「バディ」フォードvsフェラーリ U-3153さんの映画レビュー(感想・評価)
バディ
胸が熱くなる。
絶対王者のフェラーリに挑んだフォードの話しかと思ったら全然違った。
才能と情熱を携え野心を漲らせてた2人の男の物語だった。
物語の緩急もさることながら、クリスチャン・ベールにやられまくる。
分かりやすい革命家でもなく、憤る反逆児でもなく。無謀な挑戦者でも狂人と紙一重の天才でもない。
彼はしっかり地に足のついた男だった。家族を愛し家族に愛され、家族の為にレースを諦めようとする。彼は求道者のようだった。
0.1秒を削るため、莫大な時間を費やす事を厭わない男だった。
その隣りでグッと肩を抱いていた男。自らが炎に包まれようとまだ走ると豪語する。
彼らの友情がいつから始まってたのかは分からないが、お互いがお互いをリスペクトしてるのは痛い程分かる。「他のヤツには分からないだろうがお前なら」…俺はこおいうのに弱い!
彼らの関係性はとても羨ましいし、作品の中でも何度も笑わせてくれた。
いいオッサンが、子供に戻る時間が微笑ましいのである。
俺はレースに詳しくはないのが、おそらくならレース史に残る快挙を起こしたル・マンでの話で、フォードが3台同時にゴールしたレースが物語の終盤に描かれる。
盛り上がる。
彼らの敵はフェラーリだけじゃなくフォードを運営する権力者たちでもあった。3台同時にゴールなんて、なんて馬鹿げた提案だと見てるコッチまで怒り心頭。そんな茶番…全てのレーサーに対する冒涜ではないのかと思う。そんな結末を迎える為に走ってたわけじゃない。
彼は挑む。まるで、殺されてたまるかと言わんばかりだ。付き合ってられるかと覚悟を決めたのだと思う。ただアクセルを踏んでれば優勝だ…だが、それを捨てた。
満身創痍のマシーンを駆りコースレコードを叩き出した。
そして、彼はその条件を呑んだ。
その時のクリスチャン・ベールの表情ったら…まさに台詞通りだった「レースが終わるまでは彼の車だ」全て自らの裁量で決断した潔さがあった。当事者ではないやつらの騒音なんかに耳を傾ける必要もない。
結局彼らは政治的な策略に陥れられ優勝の栄光を逃す。でも、彼らも観客も分かってる。誰が勝者かという事を。
肩を抱き喧騒に背を向け更なる可能性を話す彼らに胸がすく想いだ。
と、ここで幕引きならば痛快な大逆転劇で終わった。でも物語にはまだ続きがある。
まるで祭りの後のように、覚めない夢はないといわんばかりに、冷徹なクールダウンが待っていた。
結局彼らのチームはフォードに雪辱を果たす事はなかった。だが、伝説となった。
クリスチャン・ベールはさすがに曲者で…彼のテンションが上がるのは運転してる時だけなのだ。普段はボンヤリとは言わないが静かな男を演じてる。喋る口調もなんだかおっとりだ。目に力がこもる事もない。
他の事に執着が沸かないのだろう。
あのスピードの中、そこでこそ息が吸える。ここ、コレ、今!あのスピードの中にしか彼の生きる意味はなかったかのようだった。
…さすがの役作りに脱帽する。
マシーンのエキゾーストノイズと、唇を固く結び200キロオーバーで疾走する世界の、その先を真っ直ぐ見詰めるクリスチャン・ベールが脳裏から離れていかない。