好きで、そのジョーカーの誕生ストーリーを期待して観に行ってしまい。
途中で違和感。あれ、ジョーカーってこんなんだったっけ?
そして、見るギアをジョーカーという名前の全く別の男のストーリーにチェンジして見続けました。
ホアキンの演技はすごくて、あの泣き笑いみたいな笑い方や、ガリガリの身体や、ダンスや、狂気に変わる瞬間など、片時も目が離せせなく。
現実と妄想の演出も街の狂気も、恐ろしさを感じるに充分でした。
でも、足りない。
ある男が、自分を取り巻く環境や病気から、狂気の殺人者となり、社会が彼を祀りあげる。
でも、話はそこで終わってしまった。
ダークナイトにつづく、なら無理矢理納得もしますが、このジョーカーはあのジョーカーではないんですよね。。
うーん。なんか、モヤモヤ。。
悪徳の栄え
ホアキン フェニックス、去年の「ビューティフル デイ」にも増してデニーロ オマージュ溢れる作品。
シチュエーションやキャクターは丸かぶりですが狂人ぶりはこちらに軍配。
人間のネガティブな感情を全肯定して、「時計じかけのオレンジ」「ハウス・ジャック・ビルト」「チャイルド・プレイ」のように暴力行為を咎められるどころか賞賛されるラストに揺さぶられる。闇に引き寄せる魅力。
作品の完成度は激烈。
ダークナイトのジョーカーとは別物
ダークナイトのジョーカーの前日譚ではなく全く別のモノとして観ないと面白くない。ヒースレジャーのジョーカーは知的レベルの高い陽気な基地外テロリスト。何かと悩みがちな暗い正義のゴッサムシティ守護者バットマンとの対比が非常に面白かった訳です。が、ホアキンジョーカーは、ただただ不幸、暗い。こんなんでバットマンの敵になれるのかな?という感じです。(ただ、トイレや階段でジョーカーになってくシーンは素晴らしすぎてホアキン最高。美しい、キモい!怖い、美しい!この映画の価値は八割ホアキン)
バットマンとの年の差とキャラの違いに納得いかなかったのですがホアキンJKのビジュアルやキャラにインスパイアされてヒースJK誕生説が自分は腑に落ちました。
ダークナイトを見返したくなりました
貧富の格差から怪物が生まれる。
少しの刺激で爆発するほど、ギリギリの環境なんでしょうね。日本ではなかなか馴染みがない環境ですが。
後半から狂気が加速していき、すごく楽しめました。
※ダークナイトのジョーカーとはイメージが違うので注意です。でも、マレーのテレビ番組に出演してるときにその片鱗が出始めてる気がします。今後の次回作にかなり期待です。
とある悲しい男の孤独と絶望を描いた上質な人間ドラマ
これは悲しい男のドラマだ。一人の男の孤独と絶望とが、小さな出来事の積み重ねで徐々に徐々に狂気と化し、凶暴性が目を覚ましていくその様子がなんともドラマティックかつ非常にデリケートに描かれており、重厚なヒューマンドラマか宛ら上質なドキュメンタリーの如く胸を打った。そしてまさかと思いつつ強い共感すら覚えてしまった。
というか、今この現代と言う時代において、アーサーに共感する人は少なからずいると思う(もちろん彼のような行動に出るかどうかは別問題として)。胸の奥にある鬱屈とした思いや、拭いきれない不満だったり、ふとした時に「あぁ自分は報われない方の人生なんだ」と気付いてしまう瞬間とか、そういうものを抱えて生きる感覚は、少なからず私にはよく分かると思ったし、そしてそういう感情が怒りに替わってしまいそうになる気持ちも、やっぱり分かってしまった。
突然笑いだしてしまう病も、母の素性や過去も、秘めた恋の妄想も、大失敗のスタンダップ・コメディも、全てが後のジョーカーというモンスターを形成するものだ。実は野心もあるし、欲望もあるし、理想もある。だけどいつも貧乏くじばかりを引いてしまうようなアーサーという男の人生は、いつになっても社会と親和していかない。ただ程度の違いこそあれ、そういう人生を送っている人は今の時代決して少なくはない。映画の時代背景は現代ではないのだけれど、アーサーと言う男そしてこの映画が定義したジョーカーという存在は、現代におけるアンチヒーローとして確かだと思った。
そしてそのアンチヒーローを演じたホアキン・フェニックスの名演たるや!肉体をげっそりと痩せさせて心も体もアーサーになりきって、ジャック・ニコルソンにもヒース・レジャーにも引け劣らない見事なもの。全編に亘って彼の役者魂を感じる作品だった。
最近はMARVELもDCもそろそろ倦厭していたところ、この映画だけは「一人の男のドラマ」として堪能できた。原作コミックから離れた独自の解釈が、却って私には良かったのかもしれない。良質の人間ドラマを観た。まさしくそんな気分だった。
決して面白くはありません
この作品にエンタメ的な要素はありませんが、ただただ映像に圧倒されました。
アーサー・フレックことジョーカーは、様々な要因によって悪循環に陥っていきます。
有名コメディアンに、TVで馬鹿にされなければゴッサムが暴動で湧くこともなかったかもしれない。
政府からの薬が打ち切られなければ、もしかしたら自分のショーで笑い続けてショーができないということもなかったのかもしれない。
母親から虐待を受けなければ、急に笑う発作を持つこともなかったのかもしれない。
母親の手紙を読まなければ……銃を渡されなければ……
トリガーを引いたのは確かにアーサーではあるものの、周りの環境が彼を追い詰め、そして馬鹿にしてきました。
I hope my death makes more sense (cents)
この人生以上に高価 (硬貨) な死を
冒頭で出てくるアーサーが考えたネタの一つですが、これが彼がジョーカーに至るまで求め続けた物なのでしょう。自分の今までの人生に価値を感じていなかったアーサーは、死ぬまでに自分が存在したことの価値を求め続けた。そこに悪はなかったはずです。
例えば発端となった地下鉄の事件は、果たしてどうやったら防げたのでしょうか。
絡まれても我慢する? 悪くもないのに? 女性を救わずに我関しなければよかった? やり過ぎなければ良かった? 1対多で武器を使わずに対抗できたのか?
アーサー側の立場でできたことは、「ただ我慢して耐える」ことと「逃げる」ことだけではないでしょうか。
実際に世の中でも、集団で人を馬鹿にするということは頻繁に行われます。その一つとして学校における虐めが問題になっていますが、暴力だけでなく言葉のものまで含めるとキリがありません。
その時少数側は対抗手段を持ち得るのでしょうか。
そして、やったことの過多があるとはいえ、集団で行った行為は問題にされず、個人で行った行為のみが問題にされる。
アーサーが正義であるとするのではなく、ただありのままにアーサー側の視点を描くことで、そんな不条理を訴えかける作品だった。そう感じました。
障害を持っているという難しい役所であるアーサーを演じる、ホアキン・フェニックスの演技に目がいきがちですが、映像としても多くの工夫を感じました。
妄想彼女の一連のシーン、時系列に違和感を感じさせる(辻褄が合わない)一連の繋ぎ方から、現実に引き戻される瞬間。違和感を最高潮にしてからビジュアルで覚まさせる。とても印象的でした。
狂った感覚を醸し出すハンドカメラによる撮影、カメラのセンターをずらし、テンションを保つ音楽。
どこをとっても秀逸で、内容のセンシティブさにも関わらず丹念に描かれている。そんな作品でした。
Isn't it beautiful? ホアキン・フェニックスの大勝利
で、結局どっち!?あのエンドは何処からが妄想で何処までが現実だったの?もし最初からだったらある意味夢オチか!?と観た後にとても混乱に陥ります。ある意味記憶に刻まれる衝撃的な作品です。
ホアキン・フェニックスってちょっと変わった役者さんなイメージです。まぁ、人気上がってた時にいきなり「ラッパーになります」。で、暫くして「実はラッパーになるのはジョークでしたー!」なんてやる程なので筋金入りなのでしょう、きっと。
でも、今回のジョーカーはホアキン以外に考えられないですね。本当に素晴らしかったと思います。二時間ほぼほぼホアキン・フェニックス!極端な話デ・ニーロですらモブ扱い。それでもホアキンの演技に魅せられます。だいたいあの体つきどうなってんの?ガリガリになってるのもスゴいけど、微妙に骨格おかしくないですか?後、変に手足が長く感じたのですが、カメラの撮り方なんですかね?特に腕が妙に長い!
アーサーは貧困で病気持ちなのですが、やっぱりちょっと変なんですよね。あのコントの授業なのか皆で机に座ってコントを見ているシーンで、周りの人と笑いのツボが違うのに何とも言えない不気味さを感じました。何もない所で笑ってるのってハタからみたらちょっと怖いわ。
ホアキンさん、今回のアーサーというキャラクターを体現するために激ヤセしたみたいなのですが、見事にキャラクターになりきっています。ホントにあんな人なんじゃないかと思えるぐらいに。あの苦しそうに笑う姿といい、覚醒した後のキレッキレじゃないダンスといい、もう本作はホアキン・フェニックスの大勝利です。いやー、引き込まれますわ。
個人的にアメコミ好きでもマーベル派なのでDCのジョーカー関連だと「キリング・ジョーク」と「アーカム・アサイラム」しか読んだ事がないのですが、「バットマン」という作品は1939年に始まってから2019年で80年、「ジョーカー」の初登場も1940年なのでキャラクターとして、とんでもなく長い歴史があるわけなんですよ。「ジョーカー」の単独作品もいっぱいありますし。となれば色んな設定のジョーカーがいて当然で、逆にいうと色んな側面を持つ奥の深さがアメコミの魅力とも言えます。そして本作もまた1つの「ジョーカー」の姿なんです。
長い「ジョーカー」の歴史に新たに素晴らしい1ページが加わった事を心より祝福したいと思います。
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