ジョーカーのレビュー・感想・評価
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新生ジョーカー誕生‼️
何故彼は狂気染みているのか!そしてジョーカーになってしまったのか!それが垣間見える作品ともいえる狂気染み作品といっていいだろう‼️数々の名優達が演じてきたジョーカーも狂気染みていて自分は好きだったのだがそれを一気に越えるぐらい凄い‼️
ホアキンフェニックスの演技恐るべし😱
バットマンを見てからが良いです
絶望感×喪失感×ほんのすこしの希望?×憎しみ×虚無
なんだろう。
この映画は一言では語れない。
自分でも不思議だけど、共感してしまう部分もある。
現代に生きるからこそ、ジョーカーの世界観にどっぷり浸れるのかもしれない。
不謹慎だが、ジョーカーの公開を合わせたように香港で覆面禁止令が出たのもたまたまか?
こんなに重い映画を見たのは久しぶりです。
しかしなんだろう。
また観に行こうとしている自分がいる。
あらかじめバットマンを復習した上で観に行くことをお勧めします。バットマンは出ませんが、バットマン誕生の1つのプロセスがあります。
ジョーカーを鑑賞した後にダークナイトを観ると、尚更脚本が腑に落ちました。
ジョーカーとバットマンは正反対の生い立ちなので、一生わかり合える事はないでしょう。
他の方の評価にもあるが、メンタルが落ちている時の鑑賞はお勧めしません。
アメコミ名作は、バットマンで始まりバットマンで終わる
単体で十分楽しめる作品だと思いますが、多少はバットマンを知ってる方がやっぱりおもしろいです。
ジョーカーはバットマン最大のヴィランでありながら、その出自がほとんど語られていないキャラクター。だからこその魅力がうまく使われた作品でした。ジャック・ニコルソンからヒース・レジャーに受け継がれ、(ジャレット・レトはあえてなかったことにして)そしてさすがホアキン、全く見劣りしませんでした。
昔からのファンの方にはダークナイト・トリロジーを認められない人もいるのはわかっていますが、やはりリアリティを追求したアメコミヒーローものは「バットマン・ビギンズ」から始まったもので、あれは名作でした。アベンジャーズはおもしろいですが、やはり超能力を持った神々に苦悩されてもしっくりきません。ただの人間であるバットマンやジョーカーだからこそ、苦悩が生きるのです。
ジョーカーの出自も、オリジナリティがあってよかった。そうなるとバットマンを生み出したのはジョーカーだったのかと思ったら、さすがにそこまでではなかったですが。真相もうまくぼかしていて、どちらともとれる展開だったのでよかった。ただ、この年齢差だとブルースがバットマンになった頃には、ジョーカーはよぼよぼだけど……。あと、アルフレッド太ってるの気になるし、A. Fleckってベン・アフレックもじった?オマージュ?
あとは"Why so serious?"が出なかったのが残念でした。
救いがなさ過ぎる…
ジョーカー観てきたよ。
ホアキンジョーカーはヒースレジャーとは違うけど、匹敵するレベルのキャラクターだった。もうホアキンの超絶演技を観るだけで100点の映画。観る価値ありです!
詠春拳をやったら強そうな柔らかい肩に目を奪われた。
どのシーンにも胸を抉られ終始泣きそうだった…この遣る瀬無い感、エクソシストに似てると思っていたらモロにエクソシストそっくりな階段出てくるし、とにかく今思い出しても泣けてくる。ここまで言ったら傑作に間違いないんだけど…
言いたい事もある。
ジョーカーがある殺しを行う。それによって人々がああなるのは少し雑で飛躍してるなーと感じた。あそこだけの話が何でそこまで広がるの?って、ホアキンの演技力でそこは気にならないくらいゴリ押しでくるけど、やっぱりおかしい。
これは今の世界情勢のメタファーというか、そのまんまだと思うけど、こういうのはちょっとどうなんだ?と思う。
感情に流され易い人間には悪影響のある映画だと思った。
正にエクソシスト、悪への導き。
生きてれば嫌な事は沢山あるけど、それを人のせいにするのを肯定してしまうのはちょっとね…
テーマ的には魂のゆくえ先に観てたからってのはあるけど、被る部分があるね。タクシードライバー繋がり。
☆5でも良いと思いますが、教育上悪影響のある映画だと思うのでマイナス1。
高評価は納得だがエンタメ的な面白さではない
壊れかけた人間が完全にぶっ壊れてしまうまでのお話
あぁ…そうだったのかと思ったことが
真実は全く違っているのには騙された
パンドラの箱に残された光が
実は希望じゃなかったら自分も壊れてしまうかも
そう感じた作品でした
ただ前評判が高過ぎてエンタメ的な面白さを期待すると
がっかりする人もいるかもしれない
この作品は面白さを期待してみるものではないね
痩せこけた背中とダンス
アメリカ映画にありがちな、”犯人は異常者”として割り切る安易さから抜け出した映画。
あまりに過酷な状況は彼に妄想を抱かせ、妄想による癒しすら破壊する。
彼はその合間にダンスを踊る。何かのバランスをとるためだろう。痩せこけた体の踊りは見ている方もつらい。
鬼気迫る役者フェニックスのジョーカー誕生。でもこの後の展開はDC的にはどうなる。
リアリティある設定
これまでにない演出が功を奏している。ヒース・レジャーのジョーカーも深みが加わって素晴らしかったが、ホアキン・フェニックスは更に深化させ、ジョーカーという圧巻の悪のヒーローを終に完成させたようだ。アメコミ映画に関しては大して興味もなかったが、この作品はアメコミとの縁を切って、ようやく映画的な深みだ出ている。ホアキン・フェニックスは完全に兄を超えて、素晴らしい俳優になっている事実を再確認出来る演技である。
タイトル以上に深い内容。でも、UnHappyは好きじゃない。
映画・コミックとも、「バットマン」は見たことなし。その前に、アメコミ系は見る気がせず毛嫌いしてる。絵柄・図柄がきらい。
この映画が「バットマン」の悪役誕生物語だ、という予告編やCMは見たけど、この前の京王線での事件が鑑賞動機。さらに。最近の「ノマドランド」やこの「JOKER」のような、世の中の閉そく感を突き詰めていくような映画は好きじゃない。救いのない結末を持て余して、自分まで落ち込んでしまうから・・・。
でも。
監督の表現方法や出演者たちの演技には、本当に映画の中に引きずり込まれていく。主人公の心理にも共感して、何が正しい事なのか、この映画の主人公は正しいのではないか、とさえ感じてしまう。
だからこそ。この現実世界は、天はすべての人に平等に、幸福・不幸を与えているのだと信じたい。そう、強く感じさせる作品でした。
心の闇。
上手く世の中と共存出来ない空しさとやり場のない心の葛藤を描いた作品。
人を笑わせて幸せを届けるピエロに。好きなコメディアンになろうとした。でも変なところで笑ってしまうという病気もあり周りから嫌がられる。彼の妄想。殺した後、笑っているのも狂喜じみて怖かった。凄~く気持ち悪く後味の悪さが残った。
本作はキングオブコメディのオマージュでは無い 本当はリメイクなのだ
疑いもなく確信犯だ
似ていて当たり前の話なのだ
リメイクのつもりで撮っているのだから
ロバート・デ・ニーロがあの役で出演しているのはそれを宣言しているのだ
ジョーカーは確かにバットマンの悪役だ
トーマス・ウェインも幼少期のブルース・ウェインも、執事のアルフレッドさえ登場する
ブルースの目の前での両親の殺害シーンまである
20数年後のバットマンビギンズの世界にそのまま繋がるようになっている
しかし、それは偽装だ
興行的には著しい程の失敗であったキングオブコメディをリメイクするための方便に過ぎなかったのだ
本当の目的のリメイクと大ヒットした興行、数々の映画賞の受賞
まんまとこの偽装は大成功したのだ
監督の完全勝利だ
時代設定は1981年
1983年公開のキングオブコメディとほぼ同時代ということにして音楽もテロップの書体までテイストを合わせてある
しかし観てわかるように、実際は1981年じゃない
劇中にスマホもSNSもネットも登場しないのだが
21世紀の現代を本作は描いていると感じるはずだ
監督はそれを敢えてやっている
キングオブコメディのリメイクだから1980年代であるが、本当は現代の物語だ
トランプ批判?
そんなものは末葉のこと
キングオブコメディの時代より21世紀は、普通の人間はより孤立し、埋没している
成功することはより難しくなり、要求される才能はより高度に、努力はよりハードに、運はより強運でなければならなくなったのが21世紀なのだ
普通の人間にはもはや登ることすらあきらめてしまうほど高い階段になってしまったのだ
そう本作劇中に登場するあのNY ブロンクスにある、シェークスピア・アベニュー1170番地の長く高い階段のように
だからジョーカーはあの階段の下の方で踊るのだ
階段の頂上では刑事が冷たい目で見下ろしているのだ
キングオブコメディの時代
成功者のジェリー・ラングフォードの自宅の階段はまだ広くそんなに高くもなかったのだ
なのに21世紀の階段は、かくも細く高いのだ
絶望的なほどに
これをフェアじゃないと憤ったとき、その人間はジョーカーになるのだ
ジョーカーの階段
1973年のエクソシストにも良く似た長い高い階段が登場する
こちらはワシントンDC にある
つまりジョーカー階段とは悪魔が生まれるところという意味だったのだ
この物語の本当の時代は21世紀だ
本作は2019年10月の公開
日本を震撼させた京都アニメーション放火殺人事件は同じ2019年7月
ジョーカーは現実としてまず日本で現れたのだ
キングオブコメディ、京アニ事件、本作は暗黒の中で通底していたのだ
そしてジョーカーが産まれる土壌は、コロナ禍で一層増しているのだ
あと1ヵ月で京都アニ事件の三回忌
改めてご冥福をお祈りしたい
妄想
コメディアンを目指すが目が出ず、ピエロになって生活費を稼ぎ、母親の面倒を見ながら暮らす男の話。
障害があり、職場の同僚からも気持ち悪がられ、
会社も首になってしまうが、手にした銃で絡んで
きたエリート会社員を殺してしまってから、人生が大きく変わっていく。
徐々に明るみになる出生と幼少期。社会との繋がりや抑圧からの解放で人生が変わっていくように見えるが、全て妄想のようにも思える。
振れ幅が大きすぎて、ちょっと共感は難しいけど、どうしようもない悲しみは切ない。
恐るべき説得力を持つ作品。
もし自分だったら、彼と同じようにならないと自信を持って言えるだろうか?と考えさせられてしまうほどの圧倒的な説得力。映像の肌理はもはやアメコミ作品であることを忘れさせるほどに、見事に重厚な人間ドラマそのもの。世にも壮絶な悲劇である。バットマンの関連する要素が現れて「そうだ、これバットマンの世界だったんだ」と何度もハッとさせられた。
これを観て思い知らされるのは、人が生きる境遇っていうのはやっぱり無視してはいけなくて、「どんな境遇でも負けるな!強く生きろ!」という精神論の押し付けが、酷く残酷なアプローチになりうるということだ。だれかがこんな風になる前に、人の痛みへの共感的理解の力でもって、お互いに助け合える世の中でありたいと、そんなことを強く強く思わないでいられない。
責められるべきは何か
こんなことあってはならないし、勿論許されることではない。では、アーサーはどうすればよかったのか、どうあればよかったのかと、共感せざるを得ない彼の人間臭さに酷く胸を打たれた。
今現在、普通に生きていたって、馬鹿にするされる、笑いものにするされるなんてのはほぼ日常茶飯事で、行き過ぎたそれが所謂「いじめ」だとか「ハラスメント」とかとなる。こういうことに対する世論センサーは高まる一方で、少し敏感すぎるような気もするが、外野が平気で野次を飛ばしまくっているのは今も昔もそう大差ない。むしろ現在の方が、心無いSNSでのコメント1つとっても、なんとも不寛容な社会だろうと思わざるを得ない。
模倣犯が出るとか、現実社会に悪影響だとか、その外野達が相も変わらず騒いでいるが、そういうのは正直どうでもいい。現実問題、そういうことが起こりそうだと思っていること自体すでに、この「JOKER」で描かれているゴッサムのそれと今の社会が≒になっていると思っていることの証左だ。似たような事件は常日頃ニュースから流れてくる。結果として、あの世界では「JOKER」が生まれてしまっただけだ。だから、こんなこと言う人は焦っている、そうだろう。
助けてくれる人がいなかった、能力がなかった、努力をしなかった、環境が悪かった、時代が悪かった。そういった運が無かったからだ、とか、この映画はそういう話ではない。何に、救いを求めればよかったのだろう。今の社会では、何が彼を救うことが出来るだろう。
全然話は変わるが、今現在ジャンプで連載中の「僕のヒーローアカデミア」という漫画がある。皆が『個性』と言われる特殊能力を持つ社会で、ヒーローが大正義を振りかざし、悪逆大罪を働くヴィラン共をバッタバッタとなぎ倒す。圧倒的な、友情・努力・勝利。読むたびに胸を熱くさせられる、僕も大好きな漫画だ。
これまでのバットマンシリーズでおなじみのJOKERといえば、漫画にでてくるヴィラン同様、その圧倒的な悪役インテリジェンスに裏づけされたカリスマ性が魅力だったわけだが、みんなそれぞれに(※勿論ぶっ飛んではいるが)思っているところ、目指すべきところ、なすべきことを抱えて事を成そうとしている。だからと言って許されることではないのだが、そういう意味では、正義の方向性が違うだけと言ってもいい。
では、アーサーにとっての正義は、潰されてしかるべきなのだろうか。今回の劇中最大のハイライト、階段で踊るシーン。憂悲憎悪泣喜怒快無畏楽苛笑鬱とかとかとか、色んな感情がないまぜになりながらも、全てをぶっちぎった悲しみの美しさに胸が苦しくてたまらなくなった。出生や心身、社会的にもビハインドを抱えた彼にとっての「悪」は、責められるべきは、果たしてどこなのだろう。
何度でも言うけど、「JOKER」はあくまでも「結果」だ。社会の不条理や不寛容が憎たらしくて、こんなもの全然しょうがなくないだろと考える一方で、どこかしょうがないものだと思ってしまっている自分も、歪に捩れた今の社会を構成する一端になってしまっているのだなと、鑑賞後から酷く鈍い乗り物酔いのような自問自答を続けている。
解放?開放?どちらも?
何かが放たれる。何かが開かれた。そんな感想を持ちました。色々な解釈が出来るようになっていますが、どの視点から見ても解放、開放された印象を受けます。何かが吹っ切れた。自分はそう感じました。自分は3度見ましたが、自分なりの解釈を探したり、思案する事が好きな人にはぴったりの映画です。序盤は階段を上がるシーンが多かったのですが、終盤は下がるシーンが多く、そういう描写も見られ、他のところにも多くそういう対比が描かれています。そういう細かい所も見どころの一つでしょう。自分の中では何かを変える映画となりました。生涯の一作となりました。喜劇とはなんなんでしょうか、、、。
エリート層の格差是正を目指す努力がなければ、社会秩序は守れない。
ジューカーの出現には、必然性があると思った。監督ドット・フィリップスは何を伝えたかったのかを僕は考える。描いたのは、ギリギリに生きている障害のあるコメディアンの悲哀じゃない。社会の底辺で努力している人間を凶悪な殺人者に変えたのは誰なのか。真っ当に生きることができなくなった社会は、すべての環境をジョークなのかと自分を騙すしか、明日を迎えられない。似たような社会情勢が今でもあると思う。いつの時代だって、格差の不満から秩序は壊れていく。この映画からそんなことを感じた。笑いたくなくても顔が笑ってしまう悲しさは、最後の精神病棟での追いかけっこに救われた気がする。この映画もう一度観てみようと思った。
ダークナイト基準での鑑賞はNG
今まで数人のジョーカーが演じられてきましたが、これはこれで1つのジョーカーって感じ。
私はダークナイト基準で鑑賞してしまいましたが、『?』が多くなり最後には『?』だらけで終わりました…。
内容も『世の中ってこんなもんでしょ…こんなんでジョーカーになるなら皆ピエロメイクしてるんじゃ…?』と感じた。
ダークナイトが基準じゃない方は多くの『?』に戸惑い無く鑑賞出来るかと思います。
でもホアキンの演技力は良かったですよ。
ホアキンのせいではないけど、ジョーカーの悪い賢さは全く見られなかったのが残念かな…。
ここで描かれる火種はノンフィクションだ
ホームレスに対する避難所受け入れ拒否の問題が表面化している現実もあり、弱者の視点、届かぬ声、素封家こそ優遇される社会、そんな現代社会の暗雲を劇場内でも切り離せずに見届けた。それ程に、生身の血が通う人間の、感情の起伏を根底に描かれたサスペンスであった。故ヒース・レジャーとの比較は様々な意味でプレッシャーがあった事だろう、それでも本作で新基軸を打ち付けたメイクの下の本質に、大いな賞賛を送りたい。彼はそれ程に素晴らしい表現力で魅了する。
ジョーカーっぽい何か
持たざる者の持つ者への反逆、というテーマで描かれた一本の映画としては素直に面白かったです。
アメリカ、イギリス、フランスなど、先進国と言われる国で分断が相次ぐ現代にぴったりではありましょう。
でもこれがジョーカーって言われると…
私もそこまでこれまでの作品に詳しくないですが、それでもこんな取り柄なさ過ぎなおっさんでは悪のカリスマ・ジョーカーとしてはあまりに説得力なくて…あれじゃただ流れのままに祭り上げられたモブじゃんと…
私のイメージのジョーカーなら、持つ者持たざる者の分断をうまく利用して、自らの手で「最悪」を世間に見せつける…しかも実のところ持たざる者すら別にどうでもいい、ただの駒、ってな感じですかね…
ヒースのジョーカーに引っ張られ過ぎかも知れませんが…
いずれバットマンと対峙する悪のカリスマを期待していくと肩すかし喰らいます。
ハンニバル・ライジングも似たような感想だったなぁ…(まぁあちらは映画としても微妙でしたが)
危険ギリギリかも⁉
ジョーカーと言えばヒース・レジャーを思い出してしまう。
「ダークナイト」の演技は圧巻だったし作品自体が素晴らしかった。
そのダークナイト版ジョーカーを踏まえて観てしまう状況下でのホワキン・フェニックスは
実に素晴らしかった!
ヴィランへの共感という意味では危険度ギリギリ?な感じもする本作ではあるが、昨今の流れ(特にディズニー)ではヴィランへスポットライトを当て、その人の事情を理解してあげよう的な作品も作られている。
また昔は正とされていた者が実は悪(王子様とかね)なんて言うのも今は普通。
何が悪で何が正なのか?
普遍的なテーマではあるが、その捉え方も立場や環境によってそれぞれ違うのだろう。
もしかしたらそれぞれの正義なのかもしれない。
規律を守らないという点では間違いなく悪ではあるが、アーサーがジョーカーになってしまった状況は哀しいほど理解できた。
色々と考えてしまう作品ではあるが、バットマン全体がとても奥深く、より一層楽しめるようになったのは間違いない。
私は今後ジョーカーがバットマンと対峙した時、正悪の区別ではなく、きっと両者を横並びで見てしまうだろう。いやジョーカーに肩入れすることも十分考えられる。
映画には影響力がある。そして世界は広い。
本作に感化された人が暴走しないことを祈るばかりだ。
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