プライベート・ウォーのレビュー・感想・評価
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リアルな戦地なう
これは、どこまでが作り物なんだろう?
そのくらい引き込まれる背景と、あまりにリアルな戦地なうな人々の叫び。
戦争は痛い。
戦争は苦しい。
戦争は寒い。
意思を無視され、強制的に戦うことを強いられた人々の声を、
リアルに届けたいと、
ただ、それだけのために火の中の蛾だと恋人に罵られても向かった、
メリーコルヴィンの実話に基づいた作品。
かなり凝った作りの美術に驚き、
メリーの普段のイギリスでの生活と、戦地の明暗が当初くっきりはっきりしていたものが、
重度のPTSDに苦しめられることで、
その感覚が怪しくなっていく表現も素晴らしかった。
レビューを読むと、なんでそこまでして戦地に行くのか理解出来ないとありましたが、
ちゃんとフツーの女としての生活を諦めたことによると表現されています。
これ、ちょっと解りにくいのかもな。
実感ある人には、痛いほど共感出来るのだけれど。
にしても、ロザムント・パイクの見事な演技に脱帽ですよ!
ゴーンガールの時は、美しい妻を演じたのに、今度は初老の女性で、
かつ、全裸シーンも披露ってすげーなおい!
垂れた乳房が美しい。
割れた腹筋が美しい。
彼女の生き様とメリーの生き様が、ちょっとダブって見えもします。
先進国では報道の自由最下位の日本にも、
もしかしてこういうジャーナリストがいるんだろうな…。
そんなことを思いながらエンドロールを見ていました。
弱者に寄り添うと言う事。
政府軍の無差別攻撃に曝される市街地に取り残された非戦闘員の為に、ホムスにとどまったと言うのが事実だとすれば。結局は、そう言うことなんですよね。彼女は、戦場ジャーナリストと言う職業を選んだ、ってだけ。彼女が貫いたのは「弱者の姿を伝える事」。何故ならば、それが戦場と言う狂気と悲劇の現場の真実だから。
色々と思う事はあったけど、全て飲み込んで。
メリー・キャサリン・コルヴィン記者に、心からの敬意と追悼を。
心を打たれた。とっても。
真実の記録と疑問
中村さんが亡くなった直後だけに、リアルに感じました。
中東諸国の現実と、それを伝える欧米諸国との距離感を感じました。
彼らの武器や資金を供給してるのは誰なのか?
素朴な疑問を感じてしまいました。
エンディングロールでは、誰も立ち上がりませんでした。
夫や娘を置いて前線に乗り込むの記者の 崇高な使命だけでは割り切れないもの
ISにさらわれた息子を奪還するクルド人女性戦闘員を描いた「バハールの涙」の戦場記者が 黒い眼帯をしていたのでこの映画のメリー・コルヴィンと同一人物だと勝手に解釈して見たのだが
休養を取れば出てこいと言われ 報道の使命に燃えて前線に行こうとすると 危険だからと引き止められ とにかく新聞社にとっては唯一頼りになる優秀な女性記者を 大事にしているかのように扱いながら 実際は消耗品でしかない 知る権利の最先端で働く戦場記者の実態を描いた映画だ
コルヴィンは 女性や子供が大量虐殺された痕跡を見て使命に燃える訳だが 書くのが専門の彼女 行き当たりばったりで雇った男性カメラマンが 陰ひなた無くサポートする姿に心打たれる
戦場の臨場感が生々しい
現実を描くための熱演
劇映画ではあるが、限りなくリアルな戦場を次々と描く。戦場は時代を追う毎に悲惨になり、最後のシリア内戦の現実は正視に耐えるものではない。どうやって撮影したのか想像もつかないが、現実にどうやって生き残るかについてはもっと想像が出来ない。
そうした現実を世界に伝えるために命を賭けたジャーナリスト役に挑むロザムンド・パイクは、体当たりで鬼気迫る熱演。彼女がどういう想いで戦場に向かったのかを伝えている。
自らを犠牲にしても戦地に赴く女性記者
スリランカ、イラク、シリア……戦地を取材する女性記者メリー・コルヴィンの半生を描いた。「ゴーン・ガール」のロザムンド・パイクがまさに体当りの熱演。
そして観た後に知ったのだが、監督は「ラッカは静かに虐殺されている」を撮ったマシュー・ハイネマンだった。ドキュメンタリーな映像やシリアへの思いを含め全てが腑に落ちた。
PTSDに苦しみアル中になりながらもなお戦地へ赴くコルヴィン。平和ボケしてチキンな私に彼女の行動は理解しがたいが、戦争の真実を世界に伝えた彼女の偉業を否定することはできない。
後味の悪い
しんどい映画でした。
気持ちわかるのですが、精神的な病気になった時点で辞めるべきです。
職業が職業なので。
周りを危険に追い込んだり、危険を呼んでしまう事にも。
正義感が強いのはわかりますが、エゴにしかならないので。
骨太のジャーナリスト
主役のメリー・コルヴィン(ロザムンド・パイク)が、とにかくカッコいい。
負傷して海賊風の眼帯しながら、戦場でのラフな姿も画面映えするのはもちろん、カクテルドレスを着ても絵になる。なんなんだろう、この存在感。
くわえタバコで、パソコンに向かい、見たものを叩き出す感じで記事を書く。悲惨な現場を渡り歩き、自らも犠牲者となり片目を失い、PTSDに苦しめられながらも、また前線に向かう。勇気というより、もはや狂気だ。その迫力で、最後まで画面に釘付けにさせられる。
イメージとしてはクイーン・エメラルダス(そういう年代です)なのだが、あちらは優しさを秘めた熱さがあるが、こちらは使命感を全開に常に前進していくイメージだ。
実在した人物の話だが、暴走する彼女を持て余すキャップや、彼女を尊敬して付いてくるカメラマンなど、キャラクターも置きがいがあり、テレビシリーズにもなりそうな設定なので、ドラマとしてやってくれないだろうか。
これが実在した方だとは驚きだ。とりあえず面白い作品だ。
メリー・コルヴィンの絶望が画面から溢れ出る
ゴルシフテ・ファラハニというイラン出身のびっくりするほど美しい女優がいて、当方はこれまでに「パターソン」と「バハールの涙」の2本を鑑賞した。主演した「バハールの涙」では、ISの被害にあった女性たちで編成した女だけの部隊を率いる不屈の意志の戦士を演じていた。暗くて深刻な役柄で、「パターソン」で主人公の妻で気儘なクリエイターを演じた女優と同一人物とは思えなかった。
「バハールの涙」では本作品の主人公メリー・キャサリン・コルヴィンがモデルになっている隻眼の女性従軍記者マチルドが登場した。彼女は、ニュースを受け取った人はクリックして終わりと悲観論を展開するが、言論は無力だがそれでも伝え続けなければならないと、かねてからの自分の覚悟も表明する。本作品でも、主人公メリー・コルヴィンは人類に絶望しているように見え、その絶望を乗り越えようとしているようにも見える。
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の中で、次男イワンが弟アリョーシャに向かって、何故幼児が愛する親によって虐待され、無垢な子供の上に爆弾が落とされねばならないのか。子供たちにどんな責任があるのか神様に教えてもらいたいと、迫力のある無神論を展開する。「カラマーゾフの兄弟」が刊行されたのが1880年。それから130年以上経ってもメリー・コルヴィンは戦場で答えを探し続けなければならなかった。
おそらくではあるが、子供は有史以来虐待され殺され続けている。弱くて無防備で罪のない子供たちが不条理に殺され続けてきたのはどうしてなのか、長い間、多くの人が問いかけ、あるいは自問してきたが、未だに解決の糸口さえない。子供の死は常に不条理だ。人体の耐用年数が50年とすれば、その半分にも満たない年齢での死は文字通り非業の死であり、子供たちは不条理な死を死んでいく。
死が不条理なのは生が不条理であることに由来する。生の不条理は人間の行動の不条理へと発展し、差別や虐待、暴力や戦争に繋がっていく。人間が自身の不完全を認め、他者の不完全に寛容にならない限り、人類の不幸は終わらない。そしてそんな日は永久にやってこない。
人類には暴君と無法者と被害者と、それに傍観者しかいない。メリー・コルヴィンの絶望が画面から溢れ出るようで、観ていて辛くなる。この世にはもはや希望はないのか。しかしメリー・コルヴィンのエネルギーとバイタリティも同時に伝わってくる。どんなに酷い世の中でも、誰かが火を消そうとしなければ、いつまでも火事は鎮まらない。火をつけて焼き殺そうとする理不尽な無法者ばかりの世の中ではない。火を消す努力をする人がいなくなるのを最も恐れなければならない。だからメリー・コルヴィンは火を消すために事実を伝え続ける。何もしないこと、何も伝えないことは、暴力に加担しているのと同じことなのだ。
女性の目線
あなたのお話を聞かせてほしいと、取材をすすめる。
最前線にいるが、兵士目線ではなく、女子どもの話を聞く。
編集長にあなたは見なくて済む、私が代わりに見ているから、と毒づく場面、彼女の苦しみが伝わってきた。
ロザムンド・パイクの一挙手一投足観賞用
『ゴーン・ガール』で強烈な印象を受けたあと期待していたのだが、なぜか私の守備範囲では見かけなくなってしまったロザムンド姐さん。今作も強烈なキャラクターをきっちりもののにしている。
で終わってもいいのだが、どうしても気になるところが。何故あそこまでして報道し続けるのか、使命感や罪悪感はわかるが、酒に溺れタバコは手放せず片目を失い悪夢に魘されPTSDのフラッシュバックに苦しみそれでもなお、取り憑かれたように戦地へ赴き続けるのは、映画の中では明確には語られていなかったような、更に踏み込んだ動機があるように思える。個人の妄想の域を出ないがそんな気がしてならない。
生き方は壮絶、映画の出来は平々凡々
メリー・コルヴィンの戦争で傷つく人々の声を伝え続ける飽くなき追求を描いた作品。
彼女の信念は自らを危険に晒しても続き、最期まで貫き通したと言える。
ただ、映画として観るとそこまで引き込まれるような演出とは言えないありきたりな所がチラホラ‥
何と戦うのか
私なりに副題を付けるとすると、
「ある戦場ジャーナリストの栄光と死」
ある諺とスローガンを思い出した映画です。
1)ペンは剣よりも強し
2)権力は銃口より生まれる
葬儀場でしか死体を見たことない私にとって、
なかなか理解できない映像の連続です。
戦争や内乱のない国の平和ボケした国民だと誹られても、
仕方のないことかもしれません。
言い返してやりましょう。
「それがどうした?命あってのものだね」だと。
無事に帰ってくるまでが取材。骨のあるジャーナリストを失い残念。
英国サンデー・タイムズ紙の特派員として、レバノン内戦や湾岸戦争など世界中の戦場を取材し、世界に伝えた実在の女性記者メリー・コルヴィンの半生を描いた作品。
世界には、こんな骨のあるジャーナリストが居たんですね。イラクでの集団虐殺犠牲者の墓地、“アラブの春”でのカダフィ大佐とのインタビュー、そして、シリア内戦の現状。「あ、そう言えば」と言うのが少なくありません。それらの報道は、彼女の功績によるものだったんですね。
ラストのシーン。チャンネル4、BBC、CNN、ITNニュースへの出演ですが、それをやったがために居場所を知られ、攻撃されたんですかね。都合の悪いところを見られていますから、消されたんでしょうね。
君は炎に飛び込む蛾だ
戦場記者、メリー・コルビン。すごい人だね。一人で戦っている。片目を失おうとも、PTSDになろうとも、戦争の正義なんかどうでもよく、ただ現地で犠牲になっている市民の現状を世界に伝えたい、って熱意。今も含め自分たちは、こういう人たちの使命感のおかげで、真実を知ることができる。知って、感じて、考えてみる。何か行動を起こすことまで出来なくても、せめてそのくらいはしてみよう。彼女たちのジャーナリスト魂の苦労に報いるためにも。
って、主役の彼女、「ゴーン・ガール」の???
すごいなあ、ここにもまた女優魂かよ。
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