ジョーカーのレビュー・感想・評価
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十代の私にはまだ早すぎたかも
アーサーという一人の男の物語でありながらも蓋を開ければは波瀾万丈。
劇中では終始報われない人間ではあるものの英雄と称えられるまでのプロセスが過激すぎるかもしれないがリアリティに溢れている。
理不尽や病気、自らのミスで自分を追い込んでしまい、社会から除け者にされるアーサー。終盤にかかる辺り、悲劇と喜劇が入れ替わるのが自然と伝わってくる
ジョーカーは社会的地位の低い人々の不満がアーサーのメイクとなり、富裕層へ立ち向かうために創り上げられた純粋と邪悪の入り交じった化身。バラエティーに出演した際も、ジョーカーは「俺を(貧困層の代表として)馬鹿にするために呼んだのか!報いを知れ!」と言っていたが、裏を返せば人々の社会への不満を代弁していたのかもしれない
アーサーは殺人を犯したものの、それは単に「殺人」ではなく、「自分を守るための行為」であるのではないか
表面では悪事だが、内面は正しき行為であり、ジョーカーの言う通り、主観で決めつけるのは人間の悪い癖である
マスメディアがそれに該当するだろう
貧しさが主人公であれば豊かさは敵である。人々がアーサーを褒め称えるのも無理はない
人生経験が豊富でない私は映画の趣旨は理解できたがアーサーにあまり同情できなかった。これは人生経験がものを言うのかもしれない
残ります
虚無
誰しもがジョーカーに・・・。
同情からのあっという間の狂気
バットマンの最強の悪役ジョーカーの誕生経緯を描く映画ということで、どんな恐ろしい過去があるのかと思いながら、前情報をあんまり入れずに鑑賞してきました。
3歳の息子とは見れないので、結婚記念日に奥さんと二人で鑑賞。
ジョーカーはクレバーなイメージだったので、過去のジョーカー・アーサーにはその雰囲気は見られない。
ただ、ゴッサムシティの不条理やつらい過去による精神障害、差別的な周囲の目…そういった周辺環境の中で、精神崩壊→殺人という犯罪に手を染めてしまうアーサーに同情と狂気を感じた。もう少し周りにまともな人がいれば…と思わず感情移入してしまう。
後半の壊れた後のアーサーには最早狂気しかなく、あっという間にジョーカーに。ここから何度も犯罪を重ねることで、個人的にイメージしていたクレバーなジョーカーになったのかだろうと想像してしまう。
後のバットマン・ブルースとの因縁もこの作品で、対照的に描かれている。全て持ち合わせた裕福なブルースと何も持たない不幸なアーサー…。
この作品をきっかけにバットマンを見返そうと思いました。
世界は危うくて悲しくて、でも強くて美しい。
まずは、ホアキンフェニックスがかっこいい。ミーハーです。
暗くて汚い場所ばかりですが、役者さんたちのオーラがすごくて、美しくかっこよく見えちゃうので、ホラー嫌いな私でも最後まで見られました。衣装もみんな素敵。
何が善で、何が悪か。悲劇か喜劇か。結局全ては主観なんだなーとジョーカーの言った通り納得してしまいました。
時代の設定が数十年前なので、病院やテレビ局のセキュリティの薄さには目をつぶるとします。
ちっともファンタジーとは思えず、同じような世界は日本にもあると思います。
弱者は気付かれることも手を差し伸べられることもないのか。
でも結局人を救うのは人であるとも感じます。
小さな道化師仲間を殺さずにいてくれたことにアーサーが人間であるという証を感じました。衝動だけで動いているのではないんです。
でも実のお母さんを手にかける彼の気持ちは理解が難しかったです。
あんなに優しい彼が。心が壊れてしまったのでしょうか。
とにかく観客の私は悲しかったです。
アーサーは被害者でしかない。
優しい人は最後は報われて幸せに、なんて世界はないんですよね…。
どこからどこまで。。。
アーサーのジョークと現実が絶妙に交差しててどこからが現実でどこまでが妄想なのか分からなかった。それとも全てが思いついたというジョークなのか。。
私はバットマンがすきじゃない。あの混沌としたゴッサムシティもジョーカーもバットマンもなんだか気味悪くてなんでか好きになれない。
でも、このジョーカーは予告を見たときから絶対観たいと思ってた。実際、ちょっと思ってたのと違ったけど上手くは言えないけど色々芸が細かいなぁと思った。
いちばん気になったのは、冒頭でアーサーは何を憂いて涙を流したんだろうってシーン。
何回か観ないと分からないかもなぁ。。
凡作
バットマンを前提とせずにジョーカーを鑑賞
まず画面の空気感や質感はかなりイイと思います。バットマン・ダークナイトを無視してジョーカー観ました。ジョーカーはチンドン屋もしくはサンドイッチマンの叔父さんとなっており、彼は精神病をわずらい発達障害的でもあり、ジョーカーの実体や本質がつかみにくい話の流れです。ジョーカーが暮らす1970年代の都市環境が彼の精神に決定的にダメージを及ぼすほど劣悪ではありません。ごく一般的な格差のある資本主義社会です。彼自身が問題を抱え、彼自身が犯罪を犯すため、彼の思考や行動に鑑賞者は共感や反感が生まれることはありません。また彼以外の市民の貧しさを知ることができません。そんな生活環境から主人公がヘンテコになりジョーカーに成って行く事に、違和感さえ感じました。しかし物語を無視すれば映画として視覚的に楽しめました。しかしバックミュージックにより現実に引き戻されるので、耳栓をするか、ワケわからない音楽を聴きながら見ると、適当に物語を作り上げ、楽しめるように思いました。
混濁した記憶や幻想が美しく描かれている
現実か、幻想か?希望か、混濁か?美しい描写で引き込まれる物語。バットマンの世界を知らずとも楽しめ、そして悲しく虚しい。最近見た4作中、最も良かった。見る価値、大いにあります。
社会の闇が生んだピエロ
ジョーカー誕生のお話。
ジョーカー視点で進んでいく。
社会から排除されている人たちが、なんとか生きていくけど、それでも無視されて、
どうしようもなくなっていて
そんな人たちの心の中にある
これだけは絶対に自分の中で絶対的な物が、
全くのウソであったと知った時
ほんとはただ"ハッピー"をシェアしたかっただけのコーラに、どうなるかもしらずに大量のメントスを色んな人が一気にぶち込んだみたいに、
ふつふつとしていたものが
一気にふきあがって、周りにぶちまけまくった感じ。
ダークナイトでは、自分がジョーカーだったらと
ジョーカーの立場に重ねて観ることはないけれど、
この映画では、ジョーカーの立場で観ることが出来て、
ジョーカー生い立ちのお話なので、
いい流れにはなっていかないことは分かっていたけど
次々に追い討ちをかけられ、
辛いよなーと心に響いてくる。
ピースレジャーのジョーカーはとても賢くもあって
この作品のホアキンのジョーカーは生まれたてという感じで、
頭脳戦、心理戦のようなところはないけど
人間味がまだあった。
ガリガリに仕上げているホアキンと、
枯れ上がるまでの笑い声
スーツ姿でのラストは痺れた。
オススメの映画。
あまりいないかもしれませんがバッドマンシリーズ未鑑賞の方は
ビギンズ、ダークナイトを事前に観ておくことをおすすめします。
ブルースとのやり取りなども楽しめます。
ジョーカー、とんだサイコパス野郎じゃね
ジョーカーってやっぱり「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかもしれないですね。
僕は映画『ジョーカー』を2回観たんですけど、最初観終わった直後はわりと額面通りにというか、「心に病がある貧しくも心優しい青年が残酷な運命に翻弄され悪の道に……」という映画とみて、今までの「どこまで行っても愉快犯」「まじでヤベーサイコパス野郎」のジョーカーじゃないやん!ある意味真逆やん!と思ったものの、それはそれで、そういう映画としてはけっこうよくできているなと感じたんですよね。
僕は個人的には「バットマンに追い詰められたギャングが工場の漂白剤のタンクに落ちて、白い肌、緑髪に笑い顔の怪人に……」という『ジョーカー誕生秘話』が好きだったんですが、11年前の『ダークナイト』ですらもうそんな設定じゃなかったですしね。現代のバットマンの「リアル志向路線ブーム」では厳しいのかもしれない。
(あれ?でも『スーサイド・スクワッド』ん時、ジョーカー、漂白剤タンクに落ちてなかったっけ……?)
「いわゆるアメコミ映画」みたいな、「宇宙怪獣がやってきた〜!ボカーン!」みたいな方向の表面上の起伏はないんだけど、冒頭から何も悪いことしてないピエロがヤンキーにボコボコにされてるとこ見せられたら、まぁ、人間のこころを持ってる人なら「かわいそう」と思って感情移入します(もしくは「この物語はこのピエロに感情移入して読み進めるべきモノだ」と理解してしまう)。
そういう精神的な引っぱりや突き放しによる物語の盛り上げ方がうまいなっ!っていう……。
で、ヘンな疑りを持たなければそのままの気持ちで最後まで観られてしまう。
自分はやらないけど、もし心を病んでる人がこういう状態に陥ったらこういうことをしでかしてしまうのかも……、と解った気持ちにさせられてしまう。
最近たまにある通り魔事件とか、京アニの事件とかもまったく許せるものではないし、ニュースで聞いたときには「理解できない」って思ったけど、もし自分が大事なものを大企業や社会的に大きな存在に壊されたりパクられたりした(と信じ込んでしまった)ら、こういう暴挙に出るしかない!という精神になってしまうのかな……、と思ってしまいます。(「だったら許されるのか」というのはまた別問題だと思うけど。)
で、そういう風に見ると映画を観たあと、「オレたちの星だ!」みたいな感じでジョーカーに憧れてしまう人や彼がヒーローに見えてしまう人がいるのも納得できる。僕も映画館から出てくる時には混乱する電車を後にするジョーカーみたいなステップになってしまったし。
けど、その見方だとどうしても引っかかる部分がいろいろあるんですよね。
25年くらい前、小学生の頃みたドキュメンタリー番組で鮭がクマに襲われるシーンをみた司会のビートたけしさんが「今回はテーマが鮭だからクマが悪者になるけど、クマがテーマの回だったら微笑ましいシーンだよな」って脈絡なく突然言ってドキッとなったのを思い出しました。
小学生のときは「えっ、せっかく鮭気分で楽しく観てるのに、なんでたけしさんそんな冷や水ぶっかけるようなこと言うん……?」って思ったんだけど、この映画に関しては「ジョーカー気分」で観てていいんかな……、みたいな。
映画みて興奮して、ジョーカー気分になったり、それでジョーカーのコスプレしてハロウィンに参加しちゃったり、みたいなのって劇中でチャップリンの『モダン・タイムス』をみて笑ってるトーマス・ウェイン(バットマンの父)や、アーサー(のちのジョーカー)の漫談を笑いものにしてたマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)がやってたこととおなじじゃないのかな……、みたいな。
そしてやっぱり1番は「バットマン関連モノ」として見ると、ちょっと成立しなくなっちゃうような気がするんですよね。
『シン・ゴジラ』を観たときに、「大昔の恐竜が水爆実験の影響で怪獣に……」という、今まで決して捨ててはいけなかった設定を捨てたことで、むしろ「ゴジラ」という存在の本質を描くことに成功してるように感じたのに対して、『ジョーカー』は一本の映画としてはすごくおもしろいんだけど「これがあのジョーカーの誕生秘話です」と言われてしまうと、大金持ちだけど強く優しいお父さんを目の前で殺されたことで誕生したバットマンという存在やバットマンが活躍するゴッサム・シティという街、執事のアルフレッドなど、いろんなものの存在が揺らいでしまうような気がする。
なにより、「どんな時でも明るく楽しい(だからこそ狂っていて怖ろしい)バットマンの最大のライバル」というジョーカーの立ち位置が大きくブレてしまう気がする。
単純に、後にライバル関係になるにしてはアーサーとブルース・ウェイン(バットマン)の年齢が離れすぎてる、とかもあるし、バットマンと異母兄弟(と、劇中で明言はされてはいないものの、映画の中の対立の構造や文脈的にやはりトーマスの子であると見るのが妥当だと思う。)という設定とか、アーサーの妄想や思い込み分を差っ引いたとしても、これが通ってしまうと今までの『バットマンシリーズ』の根底や本質がひっくり返ってしまう気がする……。
で、そんなモヤモヤを抱えたまま2回目を観に行ったら、かなり序盤から引っかかる部分がいっぱいあって、具体的には
・妄想のはずのシングルマザーとのデートから帰ってきたアーサーに、母が「香水のいい香りがする」という
・アーサーが証券マンを撃つとき、リボルバーなのに6発とか8発以上の弾を撃ってる(っぽい?)
・出てくる時計がどれも11時11分(っぽい?見間違いかも。)
・髪を緑に染めてるとき背中にあったアザ(やけど跡?怪我の跡?)がなくなってる(っぽい)
・訪ねてきたピエロ仲間を殺したアーサーに「今夜マレー・フランクリン・ショーに出るんだ」と言われた小人症のゲイリーが「信じられない」と言うのが、「ショーに出ること」に対してなのか「目の前で起きた殺人」に対してなのかあいまい
・そもそもマレー・フランクリン・ショーで自分の漫談が放送されてるのをアーサーが見るのが母が治療中の病院で、番組から出演依頼が来るのが冷蔵庫に入った後。どちらも妄想の中にいる時っぽい感じなので「マレー・フランクリン・ショー出演関連」のシーンはすべて妄想(もしくはウソ)の可能性もある(かも?)
・最後の精神鑑定のシーンは最初のカウンセリングの時に「あなたなぜ入院させられたかわかってる?(だったかな……)」と問われた直後に一瞬挿入される精神病院でアーサーがドアを頭突きする映像と繋がってる(かもしれない)?
……といった部分で、「うわー、コイツの話、全部、全部、最初にヤンキーにボコられてるところからしてすべて!ウソっぱちだったんかもしれん!」と感じたのです。
これは最初に観たときにもちょっと不自然に感じたんだけど、パパウェインに殴られてアーサーが冷蔵庫に入ったあと、カメラが動くんですよね。三脚に固定して撮ればいいのに。
というか、あの部屋にはアーサーしかいないはずで、本来なら観てる自分の存在を観客が意識してしまうような「手持ちのカメラが動く」という演出は不要なはずなのに、カメラが動く。
そしてその画が異様なほど唐突にバツンと切れて、マレー・フランクリン・ショーからの出演オファーの電話を受けるシーンにつながる。
……やっぱりこれはウソなんじゃないか?と感じるんですよね。
そうなるとすべてがウソっぽいし、単純にジョーカーがパトカーの上で踊るシーンからちょくにつながるとも(時系列の不確かさからも)思えないけど、後にバットマンに捕まってなのか、そもそもバットマンすらいない世界で警察に捕まってなのか、精神病院に収容されて取り調べなのか精神鑑定なのかを受けているジョーカーがでっち上げて語ってるウソっぱちの話なのでは……、
と、考えると、映画『ジョーカー』で「描かないことで描いているジョーカー像」は、やっぱり観客すら担いで楽しむ「どこまで行っても愉快犯のサイコパス」なのかな、と思ったのです。
……もしそうだとしたら、こんなに「ジョーカーらしい映画」も無いのかもしれませんね。
これはフィクションではない。
この映画を観終わった時、タイトルの通りの感想を抱きました。
まず他の方のような正統派な映画レビューではない事を先にお伝えしておきます。
大なり小なり、誰もが不幸や辛いことが立て続けに起こり『もう生きるのが嫌だ』と考えた事があると思います。
街を幸せそうに歩く見ず知らずの人間に、理由もなく憤りを感じてしまい、そんな醜悪な感情を抱く自分に涙が出てきてしまう程、辛い時が僕にはありました。
そんな時期に、とあるニュースを見て同情にも近い感情を抱いた事を思い出しました。
2018年6月に起きた、東海道新幹線内殺傷事件です。
このレビューを見ている方の中にも記憶されてる方がいらっしゃると思いますが、加害者の境遇がワイドショーで取り沙汰されている中に、
事件を起こした加害者家族のテレビ取材の受け方、話し方(加害者の祖母は居間に寝転がりながら記者へ対応していました)が、まるで他人事のような態度だった事を僕は痛烈に覚えています。
ニュースで知ることが出来た情報を聞く限り、
加害者には学校や職場、家庭に至るまで、一切の居場所がなく、どこに行っても拒絶され、
誰にも必要とされる事がなかったような人生を歩んで来たようです。
僕は家族の支えもあり、立ち直ることが出来ましたが、もしその支えが無かったら、この加害者のような人間になってしまったんじゃないかと、怖くなった事をよく覚えています。
人生とは、人と人との繋がりの集合体であると思います。
誰との繋がりも無くなり、失える物をとことん失えば、誰でも劇中のようなジョーカーになり得るのだと思います。
音楽や演技の素晴らしさを称賛するだけでなく、悲劇をスクリーンの外に生み出さない為に何が自分に出来るのか、考えてみるきっかけを作ることがこの映画の本当に伝えたい事だと勝手に思ってます。
ただ…ブルースとトーマスとの絡み要るか?と思ったので星4.5です笑
タイトルなし
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