マーウェンのレビュー・感想・評価
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物語はイマイチだけどなかなか楽しめた
実話を元にした作品であるが、中身はかなり脚色されているだろうことは容易に想像がつく。
モーションキャプチャーを使った人形の世界は思いの外楽しくみられたのだが、やはりどうしてもスティーブ・カレル演じる主人公のマークに何があったのかに注目してしまう。
マークはPTSDだ。直接の原因は暴行されたからだ。暴行の理由が、女性の靴に対する執着だ。
記憶を失い人形の世界に没頭するマークは身近な人たちを人形に重ねて見る。その中で得体のしれない存在が魔女と言われるデジャだ。
どうしてもデジャとは何かを考えてしまうんだよね。マークの中の何かの権化なのか、もしくは忘れてしまった過去の誰かであるとか、何度も何度も画面の中に映り込むデジャが何なのか。
マークのことが分かればデジャが分かるだろうと想像するし、デジャの正体が分かれば、失われたマークの想いが分かると思っていた。
しかし結果的にはマークのPTSDそのものだった、もしくは過剰に摂取していた薬ということでいいのかな。少々直接的すぎて残念な正体である。
物語の中で邪魔な存在であると理解しているし、恐れてもいながらデジャを排除することを考えないマークは、自分でも気付かぬうちに取り込まれていたのだろう。
抜けだせないPTSDなのかやめられない薬なのか、どちらにしてもある意味で無意識下であったかと思う。
物語のまとまりとしては残念ではあるけれど、そこに至るまではなかなか楽しかった。
半分ファンタジーである人形の世界は良かったと思う。
一気に…
冒頭、スティーブ・カレルが戦闘機で落ちて、あれれ、顔が変だし、足が燃えて、うん!?フィギアになってる。と一気に引き込まれる。内容は女装癖?のせいで暴行を受けたマークがPTSDとなるが、フィギアを写真で撮ること、ジオラマ作りを通して、自分を取り戻していく実話ベース。何と言っても、フィギアが登場人物そっくりで、まるで本物のように動き、話す様に驚く。モーションキャプチャーは監督の作品ロジャーラビットを思い出した。ラストはニコルとの恋は成就しなかったけれど、常に親身になってくれるロバータの想いに気付いたのかな。
ドール
まぁ面白かった。と思う。
感想に困る作品だ。
とにかくマークが過去の苦しみから救われて良かったし、ずっと支えてくれていた模造店の女性のありがたみ、良さに気がついてくれて嬉しかった。
障害を乗り越えていくいい話っぽく見えるけれど・・・
実話がベースという、この映画を観て
最初から最後までずっと思っていた事
この密度の高いフィギュアのジオラマの
「世界」構築には
かなりの大金が必要だと思った
人形、車、ドールハウス、ミニチュアの
調度品や小物の数々・・・
その金は一体どこから出ていたのだろう?
マニアックな世界の写真家って、
そんなに儲かるとは思えない
恐らく本物だと思う、
映画のラストの写真展の写真のサイズが大きく
フィギュアたちや世界観に
存在感があるのには驚いたけれど
*****
それにしても、ヘイトクライムによる
心の傷や記憶喪失、
「女ものの靴、ハイヒール」に対するマークの
異常なまでの拘り(女装趣味でも
靴フェチでもないらしい)があってこその、
この世界・・・と思うと
複雑な心境になる
皮肉な事だけど
イラストレーターとしては、ここまで
成功出来なかったのではないだろうか
随所に投入されるマークの現実逃避による妄想
(第二次世界大戦を舞台にしたジオラマを映像化)、
リアルな造形のフィギュアたちの人形くさい動きを
主にCGで表現したのは効果的で、本編の話より面白かった
「男目線」で描かれる女の人形たち(バービー人形)の
個性的なビジュアルと色っぽさが印象的
「女性の本質を知りたい」と何度も言っていたマークは
ニコルに振られたことで、ある意味目覚めたのかな
そう思えば納得いくラスト
しかし、
障害を乗り越えていくいい話っぽく見えるけれど
映画全体に
障害者を見世物のように扱っている感があって
手放しで面白かった、感動したとは言い難い
面白いと感じる部分もあるけれど
なんだかもやもや感が残る作品でした
追記:
マークを惑わしていたデジャー・ソリスの名は
バローズのSF小説「火星シリーズ」から
取ったのかな?懐かしかった
監督は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
の監督だったのですね
唐突な感じだった「タイムマシン作って
未来へ逃亡」って、これのパロディーかぁ・・・
基本いい話、でも物足りない
集団暴行で記憶やイラストを描く能力を失ってしまった男が、自分を取り戻そうとする物語。
結構いい話だったのだが、前半は結構ダレる。人形を使った作品(写真)と創作物語が結構時間をとってて、なんの話なのかハッキリしないままダラダラ続いてしまう印象だった。
その人形たちには実在のモデルがいて、それぞれ自分と関わりのある女性だったりする。それが徐々にわかっていく作りは面白い。でも、唯一特殊なキャラ(魔女)が核心を握ってる感じなのに、実在のモデルが出てこないままで終わってしまうのはどうなのよ!?モヤモヤする。
実話を元にしているので大きな脚色ができなかったのかもしれないが、もったいなかった。
そして、一番印象に残ったのがタイムマシーンとして登場したデロリアン!ちょっとしたファンサービスで楽しかった。
素晴らしかった
模型屋のお姉さんに対する態度がひどくて、あんまりだと思っていて最後ニコルに振られた途端、模型屋に行って露骨すぎる。ニコルに対しても、そっくりな人形にニコルと名付けて自分の人形とイチャイチャしている写真を、ニコル本人に見せるなどあまりに露骨。日本なら警察沙汰なのだが、そんな行為をされていてもニコルは写真店に顔を出すまで付き合ってあげて、本当に心が広い。病人だからしかたがないと思ったのだろうか。
実際、もしあの人形たちに本当に人格があったら新参者のニコルと主人公がいちゃつきだしたら前からいた女たちが怒るだろう。女の集団を甘く見すぎている。しかもニコルには個室、前からの女は相部屋で小さいベッドで、扱いも露骨。
でもそんな露骨さも踏まえて、夢の世界がとても面白い。戦闘シーンが人形なのにスリルがあって、いちいちエキサイティングだ。
変わらなかったもの
暴行の前後でマークに唯一変わらなかったことがある。
女性のヒールに対する気持ちだ。
収集したいというような執着心だろか。
ホーギー大佐と一緒にナチと戦う相棒たちが皆、女性でアマゾネスばりの強さであることを考えると、女性に対する何かリスペクトがあるのだろうか。
映画の中でも、マークは、こうした女性に対するリスペクトの言葉を話していたように思う。
それとも、女性恐怖症…だったりしてと、
イマジネーションは掻き立てられる。
ただ、マークがハイ・ヒールを履いて颯爽と歩く姿を見ると、ヒールで背筋がシュッと伸び、視線も高くなって、たとえ10数センチ程度でも、世界が違って見えていたのかもしれない。
僕は、ヒールを履いて歩いたことはないが、女性の皆さん、どうだろうか。
#KuToo で、ちょっとバッドタイミングな上映になってしまったところがあるのかもしれないが、女性が自ら望んで、颯爽と、かっこよくいられるのであれば良いような気もする。
マークのように、何か変わらず好きなものがあれば、そこから人の才能は膨らむのかもしれない。
いろんな分野で才能を発揮できるのかもしれない。
イラストでも、フィギュアを登場人物にした写真でも。
そして…、実は、マークにはもう一つ変わらなかったことがあるように思った。
それは、マークにもともと備わった優しさだ。
暴行をした5人を前にして、たどたどしくも、マークは、この人達はもう出てこれないんだから…と言っていた。
肝心な部分は聞こえなかったが、何か優しい言葉をかけようとしたに違いない。
ヒールで颯爽としてたら、優しくもいられるのだろうか。
颯爽としてれば、心も軽やかで、強くも、優しくもいられるのかもしれない。
デロリアンが登場した時には、バック・トゥ・ザ・フューチャーのワクワク感を思い出した。
この映画は、ゼメキスにとってのヒールのようなものではないか。
何か好きなものを大切にして、心配事はデロリアンで、遠い遠い未来に追いやってしまって、心を少し軽やかにして生きられたら、割と未来は明るく楽しいのかもしれない。
My true love.(You came back for me.)
“IN THE SKY ABOVE BELGIUM DURING WWⅡ”、オープニングロールが終わるや否や、今まさにホーギー大佐(マーク)が操る戦闘機・カーチス P-40 ウォーホーク(通称:キティホーク)が被弾して墜落するシーンから始まる。“あれ~ッ⁉なんか変”と思っていると、そして、これはいったい何なんだと考えながら見ていると、主人公のマークが描く、ベルギーにあるとされる架空の町、マーウェン。模型で創作された町にいるフィギアのホーギー大佐と彼の相棒たちの6人?のバービー人形が、繰り広げる、悪の象徴のナチスとの戦いを主人公マークの世界観を再現しているということに気が付く。
What, are you queer and deaf ?(crossdresser:異性装に対する心ない言葉)
この映画は、ある日、ニューヨークのバーで、生死を分けるほどの傷害を受け、その後、肉体的にも精神的にも障害が残ったアーティストであるマーク・ホーガンキャンプ、彼が創り上げたホーギー大佐が活躍するフィギアの空想の世界と共に彼の半生を描いている。
しかし........!!
新聞紙Mountain Xpress に見られるように「 侮辱的で非人道的な悪夢は、監督自身のクリエイティブなプロセスを真に奇妙なものに見せている。」また世界を意味するスペインの日刊紙、El Mundo 、「 監督は観客を感動させようとするが、強制的なトーンと大げさなメロドラマを使っている。」に見られるようにあまり批評家からは支持がされていないのだが、その上、amazon.comのレビューでは「プロデューサー・俳優・監督は、この映画がどうなるべきかについて知らなかったようだ。犯罪演説が嫌いですか?女性はフェチを見せつけているし、バービー人形のヌードと暴力?一体何ですか?役者たちがこのゴミに主演することに同意したとは思えない。これを見ないでください、ばかげているだけです。」とあからさまな批判もあるけれどもシナリオがストレートに入ってくる監督の代表作であり、興行的にも大成功した「バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985)」とは違い、アーティスト、マーク・ホーガンキャンプの架空の世界観が、すんなりと感情移入のしがたいもので、どちらかというとオスカー6冠の「フォレスト・ガンプ(1994)」のような現実世界と視覚効果の違和感のない世界観の構築をするために、今作に使われているモーションキャプチャー方式の最新のVFXを駆使して、いつも監督が目指す映画作りをしたかったのかもしれない。あくまでも個人的な考えとして.....。
To Love. To Life. To the Women of Marwen.
黒澤明監督が“映画がほかの芸術に何が近いか?”との問いに即答で「音楽だ!」ということを思い出すかのように、ゼメキス監督も映画作りが音楽作りと似ていて、そこにはリズムが存在すると言っている。今回も「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で音楽を担当した、最近では「アベンジャーズ/エンドゲーム(2019)」で知られるアラン・シルヴェストリ。この映画、監督自身の映画をオマージュしているかのような場面に、そこに欠かせない音楽が流れるのでファンなら必見となっている。
What did he say ?
"I never met a doll with such a gorgeous set
of torpedoes in my entire life."
-Such a charmer, that Hogie.
And you are the most thoughtful.........
generous, kind and beautiful woman
I have ever been lucky enough to know.
It would be my honor..........(涙)
ここに登場するフィギアの肌の質感や光の照り返し観、それとフィギアが着ている服の独特なごわつき観などエ~ッと思わせるほど精巧にしかも鮮やかに映像化されていて、一部には、フィギアらしくなく人間にどちらかというと近いという批判もあるけれども監督の追い求める映像であり、実際のマークが芸術家としての活動や人物像があまり描かれていないとかの批判もあるけれども、そこにはとてもおかしく、穏やかで、またその根底には人間のやさしさという、心を動かされる感動の映画として成立していると思われる。
監督がインタビューに答えて、「ドキュメントなどを読んで、この驚くべきマーク・ホーガンキャンプのいわゆる“healing journey”という彼のイマジネーションを作り出し、彼の抱えるトラウマの克服、彼の活動など感動をした。そのところで今までとは異なる画期的で初めてとなる役者の動きをそのままアニメーションに移すことのできるモーションキャプチャーを取り入れた。......(略)」また監督として「第一に役者が与えられた登場人物がその時に当然感じていることを役者に理解させることだ。」
アメリカでは、2018年のクリスマスに公開されるという映画会社の期待感の表れでもあった。
R.I.P.
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