天気の子のレビュー・感想・評価
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構成の失敗・メタファーの不明確を感じました(超絶ネタバレなので映画見てから読んで下さい)
超絶ネタバレなので映画見てから読んで下さい。
この映画を見ながら、映画としての構成に失敗している、との思いを強く持ちました。
まず、前半がすごく退屈で、その理由をずっと考えていました。
前半退屈な理由は、この映画の目的が最初に明確にされていないことから来ると思われました。
例えば、
<最近の日本の天候は異常気象が続いている、その天気を回復する存在として天野陽菜という少女が現れた>
と映画の目的を例えば、(普通の天気でなく)異常気象(世界の異常)を陽菜が回復する物語だと一番初めに示せば、観客はそれを目的に大きな物語を見ることが出来、前半の退屈さは劇的に解決したと思われます。
次に、ずっと映画に深みがないな、と感じていました。
その理由は、悪天候が何を表しているのか、陽菜が天気を回復させることは何を表しているのか、明確に描かれてなかったからだと思われます。
つまりメタファー(暗喩)の不明確さです。
例えばこれも、
<異常気象(悪天候)は、今の日本の世の中が(小さくとも)狂ってるというメタファー>
<陽菜の天気の回復は、狂ってる世の中を回復させるというメタファー>
と明確にすれば、物語に深みが出たと思われます。
そして例えば物語の進行として、
<実は異常気象(悪天候)は、狂ってる世の中を洗い流す作用もあった>
<異常気象(悪天候)を陽菜が回復させたことで、かえって世の中の狂ってる部分が白日の下に明らかになるようになった>
と物語が展開していけば、
(例えば、須賀は帆高らにも知らせていない過去に拳銃交えたとんでもない犯罪を犯していて、陽菜の天気の回復がなぜか作用し過去の犯罪が白日の下にさらされ、帆高たちを交えて切迫した事件に後半巻き込まれていくなど‥)
映画の後半の大転換につなげられたと思われます。
感想結論としては、
1.物語の目的が、特に前半明確でなかった
2.悪天候や天気の回復が何を表現しているのか、明確ではなかった
ことによって、かなり食い足りない、前半退屈で描かれているストーリーに深みがない映画になってしまった、と思われました。
これは非常に残念な鑑賞後の気持ちでした。
もちろん新海監督の描きたかった、両親を亡くした子供や、田舎の価値観に違和感を抱えている若者、ネットカフェ住民や安易な風俗勤務など東京での裏側に隠れた貧困、離婚後の家族の想い、など、小さくとも「狂ってる」今の日本の世の中の部分は伝わっては来ました。
しかしそれらの描写も残念ながらこちらをハッとさせるような切迫感や深みやリアリティがなかったと思われます。
これらの(小さくとも)「狂ってる」描写の深さ問題も、上に書いた天気に関するメタファーの不明確さと相まって、物語を薄く感じさせた要因だと思われました。
新海監督の映画『君の名は。』は紛れもない傑作だと今でも思っています。
それは(入れ替わりの謎を解くストーリーだと)何を目指した物語かすぐに明確であったこと、入れ替わりのメタファーが(震災や、観客にとって大切な人との)描写として深く明確であったこと、後半への展開に予想外の驚きがあったこと、などが理由だったと思われます。
今回の映画『天気の子』はそれに匹敵するアイデアがあったと思われます。
ですが構成や深さの問題によって大変惜しすぎる中身になってしまっていたと思われます。
もちろんアニメーションの世界ではこのレベルでももしかしたら満足度が高いのかもしれません。
しかし勝手な個人の思いからは、普段アニメーションを見ない一般人々の日常の深さにも届く傑作を今回も期待していました。
勝手な思いからは、次作でのリベンジを願っています。
(今回も、アイデアや映像の素晴らしさはもちろん前提として‥)
他人の為でなく自分の為に生きて良い
映像★★★★☆美しい
音楽★★★☆☆RADWIMPS
演出★★★☆☆満腹気味
お話★★★☆☆他人軸と自分軸
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一応、君の名より良かった🎉
陽菜、弟と2人暮らし。晴れ女。力で身体が透明になる。生きることが全て他人の為になってしまって、アイデンティティがなくなっていく。他人軸。
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帆高、帰る家がある。家出。女の力でビジネス。どんなことになろうとも女を助けたい。自分軸。
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感動したのは、ラブホに置いてあるたこ焼きとか焼きそばとか、3人で食べたところ。理由はどうあれ、なくした家族をここだけは取り戻せたんだって、伝わった。
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"他人の為に力を使うと自分が消える"けっこういいテーマだったと思ったけど、とにかく帆高周りの演出が大袈裟で、銃ぶっ放したり、わーって走り出したり、竜が出て空からドーンで飛べーっ!!って2人で空ビューんてなって、いきなり3年後、東京きて再会でめでたしってなったり。
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なんか感動するところとは違う目線だったな🤔
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世界を変えて命を救ったのは別にいいけど、陽菜の本質的な部分は救われたのか??
1番覚悟が必要で、内面が爆発しないといけないのは、陽菜だよ。
受身じゃなくて、"陽菜が自分で"重荷を下ろして、自分の言葉で、帆高や弟、世界に甘えてでも、自分の人生を歩んで欲しかった。
つまり東京を沈める選択は帆高じゃなくて、陽菜が自らするべき!!
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帆高目線だったから、単にアイツが最初から最後までワガママって話に見えちゃう、のが感情移入しにくかった。
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まそんなもんか。
同席したおじさんは4回泣いたので、きっと良いと思います🤙🏻🥴🤙🏻
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#映画#映画記録
須賀が主人公
他の方のレビューにもありますが、須賀が主人公と言っても過言ではありませんね。
須賀の感情や葛藤が分かると、とても心が動かされます。
須賀の
人柱になった妻、喘息の娘、晴れを望む自分
妻の選択を肯定したい自分
などに対する感情がまた複雑で深い。
私も喘息の娘を持っているもんですから、とても感情移入できました。
保高の家出の理由を知りたがってる方が多いですが、正直そんなのはどうでもいいし、最初の顔の傷からも容易に想像できます。
見方の焦点を変えると2度楽しめる映画だと感じました。
さすが新海誠!
「悪くはない」と言う評価の裏には
そんな事はないのかも知れませんが、新海監督はよっぽど「雨」と「東京」が好きなんだなと思わされます。自分も人生の半分以上を首都圏で生活してますが、根が田舎者ンで大都会には仕方なく居たようなもので正直好きではありません。ですが新海監督も長野県の小海町と言う自然豊かな町のご出身ではありますが‥‥
恐らく誰もが『君の名は。』を期待したでしょう。結果そのビジュアル・映像美は健在でコレ以上ない出来で、雨と晴れの天候コントラストも抜群、美術がひときわ輝いていました。ですが今作は、今更感濃いめのストーリーと、2名のミスキャストに難がありました。
家出少年、離島から。家出と発砲騒動などの強引さに加えて、青春・中二真っ只中の少年ホタカの無鉄砲ぶりと、ソレを支えるヒロイン・ヒナの可愛らしさと優しさ描写、歓楽街のチンピラや警察、須賀に至るまで男大人たちの敵意すら向けられる無理解の描写、その中にあってもナツミやナギほか周囲の安らげる存在、この辺が昭和の頃からワリとよく使い回されたテンプレで、あまり新しさや突拍子的なものは感じられません。それは『君の名は。』もそうでした。
ですが前作と今作で大きく異なるのが「エンターテイメント性のオプション」だと思われます。隕石・地方と大都会、時間跳躍、男女の切ない想いなど〝幕の内弁当〟だった前作に比べ、今回はオカズが〝標準(並)〟で、天丼の〝竹(松竹梅で)〟と言う感じ。つまり『悪くはない出来』の域にハマりきってしまった事による標準止まり感が強く、決して特上でも松でもない仕上がりに感じられるのみでした。『良い』と『悪くない』では目線の角度が違います。
もう一つは、もう何を言っても無駄でしょうが、中の人にソレ専門ではない有名人をプロモーション兼用で充てるのは食傷で、特に今回はホタカの耳障りな絶叫と須賀のキャラに合わなさ過ぎる声質が最後まで馴染めませんでした。平泉さんは事故だと思って諦めます‥‥w
そんな訳で、観客は前作の影響如何ばかりかと思いますが、個人的には厳しい評価をつけました。ですが実は新海監督は『言の葉の庭』や『彼女と彼女の猫』みたいな作風が寧ろ趣味な方だと思われますので、今作はこの仕上がりが規定事項だった事でしょう。
グランドエスケープの無駄遣い
終盤でグランドエスケープのサビが流れるときに、ほぼ静止画というのは、監督に憤りを覚えました。とても疾走感や躍動感のある曲なのに。予報2の方が10倍はハマってました。
あと終盤で帆高が鳥居の所で空に飛ぶシーンがありますが、なぜ帆高が天気の巫女のところまで行けたんですか?帆高は天気の御子を継承できたんですか?だとしたら継承元となった天野はなぜ帆高と一緒の場所に居たんですか?全体的に説明不足かつご都合主義が過ぎると思いました。
ただホテルのシーンはよかったと思います。(ラブホだとかはどうでもいいです。気になりませんでした。)帆高、陽菜、凪の3人でインスタント飯を食べているシーンは思わず笑顔になりそうな暖かみがありました。そのあとベッドで陽菜が巫女であること、いずれ消えてしまうことを話し、力を酷使させたことを悔いた帆高が自分が働くからずっと一緒にいよう、と言ってプロポーズします。それで一晩たったら陽菜は消え、警察に連行される展開。幸せの儚さを感じました。
まあ描きたいことはたくさんあったんですが、上手く文章にできそうにないのでこのくらいにしておきます。あと作品に全く関係ないですが、日本人は流れに弱いと思ってます。このレビューでは高い評価が多く感じます。本当は☆3をつけたいですがこれだと低い評価をしたい人が発言しにくくなってしまうためあえて評価を低くさせていただきます。
説明不足だ・感情移入できないと批評する者たちは浅はかである
この作品で多く見受けられる感想は主に、「説明不足」「感情移入できない」などが挙げられる。
それは当然だ。
なぜなら新海監督は、「あえてそうしたから」だ。
上記のような感想を抱き辛辣な批評とともに低評価ボタンをプッシュする者は、己の考察の浅はかさを嘆くが良い。
そして、下記に記した超個人的考察など見ず、ありふれたテンプレートキャラクターアニメを見まくって幸せに浸ってれば良いのだ。
前作、「君の名は」では、都会で暮らす少年「瀧」と、田舎で暮らす少女「三葉」というキャラクターのバックグラウンドや性格などをきちんと描写し、見る側への感情移入を促していた。
しかし、今作ではそうしなかった。
それはなぜか?
それは、今作の主人公とヒロインは、「想像上のキャラクター」ではなく、「現実世界の視聴者の中の誰か」であったからだ。
その誰かは視聴者の友人かもしれないし、家族かもしれない。
そして、視聴者自身かもしれない。
ほだかの「無力な自分と冷たい社会への絶望」、陽奈の「他者に必要とされているという充実感」、圭介の「誰かを想う一途な気持ち」、夏美の「自分とはとはかけ離れた自分にならなくてはいけない虚無感」
これらは、視聴者がこれまでの人生で感じてきた感情と一致するものも多いだろう。
登場人物は視聴者自身。新開監督は視聴者に感情移入ではなく、感情同化を促したのだ。
同化を促すことで、視聴者たちは虚構のキャラクターではなく、現実世界の自分自身と向き合わせられるから。
そうするためには、ほだかがなぜ家出をしてきたかの経緯も、顔の傷も、陽奈がバイトを辞めさせられた理由も必要ない。
むしろ、「自分ではない誰かというキャラクター」を想起させて同化を阻害させてしまうため、余分と言っていい。
「君の名は」や、それに類するキャラクターアニメを見て来た者こそ、今作は違和感を感じる箇所は多いと思う。
この展開でそれはないだろう、ここは説明不足だろう、このオチはあまりにも自分勝手すぎないか?
もし貴方がそれらの違和感を抱いたならば、貴方はすでに薄っぺらい固定観念に支配され、視野が狭くなっている。
そして、その違和感を想起させることこそが、新海監督の狙いだろう。
テンプレとお馴染みのストーリーラインを量産し形骸化しつつある日本のエンタメ産業に、新海監督は一石を投じたのだ。
君の名をヒットさせて誰もが知る映画監督になったのも、この作品をより多くの人々に放ち、視聴者の思い込みや固定観念を浮き彫りさせるためだったのではないかすら思う。
批判的な批評やレビューが、その根拠だ。
ヒロインを諦める代わりに世界が平和が訪れるというお馴染みセカイ系のテンプレートに、新海監督はクリエイターとしての作家性を発揮し彼自身の「答え」を描いたのだ。
彼女を救って、世界を壊す選択という、答えを。
その選択が自分勝手だと思う視聴者は、頭を冷やして価値観をリセットしたほうがいい。
ひょっとしたら、別の感覚が生まれるかもしれない。
作中で描かれていた、「汚い東京」「理不尽な大人たち」「無力な自分」「どうにもならない現実」
それらすべてが視聴者自身が感じている世界に対する不安や違和感そのものであり、そしてずっと雨であった天気こそが、その象徴であった。
しかし最後に雲間から光が差し込み、二人は言う、「僕たちはきっと大丈夫だ」
それは、ほだかと陽奈が大丈夫、という意味とは別に、
「こんな世の中だけど君たちならきっと大丈夫だ。自分の人生を生きなさい。ほだかと陽奈が、世界よりも自分たちを選択したように」
という、新海監督からの熱いエールだったに違いない。
視聴後に勢いに任せて書いた文章のため、ところどろこ支離滅裂で整合性に欠ける部分があるだろう。
ただ、これだけは言える。
今作は、君の名を超える新海誠監督の超大作だと。
目を引くために所々乱暴な言葉を使用致しました。
不快にさせてしまわれた方、申し訳ございません。
ただ、どうしても、もっとこの作品を見てもらいたい、違う視点で見てもらいたいと思い書き殴った次第です。
明日もっかい見てきまーす♪
良い意味でなかなかのクセモノでした
個人的な好き嫌いで言うと、私は子供の頃から「雨の日」が大好き。雨の下に出るのは嫌いだが、屋根の下で雨音を聞き、降り注ぐ雨粒、小さく跳ねる無数の水しぶきを眺めるのはどこか安心する。そして雨が上がった風景のキラキラ感、雲間から差し込む光、街が色を変えていく瞬間の気持ちよさ。その一方で雨の振り始めるあの不穏な感じは、アスファルトが濡れる匂いまで伝わってくる。
そんな私にとって、作品全体に繰り広げられる「雨表現」を堪能するだけでも十分この作品を観る価値があった。
…とまあ、そんな個人的嗜好がベースにあることを前置きして。
物語の大筋は、意志とは関係なくいわゆる「異能力」を得たキャラクターを巡る、比較的昔からあるタイプ。
あの「君の名は」はストーリーに若干難解さがあったが、今作は子供たちでもさらに観やすくなっている。
ただし、その表面的に進む青春ファンタジーと並行して、劇中で明確には語られないキャラクター達の細かな背景が物語に厚みを持たせている。
特に小栗旬演ずる須賀という男。おそらく彼の視点でもう一本「天気の子」ができるんじゃないかと思わせるほど。
映画が終わると、清々しい気分の奥に何かモヤモヤが心地よく残る。
「んんん。もう一回観たい…」
前半はサントリーやら日清食品やら画面のそこかしこに宣伝が登場して辟易する感じも無くはないが、まあそれは新海誠作品の注目度であり、業界にお金が流れている証左として映画好きとしてある程度は歓迎すべきなんだろう。
叩かれがちなタレント声優たちだが、皆さん頑張っていると思う。
前作に続いてRADWIMPSの音楽も見事。
「あの二人」が登場するあたりのファンサービスもあり、観たあとにいろんな視点で皆で話したくなる話題が散りばめられている。
私にとっては雨を楽しむ鑑賞映像としても十分以上の価値があったが、作品としてはあくまでいい意味で、観客を掴む「罠」が周到に仕込まれた小憎らしい作品。
是非大画面で。
賛否両論。映像美は流石。
映像は流石。(東京の街並み、看板や建物、現地を知ってる人なら思わずニヤついてしまう)
結末も悪くない。
曲も悪くない。
退屈だと思った部分。
中盤以降の殆どのやりとりが不要に感じた。盛り上げようとしたのはわかるが全て退屈だった。(逃走劇、ラブホの部分、銃を向ける部分)
ホダカに関して島での家族関係や人格の描写がなかったこと。どんな人間なのかさっぱりわからなかった。
悩みを抱えるスガさんの方が感情移入出来た。
それに対してホダカは
好奇心旺盛なのか、語れない程壮絶な家庭環境なのか一切謎です。
内なる声がナレーションに入る。
やたら叫んだりして感情を高ぶらせる。
ですが人格が一切わからないのでサイコ野郎にしか思えない。(アマノを愛してることはわかるが)
前作なぜあんなに感動できたのだろうと思うのはキャラクター達の日常、性格、環境がしっかり描かれて、非情な運命とのギャップがドラマティックに見えたからだと思います。
マルチバース
いわゆる「君の名は」的なアニメ映画が本編前の予告で連投されて、ひたすら二番煎じが繰り返されている現実に萎え、もっというなら、このジャンルは消耗されたコンテンツだと感じさせられた。
これは新海誠のファン映画なのだろうか?
露骨に前作のワンシーンを連想させる演出が続き、あげくに本人達まで。マルチバースなの?
「新作」を見に来た自分にとっては、これまた萎える演出だった。
企業ロゴが次々に画面に映り込み、大ヒット商業映画は辛いね、と感傷に浸る。
救いは、クライマックスシーンに共感出来たことと、RADWIMPSの楽曲は今回も素晴らしくキャッチーだったということ、かな。。
※8/18追記※
一ヶ月ぶり、2回目の鑑賞
話の流れが分かった上で改めて観ると、
心のノイズが邪魔せず、細部の描写までしっかり感じることが出来た。
ひたすらに真っ直ぐなストーリーも、2回目の方が感動出来た。
「君の名は」に囚われていたのは、自分の方だったのだと気付いた。
商業主義に走りすぎて未完成品みたい
上映前に突然ソフトバンクの犬を探せとか宣伝が入って
見る前に少し映画館で見るための雰囲気が壊された。
その後も、当初のシナリオにはなかったけど実在の商品を
見せつけるために変更したんじゃないのか、と
疑いたくなるような商品名を見せつけるようなカットが満載。
飲み物系はまだいい。
お菓子とかも少し無理やりだったけどまだ許せる。
でも「生徒」と呼ぶべき年齢のヒロインが風俗で働く
決意をするような内容で、ガチの風俗の宣伝
(バニラバニラうるさいアレ)を流すのはどうなの?
天気の子は子供の風俗就業を応援でもしてるの?
なんかそこで一気に一回映画の世界から追い出された気分。
物語も、最初主人公が顔に怪我をしていた理由が一切明かされなくて、露骨な宣伝カットや、リピーターを誘うためなのか
前作(君の名は)のキャラが出てくるようなシーン、とかに
時間を割いたせいで説明のシーンがカットされたんじゃないかって
思えてきたら、なんか未完成品を見せられた気分になった。
でも、映像そのものはやはり圧倒的に綺麗。
曲も、主題歌を何回も聞かせられた前回の構成からすると
きっちりと世界観に浸らせようとしてくれる。
それだけに、シナリオに粗悪な広告を投入してちょいちょい
映画の世界から追い出されてしまったのは残念この上ない。
正直、今作は少し商業的に失敗して欲しいとすら思う。
あまりに商業主義に汚された物語のように思うから。
その上で、次回作は映画館の外では幾らでも商業に塗れてもいい。
でも映画の、映画館の中では世界観を大事にして欲しい。
天気という少年少女の砦
未成年の少年少女が現代社会の闇を彷徨いくぐり抜けながら自分なりの幸せを見つける話だと感じた。
キャッチャーインザライという小説を読みながら家出した主人公。
貧困、無知、弱者。
銃の使い方も重大さも知らないしノリで生きてる。
若さだけ搾取されるような、そんな身体や肉体労働だけで、大人になってはならないよというように、天気の子という素質を見つけていく。
学が無いまま、大人にならざるを得ない、時に劣悪な環境に放り込まれる子供達。
それは今の現代ともリンクする。
果たしてこんな世界でどう生きるのが正解なのかと。
賢い穏便な大人ならこうするよねという答えを無視してでも、天気を犠牲にしてでも、自分にとって大事な価値観や人達を、最終的に穂高は見つけた。
真っ直ぐに自分の見たものを信じ、好きになる。
あえて曖昧なマイノリティな感情も関係も肯定する。
もともと世界なんて狂ってるのだと、何かに心を突き動かされる、そんな自分の狂った部分を認めたり素直に見つめると、後先も考えずに突っ走ってしまうのだろう。
そんな青さを愛でるようは映画だった。
君の名は。が目に見えない縁や運命の人の話だとすれば、
天気の子は、周りに反対されても自分に真っ直ぐでいたりだとか、狂っても好きなものを好きでいてくれという話だと思う。
だから個人的にかなり好きな作品となった。
ライ麦畑でつかまえての話のように危なさを捕まえたり身内には心を開くような描写がいくつかあって気になった。
序盤はだれたたけれど、終盤の怒涛の伏線回収や展開は最高だった。
実に素晴らしいの一言です。
エンディングの余韻につつまれた中、京都アニメーションの惨事が頭から離れなかった。極上の絵を支えた全スタッフの皆さんはもちろん新海監督の手腕にすっかり魅せられました。好成績の前作で予算がかなり増えたと推察しますが惜しみ無く使ったんでしょうね。私は大満足でした。この作品に関われた方、全員にありがとうそしてありがとう。
最愛の人を人柱にする事を強いられたら、あなたはどうしますか?
最初に申し上げるが、私は本作を「期待を裏切らない作品」であると確信する。
自分の中でのベスト1である『君の名は。』と順位を入れ替えるには至らなかったが、
それでも、それに迫る出来である事は間違い無い。
本作には、既存の新海誠作品から踏襲してきたテーマやモチーフが多々見られる。
「思わず祝福したくなる様な若き男女の愛」
「その愛を阻もうとする理不尽や不条理」
「少年少女にとって、時に敵や障害となり、時に味方となる大人達(※)」
「大きな災いに抗おうとする人々のつながり」
「ドラマを引き立てる小道具や舞台装置としての、
SF的あるいはファンタジー的ガジェット」……等々。
(※本作は前作と比べ、「味方になる大人」が多いかもしれない。
須賀のおっちゃんとか、夏美さんとか。
前作のヒロインに至っては、何気に、作中での重要アイテムを本作の主人公カップルのカタワレである帆高少年に手渡す役割を担っていた。
心にくいバトンタッチと言える)
「芸術家はデビュー作で追い求めたテーマやモチーフを生涯追い続ける」とはよく言われる事であるが、
それは新海誠監督とその作品群にも当てはまる。
ただ、本作においては、既存作品では隠し味程度であったと思われるテーマやモチーフを、意図的に強く前面に出している様に思われる。
それは、このレビューの標題に書いた通りそのままの事だ。
『最愛の人を人柱にする事を強いられたら、あなたはどうしますか?』
前作では、不思議な能力を持つヒロインを救おうとする行動そのものが、天災に抗おうとする人々の営みと結びついていたが、
本作では、不思議な能力を持つヒロインを救おうとする行動そのものが、何百万人もの人々にとっての災いに結びついてしまっている。
その点が、前作と本作とで真逆であると、私は思う。
このレビューを書いている時点では、私は他の人のレビューを読んでいない。
しかしながら、本作と新海監督を貶めるためだけにレビューを書く様な輩であれば、
功利主義的観点から帆高少年の選択を非難し、本作をこきおろす糸口にしようとするであろう事は、想像に難く無い。
功利主義、結構である。多くの局面で、概ね正しい。
しかし、飽くまでも功利主義を貫こうとする者は、
「お前の最愛の人が消えてなくなれば、数百万人もの人々の救いとなる。だからお前は最愛の人を手放せ」
と言われて、即座に従うのであろうか?
「従わない」のであれば、その者を「似非功利主義者」と呼ばざるを得ないし、
「即座に従う」のであれば、その者の愛は実は大したものではなく、従ってその者にとって「最愛の人」は初めから存在しない、と結論付けざるを得ない。
(そもそも『愛』とは狂気に近い感情であり、理性と激しく対立する事もままあるのだが)
本作で帆高少年が強いられた選択は、「トロッコ問題」の一類型と言える。
トロッコ問題に明確な正解は無い。トロッコ問題は、それに答える事よりも、主観的な選好と功利主義的な判断とのせめぎあいについて研究するツールとして捉える事の方が、より重要であると思う。
それはさておき、私が帆高少年と同じ状況に置かれたら、ヒロインである陽菜を救う選択をするのではないかと思う。
私には、功利主義的判断を徹底できる自信が無い。
また本作は、「人柱」としてのヒロインの存在を通して、
「手っ取り早く「人柱」や「スケープゴート」といったものを求めたがる人間の心理」について疑問を投げかけていると、私は思う。
よりエンタメに寄せてきた
前作の「君の名は。」以上にエンタメに寄せてきたって感じがする。これが、NHKで語っていたより批判が来るようにと言うことか…。
これはこれで面白いと思う。何か前作以上の感動を期待していた人はガッカリするかもしれない。まぁ、良い意味で新海誠ブランドを確立するための作戦と思えれば。
で、今後どう進むかを期待したい。このままエンタメ志向として進むのか、それとも昔のような新海誠ワールドに戻すのか。
次の作品が勝負の分かれ目かも。
圧倒的な内容の薄さ。新海誠はタマなしになったのか?
内容うっっっっす!!!!!
ジャパニーズコンドームかな!?!!??
決して過度に貶すわけではなく、本当に言葉通り“絵が綺麗なだけで他になにも無い虚構のアニメ”
もしもこんなクソみたいなコンテンツが評価されるのだったら、日本の優れたアニメーションの定義は『綺麗な絵が動いているもの』になってしまう。そんなことは断じてあってはならない。
これまで触れてきた新海誠の作品の中でも圧倒的にスッカラカンで煮ても焼いても食えない醜い作品に仕上がっている。
君の名にあったような脳みそ空っぽにして見れるようなチープで安直だけどわかりやすいエンターテインメント作品でもなければ、新海特有のこじらせた気持ち悪さが発露している振り切れた作品でもない。(個人的には好きではなかったが)新海誠の作品には、しっかり本人が描きたいテーマがあったはずだ。どうしたんだ新海誠。川村元気にタマを切り取られたのか?
とにかく、この作品で何を描きたいのか、何を訴えたいのかが全くわからない。
恋に盛ったガキが社会や体制を敵に回してたった一人の少女を救うなんて図式はオタクコンテンツに限らず擦られ切ったフォーマットだが、それに対する独自のテーマ設定が全く為されていない。よくあるセカイ系の骨組みに一切味付けがされていないようなコクもうま味もないシナリオは、もはや見ている人間の感性をバカにしているかのような印象すら受ける。
何故これをさも議論を生む深淵なシナリオなどと新海誠はほざけるのだろうか。
もしもこの作品が「東京水没の災害よりも、人間一人の命のほうが尊い」という人命至上主義的なヒューマニズムを描くことが主題だとしたら、もっとそれにフォーカスしたシナリオが描けたはずだ。「自己犠牲なんてクソ食らえ」ということを訴えたいのだったら、主人公とヒロインのために自分達の立場を犠牲にした圭介や夏美はただの道化役に成り下がる。
代わりに詰め込まれてるのは。親なしの子供がいい感じにオシャレな部屋で暮らしていたり、なかなかイカしたユニフォームのフットサルチームに参加しているようなエセ貧困家庭やら(これで若者の貧困を描いているなどとほざくなら本当に脳を疑う)、漠然と就活うまくいかない色っぽいサブカルお姉さんだとか、特に理由もなく子供と物理的な距離感のある男やもめだとか、不必要にモテるクソガキだとか、とにかく登場キャラクターの個性に統一性や連続性がなく無駄に満ちている。描かれているものが点で散らばりまったく線をなしていない。そしてどれもが極めて浅い。
そんなバラバラの要素が、薄っぺらな『新海誠がオシャレだと感じた画面映えするシーンを描くための設定』としか機能していない。まったくもってバカバカしい。
主要キャラクターの魅力も致命的に薄い。この東京を滅ぼす判断をした帆高は、別に大それた理由も明示されることもなくなんとなく家出してるボンクラで、出会って数日の女に惚れて勢いで犯罪に手を染める。親を殺して飛び出してきたわけでもないのに「帰りたくない」の一点張りで官憲に盾突き、たまたま出会った美少女に異様な執着をする。そんなアホが何も考えずにノリで下す決断に、我々視聴者はどう共感せよというのか。
世界を大幅に悪い方向へと変えてしまい、それでもそれに対するもっともらしい大人の見解(天気など人間が本来コントロールできるものではない)が用意されているにも関わらず、ラストシーンでは希望にきらきらした目で「いや、僕たちが世界を変えたんだ!」とか吠えてるこの男はサイコパスか何かなのだろうか??
自分達の決断を背負って生きていく覚悟があるんだったら少しは神妙にしろ。大災害に見舞われた東京が、さも平和で美しく生き生きした街として描かれているのもなんとも間抜けで偽善に満ちている。
あらゆる側面がクソな映画だが、しかし背景美術の美しさだけは評価すべきだろう。
広告をここまで盛り盛った映画はなかなか類をみないが、結果としてリアルな東京の情景や生活感を演出するのに役に立っていたのでなかなか興味深い。広告商品のなじませ方という点では、これまでのどの作品よりも上手くいっていた。成功の理由のひとつはとにかく数が多いこと。だからひとつの商品が悪目立ちしなかった。そしてあくまで作中のひとつのオブジェクトにしかなっていなかったこと。きっと広告出稿社とのネゴシエーションを行った人間が有能だったのだろう。
そのほか細かい感想
・婦警さんが可愛い
・帆高は終始東京怖いとか言ってるけど、神津島も東京都だぞ?
・バーニラ!バニラ!バニラバーニラ!
・婦警さんの太眉が可愛い
しかし、もはやジャパニメーションの中で児童相談所は完全に悪の施設だ。おおかみこどものでもそうだった。現実世界では虐待の疑いがある児童を救うべく、法と訴訟のぎりぎりのラインで戦っているというのにフィクションの中では悪役ばかりにされているのだから、やりきれないだろう。
一度観ただけじゃ語れないこの作品
2回目の鑑賞で初めてレピューします。
2007年の秒速からのファンです。当時中学生でしたが、1人で渋谷の映画館まで見に行きました。
言の葉の庭の本の裏表紙に新海さんの直筆サインもしてもらいました。今作の小説も事前に読んで見ました。そんな自分が見た感想です。
一言言うと、中身が薄くて感情移入しにくい。というのが第一印象でした。しかし、本で読んだ感覚と異なり、なんだかまだ自分の中で整理できてなかったので、数日後、すぐに2回目の鑑賞をしました。
いくつか口コミを見て、細かいことを考えず、ただ純粋な気持ちで鑑賞すること、須賀が第二の主人公であること、などを踏まえて鑑賞した結果、1回目よりかは明らかにすんなりみることができました。
主人公とヒロインが中学生だと考えれば純粋で非常にありがちな思考で、その中で必死にもがいて何があろうととにかく1つの目標に向かって走って行く姿は、今のこの世の中にあまりない気づかせてくれる何かがあると思います。
そして須賀の心境は2回目見てもまだ全てを知り切った気持ちがしないです。でも個人的に一番感情移入できる登場人物でした。
その他、絵や音楽は言うまでもなしに、君の名を凌ぐ美しさでした。最後の空から落ちるシーンはこれを見に行くだけでも価値のあるものです。
3回目はどうしようかな…
8/1
3回目見ました。
見るたびに感動が増してく作品。
かなりのメッセージ性がある作品です。
2回目で感じた、必死にもがいて何があろうととにかく1つの目標に向かって走って行く。
これは最高に響きました。この映画はそれを伝えるがためにあるようなものです。
そして須賀の心情。もっと須賀の過去とか知りたい!と思うのですが、やはり今の帆高と過去の自分が重なるんでしょうね。当時の自分はやりきれなかったその想いがあの涙だと思っています。須賀を見てると考えてると涙が出てきそうになります。
あと作品の内容と関係ないですが、平日の昼に新宿の映画館に観に行って思ったこと。
昔からの新海ファンとして女性が1人で観に来てくれるような監督作品なったんだと嬉しく思いました。
圧倒される絵と音楽
RADWIMPSと新海誠監督の3年前と同じタッグで似たようなものなのかなと少しの不安を抱きつつ映画館に行くと、
期待の何億倍も良かったです。
ストーリー構成はもちろん、テンポやスピード感、声あては素晴らしく
なんと言っても音楽と絵の一体感が凄かったです。
クスリと笑える、泣ける、鳥肌が止まらない、そんな素敵な作品となっていて
1500円の価値を遥かに超えて来たな。と思いました。
見て本当に良かったです。
共感しづらい
映像 ★★★★
人物 ★
展開 0
家出と銃、人との出会いはそれぞれ全部とってつけたような雑な配置のされ方、使われ方だと感じた。登場人物が話の展開のために行動してるというか。時間が経つと強制展開させる方向に力が働くような感じ。観客にキャラの行動を許容させる伏線があまり張られていないとも感じた。展開に関しては手抜き感がある。
天空の世界の描写は浅く、なんで戻ってこれたのかもよくわからない。あの辺りはもっと設定がありそうだが、、、前作では現象に力を与えるために結構な尺と労力を使い、丁寧に現象に実在感を与えていた。今作では人柱を巡る世界、特に召されてからの世界描写が浅い。穂高が陽菜が人柱になったことを知る切っ掛けの表現がありながら、どうして陽菜を連れ出せたのかもよくわからない。とにかく没入を妨げる要素が多すぎた。
敢えて説明を省いて視聴者の想像に任せているんだ的な強弁も可能かもしれない。その場合は視聴者が遊べる空白がストーリー間の僅かな隙間だけ、例えば須賀の涙とか。だけで余白の紹介がやっぱ全然足りない感じがする。
なんだろう、これをまた次回以降の他の作品に絡めたりするつもりなんだろうか。そういう事なら少しわかる気もするが一作品の密度はやっぱり薄いとしか感じられない。
映像、音楽が素晴らしかっただけに残念。作品を作り続けている名のあるアニメーション映画の監督として貴重な方だと思うので次回作に期待。
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