「感想というか、謎解きっぽくなり、長文です。」劇場版 Fate/stay night [Heaven's Feel] III. spring song スキピオさんの映画レビュー(感想・評価)
感想というか、謎解きっぽくなり、長文です。
1.聖杯戦争とは何か
作品の冒頭で語られる聖杯戦争とは「万能の願望器」である聖杯を6人の魔術師と使い魔が争う。ただ、願望器というのは、使い魔である英霊を呼ぶための方便。本当は英霊の魂を集めて、アインツベルンの「第三魔法」=魂の固定化、を実現する為の儀式。
この世界での魔術は科学により代替されうるもので、魔法は科学では到達できない領域。この第三魔法により魂の固定化で、要は不老不死を実現し「良い意味での」裁定者となり、この世の安定を願ったのが当初の聖杯戦争。
やがて、世直しの目的が忘れられて、手段である不老不死が目的化。第三次聖杯戦争でアインツベルンが召喚したアンリ・マユにより、聖杯が「この世全ての悪」を生み出すものとなってしまった。
ただ、皮肉にも増えすぎた人類の本質的な安定は、この悪による「数減らし」である、とも解釈される。何故なら、アンリ・マユの伝説は、いわば「必要悪」の例えで、その具現化がなされているわけ。Fate/Zeroから、セイバールート、凛ルートの3作は、聖杯のコントロールを失い、破壊することで難を逃れるしかなくなる。聖杯自体は「世直し」という当初目的に従って、人類数減らしを行っているのに、人間側が小さな願望でねじ曲げている、という構図。
ここで、桜ルートのトゥルーエンドは、イリヤが第三魔法を発動している点が面白い。セリフでは「これを封じるの」と言いつつも、第三魔法は成された、と解釈できる。最後のラストシーンの意味で詳しく語ります。
2.Fateとは何か
聖杯戦争の意味が物語の主題であるのに対して、登場人物の主題が「Fate=運命・宿命」になると考えます。まず1作目のセイバールートは、セイバー=アーサー王の英雄の運命で、これに縛られたセイバーを救う話。正直、しょーもない、話ですわ。あんな、Zeroから含めれば、ダラダラとウジウジと悩んでいますが、誰かが「いやいや、アーサー王の後のイギリスは世界に冠たる大帝国を作る程に繁栄したよ」と教えてやれば、成仏できたんちゃうの?まあ、このルートにおいては、運命は受け入れるもの、という解釈。
2作目は凛ルートですが、事実上はエミヤルート。これは誰かを救わなくてはいけない、という「自己犠牲野郎」のエミヤ自身の運命と向き合う話。このルートも最終的には衛宮士郎は英霊エミヤの運命を背負い進む、という結論だが、仮に将来の運命が決まっていても、自ら選んで進む、という前向きな捉え方。つまり運命は自らが選ぶもの、という解釈。
3作目の桜ルートは、イリヤルートでもあり、二人とも聖杯戦争という儀式のために運命が定められた存在。いわば、このルートがFateの本当の意味である「宿命=逃れられない運命」にどう対峙するのか、というクソ重い話。エンドにもよりますが、イリヤは「逃れられないなかで、幸せを探す」という選択。桜は「例え地獄に堕ちても抗い、幸せを勝ち取る」という選択。どちらも肯定的に捉えている解釈。
まあ、要は運命なんて、幸せのためにはどんな捉え方をしても良い、というのが主題だったのだろうね。
3.映画版のラストシーンは?
さて、映画版のラストシーンは、凄く感慨深いです。まずは、イリヤのラストシーンが泣けますね〜。「お姉ちゃんだもん」と礼装姿で振り返るのも、超絶可愛いのですが、最後光の中へ駆けていく向こうに、母親のアイリスがいる!ってのは、グッときますね。Zeroで聖杯となり切嗣を救った母と、桜ルートで第三魔法を発動しシロウを救ったイリヤ。母娘で惚れた男の為に生きた訳ですよ〜!あ〜尊い!
で、本編のラストの話。元々、原作にはノーマルエンドとトゥルーエンドがあり、ノーマルではエミヤは消滅し桜と凛だけが生き残る。トゥルーは映画版と同じようにエミヤは生き残り、何故か受肉化したライダーと凛と桜の4人で迎えるエンディング。
映画版は一見するとトゥルーエンドのようですが、ちょっと異なります。聖杯戦争が終わり直後は「エミヤが戻らない」となって、後に不意にエミヤが台所に立って、4人でのエンディングを迎えます。エミヤが戻る前に、人形のような白い物体が、箱の中に詰められていて、それを桜と凛が開けるシーンがありますよね。あれはホムンクルスじゃないかな?
つまり、イリヤの第三魔法は聖杯を封じただけでなく、魂の固定化、という宿願に成功していたのでは?イリヤや終にアインツベルンの野望を実現しつつ、自分が愛したエミヤの「生きたい」という希望を叶えたのでは?
その魂が凛が持っていたランプのようなもので、それを宿らせる肉体が箱の中身。おそらくアインツベルンから送らせたホムンクルスじゃないか?
そうなるとエミヤは第三魔法によって延々に生かされる、という訳。イリヤは願いを果たして母と成仏できたが、エミヤは「お兄ちゃんは生きたいだよね?」ということで、ホムンクルスで永遠に生かされる。。。ちょっと、グロテスクな顛末ですね。
で、さらに深読みすると、こういう解釈も。清々しいエミヤを迎えて、平和な4人ですが、エミヤの表情があまりにも平穏だし、あれだけのことをやった桜も「自己嫌悪はやめます」みたい発言で違和感があります。最後に凛が「桜、幸せ?」って聞く言葉も「桜、(これで)幸せ?」ってニュアンスに聞こえます。
おそらく、ラストシーンのエミヤは聖杯戦争の記憶が全くないのでしょう。イリヤの第三魔法が不完全だったのか、凛と桜で処置をしたのか、、、おそらく後者でしょう。
こうして桜は、自分の想いのままに動くエミヤとの平穏な暮らし手に入れて、凛は今までの贖罪として手を貸して、やっと手に入れた幸せを享受する、というエンディングなんじゃないかな〜。
ちょっとゾッとするエンディングですが、第三魔法の実現と、幸せは手段を選ばす勝ち取る、というイリヤと桜の主題と、そういう犠牲も必要悪、という物語の主題とが、ちゃんと結実している見事な終わり方だ!と感動しました。