天気の子のレビュー・感想・評価
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初の新海誠でした!
内容は軽いファンタジーで、面白かったです。
雨から晴れが差し込むシーンは何度見ても鳥肌が立って、特に出会って最初の晴れの時と花火の時は息を呑みました。
僕は最近の教育に幸せになるためには頭良くならなきゃいけないっていう風潮を感じてて、それに迎合してた所があったんですが、この作品はそれ以外の方法があるって教えてくれた感じがします。カップラーメンも殆ど食べたことないんですが、それを2人でわけるシーンや、みんなでカラオケするシーン。小さな喜びをみんなで楽しむことで大きくする。そんな印象を受けて、個人的な意見なんですが、新しい生き方を見せられたような衝撃がありました。
前作の君の名は、は見てなくてCMで見た主人公の名前と容姿しか知らなかったんですが、作中に瀧君のような髪型の子が出てきて、気になってたんですが、立花なおばあさんの孫と名前の出てなかったその子の名前が立花瀧とあり、もしかして君の名はの主人公か?と思って検索してみたらやっぱりそうだったみたいです。完全にネタバレなのでアレですが。
ただ、悪い印象を受けたシーンもあって、警察の無神経というか乱暴な行動だったり、タバコを吸う人への批判という印象も受けました。それと青少年の非行シーンがあり、そういったことに敏感なら不味いシーンかな。穿ち過ぎなだけかもですけど。
結構難しいところがあって、世界をとるか、唯一をとるか。映画で多くあるテーマではありますが、どちらの意見も理解出来るし、難しいです。ホタカの気持ちに共感しているので、僕個人は唯一を選ぶと思いますが、それが正解でないのも理解出来るので。
総評すると、いい映画でした。見所として、映像美とラッドウィンプスの音楽が合っていて映画を見てて気持ちが盛り上がりました。まだ観てない方がレビューを見たら、是非観て感動を共有したいと思いました。
映像美が見所
18禁ゲームのオープニングで名を馳せた監督だけあって、映像はとても美しい。そしてキャラクターとストーリーがボロボロ。
主人公とヒロインの現状は説明されていても背景が描かれていない(あるいは薄い)ので、どうしてああいうことをするのか分かりづらく感情移入もできない。須賀の方がキャラが立っているのはどういうことだ?
クライマックスも映像と音楽の力で無理矢理盛り上げているものの、鳥居まで走る主人公の動機付けが薄い。ないわけではないのだが、盛り上がる場面なのだからもっとビビッドな展開にしてもいいだろう。それに妨害役の警官たちはただ仕事をしているだけで「悪」ではないから、妨害として機能していない。
これらは全て、監督がストーリー構築を不得手にしている上に興味も薄いせい。だからこういう作品になるのはある意味必然なのだ。プロデューサーが強権を発動してでもスクリプトドクターをつけるべきだった。
実は映像美のところでも疑問が残る。前半の新宿歌舞伎町や漫画喫茶、インスタント食品の描写はやたら細かく執拗なのに、最後の水没した東京の美しさがほとんど出てこなかった。水没後の東京を肯定的に捉えているのにこれは駄目でしょう。山手線が水上バスになっても立派に人々を運んでいるとか、魚の形をした水滴が東京のあちこちを元気に泳いでいるとか、いくらでもやりようはあったのに。
許しがたいダークファンタジー
「君の名は。」が観客へのサービスを徹底して作った『「非」新海的』な作品だったとしても直球弩ストライクで心に突き刺さり滂沱の涙を流した自分には、本作は途中で退席したくなるほど退屈なうえに最後には嫌悪感まで感じた、見たことを後悔させられた作品になった。
・拳銃、チンピラ、児童買春等等、東京の影の部分を執拗に緻密に描きながら「雲の上に別の世界がある」というファンタジーを強引にからめているが全然親和しておらず、違和感だらけだった。
・家出少年に孤児となった姉弟、そのキャラクターがそうなった境遇などが描かれることなくまったく感情移入できない。
・東京に異常気象による「避難指示」が出るシーンがあるが近年各地で死傷者の伴う豪雨災害が発生し、「避難指示」がリアルにニュースで流れる中、その人たちへの配慮はなかったのだろうか?言い換えるなら某大震災の後に東京が大地震に襲われ半分以上がなくなるような作品を作るようなもの。製作者側に意見する人がいなかったのだろうか?
・主人公が愛する少女を助けるためにした選択が東京の大半を水没させる異常気象の世界を到来させる。当然そこには破壊された市井の人の生活や甚大な死傷者が想像できるのだがそういうところは全く描かず言及もせず、主人公がそのことに対し罪悪感を抱く姿も極めて軽くしか描かれない。加えて何も知らない立花老人や須賀(奇しくも「君の名は。」の神社名と一緒)の言葉で免罪させているのは無責任ではないか。
せめて主人公には自分の選択のせいでどれだけの死傷者が発生したのか認識しているシーンが欲しかった。それでも最後「僕たちは大丈夫だ」という言葉の中に「青空も、住む場所も自分たちのせいで奪われたなんて誰にもわからないんだから大丈夫だ」とすら聞こえたのだが。
「君の名は。」が「代償なく多くの命を救った許しがたい作品」というなぜ「代償」が必要なのか根拠のわからない批判に対する「多くの命を代償にして自分の大切な人一人を救う物語」という意趣返しなのかもしれないが、このエゴイズムな姿勢を知ってか知らずか意外と多くの人が肯定的に評価しているのが自分には恐ろしい。
・ファンサービスとしてなのだろうが「君の名は。」のキャラと同姓同名の人物が脇役で出演していて、それにより「天気の子」が「君の名は。」と地続きな世界であることを印象付けているが、「天気の子」によって「君の名は。」の瀧の就活以降の世界がすべて否定されることになる(雨が繰り続く世界なので奥寺先輩との再会シーンや四谷での再開シーンもなくなると受け取れる)。
津波災害に遭った某地を「「君の名は。」の原点と話し、「幸せな気分で劇場を後に」出来るよう「誰かの幸せを願う話」として作った「君の名は。」のエンディングをわざわざ「天気の子」で否定した(そう受け取れる)監督の姿勢に許しがたい憤りを感じる。
「君の名は。」への批判が本作作成の動機(「もっと怒られる作品」を作ること)と、ことあるごとに公言しているが、自分には「もっと怒られるため」に批判をものともせずに作りたいものを作った、というよりも批判を気にしながら、さらに数々の応援企業への配慮から作品の自由を奪われあちこちに破綻をきたした痛々しい作品に受取れた。
作品の持つメッセージ性には最初から期待はせず見た。
コミカル、恋愛、社会への問題提起、アクション、これらが2時間という枠に収まりきらなかったように感じられました。
映画は映像美だけでなく、そのものが訴えるメッセージ性も重要だですが、
ただ、今回は上記の理由でメッセージ性がまるで、まるで相手に小声で、自分の耳に届かなかった時のように感じられてしまって、残念でした。
あくまで個人的な意見としては、メッセージ性は薄くても、ヒロインとの恋愛、須賀の親子愛、須賀と穂高の人間愛などを美しい映像美とともに描きあげていただくのでもよかったのかもと思いました。
新海監督の映像美は、良くも悪くも、描く対象そのものの持つ印象を拡大させる気がします。ですので、最初のシーンの東京での風俗店などのネガティブな描写は、新海監督の映像美をもって表現されると、いささかいきすぎのように感じられ、個人的にですが、受け付け難いものがありました。
バックボーンの描写の薄さがそれに拍車をかけた部分もあり、感情移入は厳しかったです。
あくまで個人的な意見としてですが、メッセージ性は薄くてもいいから、ヒロインとの恋愛、須賀の親子愛などを美しい映像美とともに描きあげてもらうだけでも自分は満足でした。
今までに比べて先行が不透明になりつつある現代においては、もはや良心の拠り所としての意義だけあれば、個人的には、すくなくともチケット代の価値が十分あったと思います。
ただ、それが映画の収入を支えるまでの多数の嗜好になりえるかどうかは別の話なのは承知ですが;;
奥深いメッセージ性も両立させた新海作品は、20年に一度でもいい。個人的にはそう思います。たまには、ただ楽しむだけの今回の天気の子のような作品があってもいい。
それは雨粒の中のような今の時代にあって、天気の子は雨雲からときおり差す日の光のように感じられ、それは疲れた人にとっては、夏の強い日差しにも匹敵する価値がある。そして、それは冒頭で神社に射した日の光に魅せられた陽菜も、もしかしたらにそんな風に感じてたので、外に駆け出していったのかもしれませんね。
タイムリーな作品
めちゃくちゃ面白かった
君の名とは視点と結果からすると
正反対の作品だけど、所々で繋がりがあったり
して、君の名はの後対になるよな天気の子
を作れる新海監督は本当に凄いと思う。
賛否両論あるけれど、個人的には
主人公ぐらい極端に暴走というか
それくらいの強い真っ直ぐな意思と覚悟
がないと今の時代、愛する人、大切な物
を守れないなんて、メッセージがあったりする
かな〜なんて、ちょっと思ったり
そう考えると、刑事さん達は、
秩序の維持と世の中の象徴っぽいような
そんな感じがするような
フィクションなのだから、多少オーバーな
表現があったとしても、いいのでは
そっちのが 、フィクションでも、リアルだし
ただ武器ってだけでなくて、実際作中では
使用については実際、使って良い物としては
描かれてないし、そっから何を読み解くか
って事なのかも(`・ω・´)
ひょっとして
これが しずる感?!
エンドロール(曲)終わるまで誰一人席を立たなかった!
(ちょっとビックリした)
違うか?!
うん 面白かった!
ファンタジーやね。都市伝説みたいな。
音楽良い。
神木くんの声で アレ? オオ!てなったし
「君の名は。」ともつながってるんやね。
(レビューとか見ずに観たのがよかった)
日本アニメ凄いと思います。
映像は美しい。音楽も良い。
コンセプトとして、「教科書にはない」「政治でも言わない」「報道でも伝えられない」ことーつまり「世界(社会)の為ではなく自分自身のために、恋い慕う人を優先する」ことがある。
それ自体については、そんなに真新しいものではない。しかし別にコンセプト自体は悪くないと思うのだ。おそらく現代社会に生きる人は社会をよりよくするため、みんなを幸せにするためという考えが少なからず心の何処かにもたげていると思う。自分は一体何のために生まれたのか、そんな疑問に対して明確な答えを得る時間もない中であくせく働くためには何か「大義名文」が必要だ。人間は意味がない、理由がないものを怖れるからだ。だから「人のため」というのはとても都合がいい。自分の存在意義を肯定してくれるし、他の人の役に立っている自分の人生はなんて素晴らしいのだと。別の視点から見れば「人のため」は他人のためであり自分のためでもある。内包されたエゴイズムを汚い物だと決めつけ他者への貢献という布を覆い被せただけなのだ。ここで大事なのは本来エゴイズムは汚くはないのではないのか?という問題だ。自身の欲を撒き散らし、ほかの誰のためでもない行動を行う。それが唯一美しくなるのは他者を希求する行為が最大の欲になっている時だ。人はそれを愛だという。エゴだとしても許される、唯一の免罪符。愛そのものを誰しもが疑わない。愛は「自分自身のためでもあり、特定の人のためである」からだ。それが本当に特定の人のためなのかと言った真偽は問えない。本当に成立しているのはその一方行の愛を両者が持っている時のみだ。
話が長くなってしまったが、本作はこの「愛」本来が持つエゴイズムを忌憚なく発揮している。わかりやすい形で。覆っていた布を一気に取り払ってくれる。「大義名分」を教えてくれる。しかし私は本作を手放しに評価できない。なぜならこれは「愛」ではないからだ。圧倒的に知恵がない主人公がなんの努力もせず、法律を犯してまで求める「特定の人」。
その「特定の人」をそこまで思う主人公の境遇、感情、葛藤、考えの描写がほとんどない。
この映画は「愛」を描いたように見せかけて、「理由のない人のため」を描いているに過ぎない。綺麗ごとを言うなと言いながら、綺麗ごとを求めている。
つまるところ「映像美と音楽が優れている」
のみで写実描写のみが優れ心情描写に欠けた物語である。なぜ一部の人に評価されるのかといえば、そう言った美しい写実描写、音楽と一見リアルな会話とファンタジーが観ているものの思考と感情を誘導しているからだ。一つ一つ見ればそれは単なる表面的なものでしかない。
挑戦しているようでしていない。社会と異なるようで異なっていない。共感できるようできない。愛を描いているようで描いていない。みんな「のよう」で停止している。
文字通り「絵空事」の域から抜け出していない残念な作品であった。(´;ω;`)
映像美は素晴らしいが
『君の名は』よりもさらに映像美に磨きが掛かってたし、チラホラ非難ある商品名表示は、街並みにある実在看板含めあらゆる細かな表示同様にリアリティであり、ファンタジー作品である本作を引き締め、希望から絶望へ向かう本作への良い効果となってると考える。
結末について(言わずもがなだが)、晴れ女を人柱(犠牲)にしようがしまいがアンハッピーである事には変わりない。本作は後者結末とした(故に大惨事)が、この身勝手感が逆に潔く好感は持てた。が、後悔の様子が全く見えない主要人物達や、悲観的な雰囲気が見えない街の人達って、ねぇ。『君の名は』で出来た巨大なクレーターもそうだが、大惨事の痛みの立ち直りや切り替えの早い人達ばかりだなと。そこはサラッとし過ぎて、リアリティをぶっ飛ばしファンタジーに逃げた感、ちょい違和感を感じる。大惨事による犠牲、その痛みもしっかりと描き切った方が厚みのある作品になると感じた。
劇場の客席観ると、チラホラと小学生くらい子供達が。『愛人て何?』と親に質問する声が聞こえたし、暴力描写や売春、風俗、ラブホテル、等々結構なアダルト要素のある本作。せめてPG12にすべき作品だと思うが。
主人公が選択し、その選択から目を背けなかった物語
音楽が良いとか、映像が綺麗だとかは他の人も言ってるので私は物語の根幹の感想を
これは人を選ぶ作品である
鑑賞前に聞こえてきた感想の、その意味が分かりました
これはセカイ系の作品です
そしてセカイ系の1つの終着点になった作品かなと思います
異常気象が続く東京を救うには天気の巫女が人柱にならなければならない
そして陽菜は世界のために人柱となる選択をする
ここまではセカイ系作品のよくある(ヒロインが世界の為に犠牲になり主人公がヒロインの選択を尊重し受けとめる)展開です
ここから帆高は世界の晴れより陽菜と生きる事を選択し、陽菜を連れ戻す
それにより東京は3年間も雨が降り続ける事になる
これもセカイ系ではよくある(世界より二人でいる事を選択し二人で罪の意識を抱いたままひっそりと生きていく)展開です
この作品でも後者のように帆高が東京の晴れよりも陽菜を選びます
帆高は世界よりも陽菜を選択した事に罪の意識を感じるようになる
けれど周りの大人達は帆高の選択を否定しないばかりか「世界は元々こうだった」「世界を変えたなんて自惚れるな」みたいな優しい言葉をかけてくる
その優しさに流されそうになる帆高だが、天気の巫女の力を失ってもなお空へ祈る陽菜を見て
「やっぱりあの時世界を変えたんだ」「この世界で生きていく事を選んだんだ」と自分達がこの世界を変えたという認識、自覚を持つ
大人達の優しさに甘えて罪から目を逸らさず選んだ世界を前向きに生きていく
「僕たちは、きっと大丈夫」
ここに天気の子の良さがあるんじゃないかと思いました
ここからは個人的な事で
イリヤの空とか最終兵器彼女とかのセカイ系ブームが青春時代を直撃していた者としては、救われるヒロインが見たかったし、救われた後も普通に主人公とヒロインが生きている世界が見たかった
セカイ系でこういう結末を望んでいた人は少なくないのでは?
そういった意味では犠牲になるのが東京の天気だけってのは良い塩梅だったのかも
ただ確かに帆高の選択は身勝手かもしれない
そう指摘する人がいるのも分かる
でも帆高の選択を身勝手と断ずる事だってそれはそれで身勝手な事です
あの世界の人だって帆高の選択を糾弾する権利は誰にもないはずです
そもそも天気の巫女が人柱になった所で、あの世界の人はその犠牲に気付きもしない
帆高の選択にも誰も気付きもしない
そして誰も気付かず世界は“いつも通り”回っていく
水没したレインボーブリッジの上を船が通り、子供は外ではしゃいでいる
水没した東京の上でも人々の生活は続き、やがて雨のやまない日々が日常となっていく
帆高がどんな選択をしようと世界はいつも通り続いていく
世界なんてそんなものですよ
雨がやまなくなったって
世界は、きっと大丈夫
(7/28 02:11)
すみません、主人公の名前の漢字を間違えていたので修正しました
理解が浅かったので来週もう1回見てきます
『君の名は』の世界まで、、
いちいちエッチなのには閉口した。すぐ胸を見るし、ラブホに行く。安易に女性を性的に消費するという姿勢、それを許す姿勢は、いかがなものか。日本国内ならまだ通用もするだろうが、人権意識の進んだ他国では到底受け入れられるものではないだろう。もし世界的に興行を行うならば、日本男子の遅れた性的価値観を世界中に晒すことになるんじゃないか。
それを除けば、とても面白かった。
惚れた女の子のためには、世界が滅びるのも辞さないという、価値観は個人的にとても良かった。
『君の名は』のキャラクターも随所に登場するという、ファンサービスも嬉しい。これにより『天気の子』の世界が『君の名は』とは地続きということになる。つまり、『君の名は』で瀧と三葉が頑張った世界の、彼らが今後育むであろう家庭がある東京は、結果として水浸しになる、ということだ。
ファンサービスの結果、『君の名は』のラストまでぐちゃぐちゃになったと感じるのは私だけか。
つまり、帆高君は瀧と三葉の『君の名は』の世界までもかけて、惚れた陽菜ちゃんを救ったわけである。まさに男子の本懐ではないか。
青春社会風刺ファンタジーかも。
映画、おもしろかったです。
私の感想はほぼ想像です。
○主人公が家出した理由について
冒頭とラストの主人公の顔の傷の位置がほぼ同じなので、主人公は故郷の島でもヒロインのような人を助けようとして傷を負い、傷心して家出したのではないでしょうか。
○世界の形を変えたことについて
地域の一人が人柱になる世界から、みんなで雨に打たれる世界に変えたということが『世界の形を変えた』ということではないでしょうか。
アニメータが可哀想
ただひとつ言えるのは映像と音楽は素晴らしいということです。それだけに、ストーリー構成に勝手ながら憤りを感じました。
また、前置きしておきたいのは、私は君の名。はから新海誠さんの作品を見たわけではなく、秒速5センチメートルに感銘をうけて、それ以降の作品は前作観ているということです。(アンチなわけではないと声を大にしていいたい)
本作は、ストーリーが死んでいます。登場人物に感情がない。感情移入できないです。
登場人物は、綺麗な絵をみせるためだけに動いている。
登場人物は、スポンサー企業と関わる絵を移すためだけに動いている。
登場人物は、大人気俳優、女優、声優を喋らせるために動いている。
こんなことになるなら、ストーリーなんてないほうが、、、
綺麗な映像を無音で流していただいたほうが、、、
よっぽど思いが伝わります。
それほど、映像は素晴らしいのに、、、という思いで、作ってもいないのに、勝手ながらイライラしました。
主人公は、なにか事情があって、東京に出てきているはずなのにそれが最後までわからない。
ヒロインも複雑な家庭環境で、きっといろいろなストーリがあるはずなのに、それもわからない。
誰かわからない人たちがなんだかわーわーやっている。
そんな映画でした。なんかもう、最後のほうは逆に笑けました。
勝手に登場人物が盛り上がってたので。
音楽も映像も素晴らしいのにそれが逆に滑ってました。ストーリーのせいで。
前作が売れたことで、関係者や予算が増えたことが裏目に出て過ぎています。大きくなりすぎた制作を関係者をハンドリングできていない感じが映像を通じて伝わるという、、、なんの映画をみせられているんだ感がすごかったです。
あとは、東京の描写ですかね。
君の名は。では言葉にはしていないですが、田舎と東京の対比というものが非常によく描かれていました。
映像でここまで、描けるのかと感銘を受けていました。
本作は、それに泥を塗られた気分です。
わざわざ、直接的な言葉で伝えなくても映像で十分伝わるのに、
人を選ぶといいつつ、登場人物のセリフを借りて、万人に伝えようとしている。
中途半端にメッセージを入れてくるのが余計に腹が立つ。
君の名は。と対比して、というよりは、過去の新海誠作品と比較しても、悲しい出来です。せめて、監督の自己満足の作品なら気持ちよく観られたのですが、そうではない感じがして、ただただイライラしましたし、残念な気持ちが強いです。
規模が大きくなると、しっかりハンドリングできる人がすごく重要なのだと、映像外で学びがありました。
次回作は、純度の高い新海誠監督の作品であればよいなと切に願います。
自己中
主人公の愛する人に対しての行動力や思いは凄く尊敬するレベル。だけど銃刀法違反や線路に入るなど愛する人のためなのは分かるが現実と掛け離れすぎる。出来事が終わった後も罰が愛する人と少しの期間会えないだけ。
ありえない。日本と愛する人を天秤にかけた時に愛する人が勝つのは相当まずい。まとめるとこの映画でよかったのは主人公の行動力ぐらい
思っていたものと違いました
主人公に共感出来ない。他の登場人物の設定もいかせていないというか。
罪を犯すことについてどうおもっているのでしょうか。推奨では無いですが許容しているような描き方。モラトリアムでは許されないことだと思うのですが。
映像美はとても素晴らしいと思いました。
選ぶ作品だよね
新海誠の作品はこれで2作目で「君の名は」の次に見た作品がこれです。
君の名はの綺麗なハッピーエンドから一転して結構人を選ぶ作品だと思いました。
良かった点
・絵はやはり綺麗で絵だけでも見た価値はあるなと思いました。
・終わり方は賛否両論あると思うけど自分は結構好きです。大胆なメッセージ性があって意外な結末で面白かったです。
・音楽も良かったと思いました。前作と比べるのは良くないと思うけど「君の名は」の時は音楽がちょっとうるさすぎるかなぁと思っていたので今回は自然な感じで音楽が流れていたので良かったなと思いました。
悪かった点
・結構主人公に馬鹿な行動が多かった。
拾った拳銃を持ち歩くし、警察から逃げるって行ってもなんの計画性もないままて...そりゃ捕まるよねって話。警察に捕まったあとも傍からみたら支離滅裂な事言ってのにそれを理由にして警察から逃げ出すし...高校生だからってことで意図されて無鉄砲な事やってるのは分かったけどもう少し賢い主人公の方がよかったなぁ...
・天気の巫女は割と雑な設定だなと感じた。天気の子が人柱になって天気を沈めるのは途中の言い伝えででてきたからまだ分かったけど最後で主人公が助けに行ったら普通に戻ってくるし。もっと作中で説明が欲しかった。
評価は3.5で「君の名は」と比べるとやはり劣る感じ
あまりおもしろくなかった
君の名はと同じレベルを期待して行くとがっかりしてしまう。事前の宣伝も作品の期待度をすごく上げている。
でも、実際はよくある映画。期待度が高かっただけに、ガッカリ感も大きくなってしまった。
愛を値踏みする
新海誠さんの作品や世界観を熟知しているわけではないことと、功利主義・費用便益を熟知しているわけではないことをお断りしたうえで、感想を書きます。あえてこう言う必要もないのかもしれませんが、あくまで個人の感想です。
東京の価値(=経済活動がもたらす金銭的価値と命の価値などの非金銭的価値を含めた価値)と「愛」の価値を天秤にかけた作品だったと個人的には思います。
この作品に共感できない方も多いようですが、その原因の一つに、東京に住んでいる無数の人たちの価値や犯罪の費用と便益を考えると、その方にとっては「愛」よりも東京の価値がまさったということかなと勝手に思っています。
言い換えると、大勢の生活を犠牲にしてひどいやつだ、犯罪は費用が高い(便益がない)などの価値観を持っているのかなと。。。
その一方で共感された方は、むしろ彼らの勇気や愛する気持ちなどの「愛」の価値が東京の価値を上回ったのかなと。。。
そして、重要なのは、それぞれの個人が主観に基づいて、暗に費用と便益を天秤にかけているといったことなのかなと。
個人が持つ物差し(=費用と便益による価値判断)で社会的な問題を値踏みすることは、ある意味正しい側面もあるけれども、それだけでは割り切れない部分がありうるでしょう。
いろんなレビューを拝見する中で、「トロッコ問題」に当てはめて考察されている方もそれなりにいらっしゃいました。それは自分の費用便益を社会的な問題に対して行う行為でもあるから、非常にこの作品と相性がいい。
トロッコ問題とは
1人と5人だったら、功利主義は1人を犠牲にし、5人をとる。といった話です。
そのトロッコ問題の話に当てはめて、僕が考えたことは
でも、1人の方に、自分の最愛の人がいたとしたら?
それでも、5人をとるのが功利主義的でしょうか?
それとも、社会的な功利ではなく、個人にとっての功利が選択にとって重要だとしたら?
僕にとっての恋人の価値と君にとっての僕の恋人の価値は同じではないという前提に立つのであったら?
つまり、個人が一人一人に置く価値は、一人一人の個人で違うという前提ならば、功利主義的に1人を選択するのが正しいということになるかもしれません。
これは、ベンサム的な功利主義に立つか、JSミル的な功利主義に立つか、それともそれ以外の価値観に立とうとするのか、そういった葛藤に対する問いかけなのかなという感想を持ちました。
そういった解釈の中で、さらに付け加えると
ヒロインの子の犠牲を何も知らずにのうのうと一般の人は生きている的な描写がありますが、そのこともまた面白いかなと。
実は、僕たちは恋バナや恋愛映画から、たくさんの便益を受けています。でも、それに対して、正当な対価をそのストーリーの提供者に支払ったことがあるでしょうか?
恋バナに花を咲かせる人は少ないくないですが、そこから得られる便益を支払ったことがあるでしょうか?
映画だったらあると言えるかもしれませんが、それは本当でしょうか?映画に支払いの中は、作品に対する支払いであって、恋愛の話題の提供者に対する支払いではないかもしれません。
そういった、愛の外部経済的な話として理解してみるとそれはそれで面白いのかなと。
人は、暗に功利主義的あるいは費用便益的な発想で物事を考えていて、それをさらに、無邪気に他人に押し付けてしまう節があるといった点に気付かされた気がしました。
そして、暗に功利主義・費用便益的に考えていることを意識してもなお、功利主義に立っていられるのか、そこに個々人に対する問いかけがあるのかなーーと。あるいはどういった功利主義をとるのか、何を費用とし何を便益と私たちは考えたらいいのかといった問いかけでもあるのかなーーと。そういった意味では非常に経済学的な作品でもあるなーーとか。あるいは合理性?
そういった感想を持ちました。
読める文章になっているかわかりませんが、感想が書きたくなる作品でありました。あとこういったレビューは鼻につく感じで、嫌われる気がしないでもないですが、、、許してください笑
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