ジョーカーのレビュー・感想・評価
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共感されることを拒んでこそ真の悪役
バットマンシリーズでお馴染みの悪役が誕生するまでの話。
幼い頃に親から虐待され、仕事にも恵まれない男が自分の存在証明をしようと足掻くも認められず、反対に巡り合わせ悪く起こしてしまった犯罪によって暴徒達から祭り上げられる。
そこは流石、ゴッサムシティ。
自分の境遇は主観では悲劇でもゴッサムを舞台にすれば、喜劇のコメディアンになれると思ってしまったのかな。
没頭できるシュールレアリズム
まず、バットマンのジョーカーもの。
という位置付けの作品ではあるが、ファンタジーもヒーロー感もない。
ダークヒーローのヒーロー抜き。
超現実主義。
じゃあそんなドキュメンタリーみたいな映画をみて楽しいのか?というと、楽しくはないかも。でもダンサーインザダークをみたときのようなインパクトがある。
ホアキンフェニックスを知っているけど、ホアキンが主演だと知らずにみたら気づくかな?
いや、わかって観ていたとて、途中からわからなくなる、気にならなくなる。
あれはホアキンフェニックスじゃない。アーサーだから。
みすぼらしい妄想男のアーサー。喜劇にして悲劇。
こうしてジョーカーが誕生した、という、シュールなまでに現実的に解釈した作品と言えよう。
アーサーが精神疾患をもっているため、ファンタジーじゃないけど夢想シーンはあり、それがサスペンス風味も醸し出す。
調合が難しい作品であったが、観終わってみると、制作に関わっている人々がすきな方ばかり。
ホアキンの1人舞台としても成り立っちゃうんじゃかいかと思いつつも脇がこんなに固められていたのか。
個人的には、バットマンのジョーカーはおふざけひょうひょうとした、ルパンみたいな敵役のイメージだけど、あのキャラに到達する前日譚とみたら深い。深すぎるよ。正直、ハリウッドにもこんな渋みのある作品を大作としてつくれるんだなって感心した。
もう一回観たいかときかれるとうーんなので、星はマイナス0.5
THE 映画
ホアキンフェニックスの怪演
彼の作品はこれで3作目だけど、すべて全くの別人。体つきから顔まで違う。今回のアーサーは一見ではわからない障害者。社会は寛容ではない。高潔なはずのウェインも一般的な人。ジョーカーは自分勝手な殺人者なのか、社会が作り出したモンスターなのか?
暴動が今の香港を思い起こさせ、映画のような暴動まで発展してないのは、教育があるからなんだろうと思った。ちょっと悲しく考えさせられたストーリーだった。
悲劇でもない、喜劇でもない、見事なまでの風刺映画
なんじゃ、こりゃ! まんま?現実世界の話じゃん!
昨今のニュースでもよく聞く、実の親にひどい扱いを受ける子供たちの話
格差社会、貧困層、非正規雇用、若者の絶望・・・
また、映画の中のウェインや富裕層と貧しい大衆の対比は、そのまんま、
ポリティカルコレクトネスを主張する民主党と怒れる取り残された白人貧困層
を思わせる。
もうこれは、悲劇でもない、喜劇でもない、他でもない我々の現実を見せつけられているよう
元々原作者はゴッサムシティをニューヨークの風刺として描いたという話は聞いたことがあるが
バットマンにここまでの深みがあるとは思わなかった・・・
出口を求めて彷徨うジョーカーの怒り・悲しみ・絶望は、爆発するが、決して昇華することはない
ホアキン・フェニックスがほんとうの悲しみを表現している。人によっては、見るに堪えない映像
最も深い怒り・悲しみ・絶望を知った人は、どうなるんだろう?
ジョーカーのようになるのか? 果たして・・・
軽々しく、愛が・・・などと語れない、重みがこの映画にはある。
まさしく、悲劇でもない、喜劇でもない、我々の今とこれからが、ここに語られているように思う。
ホアキン・フェニックスの名演はヒース・レジャーの怪演の裏付けを見事に果たしている。
続編を求めたい。この耐えようのない怒り・悲しみ・絶望の出口を求めたい。
その昇華を求めたい。
でも、そんなものは存在しないのかも知れない・・・
だからこそ、続編を求めたい。そこには、その時点での現実が反映されているだろうから。
何にもなれない君へ
とても哀しい、辛い映画で、これがヒットして皆が共感している世界はとても辛い状況に来ていると思う。
二重のトラップがある映画だ。
一つは、誰しもアーサーのように悪に染まっていってしまうという不安に駆られることだ。
ただし悪に駆られて承認欲求を満たせることが、この映画において主人公の救いになり、一部の観客にとってのカタルシスになっている。
二つ目のトラップは、悪に染まることすら叶うことのない、全てが彼の妄想なのかもしれない、というラストの最悪のカタルシスすら否定する現実の残酷さだ。
妄想しているだけ。君の行動では何も変わりはしない。
バットマンになりたい?? 君らはお金がないから無理だね!
じゃあ、ジョーカーになろうか!!
君らはただの妄想好きの庶民で、ジョーカーになんかなれないよ! 面白いジョークだね!!!
じゃあ、僕らは何になれば良いのか。
ジョーカー爆誕!これを見ればバットマンワールドにおけるヒーローとヴィランの立ち位置が分かる!
〇評価が真っ二つに割れてる件について
私の場合、事前に「ジョーカー誕生の物語」と知った上で視聴したので、非常に腑に落ちるというか、社会的不満を持つ人や他者から排除されてしまう立場の人たちがどういった経緯でヴィラン側に寄って行くのかというのが非常に分かりやすく描かれていて高評価を付けました。
逆に「ダークナイト」に登場するような狡猾で派手にドンパチする様子が描かれているジョーカーを期待した人やバットマンの世界について何も知識がない人は評価が低くなって当然だと思います。というのも映画としては終始、一人の男がヴィラン(ジョーカー)になるまでの経緯を描いているだけで、物語として谷あり山あり最後にオチでまとめるといった後味すっきりという構造にはなっていません。またバットマンにおける重要人物としてブルース一族などが出て来ても、ただの端役の家族にしか見えないと思います。
〇ジョーカー(ヴィラン)やヒーローという存在について
若干のネタバレになりますが、物語終盤で主人公が扮するジョーカー以外にも民衆が暴徒化してピエロに扮するシーンが出てきます。これを見た瞬間、「今回はあくまで映像としてジョーカーだけにスポットを当てているが、それ以外の社会に不満がある人や虐げられている人達はごまんとおり、その”複合体”がバットマンワールドにおける「ヴィラン」の正体でもあり、ジョーカー個人だけを描きたかったわけではないんだな」と感じました。なのでジョーカーと名乗る一個人をバットマンが倒しても、次から次へとヴィランが現れるし、同じような民衆の中から別のジョーカーが現れてもストーリー的にも全く不思議ではないなとすごく腑に落ちました。
それとは逆に、世間一般的な良識やルールに則り、ルールから逸脱したカウンター的な存在であるヴィランを除外するもの”複合体”が「ヒーロー」と呼ばれる存在であり、その良識側の代表として作られたものがバットマンなんだなと。またヴィランが増加するのに比例するようにヒーローやヒロインが追加で出てくるのも社会構造として必然と言えるかと思います。
(※まあヴィラン側からしてみれば、バットマンこそが悪で、ジョーカーがヒーローなんでしょうけど・・・)
〇最後に
映画を見終えて最初に思ったのが、現代のネット社会で世間一般的に良識と呼ばれるものに外れたことをする人がいる一方で、正義感あふれる人に叩かれ晒上げられる構図そのものだなと思ったことです。(※世間一般的な常識と呼ばれるものから外れているだけで、差別や除外する人がいるのも同様で)
この構造を取り入れてる限り永遠に物語が作れるし、ヒーローとヴィランどちらの視点で物語を描いても、確実に共感を得られる賢い作品作りをしてるんだなと感心しました。またその一方で、この社会構造を物語に取り入れてる限りヒーローとヴィランの戦いは永遠に終わらないし、人々に脳を弄って思考を統一するぐらいしか戦いが終わらない気がするのは気のせいでしょうか?
想像通りの映画の内容。想像を超えたホアキンの怪演。
胸糞映画はやめよ!
どんなに絶賛されようが、終始心を締め付け、震え上がらせ、軽蔑させる映画は自分の滋養にならないことを学べた。
若い頃憧れた、自由の国アメリカ、あんなに汚い国だったっけ?あんなに自己中な人ばっかだったっけ?あんなに人を馬鹿にする、冷たい国だったっけ?
地下鉄の汚さ、街の汚さ、バスの汚さ、店のきたなさ、部屋の汚さ…あらゆる汚さを堂々と晒されて、ずっと国の民度を疑ってた。最後の拘置所内の廊下が1番綺麗だった皮肉。
日本もそりゃ馬鹿な人がいるけどさ、そこまで自由を与えられなかったからこそ、秩序があって、節度もあって、清潔を好む国柄。…全く関係ない感想かもだけど、改めて日本に生まれてよかったなと思わせてくれた映画でした。
…本音を言えば、イケメンが見たかったwww
心優しいアーサーから凶悪殺人鬼ジョーカーへの変貌
バッドマンの悪役ジョーカー誕生の理由を描いた作品。人はどこまで心が折れると、ジョーカーになるのか?
どんな時も笑顔で、人々を楽しませることが使命なのだと、コメディアンを夢見る心優しいアーサーが、狂気溢れる悪のカリスマ、ジョーカーへと変貌する。
なぜ?彼はここまで凶悪で残忍になってしまったのか?
弱者(精神障害)に無慈悲な社会に見捨てられ、自暴自棄になる・・・その過程に、切ない衝撃の真実があった。
その凶悪ぶりは、ショーン・ゲイシー(殺人ピエロと呼ばれた連続殺人犯)を彷彿させる。
終盤の暴動は、格差、貧困、失業、虐待、差別という、社会への不満が爆発し彼を悪のカリスマ・ジョーカーへと駆り立ててしまった。
これは、現社会への皮肉が込められているのだろうか。
ラスト、ブルース・ウェインの母のネックレスが飛び散るシーンをお見逃しなく。
残虐なシーンもあるが、これは物語で、社会への深いメッセージが込められている。
ホテルムンバイは実話で、その残虐さ、恐怖、テロへの怒り、比では無い。
ホアキンが背負う世界の歪み
圧巻。
ホアキンフェニックスの背中が歪み、足がばたつき、手は所在なさげにぶらつく、そういったシーンの連続が映画全体の不穏さを表現していく。
ホアキンの身体、表情を観ているだけで緊張感が張り詰め、観客の目を釘付けにする。
廊下を走る、角を曲がる、だけでひとつのアクションとなり、それらがテンポよく繋がっていく。
映画とはアクションの連続だ。
観ているあいだ良質なアクションの連続に喜びしかなかった。
ジョーカーなるものへの考察、はたまた現代性など、語ることは山ほどある。
しかし、この映画の素晴らしさは、ホアキンフェニックスという俳優の肉体の動きそのものを見続けられる喜びに尽きる。
そしてそれを支える劇音楽の素晴らしさ。
音ひとつでこのシーンの意味を伝える素晴らしい出来だった。
現実と妄想のシームレスさなど、非常に上品な演出も見事。
完璧。
かまってちゃん
鑑賞後じっくりと考えた結果
町山さんが褒めてるだけある
TBSの町山さんがお勧めというんで見に行ったんだけど、非常に深い政治的意図が仕掛けられている作品。アメリカのレーティングでも潜伏された意図まで含めてこの作品を考えると放映禁止となっても全くおかしくない
DCの中でバッドマンが結構な位置に存在してるのは、アメコミの歴史の中で重要な指標を提示できた、という過去があるからだ。かつてアメコミは政府の弾圧の元でかなりシンプルな作品しか作れなかった時代がある。「悪者がいる」「やっつけろ」「バーン(解決)」だけの勧善懲悪なお話しかないような。それが日本の漫画が発展していくのにつれ、アメコミも弾圧がなくなって後に変化し、大人が読んでも耐えられるだけの深みを描けるようになっていった。その代表作こそが「ダークナイト・リターンズ」である。そこでは年を取り、政治的意図に振り回され、戦う相手は政府の敵だったりするヒーローが描かれている。無敵でなくなったヒーローが現代の社会の問題と向き合うようになったのである
そして、それが映画化された作品が「ダークナイト」である。そこではバットマンのライバルのジョーカーが狂気の元に社会に恐怖を与えていく。それを演じた役者が役の狂気に飲み込まれ自殺し、アカデミー助演男優賞を受ける事になるという狂気との狭間にある傑作である
この2つの大作がバッドマンの礎となっている。今回の「ジョーカー」はまさにその直系のサイドストーリーであり、狂気の源となったジョーカーの内面に潜り込む作品である。悪役が主役なのだから、バッドエンドが定まってる。救われる道はない
そう、このバッドマンに連なる話というのは、かなりの部分で社会的問題を含んだ話になっている。そして今回のジョーカーで語られてる問題は、マイノリティへの無理解、弾圧、政治の無謬である。その無理解や政治を金持ちが操ろうとしてる様に対して怒りを生み出す作品となっている。そこに解決の為の道は無い。これはジョーカーの話だから、その怒りはただ破壊へ向かうだけである。ジョーカーの話はアメリカ人にとっては他人事ではない。彼らのほとんどは安い賃金で働き、政治の無謬により政府機関が閉鎖され、何時職を失うかという恐怖にさらされながら、金持ちが演じる政治ショーを傍観する立場にある。しかし、この作品に共感し、感応すれば、皆テロリストになってしまう。そういう危険な作品なのだ
つい最近、サウスパークというブラックパロディな長期アニメ作品が中国の最近の香港弾圧、ウイグルの民族浄化、ハリウッドが中国に操られてる問題をパロったら、中国でサウスパークが見れなくなる、という問題が起きた。NBAの一部の人が香港デモを応援したら中国からNBAへ謝罪を求められる事になり、スポンサーから降り、中国放映が危ぶまれる事態となっている。米国のショービジネスは今や中国に大きく舵取りをされている状況となっている
その背景を踏まえた上でこの作品が米国の大統領選挙で大事な時期に公開された、という意味は非常に大きい。民主党、そしてハリウッドはリベラルであり、弱者やマイノリティの意見を代表している。しかし、最近ではそれらのマイノリティの意見表明は非常に敵対的になっている。ソーシャルジャスティスウォーリアーと揶揄されている。彼らは協調ではなく敵を打ち倒す事に力を入れ、彼らを批難する言葉に対しては弱者への弾圧であると(日本ではヘイトという表現で)批難し、その発言を社会的に封じようとする。これは何か?民主主義を対立によって立ち行かなくさせる活動であり、表現の自由を弾圧によって奪う活動だ
民主党はヒラリーが中国から大きな支援を得ている。ハリウッドには中国の資金が入って中国からの指示を断れない状況にある。ヴェノナ文書という公文書がある。共産党がいかに長年ずっと敵対国家を内部から破壊しようとしてきたかという事を米軍情報部らが明かした公文書だ。ぜひYoutubeでその衝撃の中身を知ってほしい。ジョーカーで実現しようとしている世界とは、民主主義を壊し、表現の自由を奪う活動と繋がっている。そしてその先に中国の影がちらついて見えるのは自分の視座から見えるだけの事ではないと確信してる
これだけの意図を持って作られた作品にも関わらず、米国で上映できたのは、米国が表現の自由を何よりも優先しているからである。たとえその作品の意図が民主主義の破壊、表現の自由の弾圧に繋がっててもだ。それはこういう作品から得られるモノが人によっては意図以上の考えにまで至る道を用意してくれるからだ。このレビューがその一助になるとうれしい
この作品は良く出来ている。そしてそれが示すモノとは何を示しているのか
ジョーカーは誰によって生み出された?それこそがこの作品の価値かもしれない
ジョーカー降誕
なんでこんなに評価されてるの?
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