ジョーカーのレビュー・感想・評価
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虐待・街でのデモ・覆面。。。そして狂的な社会。とてもタイムリーで圧倒的な完成度の芸術映画
アメコミ映画は基本的に観ないことにしているが
この映画は別格だ。観る事を躊躇しなかったし
この芸術映画を観たのは正解だ。 観なかったら後悔しただろう。
前作(ダークナイト)において、故ヒース・レジャー氏は高評価を得ていたが
ジャンキーの演技なので、僕にとって、それは評価外・論外であり、
狂人の極端な演技は差ほど難しくはない。
それに比べ、後半マイケルジャクソンにさえにも魅えた
主人公ホアキンさんの役作りと演技は完璧だ。この映画の背景すべてを完璧に語っている。
そして紙1枚とネタ帳で映画の前提をすべてを表現した脚本も凄い。
楽しいから笑うのではなく、悲しいから笑うのでもない。
彼は感情が高まると泣くのだ。
だから彼は真の”笑い”というものを知らない。
その知らないもので、自分探しをするが
それは残酷でもある。
彼は根っからの社会的弱者・障壁者なので、本来守られるべき人間であるが、
社会が彼を犯罪者にしたのではなく、弱者切り捨てによって作られた隙間に落ちた人間で
妄想好きな狂人
映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」と同じだ。
多々でてくる回想シーンはボッーと観ていると勘違いしそうなシーンで構成されているが、
構図も撮影・カメラワーク・照明もすべて完璧!
オレンジライトとブルーライトをうまく使い分け、綺麗な色彩を演出していた。
構図・音楽・効果音が的確で
非常に考え尽くされた画面と
オープニング・エンドタイトルに至るまで、センスよく
ほんの僅か上映時間が長い気もするが、脚本もピカ一
完成度が非常に高い作品
しかし、冷蔵庫を映すシーンの必要性とカメラの動きの訳
途中に入ったギーィ音の意味が気になったので、監督に訳を聞きたい。
この映画を観たら、鏡に映る対照的な「タクシードライバー」を見直したくなった。
喜劇なんて主観さ。笑えるか笑えないかは自分で決めるんだ。
たまたま数日前の深夜、TVで「ダークナイト」を観た。バッドマンを翻弄するジョーカーの小面憎いことったらなかった(と言うものの、基本的にアメコミ映画は観ません。ヒーローの万能っぷりや勧善懲悪のステレオ描写が嫌いなので)。
個人的には、バッドマンの苦悩なんて興味はない。水戸黄門然り、大岡越前然り、どうせちょっとやっつけられるパフォーマンスを見せた後にガッツリ叩きのめすプロレスなのだから。それなら僕は、雲霧仁左衛門や河内山宗俊の物語にこそ強く心惹かれる質だ。美学を持つ悪人や、世の中が作り出しだした道化にこそ、人間の本質が深くにじみ出る世間を見ることができるから。歳をとると、そういう物語にこそカタルシスやシンパシーを感じてやまない。
そしてこの映画には、そんな切なさがあふれていた。
アーサーはコメディアンを目指していながら、笑いのツボが分からないなんてすでに滑稽な悲劇である。どうやら読み書きも満足ではないらしい。もしやLDなのかも知れない。たぶん、子供のころからずっといじめられっ子だった気配がある。clownを職に選んだのだってもしかしたらペイントをして顔を隠せるからなのかも知れない。違う自分になれる快感を得たこともあったろう。
そんなアーサーが、もともと脆かった彼の心を壊すには十分なほどの事実を知ってしまい、精神までも壊れていく様はみじめな弱者でしかない。人生を諦観していたアーサーが、とうとうやけっぱちになって「狂ってるのは僕?世間?」と問うまでに乱れ、やがて自らが秩序の破壊者へと変貌していく。なんと悲しいことだろうか。
そんな堕ちてジョーカーと化けていくアーサーを、怪優ホアキン・フェニックスがものの見事に体現していた。この役者、その役作りには敬服する。「her」や「ビューティフル・デイ」などの彼も素晴らしいが、このアーサー役の彼もまた格別の存在を成している。鏡の前の彼も、走って逃げる彼も、痩せ身で不健康な彼も、限りなく、役に没入しているように見える。メイクした「道化師の涙」でさえも本当の涙を隠すためとしか思えなくなった。だから、アーサーじゃなくてホアキン・フェニックスに手を差し伸べてあげたくなるような気分にさせられてしまう。
クリームの「white room」が堕落していくゴッサム市に融け合い、「send in the clowns」のメロディがジョーカーの人生を笑える悲劇へと導いていくようなラストを観ながら自問する。
で、この映画を観ている自分はどっちだ?と。
顔を隠しながら、災難を恐れてその場から去る”善良”な市民か?
ヘタクソなステップを踏むピエロに喝采を送る、怒れる市民か?
お見事
今年10月にジョーカー フォリ・ア・ドゥが上映するにあたり再度鑑賞。
ストーリーは省きます。
ジョーカー事アーサー・フレックが見事に悪役ジョーカーに至るまでのストーリーが見事に描かれている。
ゴッサムシティと腐った世界で、病を抱えた母を支えアーサーも身体に障害を抱え急に笑う精神的な障害を持ちながらもコメディアンを目指している。
序盤は決してアーサーは社会からはみ出さず、普通に生きようと真っ当な人間に映る。
しかしながら世間は冷たくアーサーを見事にピエロから悪魔に変化して行く様子はホアキン・フェニクスが演じる事で引き込まれる。
アーサーはもうすでに壊れている存在。日記の内容やネタも自分の自虐ネタばかり考えている。
人生に疲れた笑い・諦めの笑い・狂気の笑いと私達が想像している笑いとは全く違う世界観で生きている。そうアーサーは常に笑われて生きてきている。
トーマス・ウェインも実の父親だと思っていたが母親の妄想で実は違うと。
もうアーサーの一つの希望が消え、唯一の味方であった母の存在も消えてもうアーサーには何も無くなってしまい無敵の人間になる。
終盤に唯一の味方に映る小人症の男性を助けます。決してジョーカーは無差別ではなく自分を見下した人間を殺しているダークヒーローの存在である様になってしまった。
TVショーの場面での会話では、決して彼は民衆を煽っているのではなく勝手に暴動が起きている。政治なんかには一切興味がないと。社会に対して不満に感じていた民衆が勝手にジョーカーをヒーローにし暴れているだけ。
そうジョーカーは民衆が勝手に作り上げた存在だと。
階段のシーンでのジョーカーは最高にカッコ良く完全に生まれ変わった。
見事にダークヒーローとなるジョーカーが描かれ、決して共感してはダメな作品を素晴らしいと感じさせられる作品になった。
凄絶!悪を誘う究極のカリスマ・・・降臨!
「ジョーカー フォリ・ア・ドゥ」を見に行くにあたってのおさらいです。
当時は、アカデミー賞を取るんじゃないかって噂になるほどのスゴい作品でした。
とにかく、見ていて圧倒されるって言うんでしょうか、見終わったあとは、ドッと疲れるようなエネルギッシュな作品です。
ホンっと面白い。特に最後が凄まじい。トリハダたっちゃいます。
昔、テレビでバットマンをみた覚えはありますが、ジョーカーは全く記憶にありません。
ジャック・ニコルソンのジョーカーが初認識です。でも、あの作品自体にあまり思い入れがないので、単なる敵役の一人でした。
衝撃だったのは、やっぱりヒース・レジャーですね。後にも先にも最高の敵役だったんじゃないでしょうか。
「スーサイド・スクワッド」のジョーカーも悪くないですが、全くの別物です。
そして、本作品のジョーカーが、さらにスゴい。上手く言い表せませんが、自分の中ではこのジョーカーが将来、ヒース・レジャーに繋がっていく線がはっきり見えた気がします。 まさにダークサイドに堕ちていく凄まじい人間ドラマでした。
DCも、この作品から、新たな展開を迎えた気がします。
マーベルみたいな連携した作品でなく、一本の単体のドラマ。それも、ヴィランが主役の重厚な人間ドラマ。いや〜、ホンっと見応え十分です。
今回もそうでしたが、何回見ても、圧倒されちゃう一本です。面白い。
ただ、ジョーカーを知らない初見の人は、どんな風に見るんだろう? 普通の人がダークサイドに堕ちていくさまだけで楽しめるんだろうか?少なくとも面白さは半減じゃないかな。
クソ映画でした
俳優つまり演技は、凄かったなあ。
こんな感じで、狂気に落ちていく様子を演ってくれ、って言われたからできるってもんじゃない。
動きの全てが、壊れていく精神を表している感じはすごい。それも、一気にではなく、徐々に徐々に。そこは、ホントに尊敬だ。
ロバートデニーロが出ているのは、「ディアハンター」との対比というか、リスペクトなのだろうか?
場面ごとの撮影も見事だし、音響と音楽で心理状態を示すって点でも、恐れ入った。
しかし、それだけに、この話は、いったい誰のための、何の話なのか? と真剣に考えてはしまう。バットマンの敵役ジョーカー、あんなヤツがどうして生まれたか、気になるでしょうってか?
それを知ると、バットマンシリーズというヒーロー物を観る姿勢が、大きく変わるのか? 不幸な境遇を知って、悪事を働くなもさもありなんと思いながら観るのか? そんなこと、ないだろうな。
そんなわけで、本作が、ヒーロー物の一部として作られた意味は、自分にはちんぷんかんぷんだった。なので、失礼な書き方になってしまったが、自分にとっては、クソ映画でした。
惜しくない? こんなにすごい演技、撮影、音響してるのに。
それでも生きる…
この映画、何と言っていいか、わかりません。
芸人として、人を笑わせるはずが…
降りかかる壮絶な困難…
その末に広がる狂気の世界の主人公になってしまった「ジョーカー」
それでも生きる…このジョークのような世界を。
対立と憎悪を助長しているだけ
陰鬱。陰惨。子猫の虐待を延々見せられているような感覚。アメリカで不満がくすぶっている貧富の差やトレーダーなどのホワイトカラーに対する憎悪とリンチ(私刑)を助長するメッセージがあからさまに表現されています。こうした軋轢や暴動を扇動する内容自体が、私には狂気に感じました。
主演の怪演は認めますが、バットマンのジョーカーとは全く別の作品として作るべきだったのではないでしょうか。個人的な意見ですが、「バットマン」、「ジョーカー」の看板がなければさして話題にもならなかったように思います。
心震える傑作…‼︎
驚くほど綿密に構成されたシナリオと、ホアキン・フェニックスによる驚異的で狂気的な演技は観る者を震えあげさせる。それは決して恐怖ではなく、神がかり的な物語構成と演出によって沸き上がる心の底からの感動である…
悪のカリスマ「ジョーカー」の誕生は決して突発的なものではありません。度重なる不運とアーサー自身が持ち合わせている哀しき持病によって段階的に狂っていくのです。
本作の凄いところは、ジョーカー誕生となる要因がものの見事に絡み合っている点です。最悪とも絶妙とも言えるタイミングで降りかかる数々の不運。そして随所に散りばめられた伏線とともに重なり合っていく物語展開。こんな傑作は何年ぶりでしょうか。
悔しいですが、ノーラン版バットマンシリーズのジョーカーにも劣りません。
そして終盤、ジョーカーが誕生する瞬間のあの演出!痺れました…
オチも素晴らしい。最後まで丁寧につくりあげたのが伺えます。
人の悪意をみた気がしてゾッとした。
安定しない社会の現状や言い様のない不安。ただそれだけでは人はもちろん殺人は犯さないだろうと思う。
だけどそこに身近な人に裏切られた感情を抱いたり、ひどい暴力や罵倒を受けたりしたらどうだろう。それでも良心は保てるだろうか。
おそらくグレたり、自分以外の弱い人間を探したりしてしまわないか。そんなことを考えていたら、人ごとに思えなくなった。
もちろん最後までジョーカーにはまったく感情移入できなかったが、今日本や世界で起きている残虐な行為は少しずつみんなが関わっているのではないか、だとしたらちょっとずつみんなが思いやりの気持ちを持てたらジョーカーは生まれないのではないか。とか思った。
人間の善意と悪意のあり方について考えさせられた作品。
公開初日 我慢できず出張後に鑑賞
ジョーカーの狂気には、ただの精神病のそれとはまた別の、誰よりも正気であるからこそ生まれる狂気が加わっている。
だからこそのカリスマ的佇まい、心をざわつかせる感覚が生まれるのだろう。
何度か登場した、絶望に遭遇し気だるそうな背中で階段を上がるシーン。
その階段が、完全なるジョーカーの登場の舞台として転用される。なんという効果的な脚本、演出だろうか。
踊りながら降りてくるジョーカーの姿に、鳥肌が立った。これがジョーカーだ!
これだこれ。ジョーカーを見るときのこのざわざわとした感覚。
ピエロメイクの下にある表情を、映画中何度も何度も反芻していた。
これほど心の機微を表現できるとは。
目がすごい。
狂気だけじゃない、純粋さだって、あの目の中にはあった。
美しささえ感じた。
ここから完全なネタバレ。
鑑賞前に見るのはお勧めしません。
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隣人の女性の家に入り、
女性が怯えながらアーサーって言ったっけ?と言ったシーン、
????!!!!
衝撃を受けた。
まさか、全て幻想だったとは。
はじめての人殺しに、罪悪感などはなく、清々しさ、この世の全てを手に入れた気持ちになったのだろう。
それで隣人女性も手に入れてような感覚になっていたのか。
ただひとつだけ疑問
デートも幻想だった訳だが、
香水の匂いと母親が言っていたのは。。?
母親との幸せなダンスタイムも含め幻想だったということだったのか。
お笑いライブでうまくいったような描写や、バラエティー番組で観客席からステージ上に上がるくだりも幻覚、妄想だった訳で。
たしかに、あり得ないほどうまくいった展開と、不自然なコメディアンのコメントだったもんな。
ちなみに、この妄想の中でもあったように、随所で父親を求めている描写があったのが良かった。
理不尽な世の中でも、母親との時間は貧しいながらも幸せだった。
しかし、それさえも実は虚であった。
自分が世間から疎まれ、理不尽な人生を送らねばならなくなっている元凶が、実は全て母親のせいで、最後の心の拠り所だったものさえ偽りだったことを知る。
「もう自分には何も失うものはない。」
テレビ収録で放った、ありきたりなこの言葉だが、重みのあるものだった。
愛していた母親、尊敬するコメディアン、側にいるはずだった女性、求めていた父親、同僚、カウンセラー、世間。。。
裏切られる様子が、それぞれ異なる角度からのストーリーで描かれ、まさにジョーカーの出来上がりにふさわしいものだった。
ただ堕ちて行くという後味の悪さはない。
やってることはすごいけど、後半にいくにつれ、むしろ正気になっている。研ぎ澄まされて行く感じ。
後悔なんてある訳ない。それが当然、社会が狂ってる、そんな潔さと清々しさがあり、ドキドキが止まらなかった。
どうしてもノーラン監督のダークナイトと比較してしまうところはあるのだろうが、並べてみても少しも劣らぬ映像であった。
クリアさ、映像から伝わる細かな琴線の揺れ。
シロウト目ではあるが、間違いなく最高の撮影だと思う。
そして音楽。カッコよすぎる。
最後の、血で口裂け笑顔シーン、最高だった。
階段降りてくるシーンもう一回見たい。
鑑賞後、そのままノーラン ダークナイトを観たいという衝動に駆られた。(後味が悪かったからではない。ジョーカーにずっと浸っていたかった)
20191008追記
鑑賞後4日たった今も、心の中のざわざわした感覚が消えない。
予告を何度も見たり、ダークナイトをもう一度見てみたり。。常にジョーカーの痕跡を探してしまっている自分がいる。
これはもう一度映画を観に行くしかない。
何だろうこの、心が捕らわれてしまった感覚は。
こんな感想を見た。
「圧倒されすぎて、寝ても覚めてもジョーカーのことばかり考えてボーっとしてしまう。でも誰かと話したい~!」
本当にこんな感じ。
これがジョーカーへの陶酔というものなのかもしれない。
ホワキン、お見事!
ジョーカーと言えば、ヴィランの象徴であり、バットマンの舞台である、ゴッサムシティになくてはならない存在。アメリカ人には染み付いている、強烈な狂気を象徴する存在。なかなか日本ではうまい例えが浮かばない、サイコパスの極地に居る、独特の存在だ。
ゴッサムシティの話なので、ただでさえ救いようが無いところに加えて、さらに底辺の生活から、いかにジョーカーが生まれたかの物語。
ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャーが名演している強烈な役だけに、真っ向勝負では、彼らを超えるのはなかなか難しい。本作ではジョーカーの誕生に焦点を当てて、少しバットマンと距離を置いての構成であるものの、やはり過去作との比較はされてしまう。ホワキン・フェニックスは今年観た「ゴールデン・リバー」で"やらかす弟"役で観ていた。相応の演技だったが、正直ジョーカーのイメージでは無かったので、少し懸念はあった。
しかし、見始めて数分で疑念は雲散、凄いねホワキン・フェニックス。亡くなったリバー・フェニックスの弟という称号を見事に脱出した。ガリガリに痩せていて、どうやっているのかわからないが、肩や腕が変形していて、役作りが、極まっている。ロバート・デニーロも重要な役で出ており、こちらは華がある役で、ホワキンとの対決は見ものだ。
昨日「惡の華」を観たので、内容は違うもの狂気という共通のテーマがあるので、なかなか辛いものがあった。グロテスクさでは、ジョーカーの方がソフトだったかな。ともあれ、重くて濃い作品なので、相応の覚悟を持って見てほしい。
笑っているのか、それとも、泣いているのか
ただただ感動。
アーサーは緊張してしまうと、意識なく笑ってしまうという障害もちです。確かに笑っているのですが、その笑い声は普通の笑い声ではなくて、まるでむせび泣いているかのようでした。自分にとってとても印象深いものでした。
「人生は悲劇だと思っていたが、実は喜劇だった」と述べる場面があります。狂ってしまったことも考えられますが、自分自身の力ではどうにもできない出来事が立て続けに起こる現状に「こんな人生、笑いも演出するピエロのように笑っていなければやっていられない」と自分は読み取りました。
どうしようもできないから泣いてしまうのかもしれません。
タイトルなし
これがジョーカーなのって?期待外れでした。単に境遇が可哀想で誰からも相手にされない孤独からモンスターへ変貌遂げるのはわかるけども。もっと残忍でクレバーなイメージ。ホアキン・フェニックスもそんなにいいかな?
JOKER
恥ずかしながらバッドマンは未見で観に行ってきました。でもLEGOバッドマンは観たことあるという謎。
話的には、バッドマン未見でも、楽しめると思うしDC映画好きな人ならより楽しめると思う。最初はただの不運な男の半生を描いている映画の印象がありました。
ただ後半戦から一転、なにこれ!?めちゃくちゃやべーやつじゃん。ってなりました。
あと、後半戦は「パージ」がチラつきました。
この映画の恐ろしい、よく出来てたなと思う所は実際に事件が起こりそうなとこ。
貧困、差別、障がい、誰しもが抱えるかもしれない問題をとりあげているのがすごいと思いました。人の半生を描く映画は結構観たことがあるけど、ここまではっきり悪人になるまでの経緯を書いてあるのは珍しいと思う。
JOKERがいるだけで圧倒的存在感があった。
体ガリガリで骨見えそうなのになんとも言えない美しさ。
JOKERが誕生するまでの半生が全て描かれてる映画でした。あと、ピエロメイクが狂気を増幅させてていい味出てた。
恐ろしくて((⛄))
ジョーカーはわたし。
ジョーカーは全ての人の中にいる。
衝撃的なシーンに共感してた自分が恐ろしかった!
気をつけないといけない。
人はつねに人を嗤おうとする。
あなたが嗤った人はあなたに対してのジョーカーになってます。
ジョーカーが異常な人でない事を証明したシーン。
彼に拳銃を渡した奴と小人症の人が彼の家に訪ねて来たシーンに心を鷲掴みにされた。
ラストまで隙がなかった。
笑みと無表情の裏で
バットマンとジョーカー、闇と光、善と悪、虚構と真実、アーサー・フレックとジョーカー、ブルース・ウェインとバットマン、無表情と笑い、富と貧困。
これははコインの裏表のように真逆でありながら、くるくると何度もひっくり返される度に互いが同じものであると認識されていく。
これはティム・バートン版バットマンで描かれたことだが、バットマンの登場しない本作でもジョーカー=バットマンであることが否応無しに突きつけられるのだ。
人は誰しも表の顔と裏の顔、表情とは違う心情をかかえていたりもする。
ダーク・ファンタジーであったバートン版と違い、あくまで現在のリアルに根付いた『ジョーカー』は人の笑みや無表情の裏の感情を想像できない事が何を引き起こすかを物語っている。
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