ジョーカーのレビュー・感想・評価
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これから嫌んでいくゴッサムシティの始まり
「バットマン」のスピンオフで、世界的にも大変に好評価を受けている「ジョーカー」を見てきました。
本作品では、意外にびっくりしたんですが、「バットマン」では、敵役悪役でも、本作品では、トーマス・ウェインが悪役のように描かれていて、ちょっとびっくり・・・・ま、お話を作る時に、このように結びつけたのですかね、話を作った人は凄いな・・・
しっかり幼年期のブルース・ウェインも出てきて、しっかり「バットマン」シリーズを見ている者としては、面白かったな・・・
しかし、ちょっと複雑なのは、どんなに「ジョーカー」の過去が描かれていても、それを美化するように感じる人もいるだろうから、少し見ていて複雑な気持ちになります。
全体的には、良く出来ていて、見応えは十分だった。
嫌んでいくゴッサムシティの裏側のお話といった感じかな・・・・
この件がきっかけでどんどんゴッサムシティが悪くなって行き、あげくの果てには「バットマン」の登場なのか・・・・
こうなると、ホアキン・フェニックスのジョーカーで「バッドマン」が見たくなるかな(出来ると何度目のリメイクだ)
「バットマン」の前に「ジョーカー」でもう1本作れるかもね。
映画「バットマン」と言うと、やはり子供が見ても面白く作られるけど、本作品は、かなりシビアに出来ているので、大変に見応えもあり良かったな・・・
本当に、本作品からアカデミー賞が出るか・・・・
DCコミックの反撃が続く・・・・
「悪」というヒーロー
自分はこのレビューのタイトルのようなことをこの映画から感じ取れた。ゴッサムの不条理に押しつぶされながらも必死に耐え続けたアーサーは、ついには思いがけずに自分と似た境遇の人たちにとってのヒーロー的象徴となるのだった。まさしくそれは側からみれば「悪」以外の何者でもないのだが、映画の通り貧困層からすれば救世主と言わんばかりの狂信っぷりを感じた。これは現代社会にも投げかけられるような問題でもあり、今の社会の闇を暴きながらも作品として自立させ、さらにはそこに圧倒的な美を組み込ませたトッド監督には脱帽せざるを得ない。個人的には人生で指折りの作品であり、アメコミ映画でこれ以上の衝撃を与えるような作品は今後2度と出てこないだろう。テスト勉強を返上して見に行った甲斐がありました。
危険ギリギリかも⁉
ジョーカーと言えばヒース・レジャーを思い出してしまう。
「ダークナイト」の演技は圧巻だったし作品自体が素晴らしかった。
そのダークナイト版ジョーカーを踏まえて観てしまう状況下でのホワキン・フェニックスは
実に素晴らしかった!
ヴィランへの共感という意味では危険度ギリギリ?な感じもする本作ではあるが、昨今の流れ(特にディズニー)ではヴィランへスポットライトを当て、その人の事情を理解してあげよう的な作品も作られている。
また昔は正とされていた者が実は悪(王子様とかね)なんて言うのも今は普通。
何が悪で何が正なのか?
普遍的なテーマではあるが、その捉え方も立場や環境によってそれぞれ違うのだろう。
もしかしたらそれぞれの正義なのかもしれない。
規律を守らないという点では間違いなく悪ではあるが、アーサーがジョーカーになってしまった状況は哀しいほど理解できた。
色々と考えてしまう作品ではあるが、バットマン全体がとても奥深く、より一層楽しめるようになったのは間違いない。
私は今後ジョーカーがバットマンと対峙した時、正悪の区別ではなく、きっと両者を横並びで見てしまうだろう。いやジョーカーに肩入れすることも十分考えられる。
映画には影響力がある。そして世界は広い。
本作に感化された人が暴走しないことを祈るばかりだ。
傑作で間違いない
良くできてるなあと思うの。アーサーのことを細かく描く脚本で、それに応えるホアキン・フェニックスの演技も凄い。
この映画たぶん「アーサー、解るけど、そっちいっちゃ駄目だ。駄目だよ。でも、解る。でも駄目だけど、解るわ、ちくしょう」って感情移入して観る映画なんだろうなと思ったの。
で、これは、完全に受け取る僕の問題なんだけど、そう思わなくて「いやこれ、アーサーこの道いくだろ。そりゃ当然だ。いけ、いけ」と思っちゃったのね。背景がきちんと描かれてるから、論理的帰結として、アーサーこうなるよねって思っちゃった。
あと僕は「これバットマンの話だしな」という思いが強かったんだと思う。「バットマン出てこないかなあ」と思いながら観てたし(ちょっと出てきたね未来のバットマン)。
そんなわけで、僕にとっては、面白いけど「すげえ」までいかない作品だったよ。
JOKER?
やばい!劇薬過ぎる〜
ジョーカーの話だけど今までのバットマン映画とか
ジョーカー映画とは何の繋がりもないので
今までの映画を観たことがなくても大丈夫です。
普段は観ない系統の映画なのだけど
世間の無理解や病気や貧困のせいで追い詰められた結果
全てが反転してしまう狂気の映画!
と言うことで興味がありました。
確かに恐ろしい映画!!
それほどグロい殺人シーンも無いし、
直視出来ない様な激しい暴力シーンも無いけど
弱者を見捨て、あまつさえ笑い者にする人の心の醜さと
一周回って何かの堰が切れてしまう人の心の危うさ〜
突きつけられるものがあまりに痛い映画。
心して鑑賞してください。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ホワキン・フェニックスの演じる
前半の方のクラウンの表情が切なく悲しい。
必死で生きているのに、
容赦ないこの世の荒波があまりに非情で苦しい。
それと対極に、何かに目覚めた後、長い長い石段を
ダンスしながら降りて行く美しくもおぞましいシーン。
よくもあの靴で、しかも濡れた石段で!
見事です!
この世界は弱い者への労わりや慈悲がなさ過ぎる〜
そのことを権力者や富裕層は見ようともしない。
自分達だけで富を抱え込み
自分達だけが生きる値打ちがあるかのように
弱者や貧者を切り捨てて来た。
映画の後半でピエロの仮面を被った貧しい民衆が
富裕層や権力者への抗議のデモから
やがて暴動へと発展してしまうのだけど
これは〜〜
フランス革命の民衆の蜂起と同じ事よね〜
何百年経っても人間って
、富裕層や権力者になった時、
民衆のことなど
何も考えない欲の権化に
成り下がることから
逃れられないのか〜〜
弱者だから、虐げられているから
暗黒面に落ちても仕方ない!とは思わないが
何かの形で声を上げなければ富裕層や権力者は
ますます増長して行く〜〜
何とかせねば!!
@お勧めの鑑賞方法は?
劇場で観ないと内容が心に痛すぎて、切り分けがしにくいのでは〜
今のアメリカを表現している
誰しもジョーカーに自分の不満を投影し、彼を悪の王と勘違いしてしまう、幻想に抱かれて現実を見ない今のアメリカを象徴している作品だと思う。
彼が優しく生きられる道があったらよかったな…と思いました。全バットマンシリーズ鑑賞済みで今回は挑みましたが、ウェイン夫妻のシーンをあそこに持ってくるのか!と思ってしまった。
よき理解者がいたら…
実は、「バットマン」シリーズ、あまり好きじゃなくて、見たことないんです。ダークナイトのヒース・レジャーは、知ってます。予告編が強烈だったし、面白そうだったので、バットマンに興味はなかったけど、観に行こうかと思ったくらいでした。でも、観に行かずじまいでしたが…。今回は、観に行こうと思ったのは、バットマンが出演しないからかな…。
今回、この「ジョーカー」を観るにあたり、少し調べたんですが、ジョーカーが出てきたのは、ダークナイトだけじゃないんですね。そして、演じていたのもヒース・レジャーだけじゃないんですね。知りませんでした。
さて、今作品ジョーカーですが…。なんとも、いたたまれない。よく、時代のせいって言葉を聞きますが、まさしくソレ。いわゆる底辺の生活。それでも、慎ましく生きていたのに、理不尽な扱いを受ける。それも、知人から赤の他人まで。報われないわ…と思ってたら、ご近所の女性と親しくなって、一縷の望みだと思ったら、まさかの妄想。良き理解者であるはずの母親も、実は、ネグレクトだったことが分かったり、踏んだり蹴ったり。そりゃ、死にたくもなりますよ。たった一人でいい、彼の理解者がいたら、こんなことにはならなかったのかも…。
怖い、恐かった!
生涯ベストに入るくらい
予告編を観て、傑作の臭いしかしなかった。
そしてベネチア映画祭金熊賞受賞の報道があり、
ますます期待が高まり、公開後の評判も良く、
観る前からハードルがかつてない程上がっている状態で観た。
その上がりきったハードルを、軽々と超えてしまった・・・
まいった・・・衝撃的だった。
生涯ベストに入るくらいやられてしまった!
演出も演技も全てが完璧!
なんといってもホアキン・フェニックス!
彼の神懸った演技は素晴らし過ぎます!
個人的に一番印象に残っているシーンで、
特に雇われ主であるボスに、心無い酷い事を言われた時の
狂気に満ちたなんとも言えない表情の笑みには鳥肌が立ちました。
故ヒース・レジャーが演じたジョーカーすら霞んでしまう。
この作品の良さを上手く伝える事が出来ない、
ボキャブラリーのない自分がもどかしい!
ただ言える事は、まだ未見の方は是非
マーティン・スコセッシ監督作品で
この映画にも出演しているロバート・デ・ニーロ主演の
「タクシードライバー」「キング・オブ・コメディ」
を観てから劇場に足を運んで下さい。
その方がこの作品をより楽しめます。
そしてバットマンの本名が”ブルース・ウェイン”
という事も頭に入れておいて下さい。
この作品はちゃんと「バットマン」に続いています。
素晴らしい
どうしようもないほどの救いの無さ
絶望的とはまさにこの事
誰しもがこうなってしまう可能性を秘めている
彼が本当にジョーカーになってしまうシーンは
もう彼を救う事が出来ない、絶望感と悲壮感で号泣してしまいました。
本当は彼は人を喜ばせたかっただけなのに。
心の病を持っている人には必ず胸に刺さる。
悪いのは監督か、ホアキンか、JOKERか。
ポップでもクールでもないジョーカーがここに誕生した。
ノーランのバットマンでジョーカーを認知した私には、この作品をどう評価すべきか分からない。
まず、ジョーカーを美化しすぎである。病気だし、障害のある貧困層が必ずしもああやって屈折していくわけではないだろう。どんなに酷い境遇だって強く生きることができたはず。それなのに、その境遇を理由に、社会の悪になるのも仕方ない、社会が悪いんだという描き方をされても、こちらとしてはふざけるなである。ああいうやつを持ち上げる市民がいるのも世相なのだろうか。
また、本来のジョーカーのキャラとはかけ離れた(ようにみえる)キャラクターにも納得がいかない。何事も俯瞰していて計算高く、それでいて下品ではない私の知っているジョーカーのカリスマ性が全くもって現れないのだ。一人で銃をもって芝居するのは、タクシードライバーのトラヴィス?自ら髪を染めたりするのも気に食わない。
ティムバートンの描いたジョーカーはアメコミからそのまま出てきたようなポップさが魅力だった。クリストファー・ノーランの描いたジョーカーは悪と善の間で我々を翻弄する生き様が魅力だった。今回のジョーカーの魅力はなんだろう。弱いものには優しいところ?強いものには理不尽に食って掛かるところ?彼が守ったのはしょせん自分のプライドだけのように見える。結局は自分が弱いものと認められるのが嫌で、必要以上に自分を強くみせ、自分の妄想を実現させる勇気はなく、自分の立場を危うくする邪魔者はぶち殺す、そんな身勝手な人間でしかない。そんな自分にもあるレベルの感情を持たぬのがジョーカーだ。私の理解の範疇を超えたところで悪に仕えるのが、ジョーカーだ。
この映画で最も要らなかったシーンは、同じ階に住むアフリカ系女性との日々が嘘だったと発覚するシーン。回想シーンで彼女の姿が消されている映像が流れるがあれは本当にいらなかった。あのシーンが無くても十分にわかるようにできていたし、急に現実に戻された感覚と、さあここで驚きなさい、と言われている感覚に陥った。
この先、ジョーカーと同じ障害や虐待、病気や貧困に苦しむ人々が彼と同じ生き方を見つけないように願うばかりだ。
追記:
最近ホアキンがルーニーマーラちゃんと婚約して嫉妬していたのは事実です。そのため映画が始まった途端から彼に嫌悪感を抱いていたのも事実です。さらに彼の汚さが露出する度に幻滅し、ルーニーマーラちゃんを思い出してしまったのも事実です。不純な鑑賞をしてしまい不本意であります。
しかしホアキンのダンスと表情は圧巻でありました。歩き方から笑い方まで非常に研究されているなと。ピエロになった姿なんて本当にホアキンなのか分からないくらいです。
さらに追記:
随分とこの作品を責める書き方をしたが、つまるところ私は非常に傷ついた。
アーサーがジョーカーになっていく過程で、私は仲間がダークサイドに墜ちてしまうその瞬間をみた気がした。仲間が傷付けられ、社会の隅に追いやられ、ついには居場所をなくし、そんな仲間をみたくなかった。鑑賞中はずっと、彼が何かしでかすまいかと心配でならなかった。何もするなとずっと願っていた。耐えろ耐えろ耐えろと。さらに、笑うすべ、生きるすべとして悪を発見してしまった彼に絶望した。勝てなかったと思った。笑いの力は社会を変えられないし、彼を救えなかった。その事実が示されたとき私はむしろ、この映画に反抗的になっていた。
さらに備忘録:
社会のマイノリティであることよりも苦しいのは、こんな社会でも肯定して生きていかなきゃいけないこと。受け入れて生きていくこと。そこまで描ききれていないと思う。
キリングジョークを読んで:
ジョーカーの本質を知りたくて、キリングジョーク完全版(アランムーア著)を読んでみた。なるほど、わかったことがある。
おそらく、ジョーカーの孤独やら悲劇やらを語るのに、バットマンは欠かせないのでは?正には負が、喜びには悲しみが、正義には悪がなければ、その存在さえも際立たないのでは?というか、在るからこそその間で人は揺れて、学んでゆくわけだと思ったりする。だから、ジョーカー単品でのゴールというのは、本来なくてこの映画はそこ自体が不正解というか、映画単独で成り立っていないように思えてしまうんだよなあ。もうどうすればいいかわからんくらいの悪への対処って、もはや社会には出来ないと思う。今回のジョーカーだって、社会には救えなかったし、救いの場がなかったし。だから、バットマンという絶対的正義がいて、そんなバットマンをも苦しめる悪だから、ジョーカーはこの世界で輝くのではないかとおもうんです。
ジョーカーの狂気があなたを引きずり込む。
非常にクオリティの高い映画だった。
どのレビューを見ても評価は高く、それに値するだけのものであったと思う。
(実際私も高評価をつけた。)
それだけに、このレビューは慎重に進めなければならない。
まず最初に、「バットマン」に対する私の姿勢を示しておくと、
好きだけどそんなに詳しくはない。
これが正直なところです。
もちろん1990年頃のティム・バートン監督バットマンは何度も見たし、いわゆるトリロジーと呼ばれる3部作も大好き。けれど、コミックとかテレビドラマバージョンにはノータッチなので、元がどうとか言う話をされると
あ、そうなんだ。
ということになる。笑
最も好きなバッドマン映画は多くの人がそうであるように、クリストファー・ノーラン監督の「ダークナイト」で、ヒース・レジャーのジョーカーが一番魅力的だと思う。つまり、ごくごく一般的かつ"にわか"らしい立場にいる。このレビューを見て、「にわか分かってねぇわ」と感じるか「ジョーカーをそう受け取ってる人もいるのか」と寛大に捉えて頂けるかは、皆さんに委ねたい。
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ジョーカーの誕生を描くのは非常に難しい作業だったはず。なぜなら、過去に映像化されたキャラクター像が決して統一されていないから。
そもそもジョーカーの正体からして設定が違うし、細かいところを言えば口の傷の有無、肌の白さの原因、あの狂気的な性格でさえ母親が関係しているとか恋人がそうさせたとか、今作が公開される前からファンの間では度々憶測と議論を呼んでいた。
この映画を観る事でその辺りの一つの回答が得られると期待したファンも少なくないだろう。結果から言えば、どんな回答も得られなかった。
いや、映画の中で答えは示されている。しかし、映画観賞後も「こうだ!」とは不思議と言い切れないのである。
一番分かりやすい例が、あの狂気的な性格だ。
あれに母親の存在が絡んでいた事は映画を見れば明らかなのだが、逆に、
「じゃあ彼は母親の影響であぁなったんだね」
と、誰かに尋ねられた場合、きっと多くの人が
「まぁ、それも一つの理由ではあると思うけど、、、」
位にしか返せないのではないだろうか。
映画では度々、キャラクターと出来事とが非常に簡潔に結び付けられる。
この出来事があったからこのキャラはこういう価値観を持った、とか。
この怒りはあの出来事があったから。
あの一件でこの人は恋をした。
この行動はあの時の行動が伏線なんだ。
といった具合に。
ところが現実に置き換えて考えてみると、感情とか価値観、行動はあらゆる要素が互いに作用しあって生まれるし育まれるものだと思う。
トッド監督もこの点にはかなり気を遣ったようで、「JOKER」ではその部分が見事なまでに表現されていた。だから明確な答えは得られず「それも一つの理由ではある」という言い方しかできないのだろう。
"ジョーカーの狂気は彼が元々持っていたもの"
この描き方が本当に素晴らしく、何かがあって狂気が生まれたのではなく、障害(それすらジョークだったのかもしれないが)の裏に隠れた生来の狂気に素直になっていく。122分を通じて描かれたのはそこで、程度はあれど誰もが共感(或いは同情)できるし、危険だが感化されるのは自然なことに感じる。見事な脚本だ。
「ダークナイト」の一幕で
"別に俺は計算高くない。行き当たりばったりだ。そっちのが楽しいだろう?"
そんな事を言っていたジョーカーがふと浮かんだ。
気になったところといえば
・ジョーカーとブルースの変な年齢のギャップ
・ジョーカーというキャラクター像の微妙なズレ
・オマージュの多さ
2人の年齢は詳しく明かされていなかったはずだが、今作では少なく見積もっても17.8の年齢差があるように見える。これまでの作品でそこまで年が離れている印象は受けなかったので、微妙に違和感があった。
ジョーカーは"悪のカリスマ"とよく形容されるが、今作生まれたジョーカーは最終的に"悪の親玉"にはなれても"カリスマ"ではなかったように感じる。
別に悪事に対してスマートではないし、なんだったら最後の一幕も"のし上がった"というより"担ぎ上げられた"という方がしっくりくる。車上で喝采を浴びる彼が、担がれたまま調子に乗って悪事を働けばすぐに失墜し、死を見ることになるだろうなという予感が働く。
カリスマとは程遠いキャラクター像だ。
また、拳銃を多用してたのも気になった。
彼と言えばナイフや爆弾、毒薬というイメージがある。ところが今作では拳銃の力に魅入られ、フランクリンを殺すのにも拳銃を使用したし、手で銃を作って自らの頭に突きつけるシーンも繰り返された。何より、彼の初めての殺しが拳銃によるものなのもキャラクターとして微妙に思う。
映画冒頭、拳銃を持たないアーサーが悪ガキ相手に袋叩きにされる場面があるが、ここで彼は抵抗しない。
しかし、電車内でエリートに絡まれた時には拳銃を携帯していたので彼らを射殺する。
この2つのシーンの拳銃の有無は逆だった方が、よりジョーカーらしいのではないかと思う。
序盤の、精神がまだ安定してる時には拳銃を持っていようと抵抗せず
中盤、狂気に飲み込まれ始めると拳銃を持っていなくても素手で反撃し、相手を殴り殺すか刺し殺す。
という場面の比較をした方が、彼のキャラクター像を想像しやすい。
こういう今までのジョーカー像との微妙なズレが目につくシーンが多々あった。
しかし、こここそが、例の、"回答を得られなかったのに評価が高い理由"だとも言えるだろう。つまり、続きを予感させる。笑
映画が製作されるかどうかは全くの別問題として、自らの狂気に浸り悪に染まったアーサーがジョーカーに目覚めたのが今作なら、ジョーカーが真にカリスマとなる物語がこの後にあっても不思議ではない。
その道のりの中に今回あやふやになった解答が潜んでいる気がしてならないのは確かだ。
最後に、オマージュの多さについて。
今作のメガホンをとったトッド・フィリップス監督は、コメディ映画の製作に秀でた人物で、スリラー・クライムサスペンスの気分がある作品を手掛けるのは今回が初となる。
それ故、製作するにあたり、彼自身、1970〜80年代のあらゆる作品を参考にしたと語っている。
先述した、手を拳銃の形にして自らの頭に突きつけるシーンや電車内での射殺のシーン、様々な場面でのカメラワーク、フランクリンの番組セットにピエロメイクの意味の持たせ方などはスコセッシ監督の「タクシードライバー」「キングオブコメディ」を間違いなく意識してるし、音楽では喜劇王チャップリンとアーサーとをクロスオーバーさせるように「スマイル」が流れる。時代の空気感の演出も70〜80年代の映画の影響を色濃く感じた。
往年の名作をオマージュする事は決して悪いことではないし、それが粋だなと思うシーンも多々あった。
しかし、今作では量の意味であまりにやり過ぎたというか、監督の「こういう仕事は初めてだけど、俺はこんなに作品を知ってるぜ」とでも言うような、「コメディ以外にも作れるの?」という民衆の疑問に対する言い訳というか、それを言わせないための先回りというか。そういう気概を感じてしまって、終盤にオマージュが出てくるともはや少し興醒めだった。
ホアキンの素晴らしい演技と、台詞がない方がむしろキャラクターを表現しうる肉体。
観客の内なる狂気をも刺激する脚本。
これらがなければ、"どのシーンもなんか見たことある"という下らなさと退屈さを纏ってしまっただろう。
素晴らしい演技をする俳優達と素晴らしい脚本家が畑違いの監督の元に集まった。
強い言い方をすればそういう後味の悪さが残る映画でもあった。
優しいアーサーへ日常、憧れ、夢、過去がねじれるように重なり合い、逃...
映画史に刻まれる衝撃作
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