プライベート・ウォーのレビュー・感想・評価
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実在したジャーナリストの物語。自分は主人公に共感できなかった。
実在したジャーナリスト
メリー・コルヴィンの物語
内戦中のスリランカでの取材中に銃撃戦に巻き込まれ、左目を失明してしまう。
その後も臆することなく、各地に出向き取材を続けるのだが・・・
どうも、この『映画の主人公』に共感できなかった
そのため、普通にドキュメンタリー番組を見ている感覚
勉強にはなったし、
このような人たちのおかげで、戦地の情報を知ることが出来ることには感謝しているが
繰り返しになってしまうが、主人公の性格に共感できなかったので
評価は低くなった
私は見捨てたくない 〜 HOMSからのリポート
英国サンデー・タイムズ紙に勤める米国人ジャーナリスト、メリー・コルヴィンをロザムンド・パイクが熱演。
戦場での過酷な体験によるPTSDに苦しみ、恐怖心を抱えながら、また戦場へと向かう彼女の強い使命感に驚かされる。
同僚や仲間と交わす会話、お酒を飲み、恋をする姿がリアルで、演じたロザムンド・パイクが戦場記者にしか見えない。エンドロールに映し出されたメリー・コルヴィンもまた、ロザムンド・パイク同様に美しい。
報道写真家ポール・コンロイをジェイミー・ドーナンが好演。
取材を重ねる彼らが、戦場で涙する姿が胸に沁みる。
ー政府は戦争を怖れない
民間人のように負傷せず死なない
ー君の職務は正気では成し遂げられないものだ
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
わざわざ戦火に出向くのは
リアルを伝えなきゃと言うのは凄いし、自身の戦火でみてきたご遺体や、左眼を失った経験のPTSDと戦いながらも、戦火に出向く自分の目で見て耳で聞いたことを記事にすることが必要。それしか、真実を伝える方法が無いから。でも、結局、編集長に殺されたようなものと言う描き方な気がした。本当は、病気(PTSD)だから、休みたいのに最期は休ませてもらえなかったのでは。
命懸けで伝えたかったこと…
メリー・コルヴィン記者のことは映画を見るまで知らなかった。スリランカ内戦で片目を失う重症を負ったのに尚も戦地に赴く。人として、ましてや女性としては相当ショッキングだと思う。記者として名誉ある賞を受賞するなど、名声もあったのだろうが、安穏としておらず、激化する戦地に向かう、その精神は恐ろしさすらある。PTSDを患っている描写もあるし、タバコやアルコールに依存している感もある。恋人がいるのに、なぜずっと一緒にいたいと思わないのだろうか。シリア内戦は未だに終結していない。政府軍、反政府軍、その裏にロシア、イラン、アメリカなどが入り乱れる。被害者は常に民間人、何十万人もの死者が出て、また、難民となり、行き場がない。彼女は命を賭して、この世の地獄を伝えたかったのだろうが、変わっていない世の中が虚しい。ロザムンド・パイクは正に体当たりの演技だった。
命がけの限界・・
碧眼の女性戦場記者、メリー・コルビンの実話を基にしたヒューマン・ドラマ。
紛争取材を専門とし、リビアのカダフィ大佐に単独インタビューするなど辣腕記者であることは間違いないし数々の賞を受けている。彼女のレポートは内戦の犠牲になる民間人、弱者にスポットを当てた人道主義に基づいている、シリアの内戦で民間人が犠牲になっている様をCNNなどに生中継した為にアサド政権の特殊部隊により暗殺されてしまった悲劇のジャーナリストである。
信念に命を懸けるヒロイン像としてだけでなく裏にある生の人間臭さを描きたかったのだろうがプライドだけは高く、過度の喫煙や飲酒、セックスなどに逃避する様をみるのは気持ちの良いものではなかった。
ジャーナリスト仲間からは映画の彼女の私生活は事実と異なるとか、ルパード・マードックの傘下に組み入れられたサンデータイムズはセンセーショナルな記事を好み、記者の命を軽視していたのではないかとの批判もあるようだ。
実際の彼女の人物像については知る由もないがオフの生活よりも戦場でのサバイバル術、プロなりの凄さが観たかったのだが、ただの気の強さに頼った運任せの行動にしか見えなかったのが残念だ。恐れを克服するのではなく正しく恐れることが彼女には欠けていたのだろう。
とは言っても、もはや戦場報道は民間人のジャーナリストの命がけでは手におえないレベルになってしまった、戦場報道の意義を語ろうにも、軍やCIAですら衛星やドローンに情報収集を頼る時代なのだからジャーナリズムは新たな枠組みを編み出すしかないのだろう。
メリー・コルビンは碧眼で真実を伝えたが民主主義が権力をウォッチできる目が失われる時代に入ってしまったのかも知れないと思うと戦慄を覚えます・・。
記事を読んだ人々が関心を持つと信じること
映画「プライベート・ウォー」(マシュー・ハイネマン監督)から。
舞台は、世界中の戦地だけれど、実は「戦場報道」だけでなく、
日常の事件・事故を報道する「マスコミ」関係者に見て欲しい、
そんな気持ちを抱いて、作品を観終わった。
「戦場報道で現状を変えることができるか?」の質問に、
「真の困難は人間性を信頼し、記事を読んだ人々が
関心を持つと信じること」と言い切り、
「戦っている全ての勢力が真実を曖昧にする時、
本当には何が起こっているかを人々に伝えなければ
取材は失敗だ」と、その役割を明確にしている。
記事が単なる文章として読まれるのではなく、
その記事に関心を持ってもらい、その記事をきっかけに、
誰かが行動し、現状を変えることになる。
それこそが「記者のミッション」と言いたげな、
彼女の決意みたいなものを強く感じた作品である。
「老いた記者と大胆な記者がいる。老いて大胆な記者はいない」
このフレーズの意味はなんだったのだろうか。
老いても大胆な記者がいてもいいのになぁ、気になる。(汗)
ロザムンド・パイクの圧倒的存在感。
メリー・コルヴィンと言う実在する記者の話だったが、私はほとんど彼女の詳細を知らずに観た。
紛争、内戦系の映画は興味あるので、何となしに観ようとYoutubeでレンタル。
観終わった後は感嘆の一言。
圧倒的な臨場感、演技じゃないだろうと思わせるリアリティ(特にホムスシーン)、
そして何といってもメリー・コルヴィンを演じたロザムンド・パイクの存在感が凄かった。
戦場へ赴く記者としての苦悩と、生活を苛ませるPTSD、そしてそれでも駆り立てる好奇心、
ロザムンド・パイクはその全てを演出していた。
特にあの廃れた感じの表情と体は、これまでのロザムンド・パイクを一掃させるものだった。
これで、主要な映画祭の女優賞を取っていないのが不思議。
彼女の演技を観るだけでも価値のある作品。
あともう一点は、最後にメリーがホムスの現状を生配信で報告するのだが、
葛藤の末、最後メリーの情熱に押され、主要メディアで彼女の声を届けるシーンは
報道の自由を感じた。
秀逸な作品だった。
_φ(・_・ジャーナリスト魂を見た
コロナのせいで映画館に行けず。上映館が少なくて見れなかったこの映画をAppleTVで借りて見ました。
戦場ジャーナリストのメリーコルビンという女性の半生を描いた映画。
戦場を渡り歩きPTSDになりながらそのレポートに奮闘する。リビアのカダフィのレポートやシリア内戦のCNNへの実況はあまりに有名なのでしょう。
シリアの惨状をリアル感を持って伝えて、そこで命を落とすことになる。
シリア内戦の状況はとてもリアルで、爆撃が激しくなる中彼女が住民が残っているから戻ると言った場面は泣けました。しかしなんでこんな危険をおかしてまで何度も戦場へ行くのだろうか?ジャーナリストという使命感?名声?マネー?いろんなジャーナリストがいるんでしょうが彼女は戦場を嫌いながらもそこでしか生きれなかったのでは?
エピローグでシリアでの彼女のレポートの後に一般人がシリアでの50万人死亡したとの事が書かれていた。何気に無力さを感じました。
戦争の悲惨さ
改めて戦争ではなにもプラスな事は生み出さないことを実感させられた。
戦争は当事者同士が武力で争うならともかく全く関係ない市民を巻き込むから悪でしかない。
それが戦争の恐ろしさである。この辺りはもちろん誰もが分かってる事だと思うが、この作品ではさらに正義感の強いメリーが、正義感が強いが故に、罪なき市民の現状を世界に知らせる事に捉われ過ぎてしまったようにも思える。
もちろん彼女の行動は何一つ間違った事はしていない。彼女が命がけで、戦争地域の現実、事実を知らせてくれるから戦争を無くそうという動きや考えが芽生え、平和につながる一つのピースだと思う。
しかし彼女は正義感が人一倍強かったが故に、一線を超えた取材が多かったようにも思える。もちろんそのおかげで事実を僕たちは知り得る事ができるのだが、彼女の命を第一に考えると彼女の行動はいき過ぎて恐怖を覚えてしまった。
劇中で彼女が語ってたように、恐怖の先には終わりしかない。まさにその通りだ。
戦争というものをこうやって映画作品としてしか見ることができない僕にとっても、彼女の行動には恐怖を覚える。恐怖を覚えるからこそその先に期待するのではなく、肯定的な意味で彼女の終わり(行動的なもの)を望んでしまうのである。
上でも書いたように、戦争は罪なき市民の命を奪うとどうじに、メリーのような正義感(ジャーナリストだけではなく、兵士もそうだ)が強いものの多くの命も奪ってきてるのであろう。
まさに戦争とは何も生み出さない。悪しか残らないのである。
メリーは命がけでその事実を伝えてくれても、死後彼女が命を落としたシリアだけで50万人以上がまだ亡くなってるそうだ。その無情さに悲しさと同時に悔しさも芽生えた。
この作品を見てふと思ったのが、今年に入って議員やら芸人が戦争で領土を守れ、取り返せといったニュアンスを口にして話題になっていた。(鼻から馬鹿馬鹿しくて詳細を追ってないが)
彼らにも是非観てほしいと思った。改めて戦争なんていうものは肯定されるものではなく、簡単に口に出して良いものだと学ぶ事ができた。
「苦しみは全てが終わった後に来る」
内戦中のシリアで殉死した米国人ベテラン戦争特派員、メリー・コルヴィンの足跡を、従軍記者時代に絞って、爆撃で死亡する日から逆算しながら数々の紛争地帯での出来事やその合間のプライベートを追った伝記映画である。監督の以前のドキュメンタリー『ラッカは静かに虐殺されている』は鑑賞済なので、かなりのリアリティが表現されているのだろうと想像したが、その予想通りの骨太でハードな内容に仕上がっていた。実際のメリー・コルヴィンのプライベートは脚色されているだろうが、取材中の彼女の動きは実際の行動そのものであろう。それは監督のドキュメンタリーを観れば充分納得出来る。
とにかく世界中の地獄がこうして今まさに存在している事を、正視して観られない程のオンパレードでこれでもかとぶつけてくる。失礼を承知で言えば、鑑賞するだけでPTSDになってしまう程の凄まじい画力の連続なのである。彼女がその症状に苦しめられるのも、尤もな事だとその追体験を否応なしに取り込まされてしまう。そんな彼女をそれでも紛争地に送り込む新聞社サンデータイムスのデスクの薄情さは、しかし彼女のその熱意や信念に寄り添い、一番理解しているからこその関係ということを演出できているシーンが、自分にとっての今作の白眉であると思う。昨今の日本でも同様に紛争地帯への取材に於いて、人質となった記者がいたが、その際の日本国民の冷徹な仕打ち、“自己責任”という言葉に、まるで川に溺れた犬に石つぶてを投げるが如くの罵詈雑言が飛び交った状況に対してのこれが“アンサー”なのかもしれない。“普通の人は彼女のような勇気ある行動は出来ない。逆に彼女は新聞の『園芸欄』を愉しめるような生活を過ごせない。ならば、その普通の生活をしている人達が世界の真実を知りたいと願う時に、彼女がそれを叶えてくれると思っている筈なのだからそれを叶えるべきなのだ。” そう、彼女はそれが“使命”であり、“天命”なのであろう。ならばその運命を受容れて果敢に火中に飛び込む事を厭わない姿勢は、世界中の人達は認め、支持すべきなのであると強く感じたのだ。大事な事は“臭いものに蓋をする”事に慣れてしまったら、何の罪もない世界中の無垢な人達がドンドンと犬死にしてしまうのだ。そういう人達を救うことに躊躇したり面倒臭がるのは人間の弱いところだから仕方がないのだが、しかし世界の目を閉じてしまう事自体が、一番の悪なのである。果敢にも勇気を持って“都合の悪い場所”に真実を拾い上げるジャーナリズムを決して貶してはならない、何の先入観も抱かずに応援すべきことなのだ。今作品に於いての彼女のメッセージを痛い程感じた作品であった。
戦場の、普遍的な真実を追い求めて
英国サンデー・タイムズ紙の女性特派員記者のメリー・コルヴィン(ロザムンド・パイク)。
彼女の取材先は常に戦場。
21世紀に入って、世界各地で紛争は多発した。
彼女の信条は、「戦場の小さな物語」を伝えること。
「小さな物語」が示す真実が、大きな紛争の真実につながると信じている・・・
といったところから始まる物語で、実話の映画化。
不勉強ながら、メリー・コルヴィンのことは知らなかった。
映画は、2012年の内戦が続くシリアの街・ホムスの廃墟同然の街の空撮から始まり、そこへ彼女が語る、戦場での危機についてのモノローグが被さってくる。
伝記映画なのだから、この時点で彼女がここで死んだことは容易に予想がつくが、映画の焦点は、彼女の生死ではない。
映画はそこから時を遡り、2001年、彼女が左目を失明し、トレードマークともいえるアイパッチをつけることになった、スリランカでのエピソードとなる。
この後の映画は、戦場の彼女と、非戦場の彼女との様子を交互に織り交ぜ、かつ、彼女のトラウマとなったいくつかの出来事をフラッシュバックでみせる手法を採ります。
この語り口は、かなり巧い。
戦場での緊張感もさることながら、非戦場の彼女は、戦場体験によるストレスからくる苛立ちや無力感を常に抱えており、PTSDからさらにはアルコール依存症へとなっていくのですが、主演のロザムンド・パイクはそれを(まさに)鬼気迫る演技で我々に魅せていきます。
そして、絶えず、視力を失った左目に手を当てて・・・
なお、この動作は、終盤、シリア・ホムスでのエピソードへの演出的伏線になっています。
左目の視力を失った彼女は記事を書くことはできても、現場の写真を撮ることはできないず、結果、彼女よりもかなり若い相棒のカメラマン・ポール(ジェイミー・ドーナン)と行動をともにすることになります。
このポールの立ち位置もかなりよく、彼女は戦場でも非戦場でもベッドを共にする相手を見つけ得るのですが、ポールとはそうはならない。
いくつかの戦場を経、数多の死体を見、同僚の死をみた彼女の最期は、冒頭に示されたシリア・ホムス。
政府軍からの爆撃が続く中での生中継(音声だけだが)を行い、戦争の大義と実相が異なることを世界に伝えます。
そう、ここで(というか、ここまでの積み重ねで)気づくのです。
歴史は大局でなく、小さな物語(=真実)の積み重ねで出来ている、ということ。
その小さな物語に目を瞑ってはならない、ということ。
小さな物語を、「いまそこにいない者たち」は、知り、感じ、つなぎ合わせて全体をみなければならない、ということ。
原作は、マリー・ブレナーによるノンフィクション「Marie Colvin's Private War」だが、映画の原題は「A Private War」と不定冠詞の「a」がついている。
特定の戦争ではない、誰しもが経験する(した、もしくは経験しうる)戦争の「小さな物語(=普遍的な真実)」を映画製作者たちは表しているのだろう。
なお、冒頭のモノローグ、それはメリー・コルヴィン自身のものだったことが最後にわかり、さらに鳥肌が立ちました。
心して鑑賞されたし。
悲惨な場面がたくさんあるし、爆撃の音がリアル過ぎて隣のおばさまは常にビクビクしてるし(笑)
ドキュメンタリーでなくても、実在の人物を映画化したものってなんか退屈なところがあるもんだけど、この映画に限ってそんな心配は必要ありません。
ロザムンド・パイクがスゴい、もうメリー・コルビンに成りきってます。実際に似ているのもあるけれどね。潔く脱いでいらっしゃいましたが、重力には抗えずお胸が…でも安心下さい、ラ・ペルラがあります。ラ・ペルラを身につけている時は美しいお胸です。さすが世界の超一流品であります。
メリーはとにかく信念が強い。自己満足にならないように記事を書くとか、爆撃機の種類なんかどうでもいい…人と人は繋がっているから犠牲者が問題なんだとか。目的に向かってまっしぐら、現場に到着する為に嘘も方便、ジムの会員証を看護師免許の様に見せ突破、これには笑った。常に煙草を吸っている。酒も浴びるほど飲む。もうほとんどオッサンなのだ。性別を越えないと戦場記者なんて出来ないだろうし、いろんなところでバランスを取っていたのでしょうね。
この映画を観て、未だに戦争で一般市民が亡くなり、貧困に苦しんでいることを再認識しました。戦地から遠く離れた平和な島国に暮らす者としては、頭の何処かで知っていても他人事になってしまっている現実があります。いきなり戦場記者にはなれないにしてもなにかしら出来ることがあるはずと感じました。
女性戦場ジャーナリストの壮絶な生き様! なにがここまで彼女を駆り立...
女性戦場ジャーナリストの壮絶な生き様!
なにがここまで彼女を駆り立てるのか?
戦地で重症を負い、左目の視力を失い、PTSDに苦しみながらも、何故再び戦場へ…。
僕のような一般人には理解できない人生だが、彼女には目にしたこの惨状を伝える事が使命と感じたのか?
不器用な彼女はアルコールやセックスで気を紛らわせながらも、戦地での市民(被害者)の悲痛な声を世界に届け続けた…。
R・パイクがまさに身体をはっての熱演!彼女にとって新たな代表作になるのでは。
アニー・レノックスによる主題歌も素晴らしかった。まさにレクイエム…。
なぜそこまで!
片目の戦場ジャーナリスト、メリーコルビンの
半生。入国禁止も無視して
戦地に入り報道するのは、苦しめられている
民衆。自身もPTSDやアル中に苦しみながら
なおも前線に
監督は、ずっとドキュメンタリーで
今回初劇映画 製作にシャリーズセロンの
名前が!
ロサンドパイクが、荒野の誓いとはまた違う
演技が良かった。
上司のトムホランダーも印象深い!
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