天気の子のレビュー・感想・評価
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主人公が東京を不幸にする変な映画
邦画独特の寒い会話。スベっている。
家出、度々の公務執行妨害、銃での殺人未遂、そして異常気象。これら主人公2人の感情的行動で人に迷惑をかけて、ついには東京が不幸になるという変な映画。
ふたりに愛があれば人に迷惑かけて良いのか。
気取ってるだけで中身がない。
何が面白いのか分からない。
残念。。
君の名は。にはまり他の作品もある程度見て、楽しみにしていました。本当に感動するつもりで行きました。が…。。
映像と音楽以外、なかなか感動できませんでした。
まず、ストーリーにかなり無理がある気がします。家出の理由もはっきりしてなく最後まで共感しにくかったです。ヒロインの年齢も無理がありますし。。
若者が若者の世界だけで物を見て考え動く。
恋に恋する時期…そんなことを感じて大人は見るべき対象ではないのかな、と思いました。
どう考えてもストーリーが雑に感じて、君の名は。で感じた緻密なトリックなどは全く感じなくて悲しかったです。
何度も見る予定が一度でお腹いっぱいに。
原点回帰でもあり新しくもあり。もっと深く知りたいと思いました。
過去作も見ていて、今回はどちらかというと過去作に近かったような気がします。今までの新海誠ぽさが出ていたと思う。
「君の名は」から新海誠を知った人がまた「君の名は」を同じ様なものを求めて見たとしたら微妙なんだろうな、という印象は受けました。
というのも過去作からしたら「君の名は」がかなり異色で、個人的にはかなりキレイな新海誠だと思います。
それに対して過去作は切ない思いや残念な思いをする鬱エンドが多いです。
で、今回はそのどっちも取りにいったという感じで登場人物にはバッドエンド要素は無かったと思うが結果的に世界はバッドエンドになった。でもそれでいい、というパッと見でこれどう解釈すればいいんだ…となります。
要は丸く収まってるのか収まってないのかわからない。
ここが見る人によって良し悪しが出てくるポイントかなーと思いました。
こういう部分に関しては世界が東京にしてもパラレルワールドなので設定資料集とか出して分からないところ埋めてほしいなと思います。
空の世界のこととか空の魚のこととか、他の天気の子のこととかもっと深く知りたいと思える作品です。
劇中の展開などは子どもぽさやご都合主義的なところは多いですが、感情まかせにゴリ押しで突き進んでいく姿は個人的には好きでした。
全体的にテンポもよく見ていて楽しかったです。
未成年を泊めたら誘拐になるあたりとか妙にリアルなところもいいですね笑
次の新海誠はどうでるのか、非常に楽しみですね。
新海誠のエンディング
君の名は。以前の作品を「鬱エンディング」と評されることも多い新海誠。
現実は上手くいくことばかりではない。初恋なんて実らないことの方が多い。子供にはどうしようもないこともある。そんな事実を突きつけた作品が多かったように思う。
しかし今作は決して鬱エンドではない。
確かに君の名は。のように全てがうまくはいかない。うまく行きようがない現実がある。
それでもその中でもがけるだけもがいて、やれるだけのことをやった帆高には勇気をもらった。
ハッピーエンドと言っていいだろう。
泣いた(。>д<)
本田翼C&梶裕貴さん&小栗旬さん、目当てで、映画に行って、観たら、木村良平さんも、出演してて、陽菜C&帆高くんの、声優さんを、やった人は、知らないですが、声質が、好きだなって、思ったし、新海誠監督の映画は、ものっそい、好きだ(。>д<)(。>д<)陽菜Cが、空に消えて、しまった所に、泣いた、ですが、陽菜Cは、本当に、助かって良かったけど東京が、沈んだ事は、君の名は。と天気の子しか、観てないけど、何かしら、他の人は、犠牲に、なるのがなって思う、他は、ダビングしたが、まだ、観てないです
反骨精神はおおいにけっこうなことだけど…
もっと別の形で表現して欲しかった。前作にあやかろうとしてるのがミエミエで、ストーリーが子供騙しみたいな感じで薄くてペラッペラ。今回セカイ系というジャンルがあることを初めて知ったんだけど、セカイ系ってこんなものなの?映画ってやっぱり先が読めなくて捻りや返しがなきゃ全く楽しめない。メッセージも持たすならせめて話面白くしろよ。
あ あの最後の3年のくだりだけは読めませんでしたよ笑。家出少年はまあ分かるよ天まで追っかけてったぐらいだからね(結局誰でも行けんの笑?)陽菜があの独りよがりの家出少年を3年も待てる意味が分かんない。3年もありゃ他に恋もするだろうし、東京がどんどん水没していく様を見りゃ再度人柱になろうとはしないのか。あの独りよがり家出少年と行動をともにした数日?数週間?があの空白の3年間に匹敵するとは笑。RADの音楽と綺麗な背景使って前作っぽくして壮大に錯覚起こさそうとしてる映画。
色々と考察が出来る場面があります。
元々観る予定は無かったのですが友人に誘われて先程観させて頂きました。
新海誠監督の映像作品は今までにY's2というゲームのOPと君の名はのOPのみを見たことがありました。
まず、映画の内容としては予想していた通り、すごく感動したり驚いたりすることは無く、ある程度予想も出来ました。が、それ以上に映像美、音楽の挿入による盛り上げ方が上手で、非常に良くできた作品だなと感じました。
また、ここからはネタバレなのですが、僕はこの話を与える、与えられるの関係によって人間関係が構築されていることを表している物だと思いました。例えば最初に陽菜が帆高にハンバーガーを渡した後や帆高が須賀に助けられた所などは、その後の展開で帆高が与えてくれた人に何かを与えていますよね?そしてその後人間同士の関係が築かれていきました。他の人達同士でも一緒です。また、その逆として、縁を切る、1度だけのの関係としてお金が出てきていたんだなと思います。お金は人間関係を構築できない、ということです。例えば天気の商売をしていた所など、お客さんには基本1度しか出番がありませんよね?
また逆に須賀は帆高と別れる時に5万円を支払っていますよね?この場合はお金によって人間関係を切ったという事です。またその後須賀が泣いていたのは自ら縁を切った事に対して後悔をしていたからだと思いました。
最後に本田翼は声優に向いていないなと感じる場面は多くありましたが(笑)、細かい描写などがされており新海誠監督、流石だなと。
非常に見る価値のある作品だなと思います。
新海誠最高
君の名は を見て、本当にこの人の世界観に惹かれて今回天気の子を見たけど、やっぱり好きだなーって思った。自然と不思議と世界観を掛け合わせたような感じって言えばいいのかわかんないけど、幻想的でよかった。
須賀の 大人になれよ とか 歳をとると大切なものの順番を変えられない とか響いたなぁ
なぎの 全部お前のせい 姉ちゃんを返せ も涙腺崩壊だったなぁ
恋愛も混じりながらもくどい感じがしなくて、すごく感動😭
君の名は に続いてRADWIMPSがほとんどの今日をやってるけど、新海誠の映画にピッタリ。
小説もDVDも絶対に買う。
前作は問題作、本作は凡作
天候不順で夏になっても雨が降り続く東京。
離島の実家を家出して東京にやって来た高校生の帆高は、なかなかバイト先を見つけられない。
心が折れかけていたとき、連絡船で命を助けてくれた須賀のもとを頼ることした。
須賀は、潰れたスナックを根城に小さな編集プロダクションを営み、主な記事はオカルト関連のもの。
そんなある日、弟とふたりで暮らす少女・陽菜と出会うが、彼女はネットで話題の「100%の晴れ女」だった・・・
というところから始まる映画で、夏になっても雨雨雨の今年を言い当てたのかしらん、と思うような設定。
だが、ノッケから、ちょっとゲンナリ。
帆高が陽菜と出逢うまでの物語が長く、その上、帆高の背景もよくわからない。
なんだか理由があって家出してきたようだけれど、経緯もわからず、あまりに無目的的。
もうちょっと下調べぐらいした方がいいんじゃない? と思ってしまう。
さらに、手持ちのお金も尽きて、ネットカフェにすらいられなくなった彼が、偶然に「あるもの」を手に入れてしまうあたりも出来過ぎ。
これが後半の追いつ追われつの伏線になるのだけれども、ご都合主義は否めない。
さらに、弟と暮らす陽菜の背景も書き込みが足らず、「行き場のない若いふたり(弟を含めると三人か)」の設定をつくるだけにしかみえない。
(おっと、ふたりを助ける須賀も、その仕事仲間の若い女性も、行き場がないといえば行き場がないのだが)
というわけで、「天気の子」として陽菜が活躍しだして物語が動き出すまでが、もっさり、まだるっこしい。
陽菜が「天気の子」として活躍しだしてからは物語も動き出すのだけれど、着地点は疑問。
前作と違って、災害が・・・という点ではなく、なんだか、主人公ふたりのエゴ承認欲求があまりに強すぎて、辟易してしまう。
ま、この世で大切なのは、お互いだけ・・・というのはわからなくもないが(主人公たちは、まだ16歳ほどだから)、青春の青さとして片付けてしまうには未熟すぎる。
未熟・・・というのが、どうも、個人的には受け容れられないのかもしれない。
前作は、個人的には(「過去作品の設定を拝借」とか「東日本大震災をなかったことにするのは・・・」という、しかしある種のエンタテインメント作品としては)「問題作」だったのが、本作は未熟な「凡作」という感じがしてならなかった。
その後の展開を想像してみたら…
この映画、自然の光景と音楽は、美しく調和してるけれど、
人の描写と結末は、中途半端で、それは、現代社会の私たちの中途半端さと、
直面している問題の困難さを反映している。
だから、『愛にできること』を探しませんか?
とメッセージしているのだな、と思ったのが、1回目でした。
その意味で、新海監督は素晴らしいし、その後の想像も掻き立てられます。
ということで、いろんな想像があると思いますが、
その後、どうなったのかな?を書きます。ハッピーエンドを考えました。
◎『どうしたら、みんながハッピーエンドになるか?』
百人、千人、全員が天気の子に成ればいい。
◎『天気の子の条件』
大きな愛、豊かな感性(陽菜の母への想いと、自然界との一体化能力)
◎『ストーリー』
陽菜と穂高は、天気の子の素質を解明しようと、『天気の子 研究会』を発足。
ひょんなことから「君の名は。」の三葉に出会い、
陽菜「三葉さんって天気の子っぽくないですか?」
ということで、三葉もスカウト。瀧くんもついてくる。
瀧くんは、名前からして、雨の子。
「もっと、天気の子を増やすには!?」と考えたところ、
穂高は、Youtubeとインスタをやろうと陳腐な提案。
陽菜は、みんなが楽しめる大道芸をやろうと言い、
三葉、瀧くんは、沈黙。そこで、
凪「お姉ちゃんたち、アイドルグループでもやれば?」
鶴の一声で、陽菜と三葉はアイドルグループを結成することに。
その名も、『てるてる・Qラブ(くらぶ)』
しかし、陽菜は、「それならまだ、お笑いか大道芸のほうがいい!」と主張をゆずらず
よって、折半、
『日本興業エンターテイメント』を立ち上げ、史上初の、
本格的な、アイドルとお笑いがマリアージュしたグループを結成。
そうこうしている内に、瀧くんは、
天気の秘密を解明、空の奥には、まだ見ぬ天の世界があることを知る。
天の世界の存在たちは、彼らが、
世界を明るくするために、動き出したことを知っていた。
そこで、陽菜たちは、天の光の存在たちと、契約を結ぶことになる。
そう、ここからが、
日本興業の『光営業』のスタートだ(笑)
光営業とは、太陽のように、24H営業、年中無休の無給。
ブラックに聞こえるが、この上なく、クリーン。
いや、本当は、最大の報酬がもらえるのだ。
天気の子として働くとき、一人で抱えるから、負荷がかかる。
でも、2人以上の天気の子がいるなら、
愛のシナジーで、爆発的な歓びが与えられる。
それは体に受ける負荷を上回るパワーを発生させる。
それが、100人になったら、どんなに素晴らしいことだろう!
その真実を知った、てるてる・Qラブ一行は、
ファースト・アルバム
『愛にできることはまだあるかい』
を発売、被災地をメインに、各地のイベントスペースで披露することになる。
この初回限定版DVDのB面は、お笑い企画で、
『絶対に笑ってはいけない穂高のチャーハン』となっている。
とてもワクワクする内容だ。
しかし、イベント当日は、伊勢台風の30倍の未曽有のスーパー台風100号の接近
誰もがあきらめる状況となり、全国規模の、特別警報、緊急事態宣言を政府が発令した。
てるてる・Qラブは、必死の思いで、神社のゲイトをくぐり、
天の世界へと助けを求めに行ったところ、帰ってきた答えはこうだ。
『大難を小難にするには、正中台風に変えるほかない。』と。
太陽(火)の力と水の力(水)が必要だという。
その器になるのが、陽菜と穂高だ。
しかし、2人の力で変えられるのではない。
天の気とは、人々の気と連動し、
莫大なパワーとなって降り注ぐ。
それを仲介し、増幅する役割を持つのが、天気の子なのだ。
人々の心の中に、明るさがなければ、増幅することはできない。
人々の心の中に、明かりを見つけた時に、コラボレーションすることができる。
それが、本当の、晴れ女の力なのだ。
中略。
こうして、イベントスペースでは、無事、
歌とダンスとお笑いが絶妙に繰り広げられ、
台風を変えた力を観たくて来る人も多く、
爆発的なヒットを記録、1週間の公演の間に、
youtube再生回数5670万回を達成し、さらには、
メンバー志願者が多数続出、計36人になった。
この明るいムードが、子供や若者たちに希望をもたらした。
『大きな愛と豊かな感性で世界を照らす
てるてる・Qラブ!!!』
このキャッチフレーズは、瞬く間にその年の流行語となったのだ。
若者だけではない、大人たちにも希望をもたらした。
天気は、変えられるのだということ。
ムードは、変えられるのだということ。
人々のムードが、社会に影響を及ぼし、天気に影響を及ぼす。
天気が、人々の心に影響するのだとしたら、
逆もまた、しかり。
自然界の法則に一方通行はない。
それが、本当に、可能だ!ということを示してくれた彼らに、
大人たちも、ようやく、『光』を観ることを思い出したのだった。
おわり。
長文をお読みいただき、ありがとうございました。
繊細さが失われ、ずいぶん大味になった。
映画を見終わって「一体何がどう大丈夫なの?」と思ったまま私の思考は一時停止。あなたたち二人は大丈夫でも、あなた以外の人々は少しも大丈夫じゃないんだけど?と冷静になってしまう私は、この映画にロマンを感じられるほど盲目(※)ではいられなかった。(※)使用の難しい言葉だと分かりつつ、他の言い換えがしっくり来ず。差別的な意味はないのでご容赦ください。
私は本来ラブストーリーが好きだし、他者を巻き込み犠牲を払いながら愛を貫いていく物語も好きだ。そういう物語を決して否定はしない。でも帆高と陽菜の関係にそこまでの愛を感じなかった。青春の淡い初恋としてならいいだろう。ただ東京を海に沈めてまで守るべき愛だと思えるまでには到底至らない。二人の絆がそれに相応するものだとはどうしても思えない。それを許せるほど二人に魅力を感じない。二人を見ていて、東京なんて海に沈んでしまえ!晴天なんてなくていい!それでも二人は一緒にいるべきだ!とは、とても思ってあげられなかった。
それはまず主人公の帆高の愛の枯渇や孤独感がまったく切迫して見えないというのが理由のひとつで、どうやら家出をして東京に来たらしいことは分かっても、どうして家出までしたのかが帆高から汲み取ることが出来ず、結果地元でしっかり高校を卒業までしているところを見るに、ただ中二をこじらせただけで家を飛び出してきたかのようにさえ思える。彼が一体何と戦い、何から逃げ、何を求めているのかがずっと漠然としていて、だから彼にとって陽菜が不可欠だと感じさせるだけの材料が揃わない。陽菜の設定も「両親を失い弟のために年齢を詐称して自活する少女」というまるで20年前のケータイ小説のようなフレーズにロマンを感じているだけで裏付けが存在せず、いちいちツッコミどころが多くて敵わない(いっそファンタジー設定は許すとして、社会的な設定など滅茶苦茶で)。
新海監督の作品は、世間でもよく言われるように「童貞的」な感性があってそれは長所だと思う。繊細でナイーブな少年のハートをそのままアニメーションに出来る人だ。ただ今回は演出が随分と大味になったと心底思った。音楽が流れ出せば分かりやすく画面は空へパンするし、聞かせたい台詞は「これは決めの台詞ですよ」と言わんばかりに際立たせる(そして私はその都度脳内で「は?何言ってんの?」と思う)。以前からそういう演出の手癖は分かっていたけど、それでもそこにある繊細さは損なわれていなかったはず。でも今回は繊細さがごっそり失われ、ストーリーもそこに描かれる帆高たちの感情表現含め実に大味で大雑把に思えた。
片腕に手錠をぶら下げて警察から逃げる少年やら、震える手で銃を構える少年やら、そしてそこにロマンを感じる感性やら、とにかく中二的でもう見ているこっちが恥ずかしい。帆高が年上の綺麗なお姉さん(陽菜も当初は年上と騙っていた)にからかわれて可愛がられているのもいかにも童貞的できまりが悪いし、なんだか・・・今回いつにも増して内容も演出もひどくクサくなったような・・・。ロマンだけを追いかけたクサい演出が「思わせぶり」ばかりを散りばめ、それらを決して回収することなく物語が強引に押し通されていくだけ。
シンプルに面白くなかったし、最終的に感じたのはひたすら「虚無」だった。
監督の良い意味での青臭さを感じた
自分はちょうどよく感じたが映画館のほかの席の反応を感じとるに展開がやや早めなのかも。
特に映画の終盤に主人公がある場所に行かなければと思い立つ部分に関してはなぜそういう考えに至ったのか
なんとなく納得している層と色々ツッコミたい層とそもそも理解出来ない層が生まれると思う。
ラストの結末に賛否両論あるかと思うがあの結末を選んだ監督に自分は好感が持てる。
この映画の伝えたいメッセージを色々補足すっ飛ばしてシンプル&勝手な解釈にするなら
主人公=若者たちへ
今の社会には若者たちへ理不尽を強いられる選択があるかもしれない。しかしたとえ社会基盤をぶち壊してでも若者たちには選択権があること、そして壊れたところで元々世の中が狂ってるのだから問題ないこと。気にしないこと。
だから今、若者に見てもらいたいと
そんな希望を託してるのかなと
新海誠という人をとても若々しく感じた。
ストーリーの余白が多い
とてもきれい。特に雨粒がはねる描写、荒れた空の描写。
「君の名は」もそうだったけど、設定のつじつま合わせを考え始めるとおかしいところや語られていないところが多くて気になっちゃう。昔ならイライラしてたけど、まあアニメだしな…と思う。
「よくわかんないとこは雰囲気で」っていうタイプの監督なのかなぁ。自分であれこれ考察したり妄想したりできる、余白が多くていい映画だと思う。
映像がほんとにきれいで、映画館で見てよかったなと思った。描きたいとこだけしっかり映像にしたって感じがした。
須賀さんの奥さんも晴れ女だったのかなーそんで空に消えちゃって、彼はあきらめたのかなー娘も守らないといけないしね、という妄想をしながらみていたけど、特にそういうエピソードは出なかったな。
(追記:同じような妄想してる人たくさんいたわ。やっぱりそう思うよね?)
4回観たので感想と考察
『天気の子』を4回鑑賞した。
5回目以降も鑑賞しようとは思っているが、せっかくなのでレビュー、考察をしようと思う。
ちなみに『君の名は。』では5回鑑賞したが、レビューする気にはならなかった。何故なのか自問自答していたが、天気の子を4回観て分かった。
1つ目は、君の名は。では、結果的に全ての人が救われるいわゆる丸く収まるハッピーエンドに対して、天気の子では世界を犠牲にして陽菜を救ったという賛否両論の残るエンドだったからだ。私はこの終わり方がとても好きだ。
「知らないフリ」をし続けて、大切なことから目を背け続けた大人達とは対照的に、迷わず大切な人を選び、階段を駆け上る帆高の姿には思わず涙した。(その際のRADWIMPSのなんと素晴らしき曲の入り方であることよ)
少し蛇足になるが、この「知らないフリ」も、物語のキーとなる要素だと思われる。考察の最後あたりに述べる。
2つ目は、天気の子では、作中に散りばめられている各々のシーンに意味が多数見受けられたからだ。そのシーンについて私が目についたものに限るが考察しようと思う。
1.帆高の家出
親戚の家に遊びに行くと須賀に嘘をついた帆高は実際は家出少年。理由は陽菜の家に訪問した際に述べていた。
「家も、学校も、息苦しくて」
また、警察が陽菜の家に来た際に帆高と帆高の父親の写真が映るシーンがあった。父親は髭を生やし、見るからに厳格そうだった。窮屈な家庭、窮屈な島で育った少年がある日体験したのは雨の中の光。その光の先を追いかけようと思いついたのは家出することだった。追いかけた先の東京ではチンピラに足を引っ掛けられるわバイト先が見つからないわで途方にくれてしまう帆高。3日間マク○ナルドのスープで飢えをしのごうとするが腹の虫は止まない。そんな時にバイトしていた陽菜にもらったハンバーガー。
「16年で一番美味しかった夕飯」と帆高は感じたのだ。
また、最初の帆高は顔に絆創膏を貼っていたが、あれは親との喧嘩の結果なのかもしれない。もしくは虐待をされていた恐れもある。これらの言動に基づけば、帆高が家出をしてきたのは最も合理的であると思った。
2.須賀の奥さん(アスカ)について
須賀の奥さん、アスカについて様々な考察がなされている。
とあるレビューの「アスカ=晴れ女」説は私は肯定する。
『天気の子』では、全般的にキャラクターの言動がそれぞれ鍵を握っていると思われる。この説では須賀が鍵だ。
須賀はしきりに指輪を触っていた。そのシーンは、(私が覚えている限りでは)晴れを依頼して陽菜と帆高の間に座ったシーン、酒を飲み「みんなそうだろ」と言い放ったシーン、刑事に問われ「俺に言われても」とぼやいたシーンなど。これらのシーンはどれも、『晴れ』や『逢いたい人』に纏わるシーンばかりだ。晴れであることと、指輪を触ることに何の因果があるのか。
それはアスカが実は晴れ女で、人柱としてこの世を去ったということに関係があるように思われると感じた。人柱としてこの世を去り、残された須賀は後悔の念に駆られてはいたが、これが大人になる事であると自身で言い聞かせ、そして次の自分になると思われる帆高にも「大人になれよ」と言い放つ。須賀の言う「大人」とは一体何なのだろうか、私は「誰にとっても良かったと思われる人になる事」つまり「自分の主張を捨てる人」になる事だと思った。
大事な人より世界を選んだ須賀と世界より大事な人を選んだ帆高の対立は胸熱だった。結局は須賀が、逢いたいと叫ぶ帆高に心を突き動かされ、捕まりかけた帆高を助けたシーンは本当に泣きそうになった。
作中の須賀の言動だけでアスカの正体が本当に晴れ女か完全に証明することは出来ない。何故なら、これは「須賀の物語」ではなく「帆高と陽菜が世界の形を変えた物語」であるからだ。作中の須賀の言動はあくまで「須賀の物語」の一部であるため、その数少ない言動だけで決めつけるのは難しいと思う。だが、証明が出来ないということは反対にそうではないとも言い切れないので、私はこの説を推す。
3.水の魚の正体
魚の形をした水を覚えているだろうか。陽菜の体に纏っていたあの水の魚のことだ。水の魚の正体についてふと感じた。あれは一体何なのだろうかと。
私は『歴代の犠牲となった巫女達』説を提唱する。
というのも、帆高と夏美がツイッターを見ているシーンで、『中に内臓の器官のようなもの』と呟いているツイートがあった。これはもしや、人柱として天に召された巫女達の身体から、あの水の魚達は出来ているのではないかと考えた。そう考えると少々グロいが、あり得なくはないと思う。
4.陽菜が助かったのは本当に帆高のおかげ?
帆高が彼岸に行き、陽菜を見つけ出し2人で逃げ出したことで陽菜を人柱から解放し、救い出した結末。陽菜が助かったのは帆高のおかげなのか、そもそも帆高は何故彼岸に行けたのか。
3回目までは私は帆高が救ったと信じて疑わなかったのだが、4回目を観たときにアレ?と思った。
2人が鳥居で倒れているシーンで、陽菜のチョーカーが割れているではないか。あのチョーカーは元々陽菜のお母さんのものだったと思われる。というのも、最初の病室のシーンで、陽菜の母親の手に、今の陽菜がチョーカーとしてつけていたアクセサリーがつけられていたのだ。その頃の陽菜の首にはチョーカーはついていない。つまり、母親を亡くしてから、陽菜はあのチョーカーを着けるようになったのだと思う。いわゆる形見である。
また、立花家に晴れを届けた際に、冨美ばあちゃんが初盆について話した時に、「お母さんに守ってもらえるよ」と言ったあのシーン。あのシーンに意味を持たせるとするならば、いや、新海監督ならきっとあのシーンに意味を含めているだろうと感じた私は1つの結論を導き出した。陽菜が人柱を回避できたのは、『母の守りがあったから』である。立花家のおかげで初盆を迎えることができた陽菜は母親に守ってもらうことが出来たのだ。その媒体となるものが形見であるチョーカー。役目を終えたチョーカーは世界に帰ってこれたときに割れたのだ。
では帆高は必要なかったのか?と言われるとそれは否定したい。帆高は世界で唯一陽菜に会いたいと強く願った人物。(凪は置いといて)そんな帆高の目の前に落ちてきたのは、つい先程、陽菜にプレゼントした指輪。この指輪が、帆高を彼岸に連れて行ったキーアイテムと思われる。
そもそも、空へ行ってしまった陽菜がチョーカーは落ちず、指輪だけ落ちて行ってしまったからにはそれなりの理由があると思う。
(もらって日が浅いため、天に持ってこれたものの陽菜の所有物として結局認識されなかった。など)
何にせよ、指輪は一度天に行ったのだ。それが、帆高が天に行けたことと繋がると思われる。
本来、人柱として巫女だけしか、つまり女の人だけしか行くことができない天に、帆高が行けたのは、陽菜が天へ持って行った指輪が入場券のような媒体として働き、辿り着くことができたからだと思われる。もしあそこで帆高が指輪を持たないまま鳥居をくぐったら、何も起こらずに熱血刑事に顔面床ドンされてまた血塗れになってたんだろうなと感じた。
どうあれ、帆高は指輪のおかげで天に行くことができ、人柱として身を捧げようと諦めた陽菜を救い出す逆転劇を行うことができたのだ。
5.帆高の言い放った「知らないフリ」
追い込まれた帆高が銃を向け、「皆何も知らないくせに……知らないフリして!」と言い放つシーンを覚えているだろうか。
このセリフこそ、作中の自分達以外の人間(つまり"オトナ")への最大の反抗、皮肉だと思う。
須賀の奥さんの母親の「現代の子達は可哀想。昔は春も夏も素敵な季節だったのに」も、須賀の「ま、人柱一人で世界が救われるってんなら、俺は喜んで〜〜てか、皆そうだろ」も、刑事からの質問にも。
もちろん刑事は陽菜のおかげで天気が戻ったなんて考えもしないし、須賀の養母だって同様だ。
そうやって"大人達"が知ろうとせず、目を背け、知らないフリをし続けた結果が、この世界なのだという現代の大人達への反逆を示唆した台詞が、帆高のあの台詞なのだと思う。
6.瀧と三葉
これはほぼ余談なのだが、瀧と三葉は果たしてこの世界線で出会っているのか、考察をした。
終盤で帆高が立花家に再び訪問した際、冨美さんの右腕に注目してほしい。組紐のようなものを手に巻かれていると思う。これが、もしも三葉、もしくは瀧からのプレゼントだとしたら、三葉と瀧は出会っていて良好な関係を築いているのだと私は思っている。
様々な考察を述べたが、この考察が合っているかはどうでも良くて、言いたいのは天気の子は、ちょっとしたシーンが実は深い意味があったり、結末に賛否両論あったとしても大丈夫なんだってこと。
とても味わい深い映画だった。
5回目以降と観ようと思うので、また考察が変わってしまうかもしれないがそこは追記しようかと思う。
愛を貫いたことの正しさ、美しさ
『君の名は。』よりはタイムスリップとか入れ替わりみたいな複雑な要素がなく、綺麗にまとまっていて観やすかったです。また、前作よりも会話や流れのテンポが上がっているように感じて、気持ち良く観ることができました。絵は圧巻の美しさで、曲も不自然なものは無く映画とよくマッチしていたと思います。話の流れは大体予想できるものだったので後は終わり方がどうなるのかということをワクワクしながら観ていました。結論からして私はあの終わり方が最善だったと思います。これはトロッコ問題によく似ていて、陽菜と街の人々の暮らしのどちらをとるのかというのがEDの分岐点になっています。私はどちらをとっても正解だと思います。帆高は陽菜を選んだというだけで、別に何も解決しない(雨が一生やまない)としてもそれは正解の選択肢だったのです。だから何も解決しないことが間違っている、意味が分からない終わり方だというのはすごくナンセンスな意見だと私は思います。帆高の「陽菜と一緒にいたい」という真っ直ぐな気持ちのもと走り出す様は私の心を強く打ちました。その意志の強さは我々もアニメのキャラとはいえ、見習わなければならないと思います。一つだけ不明瞭な点があるとすればなぜ拳銃がばら撒かれているという設定があったのかという点です。大人に対抗するための武器を帆高に与えたかったということだけが理由では無いようには思いました。しかし社会の黒さを表す象徴だとしたらちょっとオーバーかな…?とも思いますし、そこだけがもやもやではあります。でもそれを差し引いても良い作品だと思います。
「それでもなおしがみつく」帆高と陽菜は私には綺麗に思えました。
主人公が法を犯しまくったりする
いや、声優と作画は神ってんだね〜…
でも内容と演出がひどすぎて泣ける。音楽とかで無理やり盛り上げてるの嫌い。
アニメ映画じゃなかったら、もっとクソになる
1番頭おかしいのは主人公で、金も持たずに1人で船乗って東京行って被害者面してんじゃねぇよ。銃拾って、それを人に向けて発砲して、やりたい放題じゃねぇか。
で
「ヒロインの命or大勢の人の命」で、ヒロイン選んで、最後笑って終わってるしな。怖すぎ
けっこうよかった
クライマックスはやっぱり警察に追われて逃げるみたいな見せ場が欲しいですねというような発注があったから拳銃を所持させた、ような後付け感が何とも残念で、特に代々木の廃ビルで、ライターのおじさんが主人公を屋上に行くのを強引に押しとどめるのも意味が分からない。それも場面ありきで、物語を後付けしているせいで、人格をないがしろにする表現で、嫌だなあと思った。
16歳とか15歳とか小学生が出てくるのだが、幼さが全くなかった。外見が幼いだけで全員精神年齢は20代以上な感じだ。感じの悪い人も皆無。
といったことが気になったけど、絵が素晴らしくて浮遊感のある場面もすごくよかった。気になるところはあるけど楽しい映画だった。
カップル×おじさん向け◎
カップルではオススメしない。ヒモ系主人公なので非常に気不味い空気になります。
青春時代に我慢しすぎて、その年代に未練残した人をマーケティングターゲットにしてる気がするので、ネットでは大変受けがよい。
勉強しすぎとかぼっちとか社会と折り合いが下手な不健康な人の「やりたかった事を自分勝手に好きなだけやって、罰せられても都合がよいお話」
折り合いをつけて今を楽しめてる人には全く面白みも魅力も感じないであろう作品ですが、不健康溢れる日本ではある意味ドル箱。あー狂信的になってくれそうな良いところに目をつけたなと関心しました。
音楽と映像はいいですね。
今の若い子達のほうがまだ賢いから、おじさん達の未練が投影された主人公にあんまりリアリティーを感じなかった。
特に食事。本当に風⚫️落ち覚悟するくらい貧しいならバイト先からもらってきたり、あんな単品で食べられる高い食材は使わないです。
貧しくてもご飯美味しくて、救世主願望満たしてくれてってヒロイン像にびっくり。
何がリアルなの?ただの願望ですよね?
まるでなんとか時間テレビのような安っぽさを感じた。
企業が関わるのかステマ臭い。
レビューみて見るか決める方はお気をつけて。特にカップルのかたは君の名はのつもりでみたら自爆しますよ。来館していた女性はなんかつまらなさそうでした。
あ、自己愛の強めなハルキストにならうけるかも。
映像とマーケティング評価で2.5
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