ジョーカーのレビュー・感想・評価
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ジョーカーが語る、誕生秘話
ジョーカー自身が語る、誕生秘話。
そんなもの信じられるわけがなく、ストーリーも『悪いジョーク』が繋がれて行くような展開
最後も、2時間真剣に観てきた観客を嘲笑うようなオチはまさにジョーカーの悪趣味そのものである。
ハングオーバーで悪趣味極まりないバカ騒ぎを描いた監督だからこそ描けた、真にジョーカーを描いた作品である。
新たなジョーカー像
初めに、本作は「ダークナイト」で登場したヒース・レジャーが演じるジョーカーとは別物だということを理解して欲しい。そして、現段階では本作と他のDC映画(ワンダーウーマンやアクアマン、シャザムなど)とはクロスオーバーはしていない。なので完全に別の映画として観て欲しいと思う。そして拙い文章であるのも気にしないで貰えるとありがたい。
まず結論から言うと、とても面白い映画であるのは間違いないと思う。ジョーカーにスポットライトを当てるにあたって、あって然るべきダーク要素はとても重厚で味わい深い。
監督のトッド・フィリップスや主演のホアキン・フェニックスについては他の人のレビューの方が詳しく書いてあると思うので割愛させて頂く。
さて、まずはこの作品は闇が深い。そして現代の闇を風刺している...らしい。
私は日本人なのでそのジョーカーに描かれた社会的闇を共感しきることは残念ながら出来なかった。
差別や暴力、理不尽さは今の日本に住んでる私達には無縁とはいかないまでも、あれ程強いものではない筈だ。
それでも面白い。そこがこの映画の凄いところだ。
もし私がアメリカ人で、こういった闇に触れていたとしたら、どれほどこの映画に影響していたかわからない。そこがまた怖いところである。
子供は観るべきではないと言われているが、その理由も意見も概ね納得できるし同感もする。ただ、日本に住む我々は観てもあまり問題ないと思う。
ジョーカーのように失うものがない状態にある人間はそもそも映画なんて観る余裕はないはずだからである。
まぁ、普通の高校生カップルや子供は観るべきではないのだろうが。
本作は暴力的表現から始まる。まずそこで観てる人は理不尽さに憤り、または悲しみを覚えるだろう。
この作品は終始理不尽な悲劇がジョーカーことアーサー・フレックを襲う。そしてアーサーはジョーカーへと変貌を告げる。
序盤、中盤は基本的に差別や悲劇が立て続けて起きている。こうして観てる人に「アーサーはなんて可哀想な人なんだ」と同情なのようなものをさせる。そこが非常に危ない。1度同情し、感情移入してしまうとその後のアーサーが起こす絶対悪であるはずの殺人などを肯定してしまいたくなってしまう。それどころか「私も憎いあの人を殺したら、どんなに楽だろうか。」などと考えてしまう人も出てくるかもしれない。そこが皆が危惧しているところだろう。まぁ、行動に起こす人は日本にはいないと思うが、断言はしないでおこう。
電車で男三人衆に襲われ、自己防衛の為3人を撃ち殺した。
だが、最後の1人に関しては明らかなその場の憎しみと怒りが感じられた。その後正気に戻り、逃げたアーサーは、トイレ?に逃げ込み、なんと踊り始める。ここがまた狂気的だ。
私の意見だがアーサーは一般人でもなんでもなく、元からジョーカーになる素質を持っていた気がする。普通の人は人を撃ち殺した後に踊らないはずだから。
あそこは考察のしようがあるシーンだろう。1回目に観た時は、頭にクエスチョンマークが浮きっぱなしだった。正解がない作品であるため、色んな意見があっていいが、私はあそこで人間的な道徳心にヒビが入り、スッキリしてしまったのだと思う。
その後も母親からトーマス・ウェインが父親という衝撃的な情報を図らずもがな知ってしまう。そしてトーマス・ウェインには跳ね除けられ、母親は狂っていたことが発覚。何もかもがアーサーを傷つける。
母親には憎しみを向け、社会には制裁を加えようとだんだん心が荒んでくる。恋人も妄想という衝撃展開には驚きを隠せなかった。ここでアーサーは完全に変わった。
狂った母親同様に自分もまた、ありもしない妄想をしていた狂人なのだと。
理解してからは気分が良いのだろうか、笑みが絶えない。そして突発的に笑わなくなった。ここもまた思慮深い。
そして序盤の重々しいシーンと対比したシーンが映り出すようになってくる。何回か観て探すしてみると、結構あると気づくのも面白い所かもしれない。
番組に出て、真実をマレーに伝える。マレーの正論に観てる人は反論してしまいたくなる、何故なら我々はジョーカーに至るまでのアーサーの悲劇を知っているからだ。そしてジョーカーは怒りをあらわにし、マレーを殺す。この時のBGMも重要だ。本作はアーサーが絶望や殺人といった少しづつ変わっていったきっかけとなる所には必ずと言っていい程、心臓の鼓動のような緊迫感を思わせる音が流れる。
その音は銃声と一緒に消える。本当に魅せ方がうまい。
そしてアーサーは捕まり、外では暴動が起きる。
一応DC映画なので次回作をやるのかは分からないが、ジョーカー要素を入れる為にバッドマン誕生のきっかけも写されてはいるが、まぁここは正直どうでもいい。
問題は車から降ろされ、讃えあげられるシーンだ。
このシーンでジョーカーはピエロに過ぎないのだと思い知らされた。歴代ジョーカーの中で1番オーディエンスを気にする人間的な物を感じた。
ヒース・レジャーのジョーカーは周りを気にしてはいなかった。ただ、今回のジョーカーは周りが騒いだり、反応したりすることで自分が存在していることを実感し、喜んでいたのではないか。
そういった歴代ジョーカーとは違う新たなジョーカー像を提示し、悲しきジョーカーとして終わった。.........訳でもなく、最後の最後で全て嘘かもしれないという可能性を残して終わってしまう。
ここで今まで観てきたものは一体真実なのか嘘なのかどっちなのだろう。と思い、考えさせるのを促すように終わる。このため、ほとんどの人は終わったあともジョーカーのことを考えるだろう。
だから印象深い作品になっている。
まぁまずは観て欲しいというのが正直な意見である。この映画に酷評をつける人も、高い評価をつけている人もどちらも正解であり、不正解である。
我々はトッド・フィリップスではないので真相もわからずじまいだ。
だから何回観ても違う感想を抱けるのだ。
この作品は人生を豊かにするものではないが、考えることを無意識にさせるので、映画好きでなくとも楽しめる。とても面白い作品であると私は思う。
演技が素晴らしい!
脚本、映像、音楽すべてが良かったです。
何よりホアキン・フェニックスの演技が素晴らしい!
アーサー、妄想の中のアーサー、ジョーカー、と同じ人であり違う人のような演じ分け。
特に階段のダンスと、ロバート・デ・ニーロとのテレビショーの場面が素晴しかったです。
ダンスの場面はジョーカーの解放されたようなダンスと笑顔が印象的であり、映像としてもとてもかっこよかったです。
テレビショーの場面はホアキン・フェニックスとロバート・デ・ニーロ2人の圧巻の演技で、それが現実に起こっているかのような臨場感と緊迫感でした。
5回も観てしまった。
パーフェクト
高い評価を得ている理由はよくわかる。シナリオはもちろん、ホアキンフェニックスの演技、カメラワーク、全てにおいてレベルが高い。細かな意見は言わないが、気分転換や共感を求めて観る映画ではない。
この映画はジャンルがちがう。ある種芸術として見なければならない。残忍な場面とか、暗い映画だとか、評価しない意見もあるが、これはそういう感覚で見る映画ではないだろう。
何も考えてないで楽しい気分で劇場を出たい人は寅さんを見るべき。
遂に本気を出したDC!!
全編ホアキンを観ているだけの映画ですが、撮り方やBGMも良く、雰囲気抜群でかなり集中でき、久しぶりに「え、もう終わり?」と思えた映画でした。序盤で路地裏で蹴りを入れるシーンで、後ろに電車が通ってとても良い画が撮れたと思います。主人公は知識や教養を重んじる人間ではなく、またかなり時間を持て余している印象なので、あまり共感はできませんでした。浴室のシーンはヤバすぎてカットした(エロではない)そうですが、ホアキンはOKで自分が演じたジョーカーは9割カットされたジャレッドは全く納得がいかないと思います。起承転結の結が無いと思いますが、これまでのDCユニバースやエンドゲームよりかなり良かったです。ディズニーと延々と張り合うのは愚かだと気づいて良かった(上から目線ですみません)です。世間の爪弾き者に決起を促す映画ですが、健康保険や年金も廃止されるであろう日米FTA締結時も、ラグビーや「桜を見る会」の話題に踊らされた日本人では、来年オリンビックの裏で更に何をやられようと、決して暴動は起きないでしょう。
ホアキン演技力!
周りに観に行ったほうが良いと言われ今更ながらに観に行きました。
序盤からずっと引き込まれてあっという間にTHEEND。
途中、現実なのか空想なのか判断難しく、色々葛藤ありながらジョーカーが誕生したんですね。
ヒース・レジャーが亡くなって代役いないと思ったけど、ホアキンやってくれましたねー
体まで仕上げてきて最高でした\(^o^)/
名作かつ音楽(音響)も秀逸
映画を観た人の意見が2分されているようですが、忘れてならないのはこの映画がバットマンというコミックスに登場するジョーカーの話であるという点。彼がいかにジョーカーになったのか?がドキュメンタリー仕立てで描かれ、進行して行きますが、架空の人物の物語であり、決して現実の話ではないのです。 とは言え「映画の中の話」では済まないというか、いつでも現実に起こり得るリアルさが充満しています。現実として捉えたら単純にかわいそうな狂人、でもアメコミ映画の1キャラクターとして捉えたら、まさに悪のヒーロー誕生の物語。どちらと捉えるか?が評価の分かれ目でしょうか。
さておき、ジョーカーと言えば当初冷酷でサイコパスな性格の設定キャラクターでしたが、50~70年代は残虐さを抑えたいたずらキャラに、70年代以降は再びダークなキャラクター性に戻っています。そういった意味で、バットマンにおけるジョーカーの設定は曖昧な部分があり、ある意味いろんなタイプのジョーカーが生まれても不思議の無いところですが、本作では薬品の影響で完全にイかれてジョーカーになったという基本設定すらなく、善良な男が社会の被害者としてジョーカーに生まれ変わっていく様が描かれています。またジョーカーにとっての犯罪はジョークであり、それに常にレスポンスをしてくれるバットマンのことを最高の観客、最高のツッコミ役、最高の遊び相手と捉えていますが、そのような関係性に結び付く要素も皆無なため、ほぼこれまでのジョーカー像を刷新しています。
犯罪をジョークやある種のアートのように行う悪党=ジョーカーではなく、社会に見放された人間がやむ無く法を犯して行く様を、非常にリアルに、社会の被害者として描いています。ジョーカーは超人的な能力を持たないので、極悪になるためにたがが外れる理由が必要ですが、そういう意味ではこの設定も個人的には納得。
やっていることはもろ犯罪ですが、最後には「自由になれて良かったね」と思って観ている自分がいました。ただし本作のジョーカーがバットマンと戦う姿は想像できません。
バットマン・シリーズから離れ、1本の単体映画として観た場合、配役、演技、演出、映像、どれをとっても最高の出来です。
中でもHildur Guðnadóttir(ヒドゥル・グドナドッティル)の音楽(と音効)が最高に素晴らしかったです。「この曲を聴くとあのシーンを思い出す」というようなキャッチーさはありませんが、物語のシーンの内容と演技、映像と混然一体となって、胸にダイレクトに訴えかけてくるような音響演出がとにかく秀逸。
最近は何でもかんでも某シンセサイザーの音で埋め尽くされがちなハリウッド映画にあって、さすがはチェリスト!と唸るまさに珠玉のサントラでした(← あくまでも映画の演出としての音楽という意味で、音楽だけを聴いて楽しめるかというと、暗過ぎ・ヘビー過ぎで疲れ果ててしまうでしょうが)。
それにしてもトッド・フィリップス監督はコメディ畑の人だと思っていましたが、いやぁ凄い監督さんですね。
この映画の解釈は幾通りも考えられ、夢落ちだと考えている人もいらっしゃいますが、個人的には、ラスト・シーンがすべての事の始まりであり、アーサーの妄想含め、全てが現実に起きたJoker誕生へと繋がるストーリー(と言っても映画の中の)なのだと思いました。
※ 余談ですが、私は70年代をNYで過ごしました。当時のNYはまさにこの映画に描かれているように、貧困がもたらす犯罪が横行している危険な街でした。沢山の良い思い出がありますが、沢山の悲しい出来事にも遭遇しました。
安全で豊かであるはずの日本でも、子どもの貧困、下流老人、貧困女子などの言葉を聞く機会が増えていますが、社会弱者に対するケアや意識を変えて行かないと、日本でもジョーカーのような人が出てくるかも知れませんね。
さっぶ~
自分とは全くマッチングしない(波風を立たせない表現)映画でした。
かわいそうな境遇のおっちゃんが同僚のおっちゃんから銃を貰うことから始まり色々不幸も重なり闇落ちして人を何人も殺してしまう映画です。
まあそれで終わってりゃそういうお話ですってことでいいのですが(いいのか?)
ジョーカーはあなたの中にもいる…てか、あなただったのかもしれない…こんなかわいそうな事があったんやから暴力に走ってしまったのは仕方がなかったのだ…(マジ顔)
みたいな公式の全体的なノリが寒いな~と思ってしまいました。主語でかくすな!サラッと暴力肯定すな!暴力はアカン!
あと「悲しいのに笑ってしまう」っていう設定が気に入ったのか何回も出てきてもーええ!その設定好きなん分かったから!と思ってしまいました。
いつ面白くなるのかな?と思ってたら画面にThe end の文字が出てきました。
同行者がデニーロのそっくりさんやと思ってたようで笑えました(こんなおもんない映画に御本人が出てるとは思わなかったらしい)。
思春期闇落ち時代に見たらジョーカーは俺だ…(ほの暗い微笑)みたいな感じにハマれたのかな
観た後なんとも辛気くさい気持ちになったので景気付けに美味しいご飯を食べて帰りました。
ユーモアの綱渡り
「人を笑わせるのは、人を怒らせるのよりも難しい」と祖母が言っていたのを思い出した。本来は誰か笑わせるためのユーモアも失意や悲しみの中では凶器にもなり得る。ユーモアとはそれだけに儚く、脆いものなのだ。そして、本作の主人公アーサーのユーモアは喜劇と悲劇の間を綱渡りする。これが“ジョーカー"というキャラクターが道化師である所以なのかと頷いてしまう。
本作の見事な点は誰しも悪に染まってしまう怖さを描いた点ではない。誰しも悪にならされてしまうかもしれない、というところに本作の面白さがある。喜劇に転げ落ちるのか、はたまた悲劇に転落するのか?善人が悪に堕ちるという作品はこれまでにも数多あったが、アーサーは悲劇という階段を転がり落ちるどころか、むしろ上り詰めていくことで喜劇にして見せている。悲劇と喜劇は表裏一体であり、どちらの方向から見るかによって、見え方が異なってしまう。それは時に善悪にも当てはまる。たとえ合法的な行為であっても、たとえ反社会的な行為であっても、単純にその善悪を決めきれないこともある。
言うまでもなく、本作はバットマンの宿敵“ジョーカー”の誕生までを描いた作品であるが、それと同時に我々が知るあの“ゴッサムシティ”誕生までを描いた作品と言っても良い。一人の人物の登場によって、あるいは一つの出来事によって、世論は、メディアは、そして社会はいとも容易く変化する。そして、この恐さ、この愚かしさ、このバカバカしさの根源は一体何なのだろうか?と観客に問いかける。
コミカルに見せるラストシーンを笑って済ますか、不謹慎と見做すか、あるいは憤りを感じるかは観る者によって違ってくるだろう。だが、そのいずれかの感情を抱いたとすれば、それはジョーカーの術中にすっかり嵌ってしまったということであろう。
観賞直後は良かった、んだが
そのあとに「パラサイト」や「屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ」等を見たら、めちゃくちゃ上品な作品に思えてしまった。
ジョーカーとして覚醒した後、世間は彼をヒーローかのように担ぎ上げて拍手喝采、だが
「パラサイト」「屋根裏の〜」はそれに比べてどうだ。
特に「屋根裏の〜」は事実に基いた話であり
こんなにも救いがないなんて。
現実はもっとつらい。
上記2作品に比べると、「ジョーカー」は前向きで希望の持てる作品にすら感じてくる。
なんなのだろうか
映画『ジョーカー』を観てきました。
皆さんの評価はやたらと高いようですが、わたしにはとてもそれほどの作品には思えませんでした。
ベネチア映画祭の金獅子賞という触れ込みですが、この種の映画祭にはありがちな、判り難い映画です。判り易ければいいと言うものでもありませんが…。
恵まれない境遇にあるアーサーが、凶悪なジョーカーへの変貌していく過程が描かれるのだが、そこで主張したかったのは何なのか。
理不尽な暴力に晒されて、地下鉄の中で3人の証券マンを殺すことになるのですが、それも、結局銃を持っていたがために、偶発的に殺してしまい、そのことにより、また自らの怒りが増幅されたように見える。
また、母親の問題の絡んでおり、バットマン(ブルース・ウェイン)との因縁なども描かれているのだが、とても感情移入できるものではない。
根底にはゴッサム・シティにおける格差の問題が大きく横たわっているのは判るのだが、それならそれで、別の描き方があるように思う。
アメコミ映画というジャンルを超えた社会派映画
本年度アカデミー賞本命と話題の本作
格差社会の中、職を解雇され日常生活でも問題抱え窮地に追い込まれつつも、夢を持ち続け生き抜こうとする、変わり者と他者に受け入れられないアーサーに共感、胸を締め付けられた
アメコミ映画というより社会派ドラマとしてズシリと心に響いた
人と違う一面覗かせ周囲から冷めた反応されても、見下されても夢に向かって挑戦続けるアーサーの様な人物と思い合い平等な社会になるよう切に願う
監督はホアキン・フェニックスにアーサーを演じてほしくて脚本を書き、ホアキン・フェニックスは人生は簡単ではない事を描きたかったと話している
様々な角度から社会問題を取り上げ、何故アーサーはジョーカーになってしまった背景が描かれており、興味深く惹き込まれた
魅力ってのはこう言うことをいうのさ、、、
たぶん誰もが知っているヴィラン。ジョーカー。
初登場は今からおよそ80年前(wiki調べ)マジ?w
それなのにこんなにも洗練されていて人々を引き付けるのはなぜなのか?
初めてジョーカーを観たのは小学校の頃に上映された(年齢がバレるw)「バットマン」を見た時に全身タイツの様な男(バットマン)と真っ白な顔の男(ジョーカー)が闘うという内容をみて「ふーん」程度の感想であった。特にバットマンはダサいし、ジョーカーもヤバいダサさを子供ながらに感じていたし、ストーリーも追いかけている様で理解していなかった模様w
しかしサントラはカッコよくずっと聞いていた模様w(バットマーン♪)
なので「バットマン・ビギンズ」はスルーw
しかし何を思ったのか「ダークナイト」のパッケージのカッコよさに劇場へ。
たぶん史上最高のジョーカー(ヒース・レジャー)を目の当たりに、、、。
「昔見た白塗りのぼってりしたおっさんとえらい違いやw」
シーンから滲み出る悪のカリスマ性がとにかくカッコよく、夢中になった。
今作の評価とはズレているかもしれないが、ジョーカーのそんな魅力がホアキンにもしっかりと息づいており、ワンシーン事にジョーカーに近づいていた。
原作とは(原作も設定があっちにいったり、こっちに行ったりしているらしいですが)設定が大きく違い、かなり母親想いであったり、色々と哀しいないようがあり徐々にダークサイドに堕ちてしまった様なニュアンスが感じられ、その点では違和感(ジョーカーは根幹にはとんでもない悪が潜んでいるイメージ)がある。
とはいえ、ホアキンの役作りには驚きを隠せず、裸のシーンではかなりの減量にちょっとびっくりした、また笑うシーンでは最初は気になっていたが、次第にそれさえもスムーズに受け入れている自分がいた。
大きな出来事が起きたりする事はないが、いかにして世界中の人を惹きつけて止まないヴィランが誕生したのか?
またあなたはこれを見て何を感じるのか?自分は少し泣きそうになったw
今までこのジョーカーという役に多くの俳優が命を削ってきたが、今回もその演技に震えると思う。もはや演技ではないとも思う。
まだまだこの魅力的なヴィランは多くの人を魅了していくと思うが、出会った時から以上に長い間付き合っていく事になるだろう。
もしも自分が…
怖かった。ホラーとかそういう怖さではない。
誰にでも辛いこと苦しいことはある。些細なことなら乗り切れるが、ごく稀にそれが積み重なり嫌になることがある。だが、家族、恋人、あるいは友人が救ってくれる。
ただ彼は違う。友人に裏切られ、恋人に裏切られる(現実なのかはわからない)。そして最後には家族にも。
そんなこと耐えられるわけがない。
アーサーという優しい1人の人間が転落する物語のように見えるが、それは違う。
これはアーサーの成長と成功の物語だ。
「この人生以上に硬貨(高価)な死を」
この言葉の通りアーサーは高価な死を(生物としてではく人間として)手に入れることが出来たと、目的を達成できたと考える。
音楽も演技もとても惹き付けられた。
隣の女性は終盤顔を覆うことが多かったし途中で女子高生は退出していた。
適当な気持ちで見るとただ辛いだけで終わってしまうと思う。
世界のどこかでJOKERの種は芽生えようとしているかもしれない。そう思った。知らない誰かかも、日本人かも、友人かも、家族かも、私かも…。それが、怖い。
ジェスターと死神
持たざる者の怒り、隣人の無関心、社会の不寛容……。鬱屈とした現代社会を読み解く上で重要なヒントが描かれている映画だと感じた。
ジョーカーはニコルソン版のように殺人すらもジョークにしてしまう恐ろしさ、ヒース版のように出自や過去が明らかでない純粋な悪として描かれるキャラクターであり、本作はその誕生譚だという認識で鑑賞したのだが、良い意味でそのイメージは裏切られた。この作品で誕生した「ジョーカー」は、『バットマン』におけるキャラクターとしてのジョーカーではないと感じたからだ。
本作のアーサーが殺人を犯す動機は明確である。不当な暴力に対する過剰防衛、自分を陥れたものへの復讐が彼を殺人へと向かわせるものであり、自分を不当に扱わなかった同僚を見逃すなど、アーサーは自身の中でしっかりと線引きをしている。鑑賞直後は、このアーサーと今までのジョーカー像が結びつかず、ラストシーンに若干唐突さを感じてしまっていた。このレビューの中にも「バットマンのジョーカー」でこの作品を描く必要がないと指摘している方もいたが、私も同意見だった。アーサーの悪行を見ても、この後行うであろうジョーカーの悪行よりかは、ある意味理解出来てしまうのだ。
しかし、この映画はやはりジョーカーの誕生譚であると思い直すようになった。作中の「善悪は主観である」というアーサーの言葉がジョーカーのキャラクターとしての本質を鋭く指摘した表現である。ジョーカーはこの世の「悪」を象徴した存在であり、彼は「悪」を行うことで、我々の「善」を揺さぶる存在なのだ。本作で善を語る者=マレーの偽善をアーサーは指摘する。マレーを射殺したのは自信を嘲笑されたことへの復讐かもしれないが、それはあくまでも、自分の周りを圧倒的に支配する、「善人」によって構成された社会への明確なアンチテーゼである。ジョーカーの悪行はあくまでも手段でしかない。ジョーカーは「善」「倫理」「人間性」という、不確かだが多くの人々が信じているものを否定しているのだ。「お前が『善』と思っているものは、『真の善』ではなく、ただの『主観の善(偽善)』ではないのか?お前は『善人』なのか?ただの『偽善者』じゃないのか?」本作のアーサー=ジョーカーはこう私に投げかけてくるように感じた。
トランプのジョーカーに描かれているのは宮廷道化師、ジェスターと呼ばれる人物だ。ジェスターは王、為政者を批判するために王宮に召抱えられたものである。王とは自身の人生を歩むことのできる者であり、封建制度が崩壊した現在を生きる我々は自由に自己を表現できる「王」である。現代社会には、傍若無人な「暴君」が多く存在するように感じる。そんな中で、我々はは「名君」として、他者と寄り添い、より良い社会を作りたいと願ってやまない。そんな我々に「善とはなにか?」「人とは何か?」と、ジョーカーは常に問いかけている。
守るものがあるということ
社会生活を営む人間は、守るものがあることで常にルールに縛られていということを意識させられる映画。
強い者とは守るものが多い者である。
ルールを守ることによって人はその持ち物は守られている。
それに対して弱い者がとりうる抵抗、自分の存在を主張する手段とはノーガード戦法、ルールを無視した戦い(テロ)である。
人は、特に映画館に足を運べるような層は、守るものがあることの幸せさを知っていて、身近に壊されたくないものがある。そして、守るものがない人に対して同情できる。感情移入できる。
一方で、自らが抑圧されている存在として、憤りもあるし開放されることへの憧れもある。
ゆえに、JOKERに対して相反した感情を持たされる。
強すぎてとてもストレスのかかる映画であったが、観る価値のある映画であった。
不幸の連鎖が招く悲劇
周りに凄く良かったと言われるほど足が遠のいていた作品。
信じていた者に次々と裏切られていく姿が切ない。たぶん裏切られていくだけでは、ジョーカーに成り得なかったのかなと。
彼が抱える不満と彼以外の人が社会に対して抱える不満がマッチし、彼が暴動の象徴に祭りあげられたことで、ジョーカーが誕生したと思いました。
ただし、ジョーカー自身は社会に異を唱えるとかには興味なくて、あくまで自身の不満が中心になっているのが、僕たちの知る一匹狼のジョーカーの姿を上手く表しているなと感じます。
ただ、この作品は、ジョーカーがどうなるのかというオチを知っているからこそ、その過程を楽しめる作品で、ジョーカーを知らない人が観たら少し長く感じる部分もあるかもしれません。
是非劇場で確認してみてください❗️
エネルギーがある映画
これほどすごい映画とは思わなかった。
ずっと前に観た、コッポラの「地獄の黙示録」を観た時のような怖さと、迫力と、エネルギーを感じた。
もともと教訓じみた映画は嫌いなので、人間の狂気とか悪とか、ドロドロしたものを描いているこういう映画が好き。
主演のホアキン・フェニックスの演技は、素晴らしかった。
ここまで魅せられるのか…
「たった1人」に焦点を当てた
映画は多々あれど、この
スポットの当て方は新しい。
従来のバットマンを想像すると
少し違った印象になり賛否両論だが
ジョーカーと言うモンスターが
なぜ生まれたのか…?と言う
解決に焦点を当てると、
これほどまでの見応えになるとは…
見終わった後に
爽快感は無いものの
妙な開放感と解放感があった。
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