ジョーカーのレビュー・感想・評価
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圧巻の演技力
カルトの経典
ジョーカーじゃない
「ジョーカー」を観ました。
観客動員数がうなぎ登りで評判もいいとなれば観に行かないわけにはいきません。
ストーリーは、DCコミックのバットマンに出てくる悪役「ジョーカー」がいにして生まれたか、を描いたもの。
DCコミックの映画なので、過去の流れからいわゆるヒーローアクションものかと思いきや、非常に濃い人間ドラマに仕上がっています。
よってアクションヒーローを期待すると大きく期待外れな結果となりますのでご注意ください。
特に終始重たい雰囲気で、音も低音がうるさく時には頭痛がするほど。
全くもってデートに不向きです。幸せな人は気が滅入るだけの映画で、見る人によって大きく評価の分かれる映画といえます。
さて舞台ですが、はゴッサムシティなので、荒廃しています。荒れ果てた世の中という設定なので、ジョーカーは時代によって作り上げられた、なるべくして生まれた怪物のように描かれます。
しかし観ていてずっと違和感がありました。
これって本当にジョーカーなの?
この映画、描きたかったテーマをジョーカーに無理やりに結びつけたんじゃないのかしら?
ということで、この映画の大きなテーマについてちょっと書いてみます。
この映画のテーマは、普通と違う人の生きづらさです。
普通ではない特別体質、心の病気の人は、世の中から拒絶され、存在を否定される
本人が何も悪いことをしていなくても、日常的に普通の人とズレた言動が時に気味悪がられ、暴力にさらされる
当人にしかわからない苦悩
そんな生きづらい世の中で、存在を否定された男がいかに狂気に走るのか?
このテーマで実に重々しく気分の滅入る、全くデートに不向きな映画を見事に撮ったことは、素晴らしいと思います。
でも自分には、描きたかったそのテーマを無理にジョーカーという題材に当てはめた、というように見えるのです。
だって、僕らが知っているダークナイト(バットマン3部作の2作目)に出てくるジョーカー像とは一致しないんですよ。
自分以外にも、そう感じる人いませんか?
ダークナイトのジョーカーって、もっと頭が良くて度胸があって、バットマンですら手玉に取るようなキャラです。
これからそうなる?
と言われても違和感が拭えない。
自分としてはそんな評価です。
そしてなぜかジョーカーに1ミリも同情する気になれない自分がいました。
彼は不運が重なり怒りを溜め込み、世の中に後押しされるように人を殺します。
彼にあるのは怒りです。
民衆にあるのも怒りです。
でも同情する気になれないんですよね。
父親と思われる男に邪険にされるシーンがありますが、彼にとっては逆恨みもいいところ。
ジョーカーの思い込みで勝手に父親と勘違いされただけです。
裕福な人々は何も悪いことしていません。
映画の中では善悪をハッキリと描きません。富裕層を悪に仕立てて貧しさから暴動に走り、怒りからジョーカーを祭り上げる民衆を善として描いていません。(と思えます)
この映画をみて、富裕層をやっつけろ!
ジョーカー頑張れ!となる人がいたら、よほど今の現状に不満を溜め込んでいる人と思います。
基本的に感情移入できない映画はつまらないです。
意図的にジョーカーを気持ち悪く描いて、嫌悪感を抱かせようとしたなら、作品の狙いとしては成功なのかもしれませんが、ジョーカーの名前に釣られて観た自分にとっては、期待したものと大きく違ったという意味で、イマイチな映画でした。
70点かな。
戦慄と愛おしさ。
15回観た、と云う方がいらしたので、、、
標準作
破綻なく、スピーディに展開する。
映像美は確かにあるけど、それ目当てに見にいく映画ではない。
デニーロ、出てます。が、これも見どころというほどではない。
ストーリーは、だろうね、やっぱり。ということで、予想どおりなのが、かえって驚き。
ジョーカーという不条理が、現実の不条理によって生み出されるという、もう、ベタそのものの「条理」。
不気味で訳がわからないジョーカーが、ちっちゃくなっっちゃったな。
刺さる台詞や、ハッとさせられるシーン、心が揺さぶられる場面もない。
ときおり出てくる、妙に読みやすいレイシズム批判のプラカードが、現実批判なのか、映画賞アピールなのか、中途半端でいらんなぁ。
暴力シーンだけは、やたらと生々しくて、ウンザリする。
凡作プラスαで、せいぜいが標準作。
この映画は狂ってる
ジョーカーを探して
なんだろうこの、映画鑑賞後に特有のプチトリップ感の無さは...
人の作り上げた映像作品としては、すごく評価出来ると思う!
ホアキン・フェニックスの演技も素晴らしく、惹き込まれました。
けどこのストーリーは、私にとって日常的と言うか、割りと良くある&良く聞く身近な不幸話だったので...
アメリカでは公開時に暴動が警戒されたというけど、それくらい、この社会には「アーサー予備軍」が存在すると大勢の人が感じているんでしょうね。
つまりは主人公が平凡に過ぎたのかなぁ。
不運で不平等な人生に詰んで、とうとう暴発して犯罪者になっちゃった男性の中には、希代の怪人ジョーカーの片鱗はまだ見あたらず。
あの、おぞましくもゾクゾクわくわくさせられるグロテスクな存在感!カリスマ性!
いずこに?
私が読み取れなかっただけなのかなぁ...無念。
悲劇が生んだダークヒーロー
ユーモアの綱渡り
「人を笑わせるのは、人を怒らせるのよりも難しい」と祖母が言っていたのを思い出した。本来は誰か笑わせるためのユーモアも失意や悲しみの中では凶器にもなり得る。ユーモアとはそれだけに儚く、脆いものなのだ。そして、本作の主人公アーサーのユーモアは喜劇と悲劇の間を綱渡りする。これが“ジョーカー"というキャラクターが道化師である所以なのかと頷いてしまう。
本作の見事な点は誰しも悪に染まってしまう怖さを描いた点ではない。誰しも悪にならされてしまうかもしれない、というところに本作の面白さがある。喜劇に転げ落ちるのか、はたまた悲劇に転落するのか?善人が悪に堕ちるという作品はこれまでにも数多あったが、アーサーは悲劇という階段を転がり落ちるどころか、むしろ上り詰めていくことで喜劇にして見せている。悲劇と喜劇は表裏一体であり、どちらの方向から見るかによって、見え方が異なってしまう。それは時に善悪にも当てはまる。たとえ合法的な行為であっても、たとえ反社会的な行為であっても、単純にその善悪を決めきれないこともある。
言うまでもなく、本作はバットマンの宿敵“ジョーカー”の誕生までを描いた作品であるが、それと同時に我々が知るあの“ゴッサムシティ”誕生までを描いた作品と言っても良い。一人の人物の登場によって、あるいは一つの出来事によって、世論は、メディアは、そして社会はいとも容易く変化する。そして、この恐さ、この愚かしさ、このバカバカしさの根源は一体何なのだろうか?と観客に問いかける。
コミカルに見せるラストシーンを笑って済ますか、不謹慎と見做すか、あるいは憤りを感じるかは観る者によって違ってくるだろう。だが、そのいずれかの感情を抱いたとすれば、それはジョーカーの術中にすっかり嵌ってしまったということであろう。
常人には理解不能。
バットマンのスピンオフと思って、観に行くと痛い目に遭う。
物語は確かにバットマンの宿敵、ジョーカーの誕生秘話ではあるのだが、どちらかと言うと社会の負け組が如何にして、悪の権化へと変貌を遂げる見方が正しい。まず最初に目を惹いたのが、「タクシードライバー」「狼よさらば」「地獄の黙示録」「カッコーの巣の上で」など、様々な映画のオマージュにはニヤリとさせられた。特に、ロバート・デ・ニーロが司会を務めるトークショーは、まんま「キングオブコメディ」。ホワキン·フェニックス演じるアーサは、そのトークショーに出演するのを夢見るコメディアン役で、立場が逆転したのも興味深い。
さらに注目するならば、格差社会が引き起こす悲劇。ここでは上流階級が悪役扱いされ、あのブルース·ウェインの父親でさえ、アーサーに暴力を振るう。ジョーカーを崇拝し、ゴッサムシティに暴動が起こるのを見て、今の香港を彷彿したくなるが、この作品を現代社会の暗喩ではないかと思うのは、深読みのしすぎだろうか。
2回鑑賞!!!
バッドマンが観たくなった
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