アド・アストラのレビュー・感想・評価
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ブルーマーブル!!??
月面からのブルーマーブル。
VFXとかCGとか、いろいろな組み合わせで画面はきれいで。
戦闘シーンとかあったけど。
個人的にはもっと派手に、ガンガンやってほしかったけど。
路線が違くなってしまうとか思ったり。
まずは少しシリアスさを加えて。
次作とかコメディー感とかワイルド感とか、めちゃくちゃ感とかを加えて。
これからの映画の為の映画というか。
いろいろ少し勝手に、自由に感じてしまいました。(笑)
火星とか。海王星とか。
いろいろ出てきて。
なんか宇宙ステーションとか。いろいろと。
これからの宇宙映画に期待したいです。(笑)(笑)(笑)
宇宙開拓エピソード!!??
宇宙開拓のエピソード。
今から何年後なのか。
月面での戦闘とか。
火星に到着したり。
さらに、さらに。
エンドロールでは。
NASAなどの文字が出ていて。
未来でみたら、イヤー悲観的な映画だなと苦笑いかもしれないとか。
実際はこうならないだろうだとか。
だんだん技術の進化などで、遠くの星に行けるようになってきたのか。なるのか。
良くも悪くも、まあまあ観れました。
個人的には、映画好きのための映画というか。
映画史に残る映画というか。
映画人のための映画というか。
まあスカッとはしなくて。
大衆的ではないというか。
宇宙映画はこんなもんでしょうだとか少し感じてしまって。(笑)
まあ、まあ、まあ。(笑)
舞台は宇宙だが。。(ネタバレあり)
CMだけの情報で、それを元に期待を膨らませて観に行った人にとってはなんとも拍子抜けな映画になったことだと思う。
こればかりは映画が、というよりあのCMが悪い。
ぱっと見はSF系統の話にしか見えないからね。
でも、実際はSFたる部分は肝ではなく、あくまでも舞台でしかなく、映画が伝えたいことはヒューマニズムである。
人は孤独で生きていけるのか?なぜ孤独を選ぶのか?
後悔と葛藤。
遠宇宙まで数か月一人で旅する中でブラピが感じる孤独。
これをいかに映画館で共有できるかでこの映画の評価は変わってくると思う。
SF映画では無い
孤独を好み、妻さえも離れていく精神を病んだ
主人は、太陽系の果てまで行って戻って来て
涙する。そして差し伸べられた手をしっかりと
つかむ。30年以上孤独だった父は、今更社会に
適応するはずもなく、死を選ぶ。
いつの時代も人間孤独では、生きていけない。
ある種のヒュマニズムを描いた作品であるため、
スターウォーズ系を期待した人には、つまらない
映画であろう。
寝不足で観るのは、危険!
SFとして、ドラマとして
こんなにも宇宙の孤独さを感じさせてくれた映画は初めて! 宇宙とか全...
雰囲気とか音楽は好き
ある意味で正当なSFだが…
SFの面を被った純文学と言うと、正しく米文学としてのSFの系譜に連なっているともいえる。
小説にしてみると案外良いプロットかもしれないが、いかんせん映像にすると地味な感を否めない。
アド・アストラはポジティブで稀有壮大な言葉のはずなのに、卑小な人間劇になりすぎているのも、肩透かし感が出る要因。父と子の話をもっと深掘りするか、太陽系の果てまで行っても人類は何も変わらないし宇宙の孤児かもしれないと言う絶望感の描写に振り切るかすれば、また違ったかもしれない。
宇宙船や宇宙服などのガジェット描写は、ソユーズやアポロ計画のデザインを踏襲しているのだけれど、海王星まで行って30年近くも無補給で稼働しててこれかい、みたいなチグハグ感。
決してテーマは悪い訳じゃないんだけど、所々制作者はどのぐらい本気でSFを作ろうとしたんだろうと、首を傾げたくなる様な描写があってそこがマイナスになっている。
独りは寂しい、独りは怖い。
壮大な舞台、壮大な旅、重大な任務、極めて個人的でミニマムな物語。
果てしない宇宙を文字通り飛び回り謎に犠牲者を出しながらも、ミッションなんて二の次とも感じるほど、かなりパーソナルに寄った描き方が好き。
父子で争うSFアクション大作かな、なんて予想していた私の考えを悠に超えられる。
想像外の展開が続き、面白く観られる。
特殊なロードムービーみたいだった。
起こる物事は多いのにスローペースに感じ、繊細な人の機微を描く一方でどこか大味で投げやりな部分も見られる。
ベースは緻密で静かで、宇宙を舞台にした映画の中でもとても好きなトーンだった。
断れず、致し方なく、請け負った機密任務。
どこか曖昧で誠実さのカケラも無いそれ。
その中身を探るうちにもはや独りよがりにも近い願いが出てきて一気に行動に移す様が好き。
「俺が世界を救うんだぜ!」だなんて力まれても困るので。
無欲に見えるロイの奥底でギラギラしている欲望の形に高まった。
自分の行動によって意図しない死がいくつも生まれてしまう絶望感と虚無感、長い本物の孤独に対する恐怖感も強くて、どうしたって緊張しながら観てしまうでしょう。
遠く遠く、やっと会えた父の掴み所の無さと確かに感じる狂気がまた悲しい。
結局「リマ計画」って何だったの。
何のためにそこに留まるの。せっかく迎えに来たのに。これでまた本当に決別か。
なかなか理解しがたいその執着、結果のサージ現象、数万人の死。
「YES!YES!YES!」と強く書かれたポスターがもはや恐怖だった。
ここまで遥かな旅をしないと実感できなかったものの正体に気が抜ける。
独りは寂しい、独りは怖い、人が愛しい。
そんなシンプルなことに気付くための旅だとしたら、リスクも払った犠牲も大きすぎる。
世界がかなり広い映画なのに、辿り着く終着点の小ささと言ったら。
でもそのギャップに胸を刺されてしまった。
「私は帰還する。生きる。愛する。」の言葉に思わずこみ上げる。
表情らしい表情のなかったロイが最後に見せる顔も。
つくづく人間って単純なだけではいられないものだなと実感した。
もっともっと取り返しのつかないことが起きて、もっとホラーな展開になっても良かったなとは思いつつ。
父親の道連れになったり、あの猿みたいに爆発したり。
そうなってもおかしくない空気だったし、私は宇宙モノは絶望エンドの方が好きなので。
まあそうならなくて良かったでしょう。今回は。本当に。
途中に起こるわりと大きなハプニングの扱いが面白かった。
月での略奪者襲来も、寄り道した船内での猿襲来も、どっちか一つだけで長編映画ができるんじゃないの。
それをほぼ本筋と関係ないところで多少のスリルを感じさせつつサラッと触れてあっさり捨て去る独特の進め方。
人間の愚かさは遥か彼方でも変わらないことを示して微かに失望させ、感情を置いてきたロイに怒りを思い出させる。
ストーリー的には唐突かもしれないシーンだけど、その中身を考えると少しゾッとするくらい大切なシーンだと思う。
それにしても、施設を核爆発なんてさせたらもっと大きな影響が地球にやってくるのでは?とハラハラしてしまった。
あの核爆発で新しい星が生まれたりして。無理か。
でももしそうなったら、なんだか絶妙にロマンがあるな。
火星での隊長的な女性がこちらを向いた瞬間の目つきに鳥肌が立った。あの人好き。
普通に面白かった
心の宇宙を旅する
ブラッド・ピットはレオナルド・デカプリオと共演したタランティーノ監督の「Once upon a time in Hollywood」でも落ち着いた存在感のある演技を見せたが、本作品の演技は更に存在感を増し、これまでに観たブラッド・ピット出演作品の中で一番重厚だったと思う。タランティーノ作品が行きあたりばったりの展開だったのに比べ、本作品は起承転結がしっかりとして、登場人物の行動も解りやすくて合理的な動機に基づいている。そして舞台は地球から遠く離れた太陽系の端という極限状況である。
父と子の関係は、母と子の関係に比べると曖昧であり、フィジカルよりもメンタルな関係であると言っていい。人間を馬と比べるなと言われるかもしれないが、サラブレッドは父馬が同じでも兄弟とは言わない。母馬が同じときだけ兄弟と言われる。母馬が年に1頭の仔馬しか産まないのに対して、人気の種牡馬は100頭以上の牝馬に種付けするからである。
母親は子の世話をし乳を飲ませるが、父親は専ら見守るだけだ。動物の場合は見守りもしないから父と子の関係は遺伝だけとなる。種付けが終わったら個体同士の有機的なつながりはなくなるのだ。従って子にとっての親は基本的に母親だけである。
共同体の中ではどうかというと、封建時代の家父長制度の時代は一定の価値観で家を守り家名を存続させていくのがならいであり、父親は主人と呼ばれ家の長であったが、現代では家名の存続や家柄に価値を置く考え方は衰退している。代わって多様な価値観が認められ、必然的に父と子の関係は父が子に一方的に価値観を押し付ける関係ではなくなり、子は父の生き方をひとつの例として相対的に見ることになった。
このあたりから父と子の関係性は多種多様となり、父と子のつながりもあやふやなものになる。物分りのいい父親ほど子に干渉しないから、人間同士としての関係も希薄である。子は早い時期から将来進む道を自分で考えなければならなくなる。多くの親はその手助けをするのだが、中には何もしない親もいる。
トミー・リー・ジョーンズ演じる父親が、ブラッド・ピット演じる主人公ロイにとってどのような父であったのか、それがこの作品の芯である。既に死んだはずの父親の意志は、息子にとってすなわち遺志であったが、父が生きているという情報によって、それは現実に存在する意思として心に蘇る。心の中の父が現実の父であることを確かめるためにロイは43億キロの彼方に向かう。それは宇宙の彼方への旅であると同時に、自分の心の中に向かう旅でもあった。
正気を保つのが難しい極限状況に主人公を放り込むにあたり、映画は主人公が心拍数さえも管理できるほどに訓練されていることを前提にする。このシーンがなければ、極限状況で落ち着き払った主人公に違和感を感じたに違いない。そういう意味でもよく考えられたプロットである。
ブラッド・ピットはひとり芝居においても高いポテンシャルを見せた。長い旅の中で弱さと強さを併せ持ちながら、魂の深みを探るように自問自答を繰り返す。死ぬまで孤独に耐え抜く強さはまだ得られていない。だから運が悪かったときのために誰かにメッセージを残そうとする。しかし父はどうか。
宇宙の彼方にあっても任務をきっちりと果たす宇宙飛行士としての生き方は、父の遺伝子を色濃く感じさせるものだ。父と子は同じような運命を辿ってきた。本来的には宇宙で生きるように出来ていない人間が、宇宙空間の閉ざされた乗物の中で他人と共同作業をする。目的が同じ間はいいが、命令系統が異なったり、意志が分かれたりするとどうなるのか。悲劇をともに経験した父と子は、父と子の関係性を超えて同じ方向を向いて遠くを眺める同志だ。任務の違いによって方角を分かつ父と子だが、少ない言葉を交わすだけで互いのすべてを理解する。
本作品はアメリカ映画と思えないほど哲学的な作品である。宇宙を描いたからこそ地球を客観的に見ることができるのかもしれない。ブルーマーブルと呼ばれる、宇宙から見た美しい地球には70億の人類が生きている。人類は、人間は何処へ行くのか。父と子が見ている先には人類の不安な未来があるのだろうか。人間の不幸な結末があるのだろうか。
太陽系が存在する銀河系は天の川銀河と呼ばれる。銀河系はいわゆる星雲である。天の川銀河の倍以上の大きさを持つアンドロメダ銀河も星雲である。星雲が互いの重力場を影響し合いながら集まっているのを星雲団とよび、宇宙には数多くの星雲団が存在する。宇宙には曲率が存在して空間的には閉じられていると言われても、その広大さは人智の及ぶところではない。
相対性理論によれば光速Cを超える速度は存在しないから、たとえ地球外生命体が存在すると仮定しても、地球上の観測者がそれを確認することはない。確認できないものは存在しないと同じで、宇宙人はいないし、UFOは単に未確認であるに過ぎないと結論される。おそらくその結論は正しいのだが、それでも宇宙の広大な空間に想像力を広げたとき、人類にも文通できる相手がいたら楽しいだろうと思う。なんだか笑えてくる。
本作品は人間が旅をするだけの話だが、それが宇宙空間の旅となると想像力の針が振り切って、逆に平安をもたらしてくれる。宇宙に行く旅は、やはり自分の心の中の宇宙の旅でもあるのだ。
つまらん
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