「報道人を突き動かす〝使命感〟」プライベート・ウォー 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)
報道人を突き動かす〝使命感〟
A Private War というタイトルをどう捉えるか。
個人的には、本人が拘る「使命感」にどこまで忠実に従うのか、ということなのだと思う。
命を懸けて報道した真実で世界は変わったか。
残念ながら、どこかの権力に政治的大義名分として利用されることはあっても、あの〝悲惨な状況〟はその後も特段変わっていないか、悪化している可能性の方が高いのではないか。
※それにしても、日本のメディアの報道だと、いつも〝その後〟がどうなったのかがよく分からない……少し前のフランスのデモがどうやって収束したのかご存知ですか?
香港のデモのこともそのうちどう収束したのか、しないのか、報じられなくなると私は予測しています。
〝悲惨な状況〟……それは体制・反体制や国家間の思惑などに全く関わりのない一般市民が一切の人権を無視され、ただ殺されていくこと。
彼女の使命感は、その事実が今ここにある現実として存在する、ということを世界に発信することだったのだと思う。それでも世界は変わらないことは分かっていても。そのような無力感があったとしても、彼女は使命感に従うことを選択した。まるで殺されるために生きているかのように無雑作に殺されていく人たちのことが、『何も無かったことにされないようにすること』が自分の使命であり、ただ殺されていく人たちに寄り添う唯一の方法だと信じていたのだと思う。
昨今、日本で頻発する児童虐待やイジメ報道について考えてみると、何か自分にも未然防止に役立てることはないか、と感じている人は少なからずいるはずだが、いざネットなどで調べてみても、児童相談所で勤めるためには何らかの資格や経験が必要だし、自分の周辺で子育てや夫の非協力などで苦労しストレスが溜まっている母親がいれば、子どもへの暴力や限度を超えた懲らしめに走ってしまう前に何かお手伝いをしてあげたい、と思うのだが、ただのオッサンがいきなり若い母親に声を掛けるのは、不審がられたり気味悪がられるだけである。
話が大幅に脱線してしまったが、視聴者・読者側としての私個人の課題認識の弱さについては棚上げさせていただき(すみません‼️)、テレビや新聞の情報発信側の〝使命感〟についてはもう少し、深掘りされる議論があってもいいように思います。
NHKのクローズアップ現代あたりは比較的、問題提起の姿勢が良心的だと思うが、結果的には不安を煽る効果のほうがやや優っている気がする。
報道によって、ある世界における真実を知ってしまった以上、何らかの行動を起こさなければいけないのではないかと思い、そういう思いの人が何らかの行動を起こし連帯する方法の選択肢をいくつか示す。
使命感を持つ報道人がいるのならば、そのようなスタイルの報道があってもいいのではないか、そんな漠然とした期待(希望?)を持ちつつ、自分自身の使命感について考えさせられました。