ある少年の告白のレビュー・感想・評価
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それぞれの葛藤を掘り下げて欲しい
多くの親にとって自分の子供が同性愛者であることは大きな問題になる。
そして主人公ジャレッドの父は敬虔なカトリックの牧師であるということ。
キリスト教は同性愛をタブーとしており、 牧師としての立場上、息子が同性愛者であるということは大きな問題となる。
主人公ジャレッド自身も父の立場を思って自身の志向を異性愛者へとシフトできないかと悩んでいた。
同性愛とタブー、父と子の分つべきであり分かれ難い2つの要素がこの物語を複雑化している。
主人公ジャレッドに偏った視点であるため父親は非常に不寛容で狭量な人物に見えるなどアンフェアな印象を受けた。
同性愛であることのカミングアウトは当事者以外にはいつも突然である。
矯正施設が誤りであることはもちろんだが、カミングアウトにかかる相手への負担もそろそろ語られてもいいように思う。
同性を好きになること、LGBTは罪じゃない。 私は異性が対象だけど...
同性を好きになること、LGBTは罪じゃない。
私は異性が対象だけど今まで誰かを本気で
好きになったことがなくて
どんな方向からでも愛する相手がいること
自体 羨ましく思う。
キリストは同性愛が罪だと言ってるのか
わからないけど、この世界を創るときに
ただそういう思考がなかっただけじゃないかな
って勝手に思ってる。
LGBTのひとがただそれを見つけたって。
本人が幸せならそれで良い。
まわりが何か口をさはむ権利はない。
子を思う親の気持ちの難しさ
本当は映画館で観たかったのですが、ぼやぼやしている間に公開終了となっており、今回DVDを借りてやっと観ることができました。
本編を観終わった直後は、なんだか前時代的でピンと来ない印象でした。
それは、自分や家族は無宗教であること、キリスト教の発想・知識がないこと、良くも悪くも日本で生まれ育ったからリアリティを持ってこの映画をとらえることができかったのかな、と。
全体の感想として、説明的でないというか、結構削ぎ落している要素が多いと思いました。
未公開映像を見て、あ、ここはこうなっていたんだとか、ここはそういう意味だったんだと、納得する箇所もあったりと、本編だけでは自分にはちょっと情報が足りていない部分もありました。
両親の形も方向性も違う愛が、様々な行動となって表れ、それによって傷ついたり、助けられたりするジャレットの姿に、胸がいたみました。
同性愛に関する作品や映像を見ていると、マーシャルのような父親はたびたび見かけます。
彼らは実際はどうであれ、本気で子どもを思っているつもりだし、それが正しい行いだと、導きだと思っている。
だから彼らは彼らなりのやり方で子どもを愛しているのだと、それを理解すると少し救われるとともに、絶望すら感じます。
自分を肯定して、自分は変われない、変わるなら父さんだ、というジャレットに努力すると応えるマーシャル。
エンドロールに笑顔で抱き合っている実際の親子の写真が映し出されます。
いま原作者がどういう状態でいるのか、きちんと調べてはいないのですが、理解した、否定しないといって、実際は線引きをして自分とは違うものと拒絶している、そんな父子となっていないでほしいと、願います。
少年の告白から始まる既成概念との闘い
LGBTを理解できていない人が多いということと、それを矯正する施設が未だにあることに驚いた。矯正するのは本人ではなくそれを受け入れられない人達。受け入れようとする努力が必要。
セクシャルマイノリティの生きづらさ
[Amazon Primeのおすすめ映画から]
アメリカの同性愛とその矯正施設のおはなし。
なんとなく既視感があったのはたぶん、10年以上前、アメリカの片田舎での留学生活のなかで、LGBTQの子たちに対する周りの色んな感情がこもった視線を知ってたから。その頃もLGBTQパレードとか、偏見を無くす運動を街中でやっていたけど、日常生活においてはやはり何かマイノリティとマジョリティの間に隔たりを感じた。思春期のときの経験だから、今はまた違った見方をするんだろうけど。
日本は目を伏せて隠すけど、アメリカは非難して正しい道(マジョリティ)に矯正する、のかも。
アメリカはプロテスタントの移住で始まった国だったわ
誰もが習う 清教徒革命(ピューリタン革命)
その中にはかなりストイックなモルモン教などがあり、昔読んだシャーロック・ホームズの「緋色の研究」で、ソルトレイクシティに彼らが住み着くまでの話が出て来る。
昔 日本で活躍していたケント・ デリカットというアメリカ人もソルトレイクシティ出身のモルモン教徒だと言っていたっけ。
ケネディは アメリカ初の カトリック系の大統領。つまりそれまで同じキリスト教徒でも アメリカ合衆国における大統領はプロテスタント派だった。
日本人の キリスト教徒ではない人間の多くは
ローマカトリックもギリシャ正教も ロシア正教も イギリスのそれも 全然 区別がつかない。
この映画で アメリカのキリスト教徒全てをひっくるめて考えてはいけない。
そういう事も思い出しながら見た。
アメリカ合衆国という国が、日本人の思う 自由の国 なんかじゃない事をしみじみ思いながら。
クライマックスは 矯正施設から母とともに抜け出す場面。
自宅のパソコンで、昨夜の残りのサーモンのレモンクリーム焼きを食べながら見ていたのに
喉に詰まらせそうなほど 号泣した。
私の中で それまでの彼の けなげさが 溜まりに溜まっていたのがここで 堤防決壊となった。
そう言えば、去年イギリスに行った時に観光したウィンザー城の受付の男の人は 一見してLGBTの方だろうなと判ったが、同行していた長女が、そういうバッヂを襟章につけてたと言っていた。
世の中は いろんな方向に 分裂している。
P.S
終盤 父と息子が 玄関先で話すところで
父がenoughって言うのを
「やめろ」っていう字幕じゃなくて「もういい」にしてくれたらいいのにな。
そういう字幕に関する差異は時々ある。
学校で子供たちに観せたい映画
Amazon primeにあったので観た。面白かった。アメリカのキリスト教をバックボーンとした同性愛矯正施設を体験できます。最後は無難にハッピーエンドで着地してます。矯正施設の様子が「フルメタル・ジャケット」っぽいので、すごく嫌な感じがする(褒めてます)。
映画の感想は↑で終わり。あとは色々思うことを書くwww。
青春の衝動は生物の本能だ。理性と本能どっちが勝つ?本能に決まってる。だからそれを潰しちゃダメ。潰された人は不幸になるぞ!その証拠に童貞をこじらせてる奴を見てみろ!
日本の教育ママよ。子供に対してセックスが汚いものであると教えちゃダメだ。セックスは気持ち良いものだと教えるべきである!!!
そう思うと日本の子を持つ親に観て欲しい映画ですなwww。
本能に身を任せてその身を滅ぼしている反面教師の話はよく聞きます。しかし今の時代に本当に必要なのは、理性で本能を抑えつけて死んだように生きてる反面教師の話ではないでしょうか?
・・・反面教師というか、僕やあなたもそうですよね?みーんなゾンビじゃないですか?www
衝撃の真実
映画としてはイマイチだった。
「ザ・ギフト」の監督なのでハードルが上がったのも
あるけど、それでも面白いとは思えなかった。
何十年前の話だ?と思ってたら携帯出て来るし、
それでもこの映画の舞台だけだろと思ってたら
現在も端正治療を謳い70万人も治療してるという
のだから驚き。
宗教の弊害だろうか、
とてもまともだとは思えなかった。
同性愛を、罪だ!と叱責するシーンは辛いものが
あったが、演出なのか構成なのか、
映画的には地味で同じことが続き、
実際はその同じことが辛いのだろうけど、
映画としては面白いと感じれなかったのが残念。
こちらの映画館でも暗闇に嗚咽が響きました
母は、その息子を信じて、周囲が、あるいは全世界がその子を否定しようとも直感で子を信じ肯定する。
子を否定するいかなる力があろうともその虚偽を見抜く。闘う。
母親が立ち上がる。
第三者である女医も光っている。この少年の個を尊重する対話がいい。
俺は罪なのか?
内面から湧き上がるもので自己実現を果たすことは、難しい世界だ。
一方、今と違う自分になるために「フリ」をして、形だけでもそう振舞うことで、やがて内面も変わっていく。この方法論は大なり小なり、良い面悪い面あれど、決して珍しいものではなく、むしろこれで世の中が成り立っていると言っても良いだろう。本作はその中に紛れている「矯正」の恐ろしさを描いている。何を矯正するか?あろうことか「人格」だ。
映画の作りとして、時系列の組み替えを行うことで物語の本質であろう矯正施設の部分がブレずに描かれていると思う。役者陣の演技の素晴らしさもストレートに物語を飲み込める要因だろう。終盤、自分らしさと、家族愛が前向きになり、油断したときにラストの「数字」とある事実には驚愕し、やはり突き落とされる。
個人的には「孫を見ることが出来ないことでお前を恨んだ」という父の言葉にドキッとした。あと、主人公はもちろんだがニコールキッドマンの覚醒は思わずあがってしまった笑
責任を取れよ。
キリスト教的宗教観がゲイ・レズ=悪だとする社会的抑圧、風潮を作り出したので、自殺者が出ればその責任は布教を広めた人達にある。つまり彼等は間接的には殺人者であるにも関わらず無責任にも聖人面して説教を垂れている。神の存在を科学的に証明できない者が布教をする資格はないししていたとすればそれは詐欺師だ。悔い改めよアーメン。
別の意味でのアメリカの闇
宗教の力ってすごいですね。
生活のすべてを宗教に委ねるところが、国民性の違いでしょうか。
そして、宗教的には許されない同性愛がテーマです。
アメリカに数多くある「矯正施設」というものの実態が描かれています。
盲信的に施設を信じる姿は、宗教への熱に通じるものがあります。
けれども、そんななかで子どもを救うのは母親です。父にノーを突きつけるのは母なんですね。
子どもは親の価値観を刷り込まれて成長する。それが正しいかどうか、確かめることもできないまま。
それでも、何が正しいのかを自分の物差しで育むことができていれば、親を超えていけるんでしょうね。
最後に実話だとわかり、さらに理解が深まりました。
最後のテロップが、意味深です。
やっぱり‥と思ってしまう、テロップでした。見逃さないで〜
某女性政治家の雑誌寄稿について
近年、ある女性政治家が、LGBTについて「生産性がない」と発し、問題視されたが、
私はそれより、「女子高には、女の子同士で交際(?)する子がいたが、一時的なもので大人になると、男性と交際、結婚した」旨の記述があり、
あたかも同性愛自体が、若気の至り、というか子供時代の気の迷い、といった認識なのかと愕然とした。
また、映画「イミテーションゲーム」でも、アラン・チューリングは、同性愛の「治療」として、「ホルモン投与」を受けていた。
あの炎上から1年もたたないうちにこの映画。
某女性政治家も、チューリングも、この映画も実話なんだよね。
本作と「イミテーション~」では「治療できる病気」として認識され、
某女性政治家は「若気の至り、気の迷い」と認識していた。
日本のTVでは同性愛が「おネエ系」でジャンル分けされているかもしれないが、映画では(主に洋画かな?)、「普通のヒト」と扱われている現代において、某女性政治家のような認識のヒトがいるコト自体が驚きであるが、そうであるからこそ、本作のような作品は必要なんだろうな、と思う。
変わるべきは僕じゃない。
よかったです。私の中でのジョエルエガートン株が急上昇…
監督して、自分は悪役演じて。ねぇ。
同性愛者にたいして、「治療できる」という考えがあることにガックリきます。昔の話ではなく今の話ってことにも。日本でも同性愛の治療だか矯正だかの発言をした政治家がいたので、想像力が欠落している人はごまんといるってことです。残念ながら。
監督最新作がなかなか公開しないグザヴィエドランが、だいぶ精神を病んでいる矯正施設の仲間として出演しています。久々に見たけど、やっぱいいわー。ちょっと体が分厚くなった感じしました。マチュアな魅力ですな。
ルーカスヘッジスもますますのご活躍で。私のみたい感じの映画にばっかり出てくれてありがたいよ。次回作のベンイズバックも楽しみ。
ジャレッドは牧師の息子で、優等生で、高校時代の彼女もいるけど、男女の性交渉に及び腰で、彼女の誘いを拒否し続けて結局卒業と同時に別れます。
入った大学で仲良くなった男子にドキドキしちゃって悩みます。で、相手男子も隠れゲイらしく、彼からレイプされてしまいます。
その事を黙っているのに、暴露を恐れたレイプヤローは実家に匿名の電話をいれる。
息子がキリスト教の教義の中に居場所がある子だったら、ラッセルクロウ演じる父は誠に尊敬すべき良い父なんだろうとも思った。
なんだけど、キリスト教に限らず宗教って古い考えだから、今の人間を包み込めない。性能が前時代的なのに、それを認められない。私はそれを思考停止だとして断罪してしまう。
傲慢だとは思うけど。
なので、ジャレッド!そんな父親も土地も捨てちゃえ!って気持ちでした。
ニコール・キッドマン演じる母が良かったです。
夫に従うだけだった妻から、息子への愛のために夫に背くことにしたわけで、かっこよかったです。
そして、多分ニューヨークに移り住んだジャレッドは、父母に入れられた矯正施設の告発記事をかいたんですね。で、帰省して父と向き合います。
ジャレッドが父に言いました。変わるべきは僕ではなくてあなただと。
わたしはスクリーンのこちら側からそうだ!と(心で)叫びました。
父と子の関係を続けたいならば、変わるべきはこの場合父です。同性愛者であることが愛せない理由としている、父の方が変わるべきです。
それ以外はないです。ジャレットはまったく変わる必要がないです。
ともすれば少数派を責め、弱者に変化を求めてしまうのが、多数派・強者の悪癖で、私自身も多数派に属する時、少数派を非難し、変化せよと思ってしまいます。
が、多数派が間違っていると思います。なので、自分が数の多い方にいる時の振る舞いは厳しくチェックしないとと思っています。
ジャレットの宣言に、高潔…尊い…と思い、ジャレットにスタオベしました(心の中で)。
字幕翻訳・松浦美奈
キリストの教えでは罪なのか
どうも日本人には理解しずらいと思うのが宗教の絡む部分じゃないか。キリスト教の教えは、神の子供である私達は男と女で子を成すことが基本であり、そうでないと罪だという。その罪を犯す自分の子供をなんとかして治そうとするのだ。その施設がどんなところかもわからないのに預けてなんとかしてもらおうとする。お金を払って親としてやるべきことをしてると勘違いする。
キリストの教えに逆らう子供を持つ親の気持ちが日本人の私には実感できないからあまり良い点がつけられなかった。
でも、この映画の救いは子供の心に純粋に向き合い救い出す母親の強さだ。ニコール・キッドマンの演技に惹きつけられた。そして自分の力で正しさとは何かを掴む主人公の男の子、こういう子を育てられたことに父親も誇りを持って欲しいと思った。
diversityとfreedomを認めないアメリカ(USA)の一面
アメリカ(USA)が多様性と個人の自由を尊重する国だという幻想。中心人物を演じる3人の俳優の見事な演技で見応えのある作品になっている。ニコール・キッドマンの演技に初めて感心した。
同性愛者 矯正施設の驚くべき実態
これは観ていて苦しくなる作品だった
アメリカに実在する同性愛者の矯正施設について、驚くべき実態を描いた作品
まず、なぜ彼らは、同性愛者を矯正すべきと考えるのか
それは、神は男と女をこの世に作ったが、同性愛者は作っておらず
「同性愛者は悪魔によって異質な者にさせられた」と考えるからだ
主人公のジャレッドは牧師の家庭に育ち、彼がゲイだと知った牧師の父は、彼を矯正施設に送り込む
ジャレッドも、そんな自分に戸惑い、父に言われるままに施設に行くが、やがて本当の自分に気付いていく
そこから施設の実態が描かれるのだけど、もうあまりの酷さに驚かされるばかり
イジメでもあるし、拷問でもある、その施設の行き過ぎた指導に、子供たちも追い詰められていく
そして、そこで悲劇が起き、それを目の当たりにしたジャレッドはある行動を起こす
その中で、すごく驚かされたのは、ジャレッドの父も、施設の指導者たちも、ゲイを「依存症の一種」のように考えていることだった
普通に考えてみれば、そんなはずはないのに、どうしてそんな風に考えるのか
「人に恋をする」ということは、本来、とても素晴らしいことだ
それなのに、それを「依存症」のように考えることに悲しくなってしまった。
人を愛する気持ちは、親にも、牧師にも、神にも止める権利はない
「他人を許し、受け入れること」がキリスト教なら、人と違うことを受け入れる宗教であって欲しいと思った
主人公のジャレッドを演じるルーカス・ヘッジズがとても素晴らしいので、彼の演技にも注目して欲しい作品だった
実話…
これも実話なんですね。同性愛に悩む息子と家族の話ですね。面白いと言ったらいけないのかもしれませんが、なかなか引き込まれる作品でした。ある意味ドキュメンタリー映画みたいな感じだったかな。あの施設…一昔前の日本でもありそうな感じ。引きこもりの子供を入れる施設とかあったけど、そんなイメージで見てた。きちんとした知識のない人たちが、精神論だけ説いてる感じ。今は、良い時代になったな…なんて思ったりもした。LGBTQ に限らず、今は、いろいろ認められてる。人と違っていいんだよって世の中になった。まだまだ認められずに、イジメとかあるのも事実だけど、世の中は変わりつつあるのかな…なんて。それにしても、両親役が、ラッセル・クロウとニコール・キッドマンって、すごい。主役の青年は無名の子だけど、キャストに力が入ってるなぁ…なんて思ってたら、全然、無名の子じゃない。私、彼の作品、結構、見てる。毎回、彼を見るたび、マット・デイモンに似てると思うのよ。しかも、若手実力派って言われてるらしい。今後が楽しみな俳優さんですね。
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