サタンタンゴのレビュー・感想・評価
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【”陰鬱な空の下、ハンガリーの寒村に雨は降り続く。”人を欺き、自由を求め、幻想を抱き、未来を信じ、けれど総てに幻滅し、諦観する根源的な人間の姿を描いた作品。】
ー 経済的に行き詰まり、終末的な様相をまとうハンガリーの村。
降り続く雨と泥に覆われ、村人同士が疑心暗鬼になり、活気のないこの村に死んだはずの男・イリミアーシュが帰ってくる。
彼は救世主なのか、それとも…。
イリミアーシュの帰還に村人たちは動揺する。(フライヤーより)ー
◆感想になっていません・・。
1.手元には2019年、4Kデジタル・レストア版で劇場公開された時のフライヤーがある。
それに記載されている言葉
・映画の極北に屹立する、伝説の7時間18分
・雨が降り始めた。もう、春が来るまで、降りやまないー。驚異的な長回しで描かれる、美しき映像黙示録
・タンゴのステップ(6歩前に、6歩後へ)に呼応した12章で構成される・・。
・ジム・ジャームッシュのコメント:タル・ベーラの映画は、ありきたりのしきたりや形式の陰に隠れている、映画が語り得る美しく奇妙な可能性を思い出させる。
- 良い事、言うなあ・・。-
・マーティン・スコセッシのコメント:タル・ベーラは、最も勇気のある映画作家の一人であり、「サタン・タンゴ」は心の中で反芻し続けることのできる、真の映画体験である。
- 実感したなあ・・。-
2.本作のストーリーは、いたってシンプルである。
そのシンプルな物語をモノクロームの陰鬱な描写で、延々と見せつけられる作品。
だが、途中で見るのを辞めよう、とは決して思わない魅力的な作品でもある。
<フライヤーには、一日一回の上映。本作は2度のインターミッションがあります・・。と書いてある。
それは、そうだろう・・、と思いつつ、鐘の音が頭の中で鳴り響く中、漆黒のラストを見ている時分が居た・・。>
雨ニズブ濡レ、傘アラズ
無類の映画好き、タル・ベーラ作品のファンでも猫好きの人が観たら目を覆い隠さずにはいられない、執拗に不必要に描写される動物虐待の残酷さ。
ワンカット長回しで撮る必要性、そこまで拘らなかったらこんなにも長時間に至る作品にはならない、しっかりとした物語がある中で難解にも取れる場面毎の演出と話題性になるのは長い上映時間ばかりか、力強く感じられる映像と世界観にハマって夢中になり、大げさにも退屈になる場面は皆無で気付いたら時間が過ぎてゆく不思議な感覚に陥る。
村人たちはイリミアーシュの何を恐れながらも希望を持ち、イリミアーシュの目的よりも存在自体が謎になり、ラストは引き篭もりがちな医者で締め括る、描かないことによる物語の難解さ、壮大にも思われるこの長尺である映画から話は終わらずに続いている終幕。
原作を読むべきなのか??
もの凄い作品でした
やっと観ることができました。
私が今まで観てきた作品で一番長かった作品は、ベルトルッチの「1900年」の5時間でした。
しかしそれを大きく上回る7時間18分の長尺作品。
二回のインターミッションを含めると、8時間という驚異的な上映時間。
そしてその長い尺に反してカット数は約150。
この時点でこの作品が尋常でないのがわかります。
舞台はハンガリーの貧しい村で、ひたすらに陰鬱な世界が広がります。
しかしながらスクリーンに映された映像は実に美しい、吸い込まれるようです。
そしてひたすらに長回しによって村人の生活が映し出されます。
それは物語を追うのではなく、観客を作品に同期させていくような感じでした。
驚異的な長回し、遠く聞こえるうねりのような音にいつまでも続く時計の音、吹きすさぶ風に雨。
いつしか思考する事が無くなり、何だか作品に潜っていくような感覚でした。
ひょっとしたら所々軽く意識が飛んでたのかもしれないです。
けど各章のタイトルやインターミッションの文字が出るとハッと我に返るので、寝ていた感じもなかったんですよね。
モノクロ作品なんで完全に錯覚なのですが、途中から空などに薄い色がついてるようにも見えていました。
説明するのが難しいのですが、そんな何とも言えない貴重な体験でした。
今まで自分が観てきた映画とは明らかに異質で、まさに作品に入り込んでいたよう。
劇場までの往復を考えると一日を使ってしまう事、公開するとソールドアウトが多い事、正直ハードルはかなり高い作品でしょう。
しかしリバイバルの機会があるのならば、私は必ずまた観に行くと思います。
囚われた円環の中で、永遠に悪魔とタンゴを踊り続ける。
私の映画観を塗り替える、もの凄い作品でした。
※あの猫。何でも獣医立会いの元撮影され、そのまま監督が飼ったらしいですね。
色々すごいです。
尻が痛い!
7時間18分、キッチリ見て来た。素晴らしい映像美の中にドップリのめり込んだ幸福な時間が過ごせた。この上映時間の長さに肉体的には尻の痛さに何度も座り替えたり、座り直したりで苦痛であったが、感覚的には言うほど長くは感じなかった。やはり、タル・ベーラ監督の天才が為せる技なのかと変に感心してしまった。風のシーン、雨のシーン、泥のシーン、撮られた自然現象と風景が非常に美しく、詩的である。モノクロでこれほど視覚的に美しく撮れるとは、映画の魅力は尽きないと新たな発見に感動を覚えた。監督は既に引退されたとのことだが、これだけの作品を撮ったのだから、もう自らの作品としては納得が行ったのだろう。監督の功績な対して、素直に拍手を送りたい。豊かな時間を直接手渡してもらった気分の余韻がまだ続いている。最後に一つだけ苦言を呈したい。演出上、必要不可欠なシーンであっても、白痴の少女が猫を虐待した上に殺すシーンは不愉快だった。
観て良かった
7時間を超える上映時間が苦にならなかった。ハンガリーまで日帰り旅行したと思えばラクなもんだ。
自由のない社会主義は奴隷と野蛮をあらわす。与えられた労働とわずかな配給の環境では「働くことは負け」である。
そうして何も思考せず、目の前のことに反応するだけでは真に生きているとは言えない。風が吹くたびに吹き飛ばされる紙クズに等しい。
あたかも自分勝手に自由意志で振る舞っているようで、実は富裕層に都合よく利用されていることに全く気付かない者たちを富裕層は「奴隷」と呼ぶ。
オープニングの牛たちは好き勝手に行動しているようで、自然と同じ方向に向かっていった。
ドストエフスキーの「悪霊」を思い出す。豚の群れに入り込んで、破滅をもたらそうとしているのは何か。それは誰なのか。これらの想像力と問いを持ち続けることは、現在だからこそ必要なのかもしれない。
誰もがサタンにタンゴを踊らされる危険があるのだから。
インチキ教祖まがいのリーダーがいたとしても、そんな者の軍門に屈服するくらいなら、むしろ苦悩を享受することによって世界を生き抜きたい。そして、そのような方法でしか人間の自由は獲得できないではないか。
足の不自由なフタキだけが立ち去ったところで見事なラストだと思ったが、そこで終わりではなかった。
廃村に残った医者は、外界を断ち切るように窓に板を打ち付けた。光を失うと同時に、ここにはサタンも入り込めない。
ただただ圧倒され、流される
長い映画オタクを自認する私だが、さすがに7時間18分はきつい。インターミッションは2回、特に2回目は30分あるので、そこでかなりの疲労がどっときた。最初から最後まで集中力を切らさぬ、とまではいかなかったものの、ものすごい精神力を削って映画を鑑賞したことが分かる。
まずはその、どこを、何分何秒の部分を写真にしたとしても全て構図が完璧に決まっている、という映像の圧倒的な美しさ。それにも関わらず、驚異の長回し。どんだけ長回しなんだってくらい長い。それなのに一切画面が弛緩しないのだ。ここまで映画を「完璧だ」と思わせる映像は初めて観たと思う。
物語は...難解というより、何度も同じ時間軸を別の視点から繰り返してみせ、特に前半4時間ちょいは、それだけの時間をかけて、結局時間軸では1日の経過なので、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の前半くらい怠い。大審問官の辺りくらい怠い。冒頭の牛で不安に駆られてから、「いけそう」「怠い」の繰り返しなのだが、それでも不思議と目が離せない。
前半に比べれば、後半は約3時間に前半の倍の6章分詰めてあるので、多少の動きがある(実際後半が短いのかもしれないが)。救世主かペテン師か...いや私には何をどう見たってペテン師のアレにしか見えないのだが...と思いながらも、突き放したように見つめる時間。
最後の章で「えっ」と「ああ...」が自分の中で交錯した。
少女と猫の、ある種静かな狂気の光景が頭から離れない。彼女の目。正面から見るより圧倒的に大人びて寂寥感溢れる横顔。
あとダンスのシーンの長回し、こっちの頭がどうにかなりそうな光景だった...。頭にチーズロール...。
あと、お昼をろくに食べずに飲みものだけで耐えたので豆スープ(豚足入り)がめっちゃ食べたくなった。
一度観ると圧倒されて、色々考えたり調べたりしたくなる。知りたくなるけれども、もういちど観ますかと聞かれたらさすがに躊躇う。それくらい心身を持っていかれる映画体験であった。
そして鑑賞後、パンフレットの解説を読んで「そんな話だったの?! 」と案の定なっている私がいたので、パンフレットは読むといいと思う。
このような映画体験は初めてのことで、この長回しを観てると当事者的に...
このような映画体験は初めてのことで、この長回しを観てると当事者的に画面の中に入り込んでいた。残念ながら、最後30分で睡魔に襲われ肝心な場面は未だに解らないままだ
もう一度劇場で見たい!
実は以前から英語字幕のDVDを持っていたのですが、長回しで睡魔が襲いかかって来ていつも1時間から2時間でダウン。でも、ベルクマイスターハーモニーもDVDではそうだったけど映画館では一睡もしないどころか全シーンが興味深かったように、サタンタンゴも目を惹きつけて眠らせませんでした。劇場効果ですね。筋がないようなレビューがありますがきちんとありますし、時間軸が複雑だからわかりにくいだけですよ。
本当の傑作です。
4年に一回でいいから上映して欲しいものです。
これを傑作と言える素養が私にはない。。
映像美、構図は素晴らしいと思います。
ワンカットは黒澤監督並の計算された構図の
繋がり。白黒故にですかね、
そんな印象を受けました。
しかし、これを映画史上、最高傑作と呼べますかね。
映画製作者の教養作品としてなら分かりますが。
映画ってそもそも娯楽芸術ではないですか?
完全に娯楽部分がない事はないですが、
7時間って長さは芸術作品として、
教養としてでしか観る価値はないように感じます。
文学作品としてなら納得ですが。m(_ _)m
まあしかし、役者陣の成り切りっぷりは
すごいものがありましたね。
動物陣も監督の言葉を理解して演技してるように
監督の狙いどおりに動いているようにしか見えない。
この長回しでそんな事が出来ますか?って。
これは奇跡としか言えないですよ。
全くどうやって撮ったの???ほんと!
庶民の悲劇
438分は、やはり長かった。しかし、即位の儀式では、テレビで、繰り返し流される場面を、飽きることなく7時間も、見続ける視聴者も多いのだろうなと思いながら。騙す側は何度でも騙し、騙される側は同じ回数だけ騙され続ける。台詞の中で、「創世記」でなく、「黙示録」と言っていたのは、どの場面だったか?長回しは、背景が見惚れるほど美しさがなく、漫然と見ている間、人物の心理を思い巡らすことができて有意義だが、映画の内容は、時間に比例するものでもなく、長回しを1/3にしたと変わりないのではないか?「地獄の黙示録」の様にdevil を追い求めるのではなく、彼は、向こうからやってくる。投網に掛かるのは、小市民だけ。彼らも、密偵としての金銭は、補償されるだろう。現代社会にも通底する小市民の悲劇。
映画人生において最重要作のひとつとなった
ハンガリーのタル・ベーラ監督の1994年作。7時間18分という上映時間はこれまで観た作品の中で最長。1991年から4年かけて撮ったとのこと。
観進めるにつれ映画における時間の概念が崩壊していく。
舞台はハンガリーの田舎にある小さな村。村人たちは私欲は強いが自立できず、依存しないと生きていけない。ペテン師イリミアーシュの口車に乗り、持ち金をすべて渡して村を出た。自分たちの農場を持つことを夢見て……。
降り続く雨、吹き荒ぶ風、太陽が失われたのかと思うほど薄暗い世界、そして何より愚かで理不尽過ぎる村人たちの行動に陰鬱になる。何の救いもない悲劇だった。絶望があった。
ロシアの影響下にあった時代の光が見えない閉塞感を自由化後まもなくこの作品にぶちまけたタル・ベーラ。彼の思いに打ちのめされ続ける破格の傑作。
我が映画人生における最重要作のひとつとして在り続けることだろう。
スクリーンに、釘付けされる7時間。
50年以上スクリーンで映画を観てきたが、サタンタンゴは唯一無二の存在であり、極めて上質な映画体験である。人は歩きながら人生を刻む。人間の愚かさと野蛮さを静かに美しく描き、観る者の魂を揺さぶる。文学の至宝がカラマーゾフの兄弟なら、サタンタンゴは映画の至宝。
カフカ的な悪夢的リアリズムに打ちのめされる
まずは彼の長回しの手法を理解する必要がある。
キュアロンのような表現美や構造美、
タルコフスキーやアンゲロプロスのような映像美、
そのような長回しではない。
確かに構図としてはどのショットも配置や動きは言葉では表しがたい素晴らしさがあるが、それは美しさというよりも、悪夢的な現実に打ちのめされるような、頽廃的なものなのだ。
反吐がでるほど執拗に退屈な生活風景(これは後にニーチェの馬で洗練される)、終わることのない貧しさから無力感に支配される登場人物たち、ひたすら攻撃的な豪雨、暴風に常に晒され、あてもなく家畜が彷徨う果てない泥濘みの世界、微かな希望に縋るも、進めど進めど何処にもたどり着かない、霧に包まれた明日(ここから分かると通り、カフカ的な不条理感が濃厚)。
上記から分かる通り、この映画を視聴するには相当な覚悟が強いられる、と思いきや、キツイのは序盤だけで、この世界観を把握できると中盤からはこの世界感に没入できる、誠に不思議だが。
異形の傑作。
ある男がかつて住んでいた村に戻ってくることによって、それまで平穏であったコミュニティが次第に崩壊してゆく様を丹念に描いた映画です。アンゲロプロスやタルコフスキーの映画を回転数を落として描いたような映画です。音楽で云えば、ワーグナーの楽劇やブルックナーの交響曲の回転数を落としてみたような映画です。寓意に満ちた映画で、例えば、イリミナーシュにアドルフ・ヒトラーの姿を投影してみることは比較的容易でしょう。様々な解釈を許容する懐の深い映画です。とにかく、鑑賞する映画ではなく、体験する映画です。日本語の字幕がついたDVDが発売されたなら、真っ先に購入するつもりです。正直、劇場で7時間以上座って見続けるのは些か、しんどいので・・・。
映画を体験する。
7時間18分という上映時間につられ、単純な好奇心で見に行きました。オープニングから、映像の美しさにはまってしまいました。あとは、風の音、なんでもない室内の音、雨の音など音も良かった。なんとも言えない暗く、寒い雰囲気のハンガリーの重々しさに、どっぷり浸ってしまいました。映画館で見ることができて、良かったな、と思う映画。
ある意味、業。
長いカットの連なりのため、映画というよりも、スチールをずっと鑑賞しているような感覚だった。
正直、つらい。例えば、写真展にいって、150枚の写真を7時間かけてゆっくりと観察することを想像してもらえれば、この感覚が少しは伝わるかも─。
確かに、なんでこんなシーンをこんなにも長く…なんて思ったりもしたけれど、あの画質と絵づくりを見せられると、作家の意志がなんとなく理解できる、ような気がする。
しかも、1コマごとに修復を加え4Kスキャニングをしたという画質は半端ではなかった。本当にモノクロのスチール写真のレベルで映画が仕上がっている!
眠かった。意識が飛んだ。でも、高尚な芸術で近寄りがたいというだけに終わらず、内容にもかなり惹かれた。
個人的には猫と少女の表現が印象的だった。単に面白いとかそういうものでは片づけられない、凄い表現にあらゆる感情が揺さぶられ、脳が疲労してしまった…
物語を追うときっと欲求不満必至。この映像の素晴らしさを修業がてら気を張って頑張って臨んでください。
時間の映像化
原作は知らない。
結局、イリミアーシュが官憲から命じられた“ミッション”は、今一つ分からなかった。ただ、もともとストーリーなど、どうでもいい映画のようだから、気にする必要はないのかもしれない。
しかし、イリミアーシュの“実写化”という点では、明らかな失敗ではないかと思った。「サタン」とか、公式サイトに書かれているような、村人が恐れ敬うようなカリスマ的影響力をもつ存在には、とても見えない。
驚異的な「長回し」という。
しかし、長回しと言う時は、まとまった意味を持つシーケンスを、切れ目なく映し取るカメラワークのことだろう。細切れにタイミングやカメラ位置を変えずに、あたかも実生活のように、時間と視点の流れを体験する。
しかし、この映画のように、意味ある事象と無意味な事象が無差別に混在し、シーケンスそのものが存在しない時、長回しとは何なのか?
結局、タル・ベーラは、“時間そのもの”の映像化をやりたかったのかな、と思うしかなかった。
そのために、一つのシーンを、どうでもいい瑣事まで含めて、“実際に要する時間の長さ”で描く。観客自身とは無関係に流れる“他者の時間”を、映画館の椅子に縛り付けて体験させる。
そう言うと、単なる“垂れ流し”に聞こえるが、実際そうなのだから仕方がない。
自然ドキュメンタリー系作品のように、映像美があるならば垂れ流しで良いのだが、映像美などは監督自身が、意識的に拒否しているように思われる。雨と泥の世界、送風機を使っていることが見え見えの映像、がらんどうとした薄汚い室内。
「映画」とは、単なる録画映像の再生ではなく、現実の“凝縮”された芸術的再構成であるとするならば、本作品は半分「映画」ではない。
通常、自分は映画を見る時は、最低限の事前情報しか入れない。見終わった後に、いろんなレビューや公式サイトを覗くのが楽しみだ。
だが、本作品については、ネットで事前に調べて(特に、英語版のWikipediaはありがたかった)、筋書きを頭に入れておいて正解だった。そうでなければ、休憩を含めて8時間超の作品を見通すことなどできなかっただろうし、シーンの重複にも気づかなかったかもしれない。
4度ほど、5分程度の心地よい眠りに襲われたが、筋書きを知っていたので、全く問題にならなかった。
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