テリー・ギリアムのドン・キホーテのレビュー・感想・評価
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老いて尚、輝き続ける…
構想30年。
挫折を繰り返しながら、晩年のギリアムが創作意欲のままに作った怪作。
ギリアム作品の王道にして集大成。それでいて現代の大衆映画の型に全く当てはまらない魅力に溢れていた。
映画監督を目指したかつての青年。
映画でドン・キホーテを演じ、その役にのめり込み人生を狂わされた老人。
2人の現実と虚構が入り混じり、その境界が曖昧になる程に心地良い。
フィクションにおける麻薬のようなこの中毒性こそ、映画のマジックにして最大の"快楽"なのかもしれない。
だからこそ我々はもう1度それをを味わうべく何度も映画の世界に浸るのだろう。
それはテリー・ギリアム監督自身の人生も同じだったに違いない。映画に人生を狂わされ振り回され、それでも創らずにはいられない。
周りから見たらそれは狂人に他ならないのかもしれない。ドン・キホーテと同じだ。
それでも構わない。映画という作品を生み、そこで生きる事こそ全て。興行収入も他人の評価もここでは関係ない。
自分の衝動のままに創作する。それで良い。
ビジネス先行のシリーズ続編が乱立する中、ギリアムは魂を映像に込めた。
その創作意欲は老いて尚衰えを知らない。
いや晩年を迎えたからこそ、誰にも気を使わず自分に向き合った作品を伸び伸びと創れたのかもしれない。
それが本作の心地良さなのだろう。
虚構の中で永遠に生き続けられたら人はどんなに幸せか。
ドン・キホーテのクライマックスは、そんな想像をせずにはいられないものになっている。
いつの時代にも人には夢が必要なのだ。
夢か現か…テリー・ギリアムの世界へようこそ
夢か現か…能を観ている気分になりました。夢と現実を行き来する不思議な世界。
くすくす笑いながらどんどん迷宮に迷い込んだような感覚に。
さて、どこに着地するかは観てのお楽しみ。
この世界観に入り込んだ人はいつの間にかドン・キホーテの登場人物になりきってしまうかもしれません。
モンティーパイソン
ようやく観ることが出来ました。映画ドン・キホーテを撮る監督役のアダム・ドライバーが学生時代にも撮ったことを思い出して、徐々に深みにはまっていくストーリー。
不条理とも思える過去作品の登場人物と現在のスタッフやプロデューサーたち。自分がドン・キホーテの相棒役サンチョになり、冒険に巻き込まれてしまう。アンジェリカのキャラが絶妙な緩衝者になり和ませてくれました。
巨人なんかの存在がモンティーパイソンを思い出させてくれるし、やっぱりテリー・ギリアムだなぁ~っといった作風には満足。ただし終盤には飽きてきてしまいました!
アダムドライバー‼️
今、この世界を牛耳っているのは「金のためなら何でもする奴」と、「金の力で自分が偉くなったかのように勘違いしてる奴」。つまりトランプ的人間。
ドン・キホーテが持つような、騎士道精神は狂気の中にしか存在しえない。しかし、それらの利他的な美しい精神が消え去ったわけではない・・・
そんなことを、感じました。アダムドライバーが跡継ぎです。
つまらない
テリー・ギリアムらしいぶっ飛んだファンタジー要素もなければ、話の展開も驚きがなく退屈。昔作ろうとした時にできていたら傑作ができていたのかもしれないと、スコセッシの沈黙の時と同じことを思った。
ロードムービーです。
奇天烈なトレーラーで、賛否両論的な宣伝でしたが
私は、ロードムービー的に楽しめました。
ちゃんとストーリーにオチもあって、
このところ。スターウォーズ、ジョーカーなど
話題作を、観ましたが、これが一番よかった!
アダム・ドライバーも、スターウォーズなんかより
何十倍も素晴らしかった。
好みは分かれるだろうけど、私は大好きかな。
QUIXOTE VI VE →《夢》や狂気・空想に生きるのも悪くな...
QUIXOTE VI VE →《夢》や狂気・空想に生きるのも悪くない。ノリノリなアダム・ドライバーとジョナサン・プライスの暴走と凸凹化学反応がひたすら楽しいコンビネーション・チームワークを堪能できる冒険コメディ! 頓挫した制作過程を追ったドキュメンタリー映画『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を見ていたら分かる/見ていた方が楽しめる小ネタも、とりわけトビーがドン・キホーテと旅を始めるまでの前半にあって"不可抗力"(←ドキュメンタリーの終盤で保険外にされた要因)。その時と全く同じシーンもあれば、当時の製作時の体験を自虐的に(?)盛り込んだり、あるいはもっと最近・今日の要素も積極的に取り込んだりもしていて、しっかりと工夫やアップデート推敲も試みられている。ちなみなアダム・ドライバーはいつもの彼の髪型のトップを上に留めている形だけど、長さとかが丁度当時のジョニー・デップと似た具合で、ヴァネッサ・パラディが演じる予定だった役柄も似ていた。
ドン・キホーテは確かに生きていた、そして今もこれからも --- テリー・ギリアム念願も念願、超待望の企画がこうやって遂に映画館で見られる日が来るとは!!! しかも、もっと見にくい攻めた作品かと思っていたら、思っていたよりずっと見やすかった。一見ハチャメチャなのに一本しっかりと筋が通っていて目覚めに良い。『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』よりしっかり意志を"引き継ぐ"というテーマがきちんと描かれていた。そしてまた、例えば『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』でタランティーノが主人公リック・ダルトンに"時代に取り残される自分"を仮託していたように、本作もまたギリアム = ドン・キホーテなのかな?と感じる瞬間があった。最後に歴代ドン・キホーテ役でキャスティングされていたジャン・ロシュフォール&ジョン・ハートに捧ぐと名前が出て改めてここまで辛苦の歳月を実感した。
「仕掛けが満載よ、気にいるわ」
"I will live forever.'
今年映画館鑑賞10本目
素晴らしい劇中劇
寺山修司作品のような劇中劇は夢落ちのようで夢に落ちない現実世界がファンタジックに展開する。
このストーリーは、テリーギリアム監督自身の自伝みたいなものなのかもしれないと思った。
アダムドライバーはスターウォーズよりブラッククランズマンより巧い良い芝居を見せてくれる。
ジョナサンプライスは未来世紀ブラジルから30年を経て、この役に就いてくれてありがとう。
オルガキュレンコは鉄板の美麗さだったが大した仕事はしていないw
ま、これも鉄板か?w
それよりアンジェリカ役のジョアナリベイロが魅力的で気になる。追いかけてみたい。
ケチをつけるなら、翻訳がイマイチ。
駄洒落部分が落とし込めてなかった。
町山さんなんかがよかったかもねぇ。
松浦美奈さんあたりでも
good questionを「良い質問」と訳してしまうのかぁと少し驚き。
とかなんとか並べちゃいましたが
こんな素晴らしい作品の上映館が少ないのが辛い。
めっちゃ見応えのあるイカレタイカした作品。
超絶オススメ!
30年待った
待たされ過ぎたかも知れません と余り期待せず観たけれど‥
若い頃見た未来世紀ブラジル バロン‥そして、これを観るとこの監督の伝えたいものがよくわかる そして、それはまさにドンキホーテの世界 ドンキホーテをちゃんと読んだ事はないけれど、この世界の「構造」に立ち向かうという事は ドンキホーテの如く それは映画制作でも常にある葛藤と闘い それが30年かかる
ギリアムの当初からの構想通りではないと思うが 少なくとも忘れた頃にやってきた
この映画を観れて良かった。
改めてブラジルもドンキホーテも見返し 読んでみようと思う
不思議な世界へようこそするのは…
自分をドン・キホーテと信じてやまない男と、業界人風を吹かせるいけ好かない男の物語。
アリスの時計うさぎを担うのは不思議とだんだん可愛く見えてくるジプシー。
村に行ったあたりから、
現実と夢(悪夢)がどんどんぼやけていってその境目は最後には消えている。
映画館を出た後、自分は何の世界にいるのか分からなくなる脳のふわふわを味わえる。
おかしいと分かっていたはずなのに、何度も繰り返されることで何を基準にそんなことを…のループ。
もうテリーギリアムの世界に引き込まれている。
繰り返される「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」はまるで呪文のよう。
見えているものは真実か、まやかしか、気がつきたくない現実なのか。
あのムーンライトショー(と勝手に名付ける)では、現実よりも夢のほうが真っ当に思えた。
ものを作るということ。
作り手は思い描いた世界を実現することに必死だ。
鑑賞者は目の前で起きていることのエンターテイメント性を、
ビジネスマンは成功したかそうでないかを。
でも作品の背後にはそれだけでは推し量れない関わるものたちの感情や事件が隠れている。
それらを無視することもできない。
しかし全てに汎用であろうとすると作りたかった世界には到底辿り着けない、どうすりゃいいのよ、という苦悩が伝わってきた。
テリーギリアムそのもの
そもそも世界は不可解なもので、人間は不安定や理解不能を本質とするのであって、そこではたえず幻想・喪我・忘我のトランスが起こる。
この老人は確かに狂人だけど、見ているうちに幻想のほうに私たちの軸足が移っていく。
小峠みたいに「なんて日だ!」と叫びたくなるような散々な旅。ところが徐々に現実と幻想が逆転していく。実は幻想こそ真理なのだ。ついに「夢から覚めないでほしい」という感覚に陥る。
キホーテの天敵、妖術師。現代の妖術師は映画製作者かもしれない。人々に虚構を見せて金貨を得る。
10年前のロケの情熱は永遠のものだった。ラウルの店で靴屋がキホーテになった瞬間、回ってないカメラの前で踊るアンジェリカ…
情熱を取り戻し、妖術師に立ち向かうには、自分の中のキホーテにご登場願うしかない。気高さと純情と愛のためならば、痩せたロシナンテにまたがり、サンチョを従えて荒野の果てまで突き進むのだ。
創造性と狂気は紙一重である。目覚めるわけにはいかないのだ。テリーギリアムそのもののような映画だった。30年かけた本作を私は絶賛する。
そして、アダムドライバーは当代きっての名優。テキトーな映画には決して出ない。
ギリアムの悪夢に追い付いてしまった現実世界
スペインで「ドン・キホーテ」の映画を監督中のトビー(アダム・ドライヴァー)。
トラブル続出で製作に行き詰った感がある。
出資者(ステラン・スカルスガルド)から、「他の映画からアイデアをいただけばいい」と助言され、酒場の物売りの籠から手にしたDVDは『ドン・キホーテを殺した男』。
この作品は、自分が学生時代の卒業制作で撮った作品で、小さな賞ももらった・・・と思いだしたトビーは、現在のロケ地からほど近い、件の映画を撮影した村へと向かう。
村にたどり着いたトビーは、ドン・キホーテを演じた靴屋の老人(ジョナサン・プライス)はその後自分をドン・キホーテと思い込み人里離れて暮らしていると聞き、また、ヒロイン・ドルシネア姫を演じた娘(ジョアナ・ヒベイロ)はスターの座を目指して大都会へ出ていったしまったと聞く。
そして、再会した靴屋の老人は、すっかりドン・キホーテになりきっており、トビーを従者サンチョ・パンサと思い込む・・・
といったところからはじまる物語。
その後、ドン・"靴屋の老人"・キホーテとサンチョ・"映画監督トビー"・パンサが遭遇する悪夢のような事柄が描かれていくわけだが、現実と悪夢とが混然一体となった物語はテリー・ギリアム監督の過去作品『未来世紀ブラジル』と同じような趣向。
だが、あちらは、管理社会(=現実)下での日本風な夢想、と切れ目切れ目はわかりやすかったが、本作では、現実と悪夢との境目がわかりづらい。
わかりづらい、というと難解なように思えるかもしれないが、現実も悪夢もそれほど大差ない、といえばいいかもしれない。
米国CM監督によるスペインでの大規模映画の撮影、出資者のボスがさらに出資を請う大物はロシア人、スペインの片田舎にはモロッコから難を逃れてきたイスラム教の難民たち・・・
国というボーダーは消え失せていながらも、それぞれのナショナリズム意識は高い。
その上、個人はいつでも「俺、俺、俺」と言っている(と、これは、ドン・"靴屋の老人"がサンチョ・"映画監督トビー"に対して言う台詞だが)。
なんだか秩序は消えてしまい、現実が悪夢なのか、悪夢が現実なのかが判然としない・・・そんな世の中になってしまったわけだ。
そんな物語の中で、悪夢をみるのは、常に、サンチョ・"映画監督トビー"であり、ドン・"靴屋の老人"は悪夢なんぞはみない。
この構図がおもしろい。
正気を失ったものには普通に見える世界・・・
最後に、ドン・"靴屋の老人"は、自分が「靴屋の老人」であることに気が付くのだが、これがあまりにも虚しく、哀しい。
そしてその代わりに、サンチョ・"映画監督トビー"がドン・キホーテになってしまうわけだが、普通であるためにはしかたがない必然、と感じられる。
幾度も、製作と中断・中止を繰り返した本作、完成するときには、あっさり完成する。
それは、テリー・ギリアムが悪夢と思っていた世界に、現実の世界が追いついてしまったからではありますまいか。
完成してしまったリアル。
この作品が完成しなかったドキュメンタリー映画さえ観て笑ったこともあるのに。完成しちまうとは!未完の名作、幻の傑作である<伝説>が、そうでなくなった。しかして、相変わらずテリー・ギリアムはカオスである。
「ロストインラマンチャ」を見ていたので、遂に出来たかと。完成したこ...
「ロストインラマンチャ」を見ていたので、遂に出来たかと。完成したことを喜ぶべき作品でそれ以上ではない。衝動躍動はもうない。構想うん十年の映画は大概こうなってしまうね。
全91件中、21~40件目を表示