ジョーカーのレビュー・感想・評価
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時代が生み出したジョーカー
フィリップ監督は、『ジョーカー』が『タクシードライバー』の影響を受けている、と語っているとのこと。
狂気とカタルシス。両作品には、似た匂いが感じられる。
若いころに見た『タクシードライバー』の主人公トラビスの殺人には、乾いたカッコよさがあった。
『ジョーカー』の主人公アーサーの殺人には、ウエットな共感の思いがわきあがる。残虐さへの嫌悪も重なるのだけれど、共感も強く感じる微妙な感触。
ともに、殺人を肯定させてしまう力が映像にある。
ただ、両者の殺人の裏にあるものの違いは重要で、そこには約40年という年月の経過が横たわっている。
『タクシードライバー』のトラビスは、ベトナム帰還兵。
社会悪への義憤(記憶では多分、短絡的で過剰ではあるけれど)から、大統領候補を暗殺しようと決意し、結果的に売春アパートを襲撃して、少女を助け出す。
かたや『ジョーカー』では、経済的弱者のアーサーが、自分への仕打ちに対する恨みから殺人を繰り返す。
つまり、『タクシードライバー』のトラビスの目は社会に開かれているのだけれど、『ジョーカー』のアーサーの目は自己の苦しみに捕らわれ、社会から閉ざされている。
そして、トラビスは少女を救うことで、結果として社会的な正義をなし、アーサーは自分だけにとっての正義をなす。もちろん、それは社会からは受け入れられない。
主人公と社会とのつながり方が、両作品であきらかに違う。それは時代の反映だ。
『タクシードライバー』が作られたのは1976年。
ベトナム反戦運動の記憶がまだ生々しく、人々の間で悪の認識が共有されていた時代だった。
それに対して、2019年の『ジョーカー』。
背景にある貧困や精神病への差別は個々人の生きづらさとなり、私恨を生み出すことはあっても、共有される社会悪にはなっていない。
そうした社会背景の違いが、トラビスとアーサーという2人の人物像の違いを生み出した。
相似形の2人に見えるのだけれど、根本には違いをはらんでいる。
それにしても今日の極端な貧富の差とその固定化は、社会悪ではないと言えるのだろうか。
アーサーがダークヒーローにしかなりえない2019年、若者たちはこの映画を見ながら、何を思ったのだろうと、おじさんは思う。
言葉に出来ない
どいつもこいつも…アーサーを揺るがす登場人物達に対してそういった怒りが沸々と沸く。
観ていくうちに気付けばアーサーに感情移入をしている自分がいた。アーサーのしたことは非道であるが決して間違っていない、そんな気持ちになった。ラストのオチは意味深。全てがフェイクだったとしてもジョーカーは生まれる。
思ったより残るなぁぁ
予想よりは受け入れられたけど、ホアキンフェニックスを受け入れられない。簡単に言っていいかわからないけどハマり役なんだろう。凄かった。なので受け入れられない。昨晩見て起きたらジョーカー が気になって仕方がない。正装して階段を降りるシーンはかなり好き、大好きかも。また観ようかな。
すごい緊張感のある映画
「何かやらかすであろう」事が分かりきった主人公アーサー。
いつやるの? えっ、今?今?? ええっ今ですかーーーっ! そこもですかーーっっ!
みたいな緊張感と、…そして本来は優しい人だったんだなと言うことが、本当によく表現された映画で、時折涙腺が緩む場面も。可哀想に、と。
もう一度、バットマンを観たくなる、そんな作品でした。
ばんざいっ!(笑)
いつから狂っていたのか
純粋な心だから、善にも悪にも染まる。
環境で人格が変えられてゆく。
こんなにも、虐げられてきたら
ジョーカーになるのも自然なのか。
何人を、どんな理由で、殺したか。
いつからアーサーの心は狂っていたのか。
映画を見た翌日になっても考えている。
喜劇
普通の?おじさんが闇落ちしていく過程を2時間たっぷりかけて見せつけられました!
普通のアメコミ物なら前半オリジンストーリーで後半にはヴィランとのバトルという流れですが、ヒーロー物でもダークヒーロー物でもアメコミ物ですらないので、ホントにオリジンストーリーのみなので、素直に面白かったとは言えないです。
それでもこの映画の評価が高いのはホアキンの演技が凄すぎるからでしょうか?
このジョーカーがDCユニバースの他の作品に出てくる日がくるのかなー?
何者かになりたかった何者でもない男を演じる凄い役者
何者かになりたかった何者でもない男を演じる凄い役者
心の動きがすごい。
だから、映画の演出やコマ順とかもすごいんだろうな。
どこからが妄想でどこからが真実かもはや分からないけど。
その男には、なにか真実を感じるのは役者の力。
本当ブラボーでした。
仮面をつけた殺人と素顔での殺人
何が現実か、何がどころか全て幻覚か。いまだ答えがでないけど。
正装で階段を躍り降りる姿美しすぎ。なんだか「おめでとう」という一言を言ってしまいそうになる。ホアキンフェニックスの役作りがすごすぎて、演技というか乗り移りレベル。
なみなみコップの表面張力くらいで頑張ってるんだけど、何かのほんの一押しで簡単に溢れていく、そんな怖さを感じた。
ダークナイトファンな私は、もっと憎たらしくサイコパス的な姿でいてほしかった、どこにでも生まれ得る人間だったのであの映画と折合いがつかないなーと思いながらも。あれはあれ、これはこれということでこの映画も好きでいいと思うことにした!あとこういうジョーカーかもしれないと思ってまたダークナイトや他バットマンも観てみよう。
深呼吸もできないくらい一瞬も見逃せず息詰まりながら観ていた今回。何度でも観るたびに違う解釈ができそう。現段階では視聴者の理解に委ねている公式(監督たちなど)、そんな姿も含めて好きな映画。
なかなか考える
ジョーカーなるものの存在価値は自身を見定める方法。
人間の奥底にある感情を素晴らしい演技力で表現されていた。
所々に緊張感を和らげるコマもありメリハリもあって見ごたえは十分に。
気がつけばすっかり脱力と自分自身を見つめ直す様な気分になった。
笑わせる者と笑われる者
「笑いは秩序の破壊」という言葉を思い出した。
規律や常識を破壊が笑いを引き起こす。だからこそ、誰かを傷付ける可能性も孕んだ諸刃の剣である。
笑わせる快感と笑われる屈辱。
前者は観客の感情を支配する喜びを感じ、後者は観客の感情のための奴隷としての苦しみを味わう。
哄笑は、泣き叫んでいるよりももっと悲惨な状況を訴えかけてくるものだということがよくわかった。
自分が幸福になるために人を不幸にする構造は、人を悪に導くための構造でもある。
小石を何個も何個も進む道に置かれているような感覚。
何度も何度もつまずかされボロボロになっているのに省みられることがないのならば、そんな世界を恨んで当然だろう。
小石を取り除くことができる人々は、そのために注力しなければならないのだ。
それは巡り巡って自分が所属する世界を整える結果になる。
だから、人には優しく接しよう。心からそう思った。
観て損はない作品
気になって気になって、やっと観に行けました。
笑顔の中に潜んでいる悪。
人間なら強度の違いはあるけど、存在していると思う。
仮面を被っていれば、強くなった気がして何でもできると錯覚することって現実世界でも起こりえることだなって感じました。
今の世の中、ネットで繋がりを持てる。匿名で記入で相手を貶したり、時には言葉の暴力で死に至るケースもあるので、匿名がジョーカーでいう仮面なのかなとも感じた。
思わず見入ってしまって、2時間があっという間に感じる作品でした。深いです。
悲劇でもない、喜劇でもない、見事なまでの風刺映画
なんじゃ、こりゃ! まんま?現実世界の話じゃん!
昨今のニュースでもよく聞く、実の親にひどい扱いを受ける子供たちの話
格差社会、貧困層、非正規雇用、若者の絶望・・・
また、映画の中のウェインや富裕層と貧しい大衆の対比は、そのまんま、
ポリティカルコレクトネスを主張する民主党と怒れる取り残された白人貧困層
を思わせる。
もうこれは、悲劇でもない、喜劇でもない、他でもない我々の現実を見せつけられているよう
元々原作者はゴッサムシティをニューヨークの風刺として描いたという話は聞いたことがあるが
バットマンにここまでの深みがあるとは思わなかった・・・
出口を求めて彷徨うジョーカーの怒り・悲しみ・絶望は、爆発するが、決して昇華することはない
ホアキン・フェニックスがほんとうの悲しみを表現している。人によっては、見るに堪えない映像
最も深い怒り・悲しみ・絶望を知った人は、どうなるんだろう?
ジョーカーのようになるのか? 果たして・・・
軽々しく、愛が・・・などと語れない、重みがこの映画にはある。
まさしく、悲劇でもない、喜劇でもない、我々の今とこれからが、ここに語られているように思う。
ホアキン・フェニックスの名演はヒース・レジャーの怪演の裏付けを見事に果たしている。
続編を求めたい。この耐えようのない怒り・悲しみ・絶望の出口を求めたい。
その昇華を求めたい。
でも、そんなものは存在しないのかも知れない・・・
だからこそ、続編を求めたい。そこには、その時点での現実が反映されているだろうから。
なんでこんなに評価されてるの?
ホアキンフェニックスの演技だけ★5。
映画好き気取るならはワンスアポンナタイムインハリウッドでも観て。
全く共感できない。意味わからん。
自分が恵まれているのだろうか。。
ベストシーンは後半のクリームの曲が掛かるとこ。
曲がかっこいいから。それだけ。
狂気に走る人間みるならホテルムンバイのほうがいい。オラ何倍も吐き気を味わえる。
DCならエンタメに徹してくれよな!
やっぱジョーカーは最高のヴィランだった
バットマンの宿敵ジョーカーがどうしてジョーカーになったかを描いた話。
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急に笑ってしまう頭の障害を持ったアーサーは、ボケ気味のお母さんの介護をしながらピエロ役のバイト中。理不尽にオヤジ狩りにあったり、貧しいけどいつか芸人になりたいっていう夢のために毎日ネタ帳をつける日々。
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そんな男が徐々に徐々に色んなものを失っていく。貧困・孤独に加えて銃が揃っちゃったらもうこうなるのはしょうがないんじゃないかな〜って、ジョーカーに共感してしまう。
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だからゴッサムシティの貧困層の民衆がジョーカーをヒーローだと崇めちゃう気持ちも分かるんだけど、アーサーは元々貧困層の奴らにオヤジ狩りとかひどい扱い受けてたわけで。貧困層の味方になんて絶対ならないよな。ジョーカーはジョーカーなんだよな。
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1番よかったシーンはやっぱりアーサーがショーに出るためにジョーカーになって、踊りながら階段を降りてくところ。家への帰り道に重い足取りで階段を登ってたアーサーと対象的で良かった。
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あぁ、この人はもう普通の人間アーサーには戻らないんだろうな。この階段をもう登ることはもうなくて、人間としての階段を降りてっちゃうんだなってわかって悲しくもかっこよかった。
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現実と闇との境界線
ジョーカーの優しさと悲しみ、そして孤独感が狂気へと化して行くストーリー。現実と闇との狭間で揺れ動く感情がリアルに描かれている作品ですね。
かなりヘビーなストーリーです。ガラスの様なハートを持った方は観ない方が良いかと思います。
笑えない冗談
時代と共に世の中の価値感は確実に変わってきたと思う。
60年代自分が子供だった頃のアダム・ウエスト版TV番組「バットマン」はコメディ寄りのお気楽なドラマだった。大体悪役との格闘シーンで「BANG!」とか吹き出しが合成されてるあたりそもそもアメコミの実写って事もあり、その場は斬新でもあった。
ティム・バートン演出のマイケル・キートン版はジャック・ニコルソン演じるジョーカーこそ狂気的だがどことなくTVドラマのジョーカーを引きずった感じ。むしろ2作目の「リターンズ」に登場するペンギンやキャット・ウーマンなどの悪役勢が今作の世界観と繋がっている気がする。
そしてシリアスなドラマとなった「ダーク・ナイト」シリーズはまた別な世界観を作り出した気がするが、この映画「ジョーカー」は善悪の位置づけ自体に疑問を投げかけている。
それはこの映画に出演しているロバート・デ・ニーロの出世作「タクシー・ドライバー」がいい例で、主人公のトラヴィスは政治家の暗殺まで考え未遂までするが、最終的には誰も望んでない悪者退治を勝手に行うサイコ野郎なのにマスコミは英雄扱いする。
世の中が悪く、自分は正しい・・・
他の映画で言えば「フォレスト・ガンプ」。この名作でさえ、知的障がい者であるフォレストは周りから不自然な目で見られるが、本当におかしいのは健常者の世界。それはフォレストの幼なじみのサリー・フィールドがどんどん時代と共に堕ちて行く過程が最もいい例だろう。
今作も主人公は決して生まれながらの悪党ではなく、世の中が彼を追いつめた状況を淡々と綴ったドラマだ。
そもそもスケールのデカい犯罪者を数々生み出した「ゴッサム・シティ」なので、環境がいい訳が無い。一般的には「この家庭環境なら子供がグレても仕方ない」みたいな感覚。
主人公は散々辛い目に遭いながら自分の進むべき道を必死に捜す。結局ネガティブな方向へ進むしか無かった。それは十分理解できる・・・
しかし、犯罪は犯罪でしかない。どんな理由があってもそれは避ける事ができない。
自分はこの映画の評価を躊躇う部分は映画としてのカタルシスがあるかと言うと、残念ながら無いところ。
「タクシー・ドライバー」は最後一応英雄視された。「フォレスト・ガンプ」は様々な体験を語りバスに乗り込み過去のアメリカの痛みをそこで客観的だが昇華させた気がする。
はたしてジョーカーは・・・・そこが不明だ。
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