「「神は“今作”を赦すのか?」」魂のゆくえ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
「神は“今作”を赦すのか?」
独白というかナレーションベースがちょいちょい差し込まれるスタンダード画角の造りである。
ストーリー的には、環境破壊と宗教、そして企業活動という、人間の欺瞞に対し悩む牧師の姿を追う話である。
前半までは大変サスペンスフルな展開で期待できた。男の話す、環境破壊による地球の滅び、故に生まれてくる子供にとって良いことはないから堕胎したいとの告白を、牧師も又大義なきイラク戦争により子供を死なせてしまった負い目から、男の話に徐々に染まって行く。そして長年であろうアルコール摂取による内臓疾患により死期が近い事を悟るにつけ、自分のやっている宗教活動に疑問を抱く様になり、また教会の母体である団体はその環境を破壊している企業から多額の寄付を受けているという矛盾。自爆テロを未然に発見された男は首を吹っ飛ばす自殺を起こし、益々先鋭的に過激思想への影響力に支配され、駆り立てられる牧師。
そして自分も教会の設立記念パーティでその“ジハード”を試みる決心を起こすのだが・・・という展開は、牧師の体や過去の拭えない過ち、そして数々の罪の贖罪を一点に集中させることでクライマックスへとハードルはドンドン高まるのだが、驚くことに、自殺した男の妻が部屋に入ってきて抱き合ってキスして終わり・・・ 呆気にとられるエンディングに茫然自失である。確かにそこに至るまでのシーンで、妻を気遣い、いろいろと尽力する牧師の姿は描かれているし、クライマックス前のイマジナリーシーンとしての、体を文字通り重ねての呼吸をシンクロすることによる空中浮揚及び飛行は、それまでの話から唐突に飛躍したシーンであったが、あれは神を感じるメタファーと捉えたのがミスリードだったのか、結局二人はお互い愛していたというオチへのフリであることに、その突飛な展開に膝が震えた程である。これをどう解釈すればいいのか、観終わった直後だから仕方がないが、どうにも頭を整理できずに、作品自体の否定的な感想に陥ってしまう。そのオチは一番進んではいけないの典型作と言わざるを得ない、或る意味“問題作”であった。
追記:時間が経過して改めて思い起こすと、牧師の行動は正にあの自殺した男の行為を踏襲したような行動の数々であったことに気付いた。男のパソコン内の環境破壊の資料を観るに付け、益々将来の世界に悲観的になり、そして上司の牧師に直訴しても取り合わない。そんな中で益々孤立感を深めていく中で過激思想が形作られていくのであろう。それは真面目、誠実で融通が利かない人間ほど陥る。妻も又亡くなった男の影を牧師に重ねることにより、見過ごしてしまった悔いを打ち払うように、2度と大事な人を消さないように見守る。牧師が妻を労っているようで、実はその逆であったことが明らかになる。そして、決行日に妻が参加することで凶行さえも阻止され、尚且つ自殺までも妻が救う。男が前半に自殺に至った経緯を悉く防いだ妻の踏ん張りを見せつけられた。今作は周りの人間が凶行に走らせず、そして自死さえも防ぐケースワークを提示する作品という観方もできるということに改めて気付かされた。