「不完全燃焼で中途半端」記憶屋 あなたを忘れない 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
不完全燃焼で中途半端
山田涼介の演技がいただけない。主人公の吉森遼一は突然大声を出すようなキャラクターではないし、そんなシーンでもないのに、どうしてこんな演出をしてしまったのか。スタートから中盤までは悪くなかったが、大声を出すシーンで興ざめしてしまい、以降は惰性で鑑賞することになった。
そもそも設定に無理があるのは多分みんな解っている。しかし記憶屋の存在を想定することは、人間にとって記憶とは何なのかという問いかけを投げかけるものであり、様々なドラマツルギーが考えられる。実は面白いアイデアなのである。しかし映画はそのアイデアを活かしきれなかった。
河合真希役の芳根京子の演技も明るすぎて、全く感情移入できない。この演出もどうかと思われる。全体に暗めのトーンで演出したほうがリアリティもあり、ちょっとは面白さを感じることができたかもしれない。広島弁も大げさすぎて違和感がある。少なくとも個人的に知っている広島の友人や親戚はこんな広島弁は使わない。佐々木蔵之介や蓮佛美沙子の演技が自然でよかっただけに、主役ふたりが浮いてしまい、悪目立ちになってしまった。ちなみに蓮佛美沙子の杏子が働いている喫茶店は、世田谷区の三宿にあるアンティーク家具と喫茶の店GLOBEだと思う。この店の右脇の階段を降りていったところにあるサンデーというカフェ・レストランでは2015年に何度かランチをいただいたことがある。
記憶が人格に占める割合は非常に大きいものである。記憶は意識にも無意識にも刻まれている。人間の脳における意識と無意識の割合は1対99とも1対数万とも言われていて、人格を形成するのはほぼ無意識と言っていい。人間の感情は意識からではなく、無意識から生まれる。例えば、さあ怒ろうと意識してから怒る人はいないわけで、怒りの感情は無意識に湧き上がるものである。他の感情も同様だ。
一定の記憶がなくなれば、情緒も変わるし性格も変わるはずだ。顕在意識で憶えていることだけが記憶ではないのである。本作品では顕在意識だけを表現してしまっているから、無意識(潜在意識)が生み出す人間の複雑さを表現できていない。物語に深みがないのだ。
記憶屋という面白いアイデアを活かしきれず、不完全燃焼で中途半端に終わってしまった作品という印象である。残念だ。