「反対側の「よこがお」」よこがお ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
反対側の「よこがお」
基子が暗い公園で街灯を背に語りかける場面がある。
顔だけが真っ黒で話し声だけが聞こえる異様な感じだ。
僕たちは、表の顔とか、裏の顔といった表現をすることがあるが、実は、それは、どちらも正面の顔の半分で、裏も表もない、本人そのものではないのか。
半分黒で半分緑の髪の毛のように。
市子とリサ、基子の歪んだ愛情の二面性が中心となりストーリーは進むが、米田や辰男が関わることで、人間関係に複雑さ、いや、歪みが加わって展開する。
抑揚のない会話や、会話に似つかわしくない、けたたましくなるチャイム、車のクラクションが不釣り合いに大きく響き、「淵に立つ」で感じたようなイライラが止まらず、不条理な結末に一層の不安感が高まる。
影で真っ黒な顔で話す基子は、自分の本当はどっちでしょうかと、僕たちに謎かけしていたのだろうか。
不条理とは、偶然起きるものではない。
不条理の原因は、僕たちにも潜んでいて、いつの間にか、その沼に引きずり込まれてしまっているのではないか。
表の顔も裏の顔も実は、半分半分の顔で正面を向いていて、どっちも自分そのもので、その都度、「よこがお」を見せて生きているに過ぎないのではないか。
そして、そんな「よこがお」を持って使い分けているとしたら、それによって惹き起こされる不条理から、僕たちは決して逃れられないのではないだろうか。
しかし、それもある意味、希望的観測だ。
基子は二面性の果てに、穏やかな「よこがお」を見せていたではないか。
不条理は、案外簡単だ。
自分は不幸で、他方は幸福なのだから。
コメントする