ハウス・ジャック・ビルトのレビュー・感想・評価
全33件中、1~20件目を表示
目を背けつつも陶酔する自分をどう捉えていいものやら
なかなかヘヴィーな劇薬だ。シリアルキラーが主人公なだけあり、目を背けたくなる残虐シーンも多いことはR18+というレイティングから容易に推測できるだろう。
これがホラー映画ならその過激さもどんどん右肩上がりを続けるもの。だがラース・フォン・トリアーはそういったジャンル映画とは一線を画し、殺しの不条理さ、時折挟み込まれるコミカルかつシュールな描写を織り交ぜながら、観客をまだ体験したことのない未曾有の境地へと誘い出していく。
鑑賞中、「やばい、このまま観続けたら頭がおかしくなる」と何度危機感を抱いたことか。それでも結局、最後まで目が離せなかった。特に、ダンテの「神曲」をモチーフとした最終章は、怖さ、残虐さから遠く離れ、むしろ深遠な気持ちが湧き出してくるほど。一概に傑作とか良作とか言えないが、こういった実に不可思議な着地点に到達できるのも、トリアー作品を見続ける大きな醍醐味と言えるのだろう。
自分の感性では、只の殺人映画だった
〈悪かった所〉
・自分語りが多い、話を只の殺人から長々と美化し過ぎ
・ジャックの異常な心理や考え方を伝えたいのは分かるけどそれがクドすぎる
・最後の地獄巡りのセットや脚本がいきなりチープ過ぎて笑えてくる
〈良かった所〉
・ジャックの2番目の殺人、警察の振りをしておばさんの家に侵入する場面が、際立って気持ち悪くて驚いた。おばさんの不審な目や、ジャックの化けの皮が外れた狂気性が作品を通して、此方まで感じれる程鮮明で思わず顔を顰めてしまう場面だった。こういった映画で嫌悪感があるのは普通血肉が飛び散る所なのだが、ジャックによるおばさんの殺し方は、単純な首絞め。それなのに本当にあったシリアルキラーの殺害現場を見ている様な、気持ち悪いほどのリアルさと、当たり前の日常がいきなりの暴力で縊り殺される不気味さが感じられ、凄かった(語彙)
・逆にこの2番目の殺人がリアル過ぎて、他の殺害が見劣りしてしまった程だった
・最後に登場した悪魔がしっかりスーツでお洒落にきめていて、グッときた。『コンスタンティン』のサタンでもそうだったけど、悪魔がスーツでビシッときめているのは格好いいなと思う
〈総評〉
語りが多過ぎて、最後が尻すぼみしてしまうのはどうしても否めないし、中盤まで続いていた「脚本で誇張され過ぎていないリアルな殺人鬼が、一般人を襲っている様な忌避感あるグロテスクさ」←この雰囲気が続いていたら良かったけど、終盤の脚本は、普通の思考の人が考えた演劇芝居に感じられた。
血肉がバンバン飛び出るゴアではなく、日常の中で起こる殺人のリアルな雰囲気を感じ取りたい人におすしめ🍣
退屈さに耐えられなくてだいぶ早送りした。
序盤中盤と終盤で映画のジャンルが変わっており、序盤中盤は主人公が人を殺していくのを繰り返しているだけで退屈だった。終盤(地獄から脱出を試みるパート)はそれなりに楽しめた。
めんどくさいファンになってしまった
またこういうオチ!?みたいな感想を抱いた。トリアー監督といえば胸糞なのでいつも通り平常運転の作品なんだけど、この監督の作る、鬱屈とした自己に閉じ籠もる登場人物たちが、どういった変化を見せるのかという期待をずっと個人的に抱いている。
今作はそういう意味では変化や新しい活路など無かった。
冒頭の主人公を凄まじく侮辱する女性なんてそうそういるもんか、虐殺のスイッチとして都合よく登場させてんじゃないや。途中の「なぜ他人は自分に冷たくする?」って感じの主人公の台詞がこの映画で初めて感じた生の声だった。言いたいことは、テーマはこれじゃないの。
そんなめんどくさい感想を持ってしまった。
深遠な自己の世界の描写として扱うには唐突で一貫したテーマもなく、断片的であり、その断片が表面的にしか繋がっていないのでどちらかというと自己陶酔に近いものをジャックから感じた。
ジャックが「いいな」って思ったり崇高だと思ったテーマを露骨に精神世界に反映しているように思えてしまい、幼く感じてしまった。演出される精神世界の劇場・煉獄もジャックの単なる雰囲気の取り入れとしか思わない。
なので現実で建てた木材を使った家はお粗末で、ずっと続けてきた殺人の死体でだけ家を建てれたわけだ。彼の家は彼のいいなって思った教材を使った内面世界でしか存在しない、外界との接触は不器用を突き抜けた殺人だけ。
恋人ごっこもできる器用な一面もあるから普通に生きれたと思うけど、本人が無理だって思うなら仕方ない。
彼の好んだ芸術家や作品や建築は、芸術家たちが過ごした時代、世相、人々との関わりを営んできた上で生み出されたもので、それが積み重なって生きるということなのだけれど、ジャックはこれを死んでも好まないし理解もできないだろう。というか自分の欲望に負けてしまうというか。現に自己に閉じこもったまま死んでしまった。
ラストの「あの家」の形には残念ながら納得…。。。
ただただ「人間」という生き物誰しもが持ちうる残虐性を描いていた。…わけではなかった。
人を殺すことでしか生きられないシリアルキラー「ミスター洗練」ことジャック。
人を殺すのは自分のせいではなく、「芸術性」や「「ドイツ軍で処刑用弾丸不足のアイデアに敬意を表して…」と、“自分ではない別の理由”があるから人を殺す、ということにする。「自分はマトモ」いうことにして、喜怒哀楽の感情を鏡の前で練習したり、社会との接点を常に持とうとする。
男性より女性を殺すのは女性の方が「協力的だから」というが、単に抵抗にあいづらいというだけで、力が弱い女性をターゲットにしてるだけ。ジャックの幼少のシーンでは、ひよこの足を躊躇なく切る様子からも、ただの弱いものいじめに過ぎない。
「こうしたい」と思ったらその欲求を抑えられない。人によってはそれが飲酒だったりタバコだったりする中で、ジャックは「人殺し」を止められない。幾多の感情で構成される人間の心の中で「残虐性」が極端に育ってしまった「人間」という生き物、名前は、ジャック。
生まれながらかトラウマがきっかけか詳細は描かれないが、ジャックがなぜそうなっているかは「理由」はない。人間がそうなってしまうのに「理由がないこともある」とでも言いたいかのように。
ところどころ十字架が写ったりするのは、キリスト教に疑問を投げかけているのか、最後のシーンでも赤=キリストの色に包まれたジャックが地獄に落ちていくのは、皮肉っぽくも感じた。
劇中の「家」は、「人間性」を表しているのかもしれない。
最後まで家が完成しなかったのは、人間としてどう生きるかという完成形が見えてこなかったから最後まで完成しなかった。人間性を建築(構築)することができなかった。
終盤、冷凍室にある死体で家を造ったのは、『今あるジャックの材料(心、感情)で、人間性(家)を構築』した。建築家への憧れは、「つくる」ことへの構築への憧れ。「壊すこと」でしか自分を律せないジャックは、人間を壊し続けることに『自分』を見出す。
壊すことで自分を構築する矛盾から生まれた「建築家」という概念は、物語に深みを出している。ただ、最悪で胸糞悪い殺人鬼の話と描写なので、視ていて気持ちのいいものでは決してない。
ジャックのもう一つの人格「ヴァ―ジ」は、自分(ジャック自身)を客観視する役割。心にブレーキをかける存在でもない、ただ客観視するだけの存在。その風体は、疲れ切った老人のよう。これまでジャックの行為にブレーキを踏んできたがそれでも言う事を聞かず、果てには見ることしかできなくなったような、疲れ切った老人に見えた。
もしくは、シンプルに地獄への案内人。
家族を持とうとしてうまくいかず母子ともども撃ち殺したり、恋をしようとしてうまくいかず恋人を殺したり、親友だといっておきながら結局うまくいかず殺したり、関係性を建築(構築)しようとしても、家を壊すシーンのように、関係性が出来上がる前に壊す=「殺す」してしまう。
建築家になれなかった、家を建てられなかった、社会一般の人間になれなかった、人間性を構築できなかった。
ラスト、スタッフロールの音楽を明るくしたのも気味が悪い。その残虐性も徹底している。
クソ暑い日には殺人鬼映画で爽やかに
なるわけあるかい!
分量を間違えるとダメージが大きいトリアー摂取でしたが、ポンポンいたくなったが途中で麻痺した。それでも一回挫折したり休み休みで何とか観終わることができた。何この新手の修行。
死体で遊び出したあたりから雲行きあやしくなってきてたが、親子パートとかひどい。終わりまでひどい。そして女心を弄ぶライリー・キーオパートがかわいそ過ぎる。地獄へ落ちろ〜!
絵画パロディがやりたかっただけではないんでしょうね。
あ、落ちた。
観ているこちらも狂いだすサイコパス劇薬映画
ある建築家を目指す男の殺人の告白が対話形式で進んでいく、劇薬映画。
主人公ジャックは所謂サイコパスの殺人鬼。
最初から最後まで、彼なりの家を造ろうとする中で、殺人を繰り返していきます。
被害者たちは皆、少々不用心な気がしますが、ジャックは出会った人を容赦なく殺し、巨大冷凍庫に保存。
彼の殺人人生を5つの出来事に分けて、話が進みます。
とにかく不思議な映画体験をしたという感じですね。
ジャックがただただサイコパスなので、死体を並べて写真を撮ったり、乳房を切り取って財布にしたり、家族を撃ち殺したり、全く共感できませんでしたが、受け付けない感じではなく、どんどん観ているこちら側が深みにはまっていきました。
途中途中で、ヴァージとの雑談に合わせて組み込まれる映像も強く印象に残ります。
中でも、何度も使用されていたカナダ人ピアニスト、グレン・グールドの演奏はなんとも不思議な感じでした。
ジャックの夢は自分なりの家を造ること。
何度考えても思い通りにいかず、結論(?)としてあの死体の家になったというのは、ここまで期待させといて流石だなといった感じです。
全体的に建築のことや哲学的要素、それから最後のエピローグなど、かなり映画としては難解な感じでしたが、ストーリー自体は5つに分かれているということもあり、すんなり入ってきました。
個人的に特に良かったと思ったのは、2つ目の出来事の際に、血痕が気になって何度も何度も家に戻ってしまう(彼の障害の症状なのでしょうか?)けれど、5つ目の出来事ではパトカーのサイレンもそのままで行ってしまうようになったという所(殺人によって障害が軽くなった?)と、楽しいピクニックでの家族狩りですかね。
子供を撃つシーンだけでも辛いですが、母親を最後に殺すというように、動物の狩猟のようにしているところが、何とも衝撃的でした。
エログロ上等、目を背けたくなる映像もありますが、ナイフを先に写してくれたり、殺すまで溜めがあったり、殺すシーン自体はなかったりと、それなりに配慮があるので、そこそこの耐性がついていれば難無く観れると思います。
かなりヤバい映画ですが、僕は気に入りました。
ゾッとするほど、魅力的
まさにそんな感じです。
なんというか.....
なんと言ったら良い映画なのかという感じです。
ただただ救いの無い殺人、殺人、殺人、で、最後は地獄に落ちて「もう帰って来るなよ」と歌われてしまうというオチ。
日本だと園子温なのかな。
それに気づいたら、これは「愛なき森で叫べ」だと分かりました。
どっちも駄作だけど、駄作と言い切れないような.....
それでも何故か怖いもの見たさ故に、150分を観てしまうのですが、何か残るかと言われると、何も残らない話だと思いました。
疲れてる時は見てはいけない
長いのでかなりネタバレかもです。
「本作があなたの人生を…」というキャッチコピーは大袈裟ではないかも。出だし、ぐずぐずしていながらも見ている方はどうなる?とハラハラ。特にCMも見ていなかったので登場人物どちらが手を出すの?と思いました。
一度行動に移すと歯止めがなく、出て来た殺人シーンより多く殺しています。ショッキングな場面は多々ありましたが、私は乳房を生体で切るのに目を背けたけど、それより付き合っている(?)親子とピクニックに訪れ楽しいひとときのような(子供一人は嫌がっている)場面からハンティングに発展。子供なぜ逃げる!?頭と脳みそ吹っ飛びその後の死者とのランチタイム、さらに進むと造形。疲れてるいる時、特に心が弱っている時には見るべきではない映画。
作品的にはさすがだと思うので☆4付けましたが見なければわからなかった今も見て後悔も半分の感想。ないけどR25位にしていいのでは?
最後の描写は宗教的なのもあるのかちょっと謎。開かずの扉が何故か(どうしても開けたければ開けられただろう)開けられ、今まで何故やらなかったのか自分の納得の行く建造物(?)作品の下に穴が、は想像からなのか(?)警官に打たれ、既にここから最後の審判が始まっているのか?
殺人鬼がフルメタルの弾丸を取りに行った時、軍人の彼は皆を逃がせられると期待が裏切られたのもショックだけれど結果オーライ。
見ている最中から気になっていたのは倉庫を譲ってくれた持ち主の行方。本当に倉庫は購入した物なのか。見逃してたらごめんなさい。実行の前の心理戦に嫌なドキドキをさせられました。
見る人、それ以上に「見ていい人」がかなり限定される作品だと思う。
始終気になっていたのはマット・ディロンてこんな人だったっけと古い記憶でした。アメリカの銃規制がされますように。
うっわ、乙一ワールドやがな…
Body Houseって…Body は複数形にならんのか、と的外れなところが気になる俺。乙一のBody Houseは生きたままの子がいたけれど。どっちも勘弁して欲しい。
強烈なヒトゴロシ場面の乱れうちは、人が潜在的に隠し持つ残虐性を刺激してくれるったらくれるんだけど。胸糞悪い。嫌悪感。
一人目のご婦人は「そうだよ、少し黙れよ」。だが二人目の未亡人のオバ様で、彼のヤバさが表面化。いや、警官、免許証くらい見ろよ。あとは、もう、地獄の底への直滑降。ライリー・キーオのヤラレカタが一番嫌だった。乳房の周囲にマーカー。その時点で、何が起きるかわかるじゃないですか。もうね、途中退席してトイレに行こうかと思いましたが、それも何なので、スクリーン左外を眺めてやり過ごしたのに.....持ち歩くなって!小銭入れとか、勘弁して欲しかった。マジで。
あー、やべぇー。苦手なのに、何で見るかな、俺。逃げたくなるくらいだったので、多分、高評価しても良いと思います。
「殺人が芸術」だなんて、下手に言いたくは無いけれど、「Perfume」よりは、こっちの方が「嫌いじゃ無い」です。
☆自己フォロー
小銭入れじゃなくて財布ですね。札が入ってた…
デカかったんですね。そう言う問題あるじゃないけど。
次も観たい
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』以来トリアーのファンになり、鬱三部作もすべて映画館で観てきました。彼の抱えているテーマに強く興味を引かれています。そのテーマとは「女性性、またはそれへの恐怖≒憧れ」です。作品の出来映えや美しさに関わらず、このテーマによって、彼は私にとって常に最も「気になる」映画監督でした。
『アンチ・クライスト』、『メランコリア』、『ニンフォマニアック』の三作は、一般に鬱三部作と呼ばれますが、私の中では女性恐怖症三部作と呼んでいます。「女性性≒移り気・不安定さ、非論理性・情緒性、自己犠牲・献身性、依存性・共感性…etc.」といったものへの畏怖・興味と、自らの鬱症状・不安感が絡まり合ったものがこの三部作だったと思っています。
ただ作品を重ねるにつれ、女性も人間の一種であり、女性も男性も等しいこと、同じように愚かな生き物であることが表現されるようになったと感じたので、鬱三部作は観客の興味を持続させる連作としても、彼自身の治療としても、成功したのではないかと思いました。
そのような経緯を辿っての新作、『ハウス・ジャック・ビルト』。意外にも主人公は男性です。そして語られる芸術論にしても、女性への態度や強迫性障害にしても、ジャックはトリアーの代弁者であるようです。そして、彼の対話の相手であるヴァージは、トリアーの良識の代弁者なのでは、と感じました。
思うに、彼はいつも興味の対象を主人公として、物語を立てているのではないでしょうか。またそれでなくても、この映画は殆どが内省・自問自答の形でできているようです。彼の興味の対象が、自分の抱えている恐怖や、それを投影した外部的なもの(女性性)から、自身の創作態度・理想とする芸術観へと移ったのではないかと感じました。
愛のない芸術など有り得ない、とヴァージは言いますが、ジャックは芸術は計り知れないほど懐深いものだ、と言います。芸術論に関してはジャックの方が雄弁なようです。きっと彼にとって、幼い日の憧れである草刈りの光景も、写真のネガに見た「ダーク・ライト」も、同様に切実な真実であるのでしょう。
本物の建築家になりたくて、「家」が作りたくて、人間の家を作ったジャック。トリアーは本当は何を作りたいのだろうと思いました。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が、私の中では変わらずトリアーの最高傑作です。凄惨な表現はあっても、現しているのは人類愛でした。一人の人間の美しさを讃える作品でした。またそんな作品を観てみたいとも思います。
また驚いたのは、この作品が至極冷静に、明晰に作られていることです。自省とは、自分を客観視する行為です。そして客観視できなければユーモアは生まれません。この映画は全編通してユーモラスで、ダジャレばっかり(ex. robberyの容疑で逮捕しにきたRobを、robeを羽織り騙して殺す)で、ほとんどコメディのようでした。赤いバンの真四角さが、間抜けで滑稽に見えました。彼は観客を笑わせ、楽しませることができるのです。
演出や仕掛けも面白かった。セオリーに沿った丁寧な演出もあり、セオリーをぶち壊すような発想や展開もあり、全く飽きませんでした。地獄に下ってからもやりたい放題で、楽しくて仕方なかった。
音楽やアニメーションの面白さ。挿入されるイメージにコラージュ的な作用があります。ジャックがバンの前でフリップを捲っていくシーンがたまらなく好きでした。
更にマット・ディロンが素晴らしかった。彼以外にジャックを演じてほしくないと思わせるほど。ジャックの魅力の半分を彼が作っていました。
そして痛快なラスト、痛快なエンドテーマ。ジャックを地獄に落とし、ジャックに出ていけと歌う、この締め括りは彼の自嘲のようにも見えました。
こんな面白い映画が観られて良かった、彼がこんな明るく朗らかな(?)作品を撮れて良かった、と心も軽く映画館を出られました。
彼の次回作が観たい。彼にはもっと映画を撮ってほしいです。
反キリスト教的要素に惹かれてしまう監督個人の超極私的映画
暗い中、ふたりの男の会話が続く。
ひとりは事象建築家の連続殺人鬼ジャック(マット・ディロン)、もうひとりは正体不明の男ヴァージ(ブルーノ・ガンツ)。
ヴァージは「これは告解ではない。だたの話だ」という。
ジャックから語られるのは5つの出来事。
数ある殺人の中でのたった5つのこと・・・
といったところから始まる物語で、第1の出来事は、自動車が故障して立ち往生している高慢な女性(ユマ・サーマン)、親切心を出して手助けしたジャックだったが、衝動的にジャッキで殴り殺してしまう。
ジャックがジャッキで女を殺した・・・
英語でいうと「Jack killed her with her jack」だ。
ジャックもジャッキも同じjackなので、言葉あそび。
タイトルの「THE HOUSE THAT JACK BUILT」は、マザーグースの
This is the house that Jack built.
(これはジャックのたてた家)
This is the malt
That lay in the house that Jack built.
(これはジャックのたてた家に ころがってたモルト)
This is the rat
That ate the malt
That lay in the house that Jack built.
(これはジャックのたてた家に ころがってたモルトを 食べたネズミ)
・・・と、どんどんと続いていく言葉あそびから採られている。
根底には、ラース・フォン・トリアー監督のキリスト教的素養と反キリスト教的素養が寝っ転がり、全体としてはダンテの『神曲』をモチーフにしているようだ。
ただし、『神曲』に関わる部分は、こちらの素養がないので、あまりわからない。
映画は、陰々滅々した男同士の会話と、ショッキングだけれども淡々とした殺人描写が交互して繰り返され、その途中途中に、監督がイメージする藝術が挟み込まれていく。
このモンタージュ手法は途中までは面白いが、第3の事件あたりから飽きてくる。
「飽きてくる」というのは不謹慎か。
でも、緩急の変化がないので、感覚的に麻痺してくるのは確か。
そんな中、目を引かれるのは、ジャックの子供のころの思い出。
陽の光を浴びて黄金に輝く野っぱらを、村人たちが大鎌を振って、同じリズムで草刈りをするシーン。
幼いジャックは、それを川か池のそばでみている・・・
「草むらの中に逃げ込むのは、実は捕まりたいと思っているからだ」とヴァージがいう。
そして、このシーンは、第5の出来事後の地獄巡りのシーンでも再び登場し、ヴァージはその野っぱらを指して、「楽園」だもという。
このシーンで、ふと思った。
ジャックは、あの大鎌で首を刈られたかったのでは?と。
キリスト教的素養がありながらも、反キリスト教的要素(この映画では暴力・殺人)に惹かれてしまう監督みずからのアンビバレンツを、ジャックとして描いてる「超極私的映画」。
ジャックのように地獄に堕ちたいなぁ、堕ちるのが当然だぁ、と監督は思っているに違いない。
追記>
ヒトラーの映像、やはり出ました。
出たとき、「出たぁ! やっぱり」と思いました。
ゲーテが思索した樹が、強制収容所の一部になっている様子には、驚かされました。
無駄に殺人が続くのは
この映画は見ない方がいい。嘔吐してしまいそうになるぐらい、無意味に一人一人と遺体を積み上げ大事に蒐集するのだから始末に悪い。それが芸術だと思っているから余計に始末に悪い。
その先は遺体を冷凍保存し彼の夢を創作物を構築して法悦するのだから呆れてしまう。
そしてその先が更になんじゃこりゃ〜!
欲望は尽きることはない。
この映画は見ない方がいいに決まっている。
2019年ベストムービー!⭐️
車用のギャジで女性の顔面を殴りつけて殺したり、兄弟の子どもを撃ち殺したり、女性の乳房をナイフで切り取って殺したり、死体の山で家を建てたり…衝撃的なシーンの連続です(笑)…かなり生々しいので、苦手な方は観ない方が良いかも知れません。
ナチスの映像や宗教的なシーンが挟み込まれたりで、無差別殺戮とか愛とか快楽とか、もっと普遍的なテーマがこの作品にはあるようです。天使?のような声もあらわれ、主人公ジャックと延々と対話し続けます。
一見しただけでは、なかなか分かりにくいテーマですが、その映像の衝撃度に圧倒されて観終わりました。目を背け、戦慄するような表現がこの作品には必要であったという事なんでしょうね…。
*パンフレットを購入しましたが、監督のまあまあ長めのこの映画に関する発言や、色んなキーワードについての解説など、この作品の鑑賞後には読み応えのある一冊でした。この映画が、よく分からなかったという方には、参考になるかも知れません。
乙一?
今作の監督さんの作品は「ダンサーインザダーク」しか観たことがなく、悪趣味ではありますが、今作でもまた「ダンサーインザダーク」のあのラストシーンのような衝撃映像が観られるかと思い、観賞しました。
結果的には、序盤の殺害シーンがやや物足りなくもありましたが、死体をいじくったり、それらで家を建てるシーンなどは見応えがあり、変に興奮を覚えました。なんだか、小説家の乙一さんの初期の短編作「seven room」と「冷たい森の白い家」を映像で観られたような喜びがあったからかもしれません。
今作の大半が、殺人鬼であるジャックの殺害の手口や、思考(嗜好)を、精神鑑定的に追体験していく内容でしたが、決して彼のような存在を肯定するわけでも崇拝させようというわけでもないのでしょう。
最後の最後まで観れば、それは明らかですし、エンディングでも、それを念押しするような選曲でした。言わば、本編が丸々振りだった、というような作品でした。
退屈とまではいいませんが、二時間半にもおよぶ前振りは、やや冗長に感じましたし、表現も独特なため、正直、かなり疲れました。
とはいえ、おもしろかったです。
自分がこの作品をレンタル店でジャンル分けするとしたら、まず間違いなくコメディに陳列します。
殺人鬼の求める家
これはとんでもない映画です。さすが18禁だけある
あの鬱映画ダンサーインザダークのラース・フォン・トリア監督と聞いたら鑑賞しないわけにはいかない。
巷ではアラジン、メンインブラックなどエンタメ性バツグンの同時期に上映している映画を差し置いてまずはこの映画を見に行きました。
潔癖症、強迫性障害、それにより窮地に陥る主人公や死体を現場に戻して妙な写真に取りに戻るなど、本人大真面目で見ててコメディ要素もあり
色使いが素晴らしくて赤いバンや赤い服、赤い帽子を印象的に使っていた
何度も繰り返されるピアノの映像などで瞬時になにか引き戻される感覚がある
サイコパスの特徴なのか嘘のうまさ、女性にはモテるようで
ほぼ結末には相手の死が待っているので一体どう言う死が待っているのだろう?と言う興味が湧いて釘付けになる
面白いのは殺害する人間の背景がいまいちわからないのであまり同情できないこと、主人公を深く知りもしないのにあまりに無防備でバカに見える為に殺される側にあまり感情移入することがないので主人公視点からやってしまえ!なんて不謹慎な気持ちになったりもしたが
子供も容赦なく殺害する上で母親との絶望的なピクニックシーン、その後死体の表情を無理やり変えるこだわり、笑顔の子供が映り込むたびに恐怖を感じた
タイトルの通り、家を何度も作っては解体しラスト理想の家が作れたのだが理想の材料はブロック塀でもなく木でもなく
死体だったのは印象深かった。
どこがで自分を止めて欲しいと言う気持ちからパトカーのサイレンは止めなかったのだろう、地獄?への描写とラストの
自分自身が執着していたネガになるシーン
見事な起承転結でした。
ひたすら苦痛、だけど見てしまう。
殺人の衝動を、主人公が外灯に写る自分の影で語っている所の表現が印象に残りました。
そして、謎の声が「しかし、それは他の衝動でも言える事だ…」と言い、確かにと共感してしまった。ある意味、殺人の衝動を少し理解した様な、謎の感覚に恐怖を感じました。
この映画の言いたい事は、このシーンに一番現れている気がします。後は、二時間半も苦痛が続く…。 二度と見たく無いけど、不思議な魅力があり最後まで見てしまい ました。 相変わらず、トリアー監督は女性を酷い目に合わすのが好きなサディストですね。そして、観客には優しく無い…。 そこが魅力なのかな?良く分からなくなってしまいました。
ガツンときた
シリアルキラーに寄りそう表現で、最初の女のように死んで当然みたいな被害者もいるのだが、子どもを殺すところはつらい。しかもその後、死体をおもちゃにしていてひどい。しかし本人が衝動に突き動かされているだけで、決して楽しんでいるわけでない感じも怖い。
最後の地獄はなんだ?
二度とは見たくないけど傑作だ。
デートでは絶対見てはいけない映画
殺人シーンてんこ盛り。
特に母親の目の前で子どもをライフルで狙撃するシーンとか…
いくら映画でもいかんでしょ、あれは。
売春婦の乳房を切り取るシーンとか、映画とわかってても目をそむけてしまい、見れなかった。
とにかく後味の悪い映画。
ラース・フォン・トリアーが天才なのは
わかるし、編集の仕方にもその天才さがあらわれてたとは思うけど、何を言いたくてこの映画を作ったのかわからなかった。
天才の頭の中は理解できん…
ドックヴィルは面白かったのになー
本筋と関係無いけど、マット・ディロンはいつまでもカッコいい!でも、よくこの役受けたな…
逆にユマ・サーマンはすっかりおばちゃんに…ガタカでは超絶キレイだったのに…
全33件中、1~20件目を表示