ジョーカーのレビュー・感想・評価
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そして彼は脚光を浴びた。
燃え盛る炎と車のライトで彼を照らし
ピエロの面を被った暴徒達を観客として虜にした。
彼を「かっこいい」と思ったらいけないと思っていても、
その魅力は人間の本質に触れているからこそ
彼の人気は衰えることは無いんだと感じる。
すごかった
見終えてから1週間たつのだけど、心にべっとり貼り付いてはがれない。ムキムキでもなんでもなくても立派な悪者になれる。もう一回見に行かないとまずい。
地下鉄で殺人を犯すアーサーが、人を殺めた事に対して後悔や良心の呵責が一切なく、単にすっきりしていたことに驚いた。
爆笑問題の太田光さんが以前から、表現で殺人を行う人を「底が浅い」「誰でも思いつく」「センスがない」と批判していたのが思い出される。アーサーは最終的にテレビで司会者を殺すという表現を選択する。リハーサルでは自殺だった。まさしく、太田さんが批判していた行為なのだが、この映画はそういったセンスのない浅い考えに深く寄り添う。逆に言えば浅くてセンスがない人は、世間をびっくりさせるために他にどんな表現をしたらいいのだ?と思わせられる。
(追記)
初日に見て以来、毎日今もこの映画について考えているのでもう一回見て来た。
アーサーはコメディアンをいい年こいたおじさんが、青年のように目指している。舞台に立ったことは一度もなかったし、ネタも全然面白くない上に、いじられ耐性がゼロ。芸人に向いているかないかで言えば、全然向いてない。風貌も不気味で怖い。主人公だから好意的に見ていたのだけど、2回目は努めて冷静に見てみたらそうだった。殺人に全く後悔がなく、危険人物だ。
シングルマザーのヒロインとの関係が妄想だったと聞いて、気を付けて見たらネタバラシの表現が非常にさりげなくて、注意してなかったら2回目でも気づかなかったかもしれない。最初に一緒にエレベーターに乗った場面、部屋のドアのところでストーキングをしたのか聞かれた場面、彼女の部屋に侵入して出て行くように言われた場面だけが現実ではないだろうか。
地下鉄で3人を射殺する時に弾が多いなと思っていたのだけど、数えたら8発だった。
完璧な前日譚
JOKERのメイキング動画が初めて流れた時、
正直面白くなさそう、ホアキンフェニックスだし
意味のわからない映画になってそう、
と思ったけど、
こんなに自分の中に入って来るとは思わなかった。
とにかくホアキン・フェニックスに
魅了され支配されて圧倒される。
キャラクター物の映画って、
例えばヒーローがいて、相手役の悪役がいる事で
その中で誰が好きというのはあったけど、
ただ一人のキャラクターに心奪われるなんて
事は初めての体験かもしれない。
暴走して行く主人公に「行け!」「やってしまえ!」
と思う自分がいた。
演出は控え目のように思えたけど、
かえってそれが主人公を立たせ、
不気味で主人公を取り巻く物事が派手に思えた。
音楽もめちゃくちゃ良かった。
音も印象的だった。
完璧な前日譚、完璧なジョーカーだったけど、
今後、ホアキン・フェニックスは
我が道を行きそうだけど、
DC、バットマンはどこへ向かって行くのだろう…
見る目も完全に変わっちゃって、
これからどうやって見れば良いか困ってしまう。
ジョーカーに音楽あり。
映画を観る時、目に飛び込んでくる映像だけでなくその背後で流れる音楽やメロディーに身震いした経験は誰にでもあるのではないだろうか。
あまりにも有名となった、主人公アーサーが赤いスーツに身を包み道化のメイクで踊り狂い階段を降りてくるシーンは私にとってまさに身震した経験の一つと言っでもよい。背後に流れるゲイリーグリッターのRock aod Roll PartⅡは1970年代に英国で大ヒットしこの映画をきっかけに世界中の人が再び知る事となったロックナンバーである。
そこで私には1つ気になる事が。
あのシーンの動きはホアキン フェニックスのアドリブとも聞いたが、実際主人公アーサーの脳裏にあの曲が流れていたのだろうか?そうでなければ、映画自体のバックグラウンドミュージックなのか?当たり前の事だろうけどアーサーの動きと音楽は絶妙にマッチしている。そこで私は自分の頭の中で、ある事を試してみることにした。非常に邪道な試みだ。
あの背景に流れる曲が、別の曲だったら?
全ての不幸を背負い惨めな青年アーサーを突き抜けた狂気で洗練されたように魅せるのは可能なのか?
自分なりにアップテンポで踊り出したくなるような有名どころを選曲をしてみる。
まずはローリングストーンズのStart Me Up。ちょっとタイトルもテンポも陽気過ぎる。これだとジョーカーがキャラ変してしまう。
それならレッドゼッペリンのRock aod Roll はどうだろう?テンポが速すぎてアーサーは踊り狂うどころではない。階段から落ちる。
当然だけど、やっぱりなんか違うよね。
じゃあ、キンクスのYou Really Got Meはどうだ!.....。
もうこれ以上言うと、トッド.フィリップスやホアキン、その他大勢の人達に激しく怒られそうだからやめておこう。
やっぱり映画ってすごいな。すべてが監督のセンスで計算されている。そこに主演であるホアキンフェニックスの感性が生かされるのだから、賛否はあっても、私はどうしたってこの映画は凄いと思ってしまう。
因みにアーサーが道化をクビになり去っていく場面。壁の落書きDon't Forget Smile(笑顔を忘れるな)のForgetを書き消し、Don't smile(笑うな)に書き換えるあのシーン。背後で流れる曲のタイトルはMy Namd is Carnival(私の名はカーニバル)だそうだ。道化を解雇された男の背景にそのタイトルの曲って、それこそ、身震いする。
ホアキン・フェニックスの背中
ジョーカーではなくアーサーの物語
新作を見る前に復習。
しかし、あれ、ジョーカーってこんな感じだったっけ?
どうやら私の記憶はダークナイトのヒースレジャージョーカーの印象が色濃く残り、こちらのジョーカーの記憶はそこまで残っていなかったもよう。
可哀想なアーサーよりも、サイコパスなジョーカーの恐ろしさの方が、印象深かったからかもしれない。
きっと最初に見た時も思ったかもしれないけれど、ダークナイトのジョーカーとこちらのジョーカーは別物だ。
思いつく世の中の不幸をかき集めて、ぶつけられたかのような生い立ちと毎日を過ごしていたアーサー。
抜け出したくても抜け出せない日々で、もがき続ける彼の姿を演じるホアキンが壮絶すぎた。表情や目線ひとつで、彼の不安定な心を見事に表していたし、彼が心から面白いと思って笑う笑いと、笑いたくもないのに笑う笑いの演じ分けがすごくて、だんだんホアキンはこの撮影中病まなかった心配になってしまうレベル。
最後のシーンは、ヴィランが誕生したにもかかわらず、神々しくどこか自由で、今彼はこの世に生まれ落ちたかのような演出はとても好きだった。
ほぼ作中の8割は暗く惨めで、気分が落ちている時に見ると持っていかれそうになる人もいると思う。
ダークナイトのジョーカーを期待していると、こんな過去なら知りたくなかったと思う人もいるはず。
私は猛烈にダークナイトを見直したくなった。
悪のカリスマ誕生の衝撃!
これはすでにアメコミ映画ではなく、今まで見てきたバットマンシリーズのジョーカーとは異質であります。結末に衝撃を受けるか。完璧な悪役ジョーカーの誕生に陶酔してしまうのか。い、いやこれは非常に危険な結末とも言えますね。
悪のヒーローが誕生したのである。現実社会でも、ジョーカーは受け入れられ、誰にでもなれる可能性をも秘めている。社会から認められられず苦しみ、格差社会を恨む人たちにとってジョーカーはカリスマとなり教祖に成りえるかもしれない。正直、映画の後半は現実なのか空想の世界なのかが混乱して分からなくなりました。それほどまでに、この映画が訴えるメッセージが現実社会と重なってしまい衝撃的なのです。
これまでもジョーカーを描いてきた作品はたくさんありました。でもそこには正義のカリスマであるバットマンが存在して、均衡が取れていたのです。あの『ダークナイト』でヒース・レジャーが見事に演じたジョーカーですら、最後はバットマンに倒されるのです。でも、本作は、心優しい男が悪へと堕ちていき、悪のカリスマとなっていく過程のみ描かれています。そこに正義は全くなく正義を抹消してしまったようです。
映画は冒頭からラストまで、ずーーっとうす暗く、もの苦しく、何かどっしりとした重い感覚が付きまといます。アーサーへの仕打ちの数々が本当にひどすぎて目を背けてしまいたいくらい。重い感覚にプラスして、頻繁に発せられるアーサーの笑い声は、観終わった後も聞こえてくるほど印象的です。そしてアーサーのダンスも印象的でした。
そのアーサー&ジョーカーを演じるのは、ホアキン・フェニックスです。役作りのために約24キロの減量をしたその姿は、劇中で背中が写るシーンで見せる痩せ方は異常なほど。ヒース・レジャーもそうでしたが、何かジョーカーを演じるには命を懸ける宿命があるように思えてなりません。それほどジョーカーを演じるのは大変ですが、そこまで自身を追い込むべき魅力があるんでしょう。本作はまさに、度肝を抜くホアキン・フェニックスの狂気的な演技に尽きます。
唯一この映画で救われたのは、バットマンの誕生を一瞬でも描いてくれていたことでしょう。あぁ、このままゴッサム・シティは悪の街になり果てるのか…。と思った瞬間に1つの光も誕生してくれたのです!
僕の人生は喜劇だ
当時、映画館で観ましたが、再上映にも行ってきました。
アーサー(ジョーカー)を演じたホアキン・フェニックスの表情の演技に脱帽です。
笑ってしまう症状を持ち、悲しいのに笑ってしまう難しい役どころをしっかり演じたのは凄すぎます。
体型も痩せぎすになってますし。
母親の衝撃の事実や、拳銃をポケットに忍ばせてるのが職場にバレて徐々に追い詰められていくアーサー。
地下鉄で会社員を銃殺してから、彼は変貌していきます。
他の方も言ってますが、終盤のピエロメイクを彼だけは直接顔に描いてますよね。
ジョーカー信者たちはお面ですが。
マレーを演じたデ・ニーロはあっさり殺されてしまいました。
ホアキンはこの映画でオスカーを受賞しましたね。
続編も製作中らしいので、楽しみです。
ホアキンの演技力
ダークヒーローの誕生秘話
タイトルなし(ネタバレ)
正気でいることは綱渡りのような世界
そこのギリギリの所にコメディのようなものが存在していて 悪意と憎悪を笑いに変えて この世界は危うくバランスを取っている。
世界中で貧富の格差が拡大することを反映した映画が作られている。万引き家族や予告で流れたパラサイト 地底人のUSなど…
金持ちの恐れるのは「奴隷」の結束 だから、差別やヘイトスピーチなどがあるのは
金持ちからしたら願ったりなんだろう。
「ボラット」なんかに関わった監督ならではの映画か…それでも されを見事映画というshowに落とし込んでいたと思う。
他のレビューでもあるように こんな哀れなおっさんがJokerではない。はたしかに
。だが 精神を病んだ者は頭が良すぎる事が原因であったりもする。妄想を造り上げる強さもある。また、勘も鋭かったりする
どこかにそれをちらっと表現するシーンがあったりしたら…とは思えた。
ただ…果たしてこのJokerがあのJokerなのか…というのは…最後のシーンで意味を持たせて終わる。まだ続きがあるってことなのか…
映画としては 良かった。決して拍手喝采ではなかった。 たしかにホアキンJokerは観てて辛い
自分の中の「負の感情」が変に刺激されてしまうんではないか?という憂...
社会の悪意が「ジョーカー」を生む
ジョーカーを観て、真っ先に思い浮かんだのは数ヶ月前に観た【存在のない子どもたち】と「結愛ちゃん虐待死事件」。前者は「ぼくを愛して育てられないのなら、産んだ責任をとってもらう」と両親を訴える子どもの話で、後者は記憶に新しい連れ子を虐待死させた凄惨な事件。
根底に共通するのは児童虐待。上のルポを読むまで知らなかったが、雄大被告が暴力と異常なしつけに走った遠因は、子ども時代に受けた暴力が根底にあった。頭蓋骨が陥没するまで父親に殴られたことがあるという。
ジョーカーことアーサーも同じように子供時代に虐待を受け、それがそもそもの不幸の連鎖の原因にある。
この映画は、独りの人間をいくらでも助けられる瞬間があったにも関わらず、それをしなかったたくさんの悪意が、ジョーカーを生み出してしまったことを描いている。
ジョーカーことアーサーは、脳に受けたダメージにより突然笑い出してしまうという疾患を抱えており、多少奇行じみた行動をとるものの、至って普通の情動を持つ人間だった。それを他人や同僚、職場の雇い主たちの心無い悪意が蝕んでいく。
そして何より父かもしれないと心の拠り所にした人物(バットマンの父親)や憧れの人に、邪険にされ晒し者にされた瞬間、彼の「他人にいたわりや優しさを求める心」は崩壊するのである。
緊張したり悲しんだり苦しいときに限って笑い出してしまうことが、彼の悲惨さをより強調する。鑑賞後はどうしたってアーサーに同情してしまう。
もともと人間社会は平等などではない。持たざる者と持つ者は生まれたときから決まっている。努力ではいかんともしがたい格差がそこには横たわる。持たざる者が少しおこぼれをもらおうとしても、持つ者はそれを阻む。ほとんどの者が「持たざる者」である社会で、「この話は私のことだ」、もしくは「私はジョーカーになりえる」と感じた人も少なくないのでは無いか。
であれば、その平等ではない社会をぶっ壊す権利はあるのではないか?というジョーカーの主張に、どう反論すればいいのだろう。彼の言う「人は自分の判断基準で生きるべきだ」という考えが蔓延した社会は、所謂無法地帯である。
しかし法というものは、それが無いと人間社会が成り立たないから皆で守っているだけであって、必要があれば変化していくものである。
であれば、「生まれたときから他人によって決められた法を、なぜ自分が守らなければならないのか? 社会が、『自分を無視し、不必要で消えていい存在だ』と追い詰めるのであれば、自分がそれに反抗して何が悪いのか」とジョーカーに問われれば、答えに窮する。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに「自分(または自分の大切な者)が殺されたら困るから」という答え意外に、実際何があるだろうか。
そこで立ち返らなければならないのは、アーサーは元々は「ハグして欲しい」という小さな願いを持った不器用な人間だったということ。
現実の殺人の動機がニュースで報じられると、「こんなことで」と言われることがよくある。でもそのたった数行の裏に、何年も積み重なった恨みや一言で言い表せない人生があったことを考えなければならない。先天的に人を殺したくてたまらないという衝動を抱えて生まれる訳ではなく、人とつながり、優しくされたいと欲する心の方が先にあるのだから。
他愛ない笑顔や挨拶、ちょっとした労りで誰かの心を一瞬でも救えるのなら、それで救える悲劇もあるのではないか――。
ダークナイトのノーランの世界を踏襲したとことん重い世界観ではあるが、ヒース・レジャーのジョーカーとはまた違う生々しさがあった。
冷蔵庫
ラストシーンの時系列と意味をずっと考えていたんだけど、ストーリーを追っていくと途中に違和感のあるシーンがあることに気付いた
そう、アーサーが冷蔵庫に入るシーンだ
あのシーンだけがいやにストーリーから浮いていて、次のシーン (マレーショーへの出演依頼の電話)へ急に飛ぶ、そこからジョーカーへ急激に変貌する
そして、ラストシーン
白い面談部屋で「ジョークを思いついた」といい、血の足跡を残し、逃亡を試みる
清潔な白い部屋・・それこそ冷蔵庫の中なのではないだろうか
冷蔵庫に入ったアーサーはあの中で自問自答を行い、ウェインの子供のビジョンから「ジョーク」を思いつき、ジョーカーとして覚醒したのではないか
そこでアーサーの物語は終わるので「THE END」と出たと。
(もしかしたら、冷蔵庫に入ったのは自殺するためで残りのシーンはアーサーの死ぬ間際の妄想かもしれないけど)
それならば、冷蔵庫シーンは不必要なシーンではなく、アーサーの物語とジョーカーの物語を繋ぐ (それこそ生まれ変わるための胎内回帰も現してる)、最も重要なシーンだったんじゃないかと思った
ダークナイトシリーズは全てジョーカーのジョーク
知能障害、虐待により記憶障害と精神障害を抱え、妄想癖がある為記憶が常に曖昧である。
彼は精神病院に入院している。
(冒頭に病院にいた事は話してるが、一連の話からすると病院から出ているとも思えない。)
テレビが好きで、良くその真似事をする。
幼い頃受けた記憶が閉ざされているが、潜在的に母親を殺したいとずっと思っていた。
(母親の座る位置のソファに銃口を向け発砲している)
映画を見る上で、最低限それを頭においてみてないと、他のレビューの人のようにただのおっさんが闇堕ちしてあのダークナイトのジョーカーになったの?あれが悪のカリスマ?全然繋がらない!別人じゃない?とかいう感想になってしまうのだと思う。
繋がらないのもそのはず
闇堕ちしてあの、ダークナイトのジョーカーが生まれたわけじゃないから。
ジョーカーの映画はどこまでが現実か妄想かが分からない虚ろな世界観を描いているが、そもそも彼のいる世界が本物で、ダークナイトシリーズその物が彼が作った妄想の世界だから、ダークナイトのジョーカーは彼の頭の中にしかいない。
だからあの世界には
もちろんバットマンもいない。
善良な優しい金持ちもいない。
善良な市民もいない。
あのゴッサムシティもない。
ジョーカーなどという人間もいない。
アーサーのした殺人は母親としいて同僚だけかなとおもう。
(ピエロじゃない状態、銃以外で殺してるから。)
それ以外の一連の殺人は妄想や、別のピエロがやったものではないかな。
とにかく始終妄想が多いので、妄想かもと思って見てないと現実とか区別つかなくなる。
良く精神異常の犯罪者の人がいう現実かなんなのか分からなくなっていうその感覚が映画になってるみたいな気がする。
映画内に出てくる市長、拳銃で撃たれた金持ち親子が彼の妄想が生み出す後のバットマンで、あの街がゴッサムシティのモデルなんだなとおもうが、あれは彼が事故にあって横たわってる間の話なのでそのシーンはアーサーからは見えてないことなので、つまりそこすらも彼の全部妄想かあるいはテレビで見てそこからの妄想のなのかな?
最後に彼は精神病院でジョークを思いついたといって、それを言っても理解出来ないといっているが、あれはあのカウンセラーに言った言葉じゃなく、映画を見てる観客に言っているのだと感じた。
カウンセラーは結局自分事にならないと当事者の気持ちなんて分からない人、分かった気でいる人、傍観者の立ち位置として描かれてて、まさに映画をみに来た人にむけてあなたはこのジョーカーの映画を、ダークナイトシリーズを理解出来ない人だよと言ってるみたいな。
自分も含め、分かった気でいる、分かってない、分かろうともしない、っていうのがレビューを見てもわかる通りそれを物語ってるというか。
ダークナイトシリーズは人の裏が描かれてて、善良な市民すら簡単に悪になれるし、正義すらそれは可能だと皮肉ったとこがあるが、皮肉った映画らしいセリフだなと。
ジョークのオチは?ってセリフがあったが、あれもダークナイトシリーズ(バットマン)自体と、「ジョーカーのジョーク」ってのがそれかなぁ?
じゃないとホントにオチがつかないし。
今回のジョーカーに出てくるものはダークナイトででてくるし、この監督が作った他の作品の物が出てくるのがああ、妄想の元はこれかってなった。他にもあるのかもしれないけど
銀行強盗=アパートの女の人の仕事場
金(お金が無い)
ピエロの面を被った手下=暴動のピエロ達
爆破した病院=母親の精神病院
たった1人の善良な人(囚人)=小人症の彼
お金持ち
執事
理不尽な雇い主=悪のカリスマジョーカー
親が殺された子供=バットマン
地下鉄=モノレール
車=バットマンモービル
拳銃
タイムカード
ダークナイトのジョーカーのイカれてる部分や、辻褄が合わないのも、アーサーは知的障害があるから、高等な事は理解が出来ないことがジョーカーの中でえがかれていたが、妄想部分のダークナイトの矛盾はこの部分があるせいなんだ伏線?が回収された感じ。
ダークナイト冒頭で銀行を襲ったのはお金が欲しいからのはずなのに、マフィアの金を山積みにして燃やしたり。
手下をあんなふうに殺してたら、誰もついてこないのになぜか手下になるやつがいたり。
金持ちが貧しい人の為に利益や知名度を考えず善意だけで何かをする世界だったり
そんな矛盾点はこれを見ることでああ。なるほどとなんか納得した。
何も知らず
CMや映画通の先輩の勧めで何も知識なく観に行きました!
あんなにも人が殺されると全く知らなかったので最初理解するのに一苦労でした。バッドマンを復習してから観たほうがいいですね…
ホアキンの怪演は想定外、作品の質は想定内。
ホアキン・フェニックス。今は亡きリバーフェニックスの実弟。兄が亡くなった時に、落ち込むホアキンに映画関係者から渡されたビデオが「レイジングブル」。そう、主人公アーサーが憧れるマレー役、ロバート・デニーロ主演の不世出の作品である。このエピソードを聞いてしまったら、映画ファンとしてこの邂逅を逃す訳にはいきません。
で、観賞した訳ですが、結論から申し上げますと、やや期待はずれの印象を持ちました。ホアキンはもちろん、
怪演してます。が、悪の化身であるJOKERとしてはハズれている気がしました。すみません、、。
1番違和感を持った箇所ですが、衝動的に3人の証券マンを殺してしまうところです。私たちはJOKERに凶暴性とそれと同じくらい知的な部分(カリスマ性)を求めています。やや短絡的ではないだろうか?と思ってしまいました。
マレーを殺すことにより、JOKERはカリスマになったわけですが、やはりそこに至るまでの心理描写がやや大雑把に思えました。クリストファー・ノーランやスタンリー・キューブリックなどと比べると、脚本に深みが足りないと感じました。ダークナイトのJOKER役、ヒース・レジャーはやっぱり最高であることも改めて認識しました。
いずれにせよ、ホアキンの演技は劇場でみないと損しますよ!狂気のひとこと。
デニーロもさすがの演技でした!で2名の俳優と音楽が良かったので、及第点。
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