小さい魔女とワルプルギスの夜のレビュー・感想・評価
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ファンタジーとは、出鱈目な話。故に現実と置き換えて精査しなければばならない。この映画のテーマは、移民排斥運動と断定する。
魔女が『ロマ族』を現していると仮定すると恐ろしい話になる。
呪文の本を焼いて、『魔の山』が炎に包まれる。形を変えれば、ナチスによる焚書と受け取ることができる。
森の中から、薪を持ち出すことを禁止する行為は、ロマの映画で最近見た。この映画の中でも、それを表現している。
悪気があって、こういったファンタジーを書いていると思いたくないが、民話や伝承を参考に書いた原作なのだから、ドイツ人なら分かっているはずだ。意図的にドイツの暗い歴史を隠している。戦後、ドイツが学習してきたはずだ。
『賢明なドイツ人よ。目を冷めせ。こんな映画作っていたら、どこかの国と一緒になる。』
ハリウッド映画の様にCGを多様していないので、その点を評価したいところだが、やっぱり駄目だ。きちんと、歴史を精査して、たとえファンタジーといえども作らなければ駄目だ。これでは、ファシズムだ。
この映画で使われる魔女の音楽はロマの音楽とJAZZが融合した音楽に聞こえる。主人公は一人でその音楽を楽しんで、仲間がいない。何が楽しいのだろうか?どうやって、魔女として生きていくのだろうか?この頃のドイツにはまだ、ナチスは登場していない。ヒトラーが現れれば、真っ先にホロコーストされるのだから。もっとも、みんな、カエルとブタに変えられたのだから、誰もいないだろうが、魔女の寿命を考えると、彼女だけはヒトラーの時代に遭遇することになる。
この原作は、僕の仕事の関係上、知ってはいたが!読んだことはなかった。同じドイツの山を題材にした『魔の山』を読んで、難解な話で、この原作も避けていた。一度原作を読んで見ようと思う。『魔女の宅急○』なんかに影響を与えただろうとは容易に想像できる。
兄弟が魔女の所ヘでかけて、ご馳走になる件はまさに『ヘンゼルとグレーテル』だ。兎に角、笑っていられないし、見せるなら、子供にはキチンと説明して見せないと。
ファンタジーとは、出鱈目な話。故に現実と置き換えて精査しなければばならない。この映画のテーマは、移民排斥運動と断定する。
教育的良作
ドイツの小学校の先生だったオトフリート・プロイスラーさんが民話や伝承を基に子供たちに語っていた物語を後に出版、本作もその一つで人気の児童文学です。いじめっ子は家庭に問題があるという視点も先生らしいですね。
なんとなくチコちゃんに出てくるキヨエを連想してしまいましたが小さい魔女にもカラスの友達がいて悩みの相談相手役を担っています、森に隠れ住む魔女と言え孤立化していない設定も巧みですね。
ポイントは良い魔女というのが大きな魔女たちと小さな魔女の解釈では真逆だったこと、子供たちに考えさせる意味で重要なテーマです、「魔女の宅急便」や「ハリー・ポッター」など映画やアニメで大活躍の魔法使いですが、中世~近世の時代には人に害を及ぼす悪とされ魔女狩りが横行、疫病や悪天候などいわれのない嫌疑をかけられ犠牲になった人もたくさんいたのですから信仰や正義の危うさへの観点も重要ですね。
過去には人形劇やアニメ化もされたようですがCGを使った動物たちのリアルだがファンタスティックな表現を活かして見事に実写化、子供たちに観て考えて欲しい良作でした。
(脱線)
魔女のお祭りに憧れる主人公ですがまるでキャンプファイアー程度にしか見えず、なぜそんなに執着するのか不思議でしたがドイツの方なら納得らしい。
ワルプルギスの夜にブロッケン山で年に一度、魔女の祭りが行われると言う伝承、ゲーテのファウストにも登場しますが、山の霧による光の錯乱現象で遠くに写る自分の影が大きく見えるのだとか、その現象が化け物と勘違いされ、魔女たちが祭りを開くワルプルギスの夜という迷信も生まれたそうです。地元では毎年4月30日に壮大なお祭りが開かれハロウィンさながらのコスプレ行進や魔女にちなんだイベントが観光客に大人気だそうです。
私たち大きい魔女は猫を飼うんだよ
映画「小さい魔女とワルプルギスの夜」
(マイク・シェーラー監督)から。
ドイツの世界的児童文学「小さな魔女」の実写映画化、
いい意味で、ファンタジーだったなぁ・・と感じた。
悪いことをするのが「よい魔女」なのに、
主人公の「善人を助けて悪人を苦しめる」ことが、
「よい魔女にふさわしい行為か?」と問われる。
「本当によい魔女になる気があるのか?」とまで言われ、
「何がよくて何が悪い?」と悩む、主人公の小さな魔女。
その悩みにも相棒のカラスがこう言う。
「それは頭ではなく感覚で判断する。
内なる声に耳を傾けて感じ取るんだ」と。
127歳でも半人前の「小さな魔女」と言われるが、
では「大きな魔女とは?」と、メモを眺めたら、
年齢ではなく「私たち大きい魔女は猫を飼うんだよ」、
そんなフレーズを見つけた。
なるほど、黒いカラスではなく、黒い猫かぁ・・と笑った。
確かに、魔女には黒猫が似合っているよなぁ。
分かりやすい勧善懲悪に不思議な安心感。
言ってしまえばなんとなく時間が余ったので観ただけだった。しかし、このところ重いテーマの映画ばかり観ていたことも手伝って、この良い意味での「簡単さ」に安心感を覚えてしまった。
粗を探して意地悪なことを言おうと思えばいくらでも出来そうなところだし、ストーリーや内容的な部分でいえばまったく大したことのないものであることは否めない。しかしながら次第にこのなんとも分かりやすい勧善懲悪が無性に居心地がよくなって心落ち着いていた。悪役は分かりやすく意地悪で尚且つ滑稽でもあるから躊躇いなく安心して憎んでいいという単純な世界。悪い魔女がしっぺ返しを喰らうことに胸を痛めなくていい世界の分かりやすさ。白と黒が入り混じった現実を生きて、善と悪が入り混じったような映画ばかり観ていた中で、この明白さがやさしかった。「そうだ、たまにはこういう映画も観なくちゃ」ってそう思わせてくれるような映画だった。
そして「こういう映画」はやっぱり、最新CGIテクノロジーを駆使した大作映画で・・・というのとは話が別。この映画ももちろんCGIを使って魔法を演出しているけれど、どこかに手作り感が残っていて、そこが寧ろこの映画のチャーミングさ。ヒロインが住む家の美術の可愛らしさも纏っている衣装のキュートさも、一つ一つ手作りのような温もりがあって素敵だった。
出来不出来を問われると必ずしも出来が良い映画ではないけれど、好感の持てる作品だと思った。
ただどうしても気になったのはヒロインのキャスティング。女優さんの年齢のことをとやかく言うのは如何かとも思うけれども、小さい魔女はもう少し若い女優というか、寧ろ子役さんくらいでちょうどよかったのでは?と、実は予告編の段階からずっと思っていた。演技がどうこうというわけではないので、観ているうちに年齢的な部分はさほど気にならなくなったものの(どっちみち127歳の設定なのだし)、しばらくはなんとなく違和感があった。
愉快で可愛い作品ではあるが
イオンシネマ板橋での試写会で鑑賞。
時間が100分くらいということもあってかテンポよくて見やすかった。
そして小さい魔女やアブラクサス、そして子供達とのやりとりが可愛くてホッコリする作品。
ただストーリーはあまり面白くなかったかな。
最後は大魔女をカエルにして(叔母さんはブタのようなモンスターに)魔女達を消し去るわけだが、イマイチ大魔女がこの作品内では典型的な悪として描かれてないため、カエルにしてそのままなのは若干違和感を覚える。
もちろん子供達を石にしろなど、悪い魔法を使う魔女こそいい魔女だと言葉では悪への存在を匂わせていたが、叔母さんなんかはいざ子供達と接しても悪い魔法をかけたり怖がらせたりしてないからね。
もう少し大魔女の存在を悪として描いて欲しかったかなってのが率直な感想。
それにしても山ちゃんは相変わらずうまいね。特にいびきのシーンとか。
このお話もディズニーが制作したらもっと大きなファンタジーになりそうと思いながら観ていたりもしたかな。
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