ハウス・ジャック・ビルトのレビュー・感想・評価
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「地獄の門」をくぐった先は。おっさんは「真面目な」変態トリアーの新作をこう見た。
ラース・フォン・トリアー5年ぶりの新作。
今回も相当ヤバイらしい。
今回「も」というのが、もう何回あっただろうか。なんだか、観る前から「どうせ」という単語がちらつくが、前日のお仕事後のご褒美として、初日の初回の渋谷へ。
「ご褒美」でこれを選ぶオレも、トリアーと変わることなく、相変わらず変態。なんだかんだ、しっかりフォロワーである。
オレの中では、ある種、マイケル・ベイ作品を観に行くようなものである。ゴジラ映画を嬉々としてリピートする連中と何ら変わりはない。
いや、むしろ、オレのほうがヤバイか。はっはっは。
「ハウス・ジャック・ビルト」
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女性蔑視と言われ続け、鬱になっても映画を撮り続け、でもいつだって自分に正直で、とっても真面目なラース・フォン・トリアー。
前々作「メランコリア」で壮大な「セカイ」をぶちまけ、スッキリしたのだろうか、前作「ニンフォマニアック」から自らの思考や嗜好を笑いに結び付け、過去作まで自らおちょくる、といった「閉じた」めんどくささが抜け、「すこしだけ開けたセカイ」を見せるようになった。
中二が中三になったようなものか。
ただ、その「笑い」や「自虐ネタ」が根が真面目過ぎるゆえ、「ベタすぎて笑えない」といったところが前作。
で、本作はどうだったかというと、これが全く同じ(笑い)。
前作の主人公と聞き手の立場がまんまトリアー自身と過去の作品の主人公だったのに対して、本作主人公もやはりトリアー自身。
前作の「悪魔と神父のような存在(実はただの童貞)」という関係から、今回はシリアルキラーと地獄の道先案内人。
なんにも変わっていない。オープニングで主人公が「神」か「悪魔」かと会話をしていることがバレバレが、清々しい。
先に言っておくが、今回のトリアーは「アクション」が多めだ。「インディアナ・ジョーンズ」ばりのアクションを見せてくれる。
いや、見せてくれる、というか、その見せ方が相当ヘタクソで、ものすごくダサイ。
いや、それも「自虐」のひとつ、ということなのだろうが、やはり相変わらず「めんどくさい」。
物語は5章で分けられ、本性が覚醒する1章、殺人強迫観念に囚われ、どうでもいいババアに、どうしようもない嘘で押し通す第二章。「家族」とのふれあいの第3章。「愛」を語る第4章。技師であり、建築家として、タイトルにもなっている、こだわりの「材料」で建てるロダンの「地獄の門」(これが「The House That Jack Built」ということ。邦題のこだわりもこれ。)から、ダンテの「新曲」の地獄めぐりがスタートする第5章。
と書けば、かなり面白いが、各章がそんなに密接に絡み合っているわけではないので、やっていることの嫌悪感が際立ち、深みをあまり感じさせないのが、長所であり短所な本作。
しかし、そう、それがまさしく、彼の「作品群」であり、「彼自身」なのだ、という、自虐的なスタンスがやはり本作の軸。
とっておきのラストを際立たせるための、各チャプターの女性蔑視の開き直り感、動物虐待、児童惨殺、死体損壊もスゴイ。
ダンテの肖像画風のコスチュームをまとっての、地獄めぐりからの、煉獄チャレンジも、期待させての、「やはり」のオチが楽しく、そのまま気持ちよく、エンディング・ソング「Hit The Road Jack」につながる。
どんなに屁理屈をこねようとも、どんなに絵画的な美しい画を見せようとも、根っこがくそ真面目ゆえ、めんどくさいトリアー渾身の「自虐、自嘲、自傷映画」。
追記
「アンダー・ザ・シルバーレイク」を観ていない故、ライリー・キーオの乳房にどれだけの価値があり、絶望があったのか、が分からないのが、唯一の心残り。
目を背けつつも陶酔する自分をどう捉えていいものやら
なかなかヘヴィーな劇薬だ。シリアルキラーが主人公なだけあり、目を背けたくなる残虐シーンも多いことはR18+というレイティングから容易に推測できるだろう。
これがホラー映画ならその過激さもどんどん右肩上がりを続けるもの。だがラース・フォン・トリアーはそういったジャンル映画とは一線を画し、殺しの不条理さ、時折挟み込まれるコミカルかつシュールな描写を織り交ぜながら、観客をまだ体験したことのない未曾有の境地へと誘い出していく。
鑑賞中、「やばい、このまま観続けたら頭がおかしくなる」と何度危機感を抱いたことか。それでも結局、最後まで目が離せなかった。特に、ダンテの「神曲」をモチーフとした最終章は、怖さ、残虐さから遠く離れ、むしろ深遠な気持ちが湧き出してくるほど。一概に傑作とか良作とか言えないが、こういった実に不可思議な着地点に到達できるのも、トリアー作品を見続ける大きな醍醐味と言えるのだろう。
トリアー自身によるトリアー映画のサンプリング
そんな印象を受けたのが今回の怪作。変態、露悪、実験、エログロ、バイオレンスなどなど、およそ良識とは対極にある要素に満ちた映画を撮り続けてきた鬼才が、やはり今回もシリアルキラーを題材に思うがまま自身の嗜好を追求しているかと思いきや、自身の過去作を引っ張り出してきてメタな視点を提示したり、グールドの演奏フッテージを繰り返し挿入したりと、音楽でいうサンプリングやリミックスの手法を応用した野心作だった。
マット・ディロンも俳優としてあらかた“消費”されてしまった気がしていたが、本作でまだまだ新境地を拓けるという感慨を抱いた。
まあ、好き嫌いが分かれるのは仕方ない。おぞましすぎて爆笑した場面もあり、妙な爽快感を覚えたことを白状しよう。
いつもの感じの いつものやつ
まあ面白いとかではないけど飽きずに最後までは観れました。
強迫観念で 何回も犯行現場に戻って証拠を隠蔽しようとすよところが変にリアル
そういう病気の友達が同じ事やってます!
エンタメ作品ではないし語るべき部分がそこまで無いので評価って難しいです
まあ当然だけど地獄に行きますよねそりゃあって感じでした。
安心安全箱庭映画
ラース・フォン・トリアーの映画は箱庭めいている。よく言えば細部まで完成度が高く、悪く言えば飛躍がない。ちょっと映画慣れしてる人なら「この感じなら最後はこう締めて欲しいな」みたいな欲望がどこかで萌すと思うんだけど、彼の作品に限って言えばそれは大体当たる。気持ちいいくらい当たる。それはひとえに彼の作劇の緻密さと空気形成の上手さに起因する。見事なものだ。
ただ、私は映画において飛躍というやつを存外重視している。多大なカネと時間をかけて緻密に上質に練り上げてきたはずなのに、唐突に飛躍してしまったがゆえに、どこかが奇妙に歪んでしまった映画を私は愛おしく思う。これは決して憐憫じゃない。
さて、飛躍が生じれば、当然我々はこの意味不明の映画はなんなんだよ!と衝撃を受ける。安寧を奪われる。不愉快な気持ちになる。でも、映画を見る喜びって本来そういうものだと私は思う。日常から非日常へ、秩序から混沌への束の間の逃避。クラブで踊り狂ってなんだかよくわかんないけどメチャクチャ気持ちいい、わかんないことが気持ちいい、みたいな。ギャスパー・ノエ『CLIMAX』みたいな。オチがあるとか伏線が未回収とか、そんなんどうでもいいっつーの、みたいな。
本作はセンセーショナルな描写ゆえに表向きこそ狂った飛躍が起きているようにも見えるが、その底流を成すのはトリアーの生真面目で愚直な作為性・技巧性だ。死体の山で家を造り上げるのも、その家がおよそ「芸術性」からは隔たっているのも、その後ダンテの『神曲』になぞらえた地獄巡りが始まるのも、ジャックがマグマに落ちて死ぬのも、そのショットがネガ反転するのも、何もかもトリアーの知性と想像力の範疇に初めからあったもので、彼はそれを映画的文法に沿って美しく並べ立てただけのように思える。だって(烏滸がましいことは承知で言うが)私でさえそういう展開になると予想できてしまったのだから。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんかもひたすら真面目な露悪描写が続くばかりで、途中ウトウトしてしまった覚えがある。もっと変なことしてくれたっていいのに、と思った。いや、できないのかもしれない。できないがゆえに「非凡性にしがみつく凡人」の顛末を執拗に記述した本作のような映画が生まれたのではないか。
「ジャック」のサイコパスぶりをうまく表現できている。そんなに言うほどグロくないでしょ、 TSUTAYAではR15だし。
確かに暴力的だし過激な残虐描写もいくつかあるけど、「グロいだろー」みたいな感じに見せてくるわけではなく、常識から外れた狂った彼「ジャック」の異常な考えや趣味を、ドキュメンタリー風に、美しく魅せているため、そんなにグロさは感じない。美術展の作品を、ナレーション付きで鑑賞しているような気分だった。
海外では修正版のみ許可された、耐性あったけど流石にキツいだの何だの言ってるけど、覚悟してれば、というか狂った人の描いた複数の美術作品だと思ってみればそんなにキツくない。
なんとしても、彼が話すとんでもない犯罪の数々を、いかにも当然かのように紹介していくので、彼のサイコパスぶりが忠実に表現できている。
殺人を芸術まで昇華させたような作品 これからどう殺されるのか見てい...
殺人を芸術まで昇華させたような作品
これからどう殺されるのか見ている側に想像させる辺りがこれまた何とも言えない感情を引き立てる
倫理的には違うでしょ、とわかっていても芸術と殺人が表裏一体、どのあたりが線引きで違いは何なのかを考えさせられる
建築家は芸術家で現場の人間ではないから家は作れないところ、干しブドウの腐敗の例えも面白い
クスッとしてしまう自分が怖い
欝々とした気分になりたくて、鬱々と言えばダンサー・イン・ザ・ダークかな。ということでラース・フォンン・トリアー監督の映画かな!狂気と笑いはやっぱり紙一重ですね。シリアル・ママを観た時に似ている、くすっと感。ちょいちょい流れるデビットボウイがお洒落感を演出。ジャックのハウスも予想できたし、ラストはまあ、そっちの世界かって感じだし少しモヤモヤは残りながらも、でもじわじわとジャックが愛おしくなってきたところではっと我に返るエンディング。やっぱ二度と戻ってくるなよ、ジャック、てか。というわけで、全然鬱々になりませんでした(笑)
イライラしたら監督の狙い通りです
簡単に言うと、殺人鬼の生活って感じですが、章ごとに展開されているので淡々と見れます。
ジャックの段取りの悪さや出演者にいらいらしてきたら、ラース・フォン・トリアー監督の勝ち。そういう風に作られたそうです。私もいらいらしましたし、早くやれ…!!って最後はなってました(笑)
殺人鬼の頭の中を理解するなんてできない。
=監督の頭の中を理解するなんてできない。
といったことが言いたかったんでしょうか。
ビジュアルは美しくて好きでした。赤が映えて綺麗。
暗くてぬるま湯にいるような殺人映画で、監督らしいなって思いました。
自分の感性では、只の殺人映画だった
〈悪かった所〉
・自分語りが多い、話を只の殺人から長々と美化し過ぎ
・ジャックの異常な心理や考え方を伝えたいのは分かるけどそれがクドすぎる
・最後の地獄巡りのセットや脚本がいきなりチープ過ぎて笑えてくる
〈良かった所〉
・ジャックの2番目の殺人、警察の振りをしておばさんの家に侵入する場面が、際立って気持ち悪くて驚いた。おばさんの不審な目や、ジャックの化けの皮が外れた狂気性が作品を通して、此方まで感じれる程鮮明で思わず顔を顰めてしまう場面だった。こういった映画で嫌悪感があるのは普通血肉が飛び散る所なのだが、ジャックによるおばさんの殺し方は、単純な首絞め。それなのに本当にあったシリアルキラーの殺害現場を見ている様な、気持ち悪いほどのリアルさと、当たり前の日常がいきなりの暴力で縊り殺される不気味さが感じられ、凄かった(語彙)
・逆にこの2番目の殺人がリアル過ぎて、他の殺害が見劣りしてしまった程だった
・最後に登場した悪魔がしっかりスーツでお洒落にきめていて、グッときた。『コンスタンティン』のサタンでもそうだったけど、悪魔がスーツでビシッときめているのは格好いいなと思う
〈総評〉
語りが多過ぎて、最後が尻すぼみしてしまうのはどうしても否めないし、中盤まで続いていた「脚本で誇張され過ぎていないリアルな殺人鬼が、一般人を襲っている様な忌避感あるグロテスクさ」←この雰囲気が続いていたら良かったけど、終盤の脚本は、普通の思考の人が考えた演劇芝居に感じられた。
血肉がバンバン飛び出るゴアではなく、日常の中で起こる殺人のリアルな雰囲気を感じ取りたい人におすしめ🍣
退屈さに耐えられなくてだいぶ早送りした。
序盤中盤と終盤で映画のジャンルが変わっており、序盤中盤は主人公が人を殺していくのを繰り返しているだけで退屈だった。終盤(地獄から脱出を試みるパート)はそれなりに楽しめた。
監督名を知らないひとは観ちゃだめ
わかったような書き方をするけど、何もわからない。これを理解できる人間はジャックかフォン・トリアーと同じ思考回路なわけで、そんなひとはマトモなはずがない。
前半のカメラワークとかは、いかにもフォン・トリアーらしいなと思ってたら、後半のヴァージの登場やら家から降りていくシーンやらはもはや観たことのない世界だった。この監督は、狂っているながらに新境地に達している。
もちろん内容的には十分胸くそ悪いはずなんだけど、「ニンフォマニアック」や「アンチクライスト」のような胸くそ悪さはなく、かえって笑ってしまうような雰囲気さえある。
彼がここまでの狂気を吐き出しているからこそ、観ている側は自分の狂気を発散できるのかも。とにかく、絶対に万人受けはしないのでオススメ度はゼロ。
コイツの作品は基本オ○ニーなんで特別な理由なく見る価値無し。これを...
コイツの作品は基本オ○ニーなんで特別な理由なく見る価値無し。これを芸術的とか言ってる頭悪いなんちゃって評論家が多いが、なんのオチもないただの殺人パターン集です。
胸糞映画でよくYouTubeでも紹介されてますが、胸糞悪い前にただただつまらないです。
倫理的にアウトな鬼畜の所業が目に余る
この手の映画には慣れてるつもりだったが、本作は流石に目を背けたくなった。
バイオレンス表現そのものではない。
映像に映っている行為そのものに倫理観が一切欠如しているのだ。
子供を残虐に殺害する描写。その遺体を弄ぶ描写は、流石にエンタメとして許容し得ないレベルに感じた。
ただ、これは潔癖症のサイコパスの視点から綴られる作品そのものを批判しているわけではない。
あくまで自分には合わなかった。
耐えられる範囲を超えていたという話だ。
しかしこのエンディング、何なんだこれ。
突然しょーもないギャグみたいのを見させられて、ある意味バイオレンスシーンよりも引いてしまった。何がしたいのかが全くわからない。
ジャンル映画として楽しめる人もいるのだろうが、序盤から中盤にかけて生理的不快感を感じて見るのをやめる人が多いのも頷ける。
サンキューディテール
段々上手になっていく過程、こなれたときに求める刺激、一度で上手くいかない実験のもどかしさ、例えそれが殺人だとしても、シリアルキラーの成長物語だとしても、そこには普遍的なとっつきやすさが、とか言いたくなるくらいなぜかポップなシリアルキラー家を建てるムービー。
最悪だけど見たあと爽快、そう感じる俺最悪、を楽しむムービー。
終盤の悪魔くん的展開も良かったな。
あと初めて音楽がかかる瞬間、死体を車にくくりつけて引き釣りながら走るシーンは生涯忘れない、この映画を思い出すときはこのシーンって感じがしたな。
楽しんじゃったー。
めんどくさいファンになってしまった
またこういうオチ!?みたいな感想を抱いた。トリアー監督といえば胸糞なのでいつも通り平常運転の作品なんだけど、この監督の作る、鬱屈とした自己に閉じ籠もる登場人物たちが、どういった変化を見せるのかという期待をずっと個人的に抱いている。
今作はそういう意味では変化や新しい活路など無かった。
冒頭の主人公を凄まじく侮辱する女性なんてそうそういるもんか、虐殺のスイッチとして都合よく登場させてんじゃないや。途中の「なぜ他人は自分に冷たくする?」って感じの主人公の台詞がこの映画で初めて感じた生の声だった。言いたいことは、テーマはこれじゃないの。
そんなめんどくさい感想を持ってしまった。
深遠な自己の世界の描写として扱うには唐突で一貫したテーマもなく、断片的であり、その断片が表面的にしか繋がっていないのでどちらかというと自己陶酔に近いものをジャックから感じた。
ジャックが「いいな」って思ったり崇高だと思ったテーマを露骨に精神世界に反映しているように思えてしまい、幼く感じてしまった。演出される精神世界の劇場・煉獄もジャックの単なる雰囲気の取り入れとしか思わない。
なので現実で建てた木材を使った家はお粗末で、ずっと続けてきた殺人の死体でだけ家を建てれたわけだ。彼の家は彼のいいなって思った教材を使った内面世界でしか存在しない、外界との接触は不器用を突き抜けた殺人だけ。
恋人ごっこもできる器用な一面もあるから普通に生きれたと思うけど、本人が無理だって思うなら仕方ない。
彼の好んだ芸術家や作品や建築は、芸術家たちが過ごした時代、世相、人々との関わりを営んできた上で生み出されたもので、それが積み重なって生きるということなのだけれど、ジャックはこれを死んでも好まないし理解もできないだろう。というか自分の欲望に負けてしまうというか。現に自己に閉じこもったまま死んでしまった。
傑作か鬼作か?
この映画を人に勧めるかというとNoだろう。しかし映画として極めて立ってる映画であることは間違いない。ウイリアム・ブレイクの絵画が効果的に挿入され、それにより煉獄を知らず知らずにサブリミナルな効果が効果的にイメージとして植え付けられ、それによってあがらえない魅力を映像に感じてしまうのはどの観客の方々も同様のようだ。この映画は知る範囲で煉獄を描いたおそらく初めての映画でエンディングは2001年を想起してしまった。
本人は狂気でなく、大真面目という恐怖。
ヒトラー発言でさよならとなったので、何やってんだよと思っていたが、そんな事も忘れてた頃にそう言えば、で鑑賞。
映画づくりという点では、視覚的、音的に相当なもの。殺人鬼物語云々の既成概念で、当然見始めるわけだけど、2人目くらいからすでに、大きく道がそれていく。
題名の通り、ジャックが建てた家は、ラストに明らかになるものの、彼は技師であり、建築家では無いというセリフも手伝って、単なる表現めいた箱だけの家が無目的に出来上がっている。
狩猟やらぶどうやらで、サイコパスにはサイコパスなりの理由があり、回路があり、思考があって、その経路自体はノーマルと何ら変わらない事を提示する。
提示はするが、お前だって、毎日毎日自己本位で生きてきたし、これからも自己保存だけで腐りながら生きていくんだろ、と問いかけてみた所で本質の確認で終わってしまうのが玉に瑕。
ましてや神曲CGで地獄行きは、彼の苦痛より欲望が上回っていく影のようで罰には思えない。映像作家としては、有数の人でも、精神世界についてはあまり深みに到達していない印象も。
とは言え、60人以上も殺すのを「止められない」人間の精神構造とその結果を描き尽くすなんて誰がやるのか、やれるのか。そういう意味では、”ラースの建てた家”をその類まれな作家性と映像技術で、二時間半見せ続けられたのである。絶対住まないけど。
草刈り風景に涙できたんだから、もう少し上の階のところで隠れサイコパスとして生きることもできたろうに。
つくづく人なんて紙一重なのか。いやいや愛と教育は必ず存在する。と、次回作では、落とし前をつけて欲しいところ。地獄のもっと先に何かあるかもよ!
最初っから終わりまでずっと不穏
トリアーの狂気性がびっくりするくらい描かれている作品。
マットデュロンがこういった役なのは意外だったけど、観るとすっごいハマっていた。新境地でしょう。
最初っから終わりまでずっと不穏な空気がへばりついており、救われる光はゼロでした。
緊張感がすごくて潔癖症というよりも異常な神経質。
度々流れる「フェイム」が彼の真理を色濃く物語っていました。
建築も殺人も芸術にみたて、全てその成功という名声を得たいが為。本当狂ってます。
遺体のポートレートを取り直すという発想がもう常軌を逸している。
特にその取り直した「怒りん坊」ですが、これが後半にも度々視界に入るのがキツイ。
こうしたシリアルキラーの深層や、その行動を描くのが巧みで、実に嫌な気分にさせてくれます。
そして死神?ヴァージの登場で頭が一瞬わからなくなるような展開を見せるんですね。
しかしこの天啓を受け、やっと完成する「家」。
トリアーが「タイトルは絶対に変えないでくれ」と言った意味がわかった気がしました。
本当変な邦題が無くて良かった、見たときストンと落ちた感じがしましたよ。
ここからのエピローグは一転し幻想的に演出されるんですが、この「旅」の情景が何とも言えない。耳にする音も終始不穏。
迎えた物語最後の「運試し」、それは抑えられない殺人衝動と同義のように感じました。
そして突然訪れる終焉とエンドロール、これは本当にハッとさせられました。
最後までその演出がうまいですね。
好みは分かれると思うのですが、ものすごい緻密で繊細な作りです。
最後まで全開で描き切った、ものすごい作品でした。
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