「胸糞悪さと寓意と正しさが共存する地獄絵図」ハウス・ジャック・ビルト ありきたりな女さんの映画レビュー(感想・評価)
胸糞悪さと寓意と正しさが共存する地獄絵図
まずお断りしておくと、今までトリアー監督の作品複数観てきて、エロよりもグロ耐性が無い私が唯一『アンチクライスト』だけ映画館できつくて退出しそうになったんですが、今回は途中5分くらいだけ退出してしまったことを告白します…恋人殺すとこです。同じ女として無理でした…
しかし、それ以外を除けば悍ましいと思いつつも興味深く観られたような。
確かに今回は割と胸糞悪いレベル高かったんですけど、冷静に咀嚼していくと本当に寓意的要素やこちらの幅広い教養を試されるし、最後の結末は凄く真っ当なところに着地するから、トリアー監督作品嫌いになれないんですよね…っていうのを再確認するような感想が大きかったです。
たぶんはっきりわかるテーマとしては「殺人という行為が芸術表現の手段として成り立つのか?」ってことなんだろうなーとはビビリながら観ていた私ですら感じたのですが、
彼は殺人を繰り返す一方で、夢だった建築家として自らの家を作ろうとしてはそれを壊し、作業は一行に進まなくて、
最後にヴァージに導かれるまで「家」を完成させられなかったし、その材料は自ら得てきていることすら気づいてませんでした。
殺人を繰り返す中での快楽と罪悪感に挟まれる自意識の揺らぎとか、建築家になりたかった自分&シリアルキラーとしての自分の自己顕示欲とか、いろいろと自覚はあったと思うんですけどね、
最後の決め手がなかったというか結局"作品"は終盤まで完成させられなかったわけだから、建築家ひいては芸術家になりきれない男が、そこに到達するまで過程を見せられてたようなもんなのかな。
そもそもずっと劇中=ジャックとヴァージの地獄までの過程での問答であり、回顧なわけだから、語っているジャックはもう地獄に入っちゃってるから、そこではじめて自分の過去を冷静に振り返って、真理に迫った発言が出来るのかも。
まぁ論理的な感想ではなく、書き殴ってるので信憑性に欠けますが。
私個人としても、文章を書いたり踊ったりするのが好きなんですけども、なかなか1つの作品を完成させられない、自己表現が完成しきれてない、芸術家になり得てない自分はジャックとそう違いはないのかもしれないと思ったりしてます。人は殺したくないけど。
ちなみに先週末の新文芸坐のトリアーオールナイト観てきて正解でした。途中の過去作のシークエンスでアレとコレも繋がるのかなあなんて思って観てました。
過去作もだし、絵画や詩や過去の歴史的な記録映像などをふんだんに盛り込んで、人間がいかに愚かな営みを繰り返してきたかが強調されててわかりやすく感じました。ゲーテの木の話とかね。
ラストで、地獄の底を目の前にしても"I want to see it all."と口にしてしまうジャックはもう地獄のどん底まで落ちるしかなかったんですよね、かつて黄金の心を持つ彼女が"I've seen it all."と舞い歌い天国へと向かったのと全くの真逆ですからね。納得。