ジョーカーのレビュー・感想・評価
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生涯ベストに入るくらい
予告編を観て、傑作の臭いしかしなかった。
そしてベネチア映画祭金熊賞受賞の報道があり、
ますます期待が高まり、公開後の評判も良く、
観る前からハードルがかつてない程上がっている状態で観た。
その上がりきったハードルを、軽々と超えてしまった・・・
まいった・・・衝撃的だった。
生涯ベストに入るくらいやられてしまった!
演出も演技も全てが完璧!
なんといってもホアキン・フェニックス!
彼の神懸った演技は素晴らし過ぎます!
個人的に一番印象に残っているシーンで、
特に雇われ主であるボスに、心無い酷い事を言われた時の
狂気に満ちたなんとも言えない表情の笑みには鳥肌が立ちました。
故ヒース・レジャーが演じたジョーカーすら霞んでしまう。
この作品の良さを上手く伝える事が出来ない、
ボキャブラリーのない自分がもどかしい!
ただ言える事は、まだ未見の方は是非
マーティン・スコセッシ監督作品で
この映画にも出演しているロバート・デ・ニーロ主演の
「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」
を観てから劇場に足を運んで下さい。
その方がこの作品をより楽しめます。
そしてバットマンの本名が”ブルース・ウェイン”
という事も頭に入れておいて下さい。
この作品はちゃんと「バットマン」に続いています。
素晴らしい
どうしようもないほどの救いの無さ
絶望的とはまさにこの事
誰しもがこうなってしまう可能性を秘めている
彼が本当にジョーカーになってしまうシーンは
もう彼を救う事が出来ない、絶望感と悲壮感で号泣してしまいました。
本当は彼は人を喜ばせたかっただけなのに。
心の病を持っている人には必ず胸に刺さる。
悪いのは監督か、ホアキンか、JOKERか。
ポップでもクールでもないジョーカーがここに誕生した。
ノーランのバットマンでジョーカーを認知した私には、この作品をどう評価すべきか分からない。
まず、ジョーカーを美化しすぎである。病気だし、障害のある貧困層が必ずしもああやって屈折していくわけではないだろう。どんなに酷い境遇だって強く生きることができたはず。それなのに、その境遇を理由に、社会の悪になるのも仕方ない、社会が悪いんだという描き方をされても、こちらとしてはふざけるなである。ああいうやつを持ち上げる市民がいるのも世相なのだろうか。
また、本来のジョーカーのキャラとはかけ離れた(ようにみえる)キャラクターにも納得がいかない。何事も俯瞰していて計算高く、それでいて下品ではない私の知っているジョーカーのカリスマ性が全くもって現れないのだ。一人で銃をもって芝居するのは、タクシードライバーのトラヴィス?自ら髪を染めたりするのも気に食わない。
ティムバートンの描いたジョーカーはアメコミからそのまま出てきたようなポップさが魅力だった。クリストファー・ノーランの描いたジョーカーは悪と善の間で我々を翻弄する生き様が魅力だった。今回のジョーカーの魅力はなんだろう。弱いものには優しいところ?強いものには理不尽に食って掛かるところ?彼が守ったのはしょせん自分のプライドだけのように見える。結局は自分が弱いものと認められるのが嫌で、必要以上に自分を強くみせ、自分の妄想を実現させる勇気はなく、自分の立場を危うくする邪魔者はぶち殺す、そんな身勝手な人間でしかない。そんな自分にもあるレベルの感情を持たぬのがジョーカーだ。私の理解の範疇を超えたところで悪に仕えるのが、ジョーカーだ。
この映画で最も要らなかったシーンは、同じ階に住むアフリカ系女性との日々が嘘だったと発覚するシーン。回想シーンで彼女の姿が消されている映像が流れるがあれは本当にいらなかった。あのシーンが無くても十分にわかるようにできていたし、急に現実に戻された感覚と、さあここで驚きなさい、と言われている感覚に陥った。
この先、ジョーカーと同じ障害や虐待、病気や貧困に苦しむ人々が彼と同じ生き方を見つけないように願うばかりだ。
追記:
最近ホアキンがルーニーマーラちゃんと婚約して嫉妬していたのは事実です。そのため映画が始まった途端から彼に嫌悪感を抱いていたのも事実です。さらに彼の汚さが露出する度に幻滅し、ルーニーマーラちゃんを思い出してしまったのも事実です。不純な鑑賞をしてしまい不本意であります。
しかしホアキンのダンスと表情は圧巻でありました。歩き方から笑い方まで非常に研究されているなと。ピエロになった姿なんて本当にホアキンなのか分からないくらいです。
さらに追記:
随分とこの作品を責める書き方をしたが、つまるところ私は非常に傷ついた。
アーサーがジョーカーになっていく過程で、私は仲間がダークサイドに墜ちてしまうその瞬間をみた気がした。仲間が傷付けられ、社会の隅に追いやられ、ついには居場所をなくし、そんな仲間をみたくなかった。鑑賞中はずっと、彼が何かしでかすまいかと心配でならなかった。何もするなとずっと願っていた。耐えろ耐えろ耐えろと。さらに、笑うすべ、生きるすべとして悪を発見してしまった彼に絶望した。勝てなかったと思った。笑いの力は社会を変えられないし、彼を救えなかった。その事実が示されたとき私はむしろ、この映画に反抗的になっていた。
さらに備忘録:
社会のマイノリティであることよりも苦しいのは、こんな社会でも肯定して生きていかなきゃいけないこと。受け入れて生きていくこと。そこまで描ききれていないと思う。
キリングジョークを読んで:
ジョーカーの本質を知りたくて、キリングジョーク完全版(アランムーア著)を読んでみた。なるほど、わかったことがある。
おそらく、ジョーカーの孤独やら悲劇やらを語るのに、バットマンは欠かせないのでは?正には負が、喜びには悲しみが、正義には悪がなければ、その存在さえも際立たないのでは?というか、在るからこそその間で人は揺れて、学んでゆくわけだと思ったりする。だから、ジョーカー単品でのゴールというのは、本来なくてこの映画はそこ自体が不正解というか、映画単独で成り立っていないように思えてしまうんだよなあ。もうどうすればいいかわからんくらいの悪への対処って、もはや社会には出来ないと思う。今回のジョーカーだって、社会には救えなかったし、救いの場がなかったし。だから、バットマンという絶対的正義がいて、そんなバットマンをも苦しめる悪だから、ジョーカーはこの世界で輝くのではないかとおもうんです。
ジョーカーの狂気があなたを引きずり込む。
非常にクオリティの高い映画だった。
どのレビューを見ても評価は高く、それに値するだけのものであったと思う。
(実際私も高評価をつけた。)
それだけに、このレビューは慎重に進めなければならない。
まず最初に、「バットマン」に対する私の姿勢を示しておくと、
好きだけどそんなに詳しくはない。
これが正直なところです。
もちろん1990年頃のティム・バートン監督バットマンは何度も見たし、いわゆるトリロジーと呼ばれる3部作も大好き。けれど、コミックとかテレビドラマバージョンにはノータッチなので、元がどうとか言う話をされると
あ、そうなんだ。
ということになる。笑
最も好きなバッドマン映画は多くの人がそうであるように、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」で、ヒース・レジャーのジョーカーが一番魅力的だと思う。つまり、ごくごく一般的かつ"にわか"らしい立場にいる。このレビューを見て、「にわか分かってねぇわ」と感じるか「ジョーカーをそう受け取ってる人もいるのか」と寛大に捉えて頂けるかは、皆さんに委ねたい。
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ジョーカーの誕生を描くのは非常に難しい作業だったはず。なぜなら、過去に映像化されたキャラクター像が決して統一されていないから。
そもそもジョーカーの正体からして設定が違うし、細かいところを言えば口の傷の有無、肌の白さの原因、あの狂気的な性格でさえ母親が関係しているとか恋人がそうさせたとか、今作が公開される前からファンの間では度々憶測と議論を呼んでいた。
この映画を観る事でその辺りの一つの回答が得られると期待したファンも少なくないだろう。結果から言えば、どんな回答も得られなかった。
いや、映画の中で答えは示されている。しかし、映画観賞後も「こうだ!」とは不思議と言い切れないのである。
一番分かりやすい例が、あの狂気的な性格だ。
あれに母親の存在が絡んでいた事は映画を見れば明らかなのだが、逆に、
「じゃあ彼は母親の影響であぁなったんだね」
と、誰かに尋ねられた場合、きっと多くの人が
「まぁ、それも一つの理由ではあると思うけど、、、」
位にしか返せないのではないだろうか。
映画では度々、キャラクターと出来事とが非常に簡潔に結び付けられる。
この出来事があったからこのキャラはこういう価値観を持った、とか。
この怒りはあの出来事があったから。
あの一件でこの人は恋をした。
この行動はあの時の行動が伏線なんだ。
といった具合に。
ところが現実に置き換えて考えてみると、感情とか価値観、行動はあらゆる要素が互いに作用しあって生まれるし育まれるものだと思う。
トッド監督もこの点にはかなり気を遣ったようで、「JOKER」ではその部分が見事なまでに表現されていた。だから明確な答えは得られず「それも一つの理由ではある」という言い方しかできないのだろう。
"ジョーカーの狂気は彼が元々持っていたもの"
この描き方が本当に素晴らしく、何かがあって狂気が生まれたのではなく、障害(それすらジョークだったのかもしれないが)の裏に隠れた生来の狂気に素直になっていく。122分を通じて描かれたのはそこで、程度はあれど誰もが共感(或いは同情)できるし、危険だが感化されるのは自然なことに感じる。見事な脚本だ。
「ダークナイト」の一幕で
"別に俺は計算高くない。行き当たりばったりだ。そっちのが楽しいだろう?"
そんな事を言っていたジョーカーがふと浮かんだ。
気になったところといえば
・ジョーカーとブルースの変な年齢のギャップ
・ジョーカーというキャラクター像の微妙なズレ
・オマージュの多さ
2人の年齢は詳しく明かされていなかったはずだが、今作では少なく見積もっても17.8の年齢差があるように見える。これまでの作品でそこまで年が離れている印象は受けなかったので、微妙に違和感があった。
ジョーカーは"悪のカリスマ"とよく形容されるが、今作生まれたジョーカーは最終的に"悪の親玉"にはなれても"カリスマ"ではなかったように感じる。
別に悪事に対してスマートではないし、なんだったら最後の一幕も"のし上がった"というより"担ぎ上げられた"という方がしっくりくる。車上で喝采を浴びる彼が、担がれたまま調子に乗って悪事を働けばすぐに失墜し、死を見ることになるだろうなという予感が働く。
カリスマとは程遠いキャラクター像だ。
また、拳銃を多用してたのも気になった。
彼と言えばナイフや爆弾、毒薬というイメージがある。ところが今作では拳銃の力に魅入られ、フランクリンを殺すのにも拳銃を使用したし、手で銃を作って自らの頭に突きつけるシーンも繰り返された。何より、彼の初めての殺しが拳銃によるものなのもキャラクターとして微妙に思う。
映画冒頭、拳銃を持たないアーサーが悪ガキ相手に袋叩きにされる場面があるが、ここで彼は抵抗しない。
しかし、電車内でエリートに絡まれた時には拳銃を携帯していたので彼らを射殺する。
この2つのシーンの拳銃の有無は逆だった方が、よりジョーカーらしいのではないかと思う。
序盤の、精神がまだ安定してる時には拳銃を持っていようと抵抗せず
中盤、狂気に飲み込まれ始めると拳銃を持っていなくても素手で反撃し、相手を殴り殺すか刺し殺す。
という場面の比較をした方が、彼のキャラクター像を想像しやすい。
こういう今までのジョーカー像との微妙なズレが目につくシーンが多々あった。
しかし、こここそが、例の、"回答を得られなかったのに評価が高い理由"だとも言えるだろう。つまり、続きを予感させる。笑
映画が製作されるかどうかは全くの別問題として、自らの狂気に浸り悪に染まったアーサーがジョーカーに目覚めたのが今作なら、ジョーカーが真にカリスマとなる物語がこの後にあっても不思議ではない。
その道のりの中に今回あやふやになった解答が潜んでいる気がしてならないのは確かだ。
最後に、オマージュの多さについて。
今作のメガホンをとったトッド・フィリップス監督は、コメディ映画の製作に秀でた人物で、スリラー・クライムサスペンスの気分がある作品を手掛けるのは今回が初となる。
それ故、製作するにあたり、彼自身、1970〜80年代のあらゆる作品を参考にしたと語っている。
先述した、手を拳銃の形にして自らの頭に突きつけるシーンや電車内での射殺のシーン、様々な場面でのカメラワーク、フランクリンの番組セットにピエロメイクの意味の持たせ方などはスコセッシ監督の「タクシードライバー」「キングオブコメディ」を間違いなく意識してるし、音楽では喜劇王チャップリンとアーサーとをクロスオーバーさせるように「スマイル」が流れる。時代の空気感の演出も70〜80年代の映画の影響を色濃く感じた。
往年の名作をオマージュする事は決して悪いことではないし、それが粋だなと思うシーンも多々あった。
しかし、今作では量の意味であまりにやり過ぎたというか、監督の「こういう仕事は初めてだけど、俺はこんなに作品を知ってるぜ」とでも言うような、「コメディ以外にも作れるの?」という民衆の疑問に対する言い訳というか、それを言わせないための先回りというか。そういう気概を感じてしまって、終盤にオマージュが出てくるともはや少し興醒めだった。
ホアキンの素晴らしい演技と、台詞がない方がむしろキャラクターを表現しうる肉体。
観客の内なる狂気をも刺激する脚本。
これらがなければ、"どのシーンもなんか見たことある"という下らなさと退屈さを纏ってしまっただろう。
素晴らしい演技をする俳優達と素晴らしい脚本家が畑違いの監督の元に集まった。
強い言い方をすればそういう後味の悪さが残る映画でもあった。
優しいアーサーへ日常、憧れ、夢、過去がねじれるように重なり合い、逃...
優しいアーサーへ日常、憧れ、夢、過去がねじれるように重なり合い、逃れられない現実を突きつけ、彼の心をえぐっていくように感じました。
妄想か現実か。願い。彼が求めるかたち。
自分はどこにいるのか。誰の中に存在しているのか。
彼がいくつく先に救いはあるのだろうか?
ラストシーンの彼の台詞は、あまりにも納得してしまい、彼の後ろ姿、足跡が残す意味はなんなんだろう?と。
涙が滲む作品でした。
ホアキンフェニックスの表情、身体の動きがとてもよかったです。
映画史に刻まれる衝撃作
映画史に刻まれる衝撃作と言いきって過言ない程の名作。公開を待たずして精神障害で逝ったヒース・レジャーの衝撃的な怪演を超える「JOKER」像を崩されたくなくて好奇心を抑えて観るのを敬遠してた映画。でもあまりの高評価に映画館に引き込まれ、観終わった今も残像が消えないホアキン・フェニックス版「JOKER」。不気味で精神障害を招くほど絶妙な映像と演技と音楽のコントラストと間合い。アカデミー賞間違いなしはハッタリではない。
【ネタバレなし】闇落ちした理由について率直な感想
スターウォーズでいうアナキンが闇落ちせざるを得なかった理由みたいのに比べて、今作品ではその理由付けが薄かったんではないだろうか。全体的に悪のカリスマというより小物感を感じてしまったのが残念だった。
ピエロが石段を下りながら踊るシーンはアート!
DCコミックス「バットマン」に登場する悪のカリスマ、ジョーカーが誕生するまでの姿を描いた作品。第76回2019年ベネチア国際映画祭で最優秀作、金獅子賞を受賞。公開早々、主演のホアキン デニックスが今年のアカデミー賞男優最優秀賞に選考されること確実と予想されている。
激しい暴力シーンのために15歳以上でなければ見られない。映画の内容が2012年にコロラド州オーロラで、「バットマン リターン」上映中に乱射事件が起き12人の死亡者を出したことを思い起こす、として、上映拒否する映画館が出現したり、クリスチャン団体が映画の公開に反対するなどの社会現象が起きている。
ストーリーは
1950年代と思われるニューヨーク、というか、1980年代ゴッサムシテイー。
アーサーは、コメデイアンになることにあこがれて、いまは大道芸人としてエージェントに雇われている。身体障害のある母親を介護しながら、しょぼいアパートで暮らしている。子供の時から母親に、いつも笑顔でいなさいと言い聞かされてきたとおりに笑顔でいて、人を笑わせて喜ばせたいと思ってきた。しかし感情が高まると、笑い出してそれを止めることができなくなるという人格障害を伴った精神病を病んでいて、人間関係をうまく継続できない。またそのため薬を飲まなければならないが、生活が苦しく、薬代の捻出に苦労している。家に帰れば母親のために食事を作り、入浴させ、一緒にテレビを見ることが唯一の娯楽だ。二人ともコメデイアンだったマレー フランクリンのショーを楽しみにしてる。アーサーは以前、マレーに会って励ましてもらったことがあって、それが自慢でならない。
ピエロに扮して宣伝マンの仕事をしていた時に、悪ガキに絡まれてひどい目にあったことから、アーサーは、職場の同僚から護身用の銃を借りる。しかし小児病棟でピエロ訪問のショーで、うかつにもアーサーは持っていた銃を子供たちの前で落としてしまい、それを理由に職場を解雇される。気落ちしたまま地下鉄に乗って帰宅途中、3人の男達が酔って向かい側の座席に座っている女性をからかい始めた。それを見ていたアーサーは高まる緊張を抑えられず笑いだす。笑われて怒った男達は、他に電車の乗客が居ないことを良い事に、アーサーに殴る蹴るの激しい攻撃をかけてきた。アーサーはぶん殴られて足蹴にされされて、怒りを抑えきれず遂に3人を銃で撃ち殺して逃げ帰る。翌日のニュースによると、3人の男達はウェイン財閥のエリート証券マンだった。社長でゴッサムシテイー一番の実力者トーマス ウェインは、自分の会社の将来を約束されていた社員が殺されたことで怒って、記者会見で犯人を一刻も早く捉えることに協力するよう市民に呼び掛けた。
家に帰るとアーサーの母親がトーマス ウェインに手紙を書いていた。母親はトーマス ウェインの恋人だったことがある。アーサーの父親はトーマス ウェインだと信じている。アーサーは、ウェインの会社に忍び込み、ウェインに会って、母親の名前を言うとウェインは、「その女は精神病だ。」と言って相手にしない。ウェインの屋敷にまで行って、庭で遊んでいたトーマスの息子、ブルースに塀越しに話しかけるが、執事のアルフレッドに見つかって追い返される。
警察が訪ねて来て、母親のペニーが発作を起こして病院に担ぎ込まれる。アーサーは病院で、病歴室に行って母親のファイルを盗み出す。そこには母親がアルコール中毒で精神病を患い、同じような中毒者の男と暮らしていたが、孤児を養子にした。しかし養父が養子のアーサーに暴力を奮っていたために、頭の傷から子供も精神病を発病したという経過が書かれていた。今まで母親に言われた通りに何時も笑顔でいて、人を喜ばせようと努力してきたアーサーだったが、母親と自分は血がつながっていなかった。トーマス ウェインも父親ではなくて、自分は孤児だったという事実を突きつけられて、衝撃を受ける。
アーサーは自分が立っていた足場を失った。もう歯止めが効かない。母親を殺し、心配して訪ねて来てくれた昔の同僚を惨殺し、マレー フランクリンのライブショーに出かける。テレビカメラの前で、3人の証券マンを、ジョークで殺したと告白し、マレー フランクリンを撃ち殺す。アーサーは逮捕されるが警察による護送中、アーサーのテレビ生中継にインスパイヤされた暴徒によって救出される。ピエロのお面をかぶった暴徒たちで街は略奪、殺人、強盗の無法地帯となり混乱を極めていた。街は火の海で警察は手も足も出ない。アーサーは転覆した車の上に立ち、英雄として狂喜乱舞いする。というお話。
ジョーカーが恵まれない酒と暴力の中で育てられた孤児で、精神を患い不毛な環境から逃れられずにいたために暴力で、はねかえさざるを得なかった、というジョーカーのバックグラウンドを描いている。本来だったら母親思いの心の優しい青年が、母親の望むようにいつも笑顔を絶やさず人に笑いを届けようと望んで生きて来た。孤独な時に、ベッドを共にする女性も同じアパートに住んでいる。そんなどこにでも居そうな青年が、自分が孤児だったと分かっただけで、壊れてしまうことをに理解する人も、出来ない人も居るだろう。
アーサーは子供の時の頭部外傷がもとで人格障害を持つ精神病患者になって、興奮すると笑いの発作が出てしまい自力ではそれを止められない。面白いから笑うのではなくて、笑いは彼にとっては発作であって、横隔膜のケイレンにすぎない。緊張するとてんかん発作を起こすてんかん患者と同様に発作をコントロールすることができない。だから人間関係をスムーズに続けるのは難しいし、定職について長く勤めることが困難で低所得のため薬代にも事欠く。年を取り精神障害と身体障害を持つ母親とアーサーとの生活では共倒れ必須だ。社会福祉の貧しい社会では生きていけない。
映画の最後のシーン。狂喜、乱舞い、放火。略奪、警察署襲撃、殺人といった混乱の一夜のあと、逮捕されたアーサーは警察病院で精神科の医師に向かって「いま新しいジョークを思いついた。」けれど「あなたにはわかってもらえない。」と言う。その次のシーンは、血を吸った靴の足跡を残しながら部屋を去るアーサーの後ろ姿で映画が終わる。もう彼にとって人殺しはコメデイアンとしてのジョークでしかなくなってしまったのだ。
一人殺せば殺人犯、沢山殺せば英雄、全部殺せば神様だ、と映画の中で言わせたのはチャーリーチャップリンだが、アーサーは英雄をめざして一直線に走っている。
当時のブロードウェイの様子が出てくる。劇場や映画館にが集まる人々は、賑やかで華やかだ。チャップリンの映画が上映されていて、着飾った夫婦や正装した年配者で会場は上品な笑いに満ちている。チャップリンの「モダンタイムス」の画面に彼が作曲した「スマイル」ジミー デユランが「笑っていよう。今はつらくても明るい明日が必ず来る」と歌っている。
どうしてもこの映画を観ていて、クリストファーノーランの「バットマン」と比べてしまう。
クルストファ―ノ―ランの3部作は、「バットマン ビギンズ」2005、「ダークナイト」2008、「ダークナイトライジング」2012の3本を言う。クリスチャン ベールがバットマン、ブルースウェインを演じ、執事アルフレッドをマイケル ケインが演じた。ヒース レジャーのジョーカーが素晴らしかった。製作費用の莫大さ、撮影のために世界中を舞台にし、スケールの大きさも出演俳優陣の豪華さも他のどの映画にも勝てない贅沢な映画だった。
3作目の「ダークナイト ライジング」プレミア上映中、米国コロラド州オーロラの映画館で、24歳の男が銃を乱射して映画を観ていた12人の観客が死亡、負傷者58人を数えた。殺人者はガスマスク、防弾チョッキにヘルメットをかぶり、拳銃2丁、ライフル、ショットガンで武装し、催涙ガスを2本投げガスが立ち込める中を逃げ惑う観客を殺しまくった。コロラド大学、神経科学科選考の博士課程の学院生だったジェームス イーガンホームズの単独犯でいまは終身刑に服している。映画の暴力シーンが犯行を助長したのではないかと言われ、それが今回の映画「ジョーカー」の上演に反対するクリスチャン団体や自治体の声になっている。しかし映画の上演に反対するヒマがあったら、シリアやアフガニスタンでやっている本当の戦闘のほうを止めるのが先じゃないか。
ホアキン フェニックスは、テイーンのアイドルで人気絶頂時にヘロインで亡くなったリバー フェニックスの弟だ。リバーが生きていたら二人とも40歳代の立派な役者兄弟だったことだろう。ホアキンはジョーカーを演じるために体重を20キロ落としたそうだ。彼の背中やあばらの浮きで体が痛ましい。おかしくないのに笑う発作が起きた時の苦しそうな笑い顔も恐ろしい。街の石段を下りながらピエロの化粧をして踊りまくるシーンは素晴らしい、それだけでアートシーンになっている。ちゃんとリズムに乗っていないところなど、ホアキン フェニックスの役者の才能を感じる。ヒースの身も心も引きずり込まれるようなジョーカーとちがって、ホアキンのジョーカーは淡々としていて、悲しい哀しい笑いが死を予告している。彼の胸の苦しみを、弦楽器おもにチェロを使って延々と不協和音が奏でている。
1%の富裕層が99%の庶民の富を奪い独占しているこの世界で、「新しいジョークを思いついた。あなたがたには理解できないだろうけど。」と言ったあとで、血を吸った靴で歩き回るジョーカーたちで、街が溢れかえる。そんなことが明日起きても驚かない。
「ジョーカー」は1950年代の話ではなく、1980年代の話でもなく、今のいまの話だ。
嫌な映画
ダークナイトのジョーカーの始まりって暗いだろうと思ったけど、こんなに深くて暗いのか…
見ていて気分は良く無いよな
と言いつつとても引き込まれる…嫌な感じ
でもこの夜があの夜だったのか〜…やっぱりつながっているのね
松江では珍しく前列に若めの外人が1列並んでたけど、歓声もなく、静かに…エンドロールの途中で出てったよ
ジョーカーの開花を待ちわびる
貧困、失業、社会格差、虐待、差別…社会問題の詰め合わせ。ダークナイトシリーズ以上に暗く重い世界観とシナリオです。
不幸の連続の果てに悪が目覚めるのではなく、最初は追い詰められては悪事に手を染め、徐々に衝動的に、最後には息をするように犯罪を犯す…というように段々ジョーカーに変貌していく様が生々しい。
不穏なBGMとともに悪事に手を染めるたびに、いつジョーカーになるんだ?とワクワクしてさながら観ていましたが、やはりおなじみのスーツに身を包んで登場したシーンは胸が熱くなりました。
ああ遂に怪物が生まれてしまった…と。
ヒース・レジャーのイメージが強いので、あれがあのジョーカーになるのか…
狂気はともかく、ジョーカーってもっと知的な犯罪者じゃなかったっけ?
という疑問はちょっとありますが、彼がバットマンと対峙する話は是非観てみたいところです。
ブルースとの年齢差が結構あるので、今作に登場したブルースがバットマンになる頃にはジョーカーはじいさんになってそうな気もしますが。
☆ラ○ライブ☆オルタ☆(R15指定)(ネタが分かる人向け感想)
「非推奨、ミスマッチの人」
・ダークヒーロものが観たい→主人公はヒーローではないです。
・部下を引き連れて大暴れするジョーカーが観たい→DC映画、マーベル映画のようなアクションシーンはないです。
・悪をもって巨悪を制する感じなの?→違います。単純な結論はないです。
・暴力的な映像はダメ→この映画に向きません。観ないで下さい。ラブラ○ブを観ましょう。
「推奨、おすすめの人」
・社会派なの?→はい、社会派映画です!
・バットマン観たことがないけど話分かる?→シリーズ知らなくても内容分かります!
・つまらない映画、お説教くさい映画なの?→演技、編集、構成、劇伴の妙。テンポが良く映画に引き込まれます。退屈しません!
・グロテスク表現は嫌だ→殺人シーンはありますが、「手足や首を切断、皮膚がケロイドになる、内臓が飛び出る」ようなキツイ表現はないです。
・なぜラブラ○ブ?→ジョーカーが夢を叶えた物語です。むしろラブライバーはこれを受け入れる度量を持ってくれ。全員観よう!
まとめ:合う人100点、合わない人0点。
余談:私も「もう若くないし、周りのお客さんとの年齢も離れるし」とラブ○イブからの他界を考えていました。
しかし、今では心機一転!悪党を×××したような清清しい気分です。まだまだ体を鍛えて現地参加するぞ!!
拙者wオウフw早速にチケット申し込んでしまったでござるwww(ニチャア)
ダークナイトの前日譚と思ってはいけない
タイトルからして、ダークナイトのジョーカー誕生物語だと思って鑑賞した方々は違和感あったみたいですね。
ダークナイトやティムバートン版(原作は知りません)のキャラ設定とはイメージ違います。
バットマンことブルースウエインの父親も酷い描かれ様ですよ。もっと人格者だったんでは?
でもイイんではないかと。
スターウォーズみたいなシリーズものじゃないんだから。
映画単体としては、不幸な境遇な男がカリスマ犯罪者になるまでを丁寧に重厚に描いていて(精神病ってのは賛否ありそうですけど)、かなり疲れます。
むしろアメコミの一悪役(ヴィランっていうの?)の誕生譚って設定が無ければ、全く救いの無い話だったんじゃないかな〜って。
貧富の格差が進んだ荒んだ街に、悪のカリスマ誕生!
バットマン、犯罪者を捕まえる前に、正すべきは社会の根本なんじゃないのって感想でした。
誰の心にもあること。
心優しき青年、アーサーは苦しい暮らしをおくっている。そんな中に若者にボコボコにされたり、会社からは解雇され、馬鹿にされ、蔑まれ、様々な出来事が彼を次第に追い詰めていく。
この映画の根幹にあるのは、富裕層の貧困層に対する思いにある。バットマンシリーズを通し、ウェイン(ブルース)に感情移入していたが、今作でのウェイン(トーマス)はあまり良いとはいえない。
それに加え、家族問題もクローズアップ。信じたくない現実が重なり、アーサーは「ジョーカー」となってしまう。
しかし、これは誰にでも起こりうる話なのではないだろうか。そういった現実性がある所もこの映画の素晴らしい点である。
とにかく、演技力が凄かった。
ジョーカーを完璧に演技きった、
この俳優さん素晴らしい。
笑い方、タップダンス、視線、煙草。
全てにおいて哀しげで。
でも、どこか精神的におかしい。
薬を飲んでてギリギリ普通に生活出来てたの
かなぁー。
そんな自分を解ってて
自分と向き合ってきてたのに。
周りからの攻撃にとうとう、
崩れてしまった。
見てて哀しくなりました。
この人のジョーカーで
続きが観たいです。
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