「すべては消えてゆく・・・」フォードvsフェラーリ いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
すべては消えてゆく・・・
その昔、スーパーカーブームなんてものがあって、小学生だった自分もその“沼”に首まで漬かったものである。子供ながらに“フェラーリ”の煎餅みたいな車高の低さ、流れるようなデザインの優雅さを感じていたのだから、ましてや大人の世界では金が絡んで政治的でえげつない事情が繰広げられているのだろうと容易に想像できる。それは世界中どこの場所でもであるから、人間としての本能なのかも知れない。
本作はそんな大人の事情の幼稚さと、逆に大人になりきれない男達の成長譚という二つの軸で、エグゾーストノイズを掻き鳴らしながら、“環境問題”なんて誰もが口に出す頭もなかった古き良き時代のストーリーである。第二次世界大戦後のベビーブームによる好景気を背景としたアメリカ自動車産業、適当な所で戦争を切り上げたイタリア自動車業界の異端児の狡猾さ。クラフトマンシップとベルトコンベア大量生産。対立姿勢はお互いに敬意を払えない欠格者共でもある。片やそんな車のスピードの魔力に取憑かれてしまった男達は、反目の中でも互いの才能へのリスペクトは怠らない。何度も家の前に足を運ぶチーム責任者、激しい性格ながらもその才能を惜しげもなくチームに注ぎ込むドライバー。それは、互いが同じ目線で目指す『速さの先』への飽くなき冒険という共通項がしっかり構築されているから。目的は売上の寄与、対するレースの為の資金稼ぎ。そのどちらでもない本来人間が知りたい欲求に忠実に従う人のみが自動車を一番乗りこなし、愛されることを本作では物語っている。そして皮肉にもその愛され方は時として死によって道連れにされてしまう残酷さも伴うのが現実だ。副社長のような人間は“小悪魔”でしか過ぎない(ネット参照では作品のような非道い描かれ方の人物像では無かったらしい)。本当の悪魔は、その純粋無垢な真実への探求心を好物としている“運命”なのであろう。『好事魔多し』。そんな人生の厳しさも又、本作では訴えているようにも思える。
本作の、微に入り細に入りな数々のギミックも又特徴ある仕上げを飾っている。心を燃やす指示を出すときの背景のコパトーンの看板は“太陽”に掛けたものだし、夜中の親子でのル・マン攻略のコース図解説では、近所の車の排気音がシンクロしていく演出等々、ニヤリとさせる作り込みも又好意的な作りである。息子役の父親を心配する一連の気持の変化の妙、そして何よりチャーミングで素敵な奥さん役の女優の存在そのものが本作の男臭さや、ギアを力任せに入れていく硬質さに、上質なエンジンオイルの如く満たしていく効果を充分発揮している。今後も注目される俳優であろう。
多分、今後もカーレースに関する世界的注目度は縮小し続け、一部の富裕層のみの娯楽に納まる可能性が高い。そんな中で本作のテーマが、この新自由主義で覆われた世界に一筋の光を照らしてくれることを祈りたい。