エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へのレビュー・感想・評価
全66件中、1~20件目を表示
劇的には描きづらい些細な成長のプロセス
生まれたときからWEBやSNSが存在する世代を"ジェネレーションZ"と呼ぶらしい。実態を隠したままの自分を広く発信できる彼らだから、現実と虚構の間で悩むこともないのかと思いきや、人はそう簡単でもないことがよく分かる。この映画は、中学最後の年をそんな風に悩みながら暮らすヒロイン、ケイラが、少しだけ自己を肯定し、一歩前進するまでを描いて、内面の成長がどれだけ価値があるかを伝えてくれる。人からどう見えるではなく、自分は自分をどう見ているのか?これは、別にケイラに限った問題ではない。誰にとっても、永遠の命題なのだ。そんな劇的には描きづらい些細な成長のプロセスをカメラが掬い取った本作は、青春映画というジャンルを大胆にアップデートした野心作。身も氷るようなスクールカーストの恐怖、不器用だが温かいシングルファーザーの眼差し、等々、細部の描写にも並外れたセンスを感じる。
今の若者の心に寄り添いつつも、なぜだか昔の自分と再会したような余韻がこみ上げる
今やリアルな日常生活を描こうとすれば、ネットやSNSのやり取りを盛り込むことを避けては通れない。その点、本作は現代社会の最先端をゆく意欲作と見ることができるが、一方で、昔も今も変わらぬ思春期特有の心の揺れ動きをヴィヴィッドに活写し、清々しいほど青春映画の文法にのっとった作品とも言えるだろう。
YouTubeを使って動画配信するも、視聴者はわずか一桁。それはもはや「誰かが見ている」というよりは「自分に向けて語りかけている」と表現した方が適切だろう。まだ何者でもない彼女の中では「理想」と「現実」が激しく乖離している。その状況に焦り、絶望的になる場面もあるだろう。だがこの映画が伝えるのは、リアルな視聴者数ではなく、ふと顔を上げたところにあるもっと大事な視線であり、想いであり、温もりだったする。それはあまりに当たり前の”気づき”ではあるものの、なぜだかこみ上げてくる涙を抑えることができなかった。
パパ!
共感できず
思春期に国境はない 性別もない
ありきたりの結末
テーマは「自分らしく生きるって難しい」かな
思春期の、対人関係苦手な女の子の話
テーマは「自分らしく生きるって難しい」かな
ヒロイン、ケイラの、周りの人々に溶け込もうとする
努力が、痛々しくて観ていて辛い
でも・・・わかる、自分と同じではないけど
共感してしまう点が沢山あって、ちくちく胸に刺さる
細かなエピソードやセリフがリアル
同性の友達欲しかったり、異性やお父さんとの関わり方
など
お父さんの、どうやって思春期の娘に接していいか
よくわからない感がいささか滑稽でもあり胸に沁みる
ケイラがSNSに依存しすぎな気もするが
今どきの子はそういうものなのかもしれないし、
酒やタバコやドラッグやセックスに逃げなかったのは
根が真面目で健全なのだろう
(ちょっと危うい趣味もあったけど)
「クールである事」が格好いい、と憧れながら
不器用な自分とどう折り合いをつけていくかが
今後のケイラの課題なのかな
いつか、ありのままの自分でいられる相手と
巡り合えたらいいな、と願わずにいられない
ケイラに共感して応援したくなる作品
なんか、いい作品
グッチー
グッチ!
ようやく鑑賞
映画館で観たかった作品、ようやく。
エイスグレード、自分はどうだったかをしみじみ思い出した。そうそう、こんなことが悩みだった、とか思い出し、きゅんとした。
国が違っても、また、環境が昔と大きく違っても、このくらいの年頃にありがちな悩みや不安、悲喜交々はあまり変わらないのかもなぁと思った。
同時進行して、シングルファーザーが年頃の娘との生活の中で必ず経験するであろう難しさも描かれていた。
娘となんとか距離を保ちながらうまくやろうと、ぎこちなく奮闘するお父さんがまた良かった。
成長期特有の危うさもあり、ハラハラさせられたけど、最後には成長して乗り越え前へ進むケイラが見られてホッとした。
「グッチー!」が可愛いかったよ!
今どきの普通の女の子
主人公は13歳で高校進学を控えている。
おとなしい子で、ユーチューブで、ポジティブに生きていこう、という動画を公開しているが、閲覧されていないようだ。
父子家庭の一人娘で、お父さんは心配のため過保護気味で、イライラさせられる。
日本も同じだと思う。
まさに映画の神々からの贈り物
「いじましい」とは「取り越し苦労」の意味もありますが「みっともない」の意味もあります。むしろ、みっともないの意味のほうが強いと思います。
たとえば私は映画レビューを書きますが、ときどき手直しすることがあります。これは、おもわずエッチなことを書いたとか、ちょっと熱く語りすぎたとか、事実誤認していたとか、などの理由で読んだ人が引きはしないだろうか、と心配になるからです。ところが、一般人のレビューですから特定の読者がいません。とうぜんレビューを気にする人はいません。にもかかわらず、不安になって更新するのは、完全に自意識過剰のなせるわざです。そんな無益かつ、自分が注目されていると勘違いした行為を「いじましい」と言うのです。
ただし、それは精神衛生上のことでもあるわけで、およそSNS世界では、誰でもやっていること、でもあります。フォロワーの多い人がインスタグラムに載せる写真など、きっと信じられないほど撮り直されているはずです。それには有用性があるのかもしませんが、端から見て「いじましい」と言える行為なのは免れません。
私たちの多くはネット投稿を公表していません。商用ならいざ知らず、個人が匿名でやっているネット投稿やSNSは、自分だけがそれを関知する秘密の気晴らしであったとして、なんの不思議もありません。そこに、どうしても「いじましさ」を脱却できない特質があると思います。
ケイラも、人知れず、ネットで持論を展開しています。あちらのWEBサービスはよく知りませんが、日本より顔出しに抵抗がなく、クラスメイトたちも動画系のネット投稿をやっています。ケイラも、そこでは「最も物静かな中学生」の仮面を脱ぎ去って、元来の奔放な本音を吐露しているわけです。
大人がこの件に共感できるのは、学校時代の「いじましい」自分自身を思い出すから、でもありますが、ネット投稿に起因していることもあります。
たとえば私自身、映画レビューを投稿しておきながら、日常や職場では「映画なんかぜんぜん見てねーわ」みたいな涼しい顔をして生きているのです。連れや友人にも話したことがありません。
自分がいじましいゆえに「いじましさ」に共感できるのです。
タイムカプセルに入っていたビデオレターは「2年後のあなたは人生を楽しんでいますか、友達はできましたか」と過去から尋ねていました。これを見るケイラに去来するのは、徒労感や挫折感ですが、観衆はそこに──この子はずっとコンプレックスと戦ってきたんだ──という称賛をおぼえます。
私も学校時代はたぶん敗者でしたが、同類や居場所を探していただけで、ケイラのように孤軍奮闘してはいませんでした。ましてケイラのように、じぶんのイメージを飛び出そうとしたり、プールパーティーやカラオケに参加したり、勝者なクラスメイトに物申す勇気もありませんでした。
大人になった今も、むしろなおさら、保身から脱却しようなどとは思いません。すると、逐一すべてが中学と高校の狭間にいるケイラより、大人の私のほうが不甲斐なく感じられてしまうのです。もっと抗ってみるべきだという慚愧にとらわれるのです。
映画は多感な少女の過酷な心象をとらえていて、いたいけですが、終局で父と理解しあって、重荷がとけます。
ただ、それ以上に観衆をとらえているのは、おそらく、痛みを知って成長したケイラが、心豊かな大人にならないはずがないという期待です。そのキラキラする将来に心安らぐことで、この映画がものすごく爽やかに見えるのだ、と思いました。
むしろ大人に向けられた映画のように感じられます。何か大いに反省させられるところがありました。見終えて拍手したかった映画です。
何処にでもいる女の子の…
引っ込み思案で要領も良くない。
スタイルだって、スマイルだって自信ない。
お父さんとはよく揉める。
友達の前では無口な娘。
無理やり誘われたホームパーティーに参加して水着で普段の皆と交流する…小太りのケイラが背中を丸めてプールサイドへ一歩踏み出して行くシーンを見ると不安になる。
自信のないケイラが「こう在りたい」と変わろうとする姿は誰もか覚えがある事ではないかと思う。
誰しもが最初からそうではない…SNSに動画をupするケイラはフォロワーこそ少ないが、まぁイケてる(お父さん目線)
気になるエイデンくんにアプローチを掛けるがエイデンはエッチな女の子が好きだから、エッチな自分になろうと苦労したり…。
お洒落な同級生はスマホ片手に顔も見ないで話すシーンとか見てると「ケイラは頑張っているのにこいつらはちょっとおかしい」とか思う。
中学で生意気なこんなのがスクールカーストで上位とか、ワケわからんマウンティングがあるのは何時の時代も同じなのが悲しい。
ケイラが未来の中学卒業後の自分に送った動画とラストに高校卒業後の自分に送る動画の内容が変わり、父親への嫌悪が薄らいだ時の様子は成長の証だ。これからもケイラには頑張って欲しいと願ってしまう作品だった。
ホラー映画かな?
全66件中、1~20件目を表示