ジョーカーのレビュー・感想・評価
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殺風景で幼稚な Guardianより........豚となる。
10月4日の Microsoft Newsによるとこの映画が、10月のオープニング興行成績のトップに立つと予想されると発表されている。
"When I was a little boy and told people I was going to be
comedian, everyone laughed at me. Well no one's
laughing now"
イギリスのコメディアンの有名な言葉。
"People used to laugh at me when I said I wanted to be
a comedian. Well they're not laughing now."
この映画、公開する以前から、ネット上ではシナリオの内容が出回り、それについての議論や悪評が伝えられ、ワーナーとしては諸手を上げるほどの広告費を削減できた形となっている。この映画会社は、なんでもする。過去には、映画「スター誕生(1954)」と言えばジュディ・ガーランド。チンケなコンピューターを駆使したものでなく、ジュディ・ガーランドの類いまれなる歌唱力に裏付けされた誰もが彼女が手にすると考えられていたオスカー獲りを邪魔をし、しかも、彼女について、映画会社自らある事ない事を風評している。その15年後47歳の若さで....
”Platinum Paradise”の彼女のポートレイト、今でもトラウマのように思い出す。その数日後に......
Los Angeles Timesのアメリカの映画評論家の言葉「私自身にとって、この映画は巨大なロールシャッハ・テストのシミのようなものであるけれども、一部の人々は、これらのシーンを実際以上に美化している。私は個人的にはそんなことはしない。」この人は端的に映画について述べていると個人的には思うところが多い。
またアメリカ第3位の発行部数のThe New York Timesの社説より、「ホアキンフェニックス主演のトッドフィリップスのスーパーヴィランのオリジナルストーリーは、激しい議論を巻き起こしていますが、議論するほど面白くありません。」
ワーナーブラザーズのニューヨーク映画祭上映会の時の監督トッド・フィリップスの発言。過去に作ったコメディ映画でワシントン条約を無視したような商業目的での国際取引が禁止されている動物をそこいらにいるような猛獣と同じ様な扱いをしている、ある意味賢い人か? 言いすぎました。それなら書くなってか?
「現実世界に暴力を巻き込むのは良いことではないのでしょうか?........... 漫画の暴力の要素を取り去るのは良いことではないでしょ? それが良くない方向に変わったとき、私は少し驚いたんだけど、私にとっては、それを現実に感じさせ、その重いテーマは実際に非常に責任感あるように見えるものでも、その反対に無責任に感じられる。」
Salon.comというサイトより。大胆なジャーナリズムの追求。そして最近ではソーシャルメディア、モバイルデバイス、ウェアラブルアプリに配信されているオリジナルのビデオを通じて全国的な対話を推進し、受賞歴のあるコンテンツは、毎月約1,000万人の個性あふれる視聴者に提供している。そのサイトの見出しには「ジョーカーと言う映画は、広範囲に不均一な雑然とした代物で、間違った方向になると危険なものになりかねない。」またこのようにも述べている。「マーティン・スコセッシ風な性格描写によって、サイコスリラー映画を目指している。」実際に笑い事では済まされないことで映画「タクシードライバー」の影響を受けた人物が、レーガン大統領の暗殺計画を企てている。それもジュディ・ホスターの気を引くためにだけの犯行と後で知ることとなる。この人トラビス(主人公)のようにモヒカン刈りにしたと聞く。さらに酷いのが2012年に起きたオーロラ銃乱射事件。ジョーカーに触発された20代男性が映画館で銃を乱射し、12人を殺害したものがあげられる。今回もそのようなことが起こらないように映画館サイドのセキュリティーを強化することを述べている。
アメリカの雑誌The New Yorker 2019.10.3付けの見出し記事
「そのおざなりな美学よりも視聴体験者に対して、さらに空虚感にするほどシニシズム的映画。」cynicism:冷笑主義。学問,芸術,贅沢,快楽を軽蔑して反文化的禁欲的生活を唱えた考え。
色々と負の部分を取り上げているが、日本の映画関係のサイトは、観る価値がないものがほとんどで、映画の根本的な事柄を知ろうとしても役に立たないものばかりなので敢えて反対意見もあることを載せてみた。これに関しては、こんな映画の崇拝者からすれば”大激怒”ですか? それなら書くなってか? 支離滅裂ってか?
憐れみではなく共感の先に
立派な社会派映画だった。
結果的に表面化する悪に対し、それを生み出した悪の責任の重さを見過ごせなかった。
たしかに善悪は主観的なものだが、だからこそ今自分が一体何に泣いているのか、何がこんなに辛いのか、ジョーカーに対する憐れみではないこの共感の先をよく吟味したい。
本作はシリーズの原点だが、それでもここで見たのは明らかに現代社会だ。
抗えない不遇に怒れる人々は、将来ヒーローに成敗されてしまうのか。だとしたら、ヒーローってなんだろう。
この映画の間違いは、人々の増幅される怒りを野放しにした結果、文字通り無数のジョーカーを誕生させてしまうことだ。
ではどうすればよかったのか。
私たちは、それを考えるべきだ。
私たちの怒りや哀しみは、扇動されたり誰かに弄ばれるものではない。受け止められ、寄り添われ、慰められたりしながら、新たなエネルギーに変えていくべきものだ。なにより社会が、その営みを保証をしなければならない。
ジョーカーの誕生は決して自己責任なんかではなく、本人すら望んでいなかった姿のはずだ。
ジョーカーがはじめて舞うシーンは、善良に生きる道を手放した解放感と、周りを赦し続けることがどれほど辛く困難であったかを改めて見せつける。泣けた。道を外す方が楽であり、日々ギリギリの状態で保たれる善意や正義になんの意味があるのか、私も時々わからなくなる。
小男との最後のやり取りも涙が止まらなかった。ただ一人自分を傷つけなかったのは、結局同じ痛みを知る者だけだった。しかしその相手にも、もうジョーカーのなけなしの優しさが届かない。
ジョーカー、ひいてはバットマンが誕生せずにすんだかもしれない世界を今願うのは間違いだろうか。
そんな、根本すら考えさせられる勇気ある作品だったと私は思う。
そしてホアキン・フェニックスが凄まじかったのは、本当に一瞬たりとも役者としての彼を感じさせなかったことだ。私が見たのはジョーカーであり、ホアキンではないと断言できる。唖然とするほど真の役者だった。
観賞後、言葉に詰まる傑作
貧しい家庭環境の中で必死に生きるも、病気のせいでまともに扱われず、街でいじめられ、同僚に陥れられ、上司には信用されず、散々な目に合う描写が続くため心苦しくなる事も多かった。
恋人の不在、母の裏切り、ショー最中の発病、暴行、どこまで苦しみは続くのか・・・
だが、そのすべてにケリをつけ、覚醒し、本性を曝け出すためにTVの撮影に向かうジョーカーの目には光が入り、何か信念を持った戦場に向かう兵士のような力強い歩みに感じられた。
そして最後のパトカーの上に立つジョーカーは殺人者であり、決して許される存在ではないのだが美しく、感動さえ覚えてしまった。
観賞後、自分の中にあるこの感情を言葉にできず、言葉に詰まる。もう一度観るかと言われたら躊躇する、それほどに重い映画だが、これほど心動かされるのであれば、きっと傑作と呼ばれるものだろう。
裏切りがなく 長く退屈でした あくまで主観です。
悪のカリスマという孤独者
終始JOKERの世界観に魅了された。ストーリー性、音楽この二つの要素もさることながら何よりも評価するべきは主演のホアキン・フェニックスの演技力。脳神経の病気による突発的に笑ったり(後半には病気ではない?ような事を話していた気がするが曖昧なところは許してほしい。)、アーサーを取り巻く歪な環境が彼の人格を歪ませたことにより奇怪なダンスを踊ったりと純粋だった心が荒んでいく様子がひしひしと伝わってきた。ここまでストレートに自分の心に染み込む演技は見たことが無い。ただただjokerという異常者になったのではなく、映画の終わりに憧れの人を殺す際も自分を理解してもらえない苦しみの表情を浮かべていた姿を見てこれほど人間味を持つキャラクターはいるのかと思うほどだった。もはやjokerという一種のブランドのような尊い存在だと感じた。とにかく素晴らしい作品だった。
「ジョーカー誕生までの物語」なんて一言も語ってなかった
1回目はぼんやり見てしまったので、もう一回見てきました。
これ、「ジョーカー誕生までの物語」なんて一言も語ってなかったんですね。
冒頭と末尾に登場する「白い部屋」が種明かしだったのです。クリームの「White room」もかかってますし。うかつでした。
「ダークナイト」でも、ジョーカーは自分の口が切り裂かれている理由を、その場その場で「思いついた」ジョークにして語っていましたね。
つまり、それを二時間超の話にしてしまったのがこの映画だったんですね。
というわけで、ジョーカー像は、「ダークナイト」の時から一歩も動いてなかったのでした。
だだ、妄想内妄想が描かれたりするので、「信用できない語り手」の要素を見落としてしまう人は私の他にもいるのかも。
そうすると、この映画か浮かび上がらせているのは、ジョーカーすら「理解できないさ」と言ってるその話を理解できてしまう(それどころか、共感してしまう)私たち観客の姿なんでしょうね。
しかし本当に大好きな映画です。もう一回見ます。
演技力が半端ない!役作りが凄い
とりあえず1番凄いのは役者!
あの笑い方に踊りに台詞、、、もう150点くらいあげたいです!演技力はピカイチでした!
なんか凄いとしか言えなかったです。
そして内容ですが、バットマンダークナイトを見ていたというのもありますが、もっと頭の回転が早く計算高いシーンももっと取り入れて欲しかったです。
ただ恵まれない家庭で育ち不運な人生を歩んできた背景しか伝わって来ず、あのいかれ狂ったJOKERさんは何処へ?
優しい一面もあったけど少し中途半端な感じがありました。この際あんだけ街を燃やしたり暴れるシーン出すなら最後の方でバットマンを少しでも出せばまた盛り上がりはあったのになぁと感じましたー。
でも、なんか実際にJOKERさんみたいな人生を歩んでいる人がこの世の中に何人もいると考えると辛く苦しいんだろうなぁと伝わってきました。
もっとみんな世の中に優しくね!笑
最高の材料✖️最高の味付け
ジョーカーというキャラ自体が魅力的であるために描き方によっては違う味が出てくる。
幾度となく登場してきたジョーカーもはどれもよかったが、今回は一味違う。
まず、バットマンのいないゴッサム。この世界観でどうDCの王道ストーリに辻褄合わせするつもりなのか、予告の段階で気になってましたが、最後の最後に、なるほど、と納得できるエンディングを用意してくれる。
次に、ジョーカーの成り立ちの描き方がすごく丁寧。ここが新鮮味があってよい。
アーサーが何に苦悩して何を考えて、その結果、ジョーカーという最高にクレージなキャラに至るのか、こと細かく演出してくれる。
最後に、やはりホアキンの演技。
笑いの演技といい、躊躇なく引き金引くところ等、文句なしにジョーカーというキャラを演じてくれたと個人的には思う。
ただ、ポストクレジットのシーンは解釈の分かれ目かもしれない。どちらとも取れるが、信じたい方でいいんじゃないかな。
特に、DCのファンに皆様にはぜひ見て欲しい1本です👍
これは
バットマンのジョーカーでなくて、違う映画で良かったんじゃないでしょうか?
バットマンはお金持ちだけど、ジョーカーが受けた金持ちからの仕打ちをバッドマンに返すのはなんか違うようなー。
むしろ違う映画の方が、アーサーの刹那さ、怒りが伝わったような。いい人は一人も殺してない、いい人だし…シリアスすぎて、バットマンが悪者になってしまったら本末転倒。もう少し、コミカルに描くか、完全に恐怖ホラー映画にするか、違う映画にして欲しかったです。
狂気と憎悪の果て
平凡な人間の心を蝕む悪はあまりに複雑でどこか寂しい。
ゴッサムシティの悪夢
正義などどこにもない
虐げられ続けた人間の末路
誰でもシリアルキラーになり得るか?
映画で直接視覚的に描かれた不幸それ自体は、狂気の原因になるほどなのかわからない。しかし幼少期の虐待による脳の損傷がほのめかされている。機能不全家族の元で育った子供の人格形成への影響や、脳の損傷が反社会的人格障害の原因になり得ることは研究で明らかになっている。彼は生まれつきのサイコパスではないということだ。
ホアキンの演技はどの一瞬を切り取っても素晴らしいの一言だ。特に、罪を犯した後のアーサーの美しい狂気のダンスは見事だった。彼は自分に自信がなく暴力に無抵抗で、不安になると他の人を真似るが、殺人を犯すときは自信に溢れ明るい気持ちになり他の人を模倣したりしない。オリジナリティ溢れるカリスマになってしまう。
殺人が彼にとっての癒しであり自己実現であり、孤独を忘れさせてくれる向精神薬でもあるのだ。殺人が彼を肯定してしまった。
市の福祉支援がまだ続いていたら精神薬は切れなかった。権力者や資金を持っている層以外を切り捨てていくエゴの産物。
彼は理不尽に対して暴力でしか抵抗できない。後ろ立てもなく才能もない彼が身を守るため他にどんな術があるというのか。
殺される側の痛みもしっかりと描かれている。単純なカタルシスではなく嫌悪感と同情を同時に刺激される。
殺人への嫌悪感の中でも、群衆の歓声が少しでもジョーカーのあまりに傷ついた心の慰めになってほしいと願う自分がいる。
ジョーカーを讃える群衆の倫理観は狂っているが、ジョーカーファンの我々も同じことなのかもしれない。
被虐待者の(最悪の形での)解放に焦点を当てた傑作ゆえに、報じられる通り抑圧された者が後に続きかねない危険な作品でもあるのがつらいところ。
面白いけど、大絶賛…はできません
ジョーカーをあわれむ感想が多いけど果たしてどうなのかな。
現実の世界で起きる事件では、犯人と同じよう境遇の人がしばしば白い目で見られる事があります(オタクやゲーマー)が、アーサーには我々観客は同情の声を上げるものがいる。現実の事じゃ無いってわかっているから同情できるんだろうな。これが現実だったら…犯人に同情する人ってどれくらいいるのでしょうか?
見せ方も現実と虚構が交わていくのだけど新鮮味に欠ける…最近も観たな…あ、バードマンか…
虚構がバレバレで…どうせなら全てが虚構だったくらいでもよかった。
面白い、けど絶賛するほどでは無い。ただ人生の成功者から観ると…同情して大絶賛することになるのかな
スーパーヴィランのジョーカーではないジョーカー
バッドマンを一作目から観てるわけではないので、僕にとってのジョーカーは、ダークナイトでヒース・レジャーが演じたジョーカーこそがジョーカーだった。
あの知性的な狂気こそが、ジョーカーがスーパーヴィランである理由であり、崇高なヒーローに対峙可能な要素だ。
と言う前段を踏まえて観ると、全く違うジョーカーにガッカリする。
ホアキン・フェニックスが演じるジョーカーは、バッドマンに対峙するためのジョーカーではなく、一般市民がなりうる可能性を秘めたジョーカーだ。
彼を狂気に貶めたのは、『貧困』と、『孤独』であり、人々を誘導したのは『カリスマ性』ではなく、『一般的な不満』だ。
この映画を観て、秋葉原通り魔事件を思い出した。
犯人は『貧困』だったかはわからないが、『孤独』だったのは確かだ。
また今日こんな記事が出ていた
『12年勤務して手取14万円 「日本終わってますよね?」に共感の声』
貧困とは言えないけど、社会に対する不満は誰でもあると思う。
この映画の怖さは、不満は誰でも持っていて、不幸が積み重なった結果、誰でもそこに行き着く可能性を感じることだ。
社会的問題を炙り出そうとしている作品としては面白いが、ジョーカーの人物像の映画としては失格だ。彼はバッドマンを困らすことの出来るスーパーヴィランのはずで、苦悩をテレビカメラの前で吐露する人物像ではない。
彼がいかに成長しても、バッドマンに対峙する姿は想像できない。
ジョーカーというアイコンを使うなら、もっと徹底的な狂気を見せて欲しかったという感想で、⭐︎3っつ。
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