ジョーカーのレビュー・感想・評価
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この映画を100%楽しむことなど出来ない。
私はたぶんこの映画の意図を全て理解して、共感して身震いすることなど一生出来ないと思う。
誰も自分より下の者は気にしないのかもね。特に現代は。
面白い
貧困や障害に苦しんだ1人の男が悪のカリスマになるまでのサクセスストーリー。
これも十分評価されつくされた作品だけど、狂気を含みながらも実は弱者にかなり寄り添ってくれてるのでは…?と思わず錯覚してしまう様な、前回のダークナイトのヒースレジャーが演じたジョーカーとは全く別物の新たなジョーカーの物語。
今作のジョーカーを演じたホアキン•フェニックスが、スタンドバイミーでクリス役を演じたリバー•フェニックスの実弟だったと言う点もかなり衝撃的でした。
笑わせたかった男
人を笑わせたいという夢を持つごく普通の男は、テレビへの出演をきっかけに自分は人を笑わせているのではなく人に笑われているだけなのだと気づく。優しかった母の言葉も、自身が目指す憧れの存在も全てを失って、コメディアンを夢見た男はジョーカーになってしまう。
とにかく素晴らしかったのは徹底したキャラクターの作り込みだ。ジョーカーという不安定な存在をあれほど完璧に演じきれる俳優はそう多くはいないだろうし、あれほど腐敗した世界を美しく映すことのできる監督も数えるほどしかいないのは間違いない。しかもその作り込まれた世界観の中に強烈な社会風刺とメッセージ性を恐ろしいほど自然に溶け込ませているのだからかなわない。
また個人的に最も評価したいのはラストシーンだ。あのワンカットだけで、あのたった数歩の足跡だけで、この映画の全てに不確実性を与えている。いったいどこまで本当だったのか、いやどこからが本当だったのか、本当にジョーカーはいたのか…いや、全てはただのジョークだったのか?
きっと明確な答えなど出ないこの問答のためにまた何度も見返してしまうのだろうなと思う。
感想と考察
アーサーの病気(後に虐待による後遺症と判明)である発作的な笑いは、人々との断絶を生んだ。彼が唯一目の前で発作を起こす描写のなかった彼の母親こそ彼の居場所であるように思われるが、実は彼女こそが彼を本当の意味で孤独にさせていた張本人である。彼女はアーサーをハッピーと呼び、「あなたの幸せな笑顔が人々を楽しませる」と言うが、彼の人生に幸せだったことなどなく、彼の笑いは周囲を気味悪がせているだけだった。彼女の望んだ「ハッピー」を演じ続けるためには、彼は蓄積された苦しみと怒りを7種類もの精神薬を使って抑圧し続けなければいけなかった。母親が愛していたのは、アーサーではなく「ハッピー」であった。つまり彼は本当のところ、家の外にも内にも、カウンセラーも含めて理解者などおらず、誰も彼をありのままに受け入れてくれるどころか、認識してくれる人すらいなかった。だから彼は、「僕は人生で自分がずっと存在しているのかわかっていない。」と言ったのだ。そのような現実に耐えられなくなった彼は、同じ階に住むエレベーターで相乗りしたシングルマザー(ソフィー)を、自分を愛して受け入れてくれる幻覚として見るようになる。
仲間の策略も加わり、派遣先で銃を落として職場をクビになった彼は、電車で絡まれた3人のエリートサラリーマンを撃ち殺してしまう。今までであれば子供から痣だらけになるまで蹴られても反撃しなかった彼が、銃を撃ったのはなぜだろうか。
その少し前に彼は劇場でコメディアンになるための勉強をしている。周囲と笑いのタイミングがズレていることに気づき、笑うタイミングを修正するシーンがあった。家に帰りメモのまとめやネタの創作をしながら、「精神病を患うことで最悪なのは、普通であるように振る舞うことを周囲が期待していることだ。」と書いている。自分の笑いの発作を理由に3人から暴行を受けたのは、その現実が改めて突きつけらた形だ。
加えて、自宅で誤って(?)銃を撃ったことでその威力を目の当たりにしたこと、幻覚を必要とするまでに精神に限界がきていたこと、母親に「お金のことは心配ない」と言った直後に、最悪の就職難の状況で職場をクビになったこと。そして3人が自分とは対局の立場にいるエリートサラリーマンであることも要因だっただろうか。
殺害後に駅から逃走し、彼は駆け込んだトイレで即座に落ち着きを取り戻し、舞を踊る。抑圧された怒りと苦しみを、初めて他者に暴力として開放したことで、湧き出る感情を抑えきれずに芸術として表現したのだった。
自分を抑圧する原因となった母親に吹き込まれた虚構の崩壊と悲しい真実、そして息子の代わりに愛されることまで夢見ていた、目標であり敬愛するマーレからの否定、幻覚の発覚。さらに警察の捜査も迫り、これまでの自己を破壊するような出来事の連続に対応するように、いわば生まれ変わった自分を認め、助けてくれる、街中で増加するピエロのマスク。ジョーカーを生み出すには十分な環境が揃っていた。
殺人者からヒーローへ、抑圧から開放へ、排除から受容へ、悲劇から喜劇へ、この映画は様々な価値が一人の人間の体験によってリアルに転換されていく。
この映画が人々の心を打つのは、私達が社会から受容される為に一定の人格を期待され、感情を押し殺し、自分を理解されず、自分であることを許されない、ということを二極化した経済格差の中で日々否応なく体験しているからではないだろうか。そしてその抑圧された苦しみと怒りの開放が、燃え盛るゴッサムの中、悪のかたちで肯定されるのだ。過度な残酷さや性表現もないのに、年齢制限がつけられる理由である。
今回の感想では、あえてラストシーンの考察は含めなかった。それが正しければ映画を丸ごと動かす大きな装置であるが、そうであるが故に、物語の重要性を低下させてしまうように思えたからだ。
リアリティを持たせたダーク・ファンタジー
米国映画、バッド・エンドの映画ですら、結末丸分かりの能天気な、一本調子のストーリーが多いけど、これは"ダーク・ファンタジー"で、加えて複雑な心理描写もしているので「前に、こんなん観たで」感がなかった。
ストーリーの展開に、多少の無理が感じられる箇所(例えば、主人公が貧困層のヒーローとして、社会的支持を集めていくトコとか、ちょっと"一足飛び過ぎる"が)もあるけど全然、許容範囲。主人公が「ジョーカー」になっていく過程に、ちゃんと(超常能力を原因としない)必然性が持たせられているし、結末も予測不能。なので、最後まで画面に引き付けられた。
過去作品のオマージュに関して言うと、例えば『タクシー・ドライバー』なら、本作品上の重要人物起用がデ・ニーロやったし、キャストの関連性、本筋外の紐付け方として、全然アリやった。個人的には、ここ数年間の映画やと1番かな。
誰しもに起こりうる最大限の不幸と最低限の幸せの末、産まれる共感という危険性
1980年代、社会情勢の悪化に伴い荒んだゴッサムシティを舞台に、スタンダップコメディアンを夢見る青年アーサーフレックが狂気に堕ちていく様を描いた、DCコミック史上最狂のヴィラン、ジョーカーの誕生を描いた作品。
数多くの名優がそれぞれの解釈で演じてきたジョーカー、今作は怪優ホアキンフェニックスと彼に熱烈なオファーを送ったトッドフィリップス監督のタッグで、今まで描かれてこなかったジョーカーの誕生の経緯に迫った内容だった。
過去数作のジョーカーはサイコパスや狂人などの人物描写で劇場型の犯罪や無差別テロなどを引き起こす理解不能の存在であったが、今作はスタンダップコメディアンを夢見る恵まれない青年アーサーフレックという人物が様々な不幸や理不尽に見舞われ、唯一の希望とすがっていた母親や素性不明の父親、憧れのコメディアンのマレーフランクリンに対する失望と怒りなどを通じて、アーサーの心境に思わず同情してしまう、彼の行動理由に納得してしまう、ある種非常に危険な感情移入をもたらす作品に仕上がっていたのが驚きだった。
多く挙げられている意見同様に確かに今作をジョーカーの名を持って製作する必要があったかは疑問だったが、貧富の差や人種による差別が横行するこの時代に今作をジョーカーの名とともに発表したことで作中のアーサーの行動に共感を覚えてしまった観客への警鐘を鳴らすと同時に多くの人々に共感を与えるエンターテインメントに仕上げた手腕は素晴らしいの一言では表しがたいモノだった。
終始アーサーが息苦しい日常に苛まられる展開が1時間半超続き、遂に全て吹っ切れてあのメイクと独特の身振り手振りであの階段を降りていくジョーカーへと化していく姿は待ってましたと言わんばかりの展開だったし、無様に走り、車に轢かれ、何一つスタイリッシュではなかった逃走劇の末、駆けつける警察官を気にも留めず、タバコをふかしながら悠々と歩き去るジョーカーの姿に痺れた。。
各レビューで触れられているラストの説は自分の感性ではどちらとも言えないが、もしそう捉えるとしたらアーサーへの感情移入の最後の予防線かつまさにジョークともいえる演出効果を生み出すことで『ジョーカー』と銘打った作品としてこれほど見事なラストはないのではと感じた。
2019年10月05日(土)1回目@丸の内ピカデリー Dolby Cinema
2021年01月05日(火)2回目@Netflix
カリスマヴィラン誕生の瞬間
レンタルしてチラ見しました。
いやー、実に面白かったなぁ。。バットマンシリーズが好きな人には是非観てもらいたい!
ホアキン・フェニックス演じるしがないコメディアンが、徐々にジョーカーになっていく様が最高。
バットマン好きならニヤリ、とするシーンも多いし、あれ…この女って…ハーレイ・クインの原型かな?って思えたりもするし、久々に面白かった!
監督は今までのバットマンシリーズのジョーカーとは切り離して観てもらいたい、みたいな事言ってたみたいだし、所謂ホンモノのマニアの皆さん、考察大好きな皆さんも色々言ってるみたいだけど、バットマン好きにはたまらないシチュも多いし是非観てもらいたい!
辻褄付けようと思ったらちゃんとシリーズと繋がるし、面白いよ。
ヒース・レジャーの次はこの人が良かったなぁ…
〜劇終〜
ウィリアム・フリードキン
「エクソシスト」の階段で踊る。地下鉄駅の階段で後ろから人を拳銃で撃つのは「フレンチ・コネクション」。地下鉄のドアが閉まる時に乗るか乗らないかもあった。ウィリアム・フリードキンへのリスペクトが見受けられた。内容、絵ともに素晴らしい映画。文句なく新時代の傑作。これを観て分からないとか言ってる人は、知能指数が低くて理解できないか。別の映画ダークナイトのジョーカーを期待した幼稚な人。
現代よくあるSNSでの誹謗中傷が 直接きてるような印象でした。 心...
現代よくあるSNSでの誹謗中傷が
直接きてるような印象でした。
心ない人達がアーサーを殺し、
ジョーカーを生み出してしまった。
他人の素顔を知るのには時間がかかるし
私自身、不思議な行動してる方をみると
あれ?って思ってしまうけど
そのちょっとした気持ちが
既に差別なんだと思いました。
アーサーのまわりには少しの行動で
性格や人柄を決めつけて責める人が多くて
アーサーに心を寄り添える人、
アーサーが心から寄り添える人が
いなかったのが残念でした。
映画館では怖くて観れず
先にアカデミー賞のホアキンのスピーチを
見ていましたが改めて作品を観て
ホアキンの演技力表現力素晴らしさに
感動しました。
うーん。。
面白い!とテレビでやっていたので、見てみたが、「ただの可哀想なおっさんの話」。
まぁ、生い立ちからして可哀想なんだけど、
あまり感情移入ができなかったかな。
どこからが現実で、妄想なのか、はっきりとした線引きがないので、見ている人の捉え方によって変わるのだろう。
誰にも優しくされず、傷つけられ、会社クビになり、なにもうまくいかない。
そんなときは、銃で他人を殺したくなるほど
頭にくるかもしれない。でも、このジョーカー自身、何か変わろうと頑張ってみたり、努力したりってあったかな?全部人のせい、病気のせい、母親のせいにしてた気がする。
病気だからしょうがないのか。
そういうジョーカーの気持ちも、私にはわからなかった。わからないってことは、
私は幸せに育ったんだなー。
良さがわからない
どうしてもバイオレンス描写が多い最近のアメリカ映画には耐性がないので、評価は下がってしまう、犯罪者や異常者のなれの果てというか、人生狂ってしまうっていうのはわかるが、それをどこかで美化するような、認めるような映画はどうしても好きになれない。
すくなくとも人にいい映画ですよって薦めるような内容ではないことは確かだ。
弱者はどう生きる?
ジョーカーを見始めた。バットマンのジョーカーが誰かよくしらない。これはハリウッドの有名な作品で、私の大好きな社会正義を描いているからと聞いたので気軽に見始めたら、もうつまらなくて我慢ができない。今、半分まで見たけど、これからの頃を観るばきかどうか思案中。本当につまらなく、気持ちが入っていかない。これは、途中までみて書いている。
確かに、アーサー(ジョーカー)が福祉施設で、カウンセラーと話すシーンは圧巻だ。ジョーカーに、カウンセラーが否定的な思考があるか聞くが、ジョーカーは何も聞いてくれないと彼女にいう。彼女が聞く姿勢を持っていなく事務的なのは感情移入が恐ろしいのかもしれないし、カウンセラーとして未熟なのかもしれない。と思っていたら、この事務所が閉まり彼女も仕事を失うことがわかる。
アーサー(ジョーカー)が自分の生きてい間に、自分が存在しているという自己に意識がないと。
その後、地下鉄で殺人をすることにより、『人々に注目されてきた』と気分がよくなってきている。悪事を働くことでも、人から注目された方がいいらしい。現代社会でこういう類の犯罪が増えているが、自分が虫けら以下の存在で誰も相手にしてくれないことを十分味わってるんだろう。コロナ禍のなかで、人々との関係が希薄化するなかで、精神的に不安定な人や自分がどこでも認められないという悩みをもつ人がもっと増加しているだろう。
きっと自分にポジティブになれないし、社会の悪いことばかり気になり、社会のためにちっぽけなことでもなにかすることはできないんだろう。それに、ましてや、社会が混乱して、悪事を働いた物を祭り上げる社会で、カオスだから。
アーサーの場合、精神病を抱えているから、こういう社会で生きていくのは何よりも大変だろうが。母の偽手紙のあとで、益々自暴自棄になったり、自分勝手な暴力行為に出て、自分中心に物事を考え、私からの観察だと、自分を正当化して悲劇の主人公になっているように思える。
正直言って、いつでもいいから、アーサーの話を聞いてあげられる人、そして、彼が精神的な繋がりがどこかで持ってたら、数多くの殺人を犯さなかったかもしれないし、かれの生き方もよく変わっていたかもしれない。
最後までやっと観たが、監督の主旨が読み取れないが、米国社会の多種多様な問題が、人間関係の希薄、犯罪、虐待、精神障害の人々の立ち位置、権力の横暴、テレビ局の質の低下、医療福祉の崩壊、群衆心理などが、ぐちゃぐちゃに出てきている。アーサーにまったく同情するわけではないが、弱者がもっとも生きにくい世の中になり、それが、犯罪につながっていってしまっている。この状態が精神的に課題を抱えているアーサーにとって拍車がかかってきてしまっている。
コロナ禍のなか、私たち一人一人が大切されたいし、大切にしたい。
1年後のBLM問題を予知していたかのような作品
2019年公開ではあるが、1年後のBLM問題を予知していたかのような作品。不幸な境遇に生まれ、目に見えない障害を持ち、社会に虐げられながら底辺で生きる市民が法を犯した時、人はそれを裁けるのか?社会としての正義と個人の尊厳の間の残酷な描写が続く。Do the Right thingに通じる「俺たちは虐げられてきた、だから報復をしても構わない」という理論を正当化するような内容にも通じるものがあったが、あちらがジャッジを視聴者に委ねたのに対し、こちらは弱者に寄り添い権力(と資本家)を憎む視点に徹していたと思う。それにしても映像表現とシナリオの巧みさで完全にストーリーに飲み込まれた。もう誰もジョーカーを憎むことはできないだろう。それまでは完全に悪役として描かれてきた彼にこの背景があったと知ったら、今までのバットマンの見方が完全に変わってしまう。それが良くもあり悪くもありなのだろうが。
人間の狂気とは
非常におもしろかったです。誠実に生きてきた人間が、徐々に狂気を帯びてくる様が実にわかりやすかったのもよかったです。昨今は、悪役の内面まで深く掘り下げる作品が多いですが、実にシンプルな作りで、変なメッセージ性もないので見やすいです。怪演でした。
多様とは何か?
弱肉強食は変わらず多様を求める社会は、結局のところ強者の我が儘を許す社会でしかない訳で。強弱のない世界がある訳でもなく。結局弱者は泣き寝入りするしかないと言うお話し。ダークヒーローでもなんでもなく、ジョーカーは毎日何人でも生まれているんだろうな。と思うのである。
緊張感の妙
他のレビューでも見られるように、ほぼ全ての要素において完成度は高いと思います。アメコミ好きはもちろん、ノーラン版ダークナイトが好きな方、それらを見てない方や、スコセッシが好きな方、どなたも楽しめる作品でしょう。それぞれの観点から、評価できる点は違うのだろうと感じましたが、話題になったのも納得の出来でした。
私は今回、特にアメリカで規制が行われる程の熱狂を生んだ理由の一つに緊張感の妙があると思いました。アーサーの笑いにはシーンごとに様々な解釈が生まれますが、笑いで緊張感を出すという矛盾のある演出が完成されているが故に、一種の洗脳感、没入感を鑑賞者に与えているのではないでしょうか。
一見、彼の持つ憎しみや生い立ちはシンプルな悲劇です。しかし、彼はそれを喜劇だと踊る。ここにも矛盾がありますが、完成された演出や演技に、私も混乱にも似た正当性を感じました。
彼が、時折感情を露わにする描写で人間味を感じましたが、私もその瞬間に洗脳にも似た没入感から、抜ける感じがしました。
気になるのは、やはりノーラン版のダークナイトのイメージが残る上での鑑賞なので、どうしても、元々の箔がぬぐいきれない評価になっているところでしょうか。まったく別物の作品として鑑賞すると、また新しい発見があるかもしれません。
身震いする凄さ
バットマンの先入観なく見た方がよい。
すべてが想像外だった。
ストーリー、BGM音楽、映像,役者の演技すべてが綿密に計算された映画だ。
特に主人公を演じたホアキン・フェニックスは最高の役者だ。
心の変化を繊細に演じ分け、バレリーナのような繊細さで指の先からつま先まで表現しようとしている感覚があった。
何が正義で、何が悪か? 人間社会の矛盾を訴えかけている映画だ。
コロナ渦におけるアメリカの暴動にも少し影響しているような気がする。
近年一番どっきりするすばらしい映画でした。
疎まれること、愛されること、映画の中と外の格差
何も知らずに見た。何も知らずに見ると短絡にとまどう。バットマンおよびその周辺に特別な関心を持たない一般人にとって、ジョーカーとはバットマンの仇役だとの説明がなければ、おそろしく単純化された社会である。アーサーは社会からの疎外を訴えているにもかかわらず、ほぼ彼を中心に世界が回っているからだ。大都市でありながら彼の犯罪/行動が脚光をあび、テレビ出演のチャンスを得る。
もしホアキンフェニックスのいびつな痩身とくぼんだ眼窩と張り付いてしまったような哀憫がなければ、悲しげな弦楽で街並みを眺めているだけだった。見事な街の景色だけれど、彼でなければ、冗長だった──それを、まず思った。観ている中途から懐疑に囚われたのは、なぜ、この映画がアメリカで絶大に支持されたのかについて、である。
演者なかりせば、犯罪者養成コースのおさらいのようだ。それもかなり簡素化されている。
親から虐待を受け、精神病院に療病し、職場から排斥され、殺人を犯し、苛政に社会保障が打ち切られ、養母に復讐を遂げる。
アメコミだから純化されているとはいえ、ホアキンをひとまず棚上げすると、快速で転落してゆく戯画であって、これがなぜ絶賛されたのかが解らない──とは言わないが、弱い気がした。
Gotham Cityの話であることを踏まえなければ相当細部を端折って進むドラマなのである。
心配になってwikiを見た。知らなければ知らないでいいが、得意になってキングオブコメディとの相関性を指摘してしまうところだった──すなわち、この映画は、バットマンの外伝、かつジョーカーの誕生秘話、かつスコセッシ作品群を意識したオマージュ、であることを知ったうえで見なければ、けっこう唐突な話なのである。
個人的には──ごく個人的には、庶民が「そんなことも知らないの」と揶揄されてしまう可能性をともなう映画には多少の権威があると思う。
だがそれを知るとホアキンの演技とバットマン人気とスコセッシへの畏敬が相乗して高評価へつながったと理解できる。ただ、それでもまだ──アメリカ本国のものすさまじい絶賛──を納得するには足りなかった。
そこで思ったのはヒースレジャーのジョーカーだった。
この映画はヒースレジャーのジョーカーから一直線につながっている──と思った。
バットマンも、バットマンの物語も、なにもかもすっ飛ばしてホアキンのジョーカーにつながっている──そう見るとき、前任者の亡霊なくして彼を見ることはできない。
上乗せして肥満だったYou Were Never Really Hereから急降下でガリガリに落とした肉の代わりにヒースの魂が入りこんでいた。
彼の減量はまるで沈黙のアダムドライバーのようだった。マシニストのクリスチャンベイルのようだった。キャストアウェイのトムハンクスのようだった。
加えて、その痩躯に虐待の痕跡を生成していた。走るとき踊るとき、あらゆる動きの端々に、せむしのような、いざりのような、ちんばのような被虐の爪あとをも演じてみせていた。と、言うより、演じる以前に哀しみの身体──としか言いようのない身体をつくっていた。それで納得した。
ただしフェニックスの演技力は解りきった名実だった。誤解をおそれずに言ってしまうならいつもの──いつもながら最高の彼だったのであって、過分な評点にはやはりジョーカー役という人気アイコン加算がある──と個人的には思った。
かえりみて、もっとも感心したことはTodd Phillipsの演出もさることながら彼に依頼したプロデューサーかPlanning Departmentか解らないが、その人である。
わたしにはPhillipsの過去作から、この方向性の演出ができるとは1ミリも解らなかった。恐ろしい慧眼だと思う。
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