天気の子のレビュー・感想・評価
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見どころはヒロイン弟
青春してるといえばしていると思うが、割と登場人物がほぼ危険
帆高→銃刀法違反
陽菜→年齢詐称、その他(一応濁しておく)
凪→女装
圭介→あつい手のひら返し
夏美→多分一番まともな人
前半は普通に面白い。後半はちょっと微妙。
凪と夏美は最初から最後まで主人公たちを助けるという思考が一貫しててよかったが、ラストで出てこなかったのでどうなったか知りたかった。
新海誠最高
君の名は を見て、本当にこの人の世界観に惹かれて今回天気の子を見たけど、やっぱり好きだなーって思った。自然と不思議と世界観を掛け合わせたような感じって言えばいいのかわかんないけど、幻想的でよかった。
須賀の 大人になれよ とか 歳をとると大切なものの順番を変えられない とか響いたなぁ
なぎの 全部お前のせい 姉ちゃんを返せ も涙腺崩壊だったなぁ
恋愛も混じりながらもくどい感じがしなくて、すごく感動😭
君の名は に続いてRADWIMPSがほとんどの今日をやってるけど、新海誠の映画にピッタリ。
小説もDVDも絶対に買う。
前作は問題作、本作は凡作
天候不順で夏になっても雨が降り続く東京。
離島の実家を家出して東京にやって来た高校生の帆高は、なかなかバイト先を見つけられない。
心が折れかけていたとき、連絡船で命を助けてくれた須賀のもとを頼ることした。
須賀は、潰れたスナックを根城に小さな編集プロダクションを営み、主な記事はオカルト関連のもの。
そんなある日、弟とふたりで暮らす少女・陽菜と出会うが、彼女はネットで話題の「100%の晴れ女」だった・・・
というところから始まる映画で、夏になっても雨雨雨の今年を言い当てたのかしらん、と思うような設定。
だが、ノッケから、ちょっとゲンナリ。
帆高が陽菜と出逢うまでの物語が長く、その上、帆高の背景もよくわからない。
なんだか理由があって家出してきたようだけれど、経緯もわからず、あまりに無目的的。
もうちょっと下調べぐらいした方がいいんじゃない? と思ってしまう。
さらに、手持ちのお金も尽きて、ネットカフェにすらいられなくなった彼が、偶然に「あるもの」を手に入れてしまうあたりも出来過ぎ。
これが後半の追いつ追われつの伏線になるのだけれども、ご都合主義は否めない。
さらに、弟と暮らす陽菜の背景も書き込みが足らず、「行き場のない若いふたり(弟を含めると三人か)」の設定をつくるだけにしかみえない。
(おっと、ふたりを助ける須賀も、その仕事仲間の若い女性も、行き場がないといえば行き場がないのだが)
というわけで、「天気の子」として陽菜が活躍しだして物語が動き出すまでが、もっさり、まだるっこしい。
陽菜が「天気の子」として活躍しだしてからは物語も動き出すのだけれど、着地点は疑問。
前作と違って、災害が・・・という点ではなく、なんだか、主人公ふたりのエゴ承認欲求があまりに強すぎて、辟易してしまう。
ま、この世で大切なのは、お互いだけ・・・というのはわからなくもないが(主人公たちは、まだ16歳ほどだから)、青春の青さとして片付けてしまうには未熟すぎる。
未熟・・・というのが、どうも、個人的には受け容れられないのかもしれない。
前作は、個人的には(「過去作品の設定を拝借」とか「東日本大震災をなかったことにするのは・・・」という、しかしある種のエンタテインメント作品としては)「問題作」だったのが、本作は未熟な「凡作」という感じがしてならなかった。
不健全とか広告とか、終わり方の問題ではない
個人的には秒速5センチのようなモヤモヤ感が残る終わり方が好きなので、別にそこは問題ではないです。不健全なのも、スポンサーの広告も別に気になりませんでした。
ただ、とにかく脚本が面白くない。酷かったです。
若い男女が惹かれあって、男の子が女の子を助けて、離れ離れになって再会する。それだけの話でした。
天気の巫女とは?陽菜が天気の巫女になった理由は?あの屋上の神社は天気と関係あるの?
まったくわかりません。伏線を回収しきれなくても面白い作品はたくさんありますが、本作はそうではなかったです。なぜ、「天気の巫女」でもう少し話を膨らませられなかったのでしょうか。
主人公もバックグランドが全く描かれていないので感情移入できず。前作のキャラを出すなら、もっと他に描くべきところがあるはず。
映像は綺麗ですが、写真を撮ってきてトレースしただけかと思うとなんとも微妙な気持ちです。音楽は挿入歌をもう少し減らした方が良いと思いました。
無駄な時間を過ごしたのを後悔しています。
音楽を聴きに
ハッキリ言おう!面白くないと。
その後の展開を想像してみたら…
この映画、自然の光景と音楽は、美しく調和してるけれど、
人の描写と結末は、中途半端で、それは、現代社会の私たちの中途半端さと、
直面している問題の困難さを反映している。
だから、『愛にできること』を探しませんか?
とメッセージしているのだな、と思ったのが、1回目でした。
その意味で、新海監督は素晴らしいし、その後の想像も掻き立てられます。
ということで、いろんな想像があると思いますが、
その後、どうなったのかな?を書きます。ハッピーエンドを考えました。
◎『どうしたら、みんながハッピーエンドになるか?』
百人、千人、全員が天気の子に成ればいい。
◎『天気の子の条件』
大きな愛、豊かな感性(陽菜の母への想いと、自然界との一体化能力)
◎『ストーリー』
陽菜と穂高は、天気の子の素質を解明しようと、『天気の子 研究会』を発足。
ひょんなことから「君の名は。」の三葉に出会い、
陽菜「三葉さんって天気の子っぽくないですか?」
ということで、三葉もスカウト。瀧くんもついてくる。
瀧くんは、名前からして、雨の子。
「もっと、天気の子を増やすには!?」と考えたところ、
穂高は、Youtubeとインスタをやろうと陳腐な提案。
陽菜は、みんなが楽しめる大道芸をやろうと言い、
三葉、瀧くんは、沈黙。そこで、
凪「お姉ちゃんたち、アイドルグループでもやれば?」
鶴の一声で、陽菜と三葉はアイドルグループを結成することに。
その名も、『てるてる・Qラブ(くらぶ)』
しかし、陽菜は、「それならまだ、お笑いか大道芸のほうがいい!」と主張をゆずらず
よって、折半、
『日本興業エンターテイメント』を立ち上げ、史上初の、
本格的な、アイドルとお笑いがマリアージュしたグループを結成。
そうこうしている内に、瀧くんは、
天気の秘密を解明、空の奥には、まだ見ぬ天の世界があることを知る。
天の世界の存在たちは、彼らが、
世界を明るくするために、動き出したことを知っていた。
そこで、陽菜たちは、天の光の存在たちと、契約を結ぶことになる。
そう、ここからが、
日本興業の『光営業』のスタートだ(笑)
光営業とは、太陽のように、24H営業、年中無休の無給。
ブラックに聞こえるが、この上なく、クリーン。
いや、本当は、最大の報酬がもらえるのだ。
天気の子として働くとき、一人で抱えるから、負荷がかかる。
でも、2人以上の天気の子がいるなら、
愛のシナジーで、爆発的な歓びが与えられる。
それは体に受ける負荷を上回るパワーを発生させる。
それが、100人になったら、どんなに素晴らしいことだろう!
その真実を知った、てるてる・Qラブ一行は、
ファースト・アルバム
『愛にできることはまだあるかい』
を発売、被災地をメインに、各地のイベントスペースで披露することになる。
この初回限定版DVDのB面は、お笑い企画で、
『絶対に笑ってはいけない穂高のチャーハン』となっている。
とてもワクワクする内容だ。
しかし、イベント当日は、伊勢台風の30倍の未曽有のスーパー台風100号の接近
誰もがあきらめる状況となり、全国規模の、特別警報、緊急事態宣言を政府が発令した。
てるてる・Qラブは、必死の思いで、神社のゲイトをくぐり、
天の世界へと助けを求めに行ったところ、帰ってきた答えはこうだ。
『大難を小難にするには、正中台風に変えるほかない。』と。
太陽(火)の力と水の力(水)が必要だという。
その器になるのが、陽菜と穂高だ。
しかし、2人の力で変えられるのではない。
天の気とは、人々の気と連動し、
莫大なパワーとなって降り注ぐ。
それを仲介し、増幅する役割を持つのが、天気の子なのだ。
人々の心の中に、明るさがなければ、増幅することはできない。
人々の心の中に、明かりを見つけた時に、コラボレーションすることができる。
それが、本当の、晴れ女の力なのだ。
中略。
こうして、イベントスペースでは、無事、
歌とダンスとお笑いが絶妙に繰り広げられ、
台風を変えた力を観たくて来る人も多く、
爆発的なヒットを記録、1週間の公演の間に、
youtube再生回数5670万回を達成し、さらには、
メンバー志願者が多数続出、計36人になった。
この明るいムードが、子供や若者たちに希望をもたらした。
『大きな愛と豊かな感性で世界を照らす
てるてる・Qラブ!!!』
このキャッチフレーズは、瞬く間にその年の流行語となったのだ。
若者だけではない、大人たちにも希望をもたらした。
天気は、変えられるのだということ。
ムードは、変えられるのだということ。
人々のムードが、社会に影響を及ぼし、天気に影響を及ぼす。
天気が、人々の心に影響するのだとしたら、
逆もまた、しかり。
自然界の法則に一方通行はない。
それが、本当に、可能だ!ということを示してくれた彼らに、
大人たちも、ようやく、『光』を観ることを思い出したのだった。
おわり。
長文をお読みいただき、ありがとうございました。
大人こそ観るべき
繊細さが失われ、ずいぶん大味になった。
映画を見終わって「一体何がどう大丈夫なの?」と思ったまま私の思考は一時停止。あなたたち二人は大丈夫でも、あなた以外の人々は少しも大丈夫じゃないんだけど?と冷静になってしまう私は、この映画にロマンを感じられるほど盲目(※)ではいられなかった。(※)使用の難しい言葉だと分かりつつ、他の言い換えがしっくり来ず。差別的な意味はないのでご容赦ください。
私は本来ラブストーリーが好きだし、他者を巻き込み犠牲を払いながら愛を貫いていく物語も好きだ。そういう物語を決して否定はしない。でも帆高と陽菜の関係にそこまでの愛を感じなかった。青春の淡い初恋としてならいいだろう。ただ東京を海に沈めてまで守るべき愛だと思えるまでには到底至らない。二人の絆がそれに相応するものだとはどうしても思えない。それを許せるほど二人に魅力を感じない。二人を見ていて、東京なんて海に沈んでしまえ!晴天なんてなくていい!それでも二人は一緒にいるべきだ!とは、とても思ってあげられなかった。
それはまず主人公の帆高の愛の枯渇や孤独感がまったく切迫して見えないというのが理由のひとつで、どうやら家出をして東京に来たらしいことは分かっても、どうして家出までしたのかが帆高から汲み取ることが出来ず、結果地元でしっかり高校を卒業までしているところを見るに、ただ中二をこじらせただけで家を飛び出してきたかのようにさえ思える。彼が一体何と戦い、何から逃げ、何を求めているのかがずっと漠然としていて、だから彼にとって陽菜が不可欠だと感じさせるだけの材料が揃わない。陽菜の設定も「両親を失い弟のために年齢を詐称して自活する少女」というまるで20年前のケータイ小説のようなフレーズにロマンを感じているだけで裏付けが存在せず、いちいちツッコミどころが多くて敵わない(いっそファンタジー設定は許すとして、社会的な設定など滅茶苦茶で)。
新海監督の作品は、世間でもよく言われるように「童貞的」な感性があってそれは長所だと思う。繊細でナイーブな少年のハートをそのままアニメーションに出来る人だ。ただ今回は演出が随分と大味になったと心底思った。音楽が流れ出せば分かりやすく画面は空へパンするし、聞かせたい台詞は「これは決めの台詞ですよ」と言わんばかりに際立たせる(そして私はその都度脳内で「は?何言ってんの?」と思う)。以前からそういう演出の手癖は分かっていたけど、それでもそこにある繊細さは損なわれていなかったはず。でも今回は繊細さがごっそり失われ、ストーリーもそこに描かれる帆高たちの感情表現含め実に大味で大雑把に思えた。
片腕に手錠をぶら下げて警察から逃げる少年やら、震える手で銃を構える少年やら、そしてそこにロマンを感じる感性やら、とにかく中二的でもう見ているこっちが恥ずかしい。帆高が年上の綺麗なお姉さん(陽菜も当初は年上と騙っていた)にからかわれて可愛がられているのもいかにも童貞的できまりが悪いし、なんだか・・・今回いつにも増して内容も演出もひどくクサくなったような・・・。ロマンだけを追いかけたクサい演出が「思わせぶり」ばかりを散りばめ、それらを決して回収することなく物語が強引に押し通されていくだけ。
シンプルに面白くなかったし、最終的に感じたのはひたすら「虚無」だった。
ジェネリック青春映画
まず、期待しすぎてしまったから低評価というのが大きいとは思います。
デートムービーとして教科書通りの作り方をしていると感じました。設定は面白かったけど、描き方と展開が既視感満載でした。「BLACK CAT」みたい。
年間に映画を何本も観る人を対象にしているのではなく、1年にこれだけを観る人を対象にしているという印象です。
今までずっと新海作品を観てきましたが、「君の名は。」で感じた違和感は今作でさらに大きくなり、自分が新海作品の対象外になったのだなぁ、と感じました。それが、少し悲しかったです。
「言の葉の庭」を観た時のあの気持ちを新海作品から感じることは、今後もうないのかな、と思うと寂しいですが、映画界全体としてはこれがヒットすれば潤うと思うので、良いと思います。
10代の頃に見たかった
あめ【雨=天=海】とつながるための映画。人の評価など気にせず楽しんでください!
天気の子、やっと観れた。
映画のレビュー書いたりするのも最近やらなくなったが、今年もたくさんの映画を観まくり、神社やお祭りも、ライブや展覧会も、行けるときにどんどん行ってるから、その都度書きたくても追いつかないからいっそのこと書かないと決めていた。
海獣の子供がすごくよくて、いいのかこんなことを映画館で見せちゃってと思いながら、でも、今このときだからこそやらなきゃならない使命感のようなものがあったと思わせる、今まで見たアニメの中でも最高クラスに響命できる内容だった。
今回の天気の子も、前作君の名は。に海獣の子供の後でのしかかる期待を吹き飛ばすような、今このタイミングだからこそ世に放つべく公開された映画といっても過言ではない。
とてもヒットする内容とは思えない前評判のよい映画だけど、実際は賛否両論の微妙な映画だともいえる。
わたしは、もちろん感じ入る場面が多々あり、細かな不平不満のあるシーンはチャラにしてでも総合評価は高いを維持した。
新海監督の表現する世界に近いものを感じてる。
かつての勢いがなくなったジブリ世代を満足させる勢いがあるのも確かだけど、それは旬なだけで、熟した完成度の高さでいえばジブリを超えられない、まだまだ伸び代のある監督だと思う。
君の名は。で、現代社会の中に過去と未来の時空をつなげた。
今回は、現代社会の中に天と地をつなげた。
これで縦軸と横軸がクロス。
ここからちょっとストーリーにも触れるネタバレ注意。
映画のほとんどが雨のシーン。
災害クラスのはずなのに、あまりにも美しく描かれていて魅入ってしまう。
異常気象などなく、たかだか100年そこそこの観測で史上初のとか記録更新で騒いでるけど、この龍神が描かれた絵は800年前で、それ以前からずっと自然は自然らしく振る舞ってるだけだ。
東京も昔は海の入り江だった。
そこに戻ろうとしてるだけ。
異常でも何でもない、ごく自然な流れ。
別に雨が悪者ではなく、雨によって中断される人間側の勝手な都合が、雨を悪者呼ばわりしてきただけだ。
自然界にとって、夏の雨季は大切。
川は増水するために流れてる。
川の自然堤防はいつも決壊したがってる。
それが都市で起きるとどうなるか、想像どころか現実になってきている。
雨、あめ。
そう、天もあめだし、海もあめ。
雨も天も海も、中国の漢字で分別される前からあった“あめ”という言葉はすべて同じ意味でくくられていた。
高円寺にある、気象神社。
晴れは稲荷で、雨は龍神。
天気は、天の氣。
昔は旱魃があると、雨乞いで人柱を捧げてきた。
だけど、天気を恨んだり異常気象とは呼ばなかった。
雨がつづけば、雨乞いと逆の呪術を使って踊った。
天気の子は晴れ女という設定で、人柱など同じような世界を表現。
天の積乱雲にも深い海のような世界があって、不思議な魚が泳いでる。
雨と天と海は同じだと。
あめとして、今でもすべてはつながっている。
そんな、天気の子の映画だった。
監督の良い意味での青臭さを感じた
自分はちょうどよく感じたが映画館のほかの席の反応を感じとるに展開がやや早めなのかも。
特に映画の終盤に主人公がある場所に行かなければと思い立つ部分に関してはなぜそういう考えに至ったのか
なんとなく納得している層と色々ツッコミたい層とそもそも理解出来ない層が生まれると思う。
ラストの結末に賛否両論あるかと思うがあの結末を選んだ監督に自分は好感が持てる。
この映画の伝えたいメッセージを色々補足すっ飛ばしてシンプル&勝手な解釈にするなら
主人公=若者たちへ
今の社会には若者たちへ理不尽を強いられる選択があるかもしれない。しかしたとえ社会基盤をぶち壊してでも若者たちには選択権があること、そして壊れたところで元々世の中が狂ってるのだから問題ないこと。気にしないこと。
だから今、若者に見てもらいたいと
そんな希望を託してるのかなと
新海誠という人をとても若々しく感じた。
ストーリーの余白が多い
とてもきれい。特に雨粒がはねる描写、荒れた空の描写。
「君の名は」もそうだったけど、設定のつじつま合わせを考え始めるとおかしいところや語られていないところが多くて気になっちゃう。昔ならイライラしてたけど、まあアニメだしな…と思う。
「よくわかんないとこは雰囲気で」っていうタイプの監督なのかなぁ。自分であれこれ考察したり妄想したりできる、余白が多くていい映画だと思う。
映像がほんとにきれいで、映画館で見てよかったなと思った。描きたいとこだけしっかり映像にしたって感じがした。
須賀さんの奥さんも晴れ女だったのかなーそんで空に消えちゃって、彼はあきらめたのかなー娘も守らないといけないしね、という妄想をしながらみていたけど、特にそういうエピソードは出なかったな。
(追記:同じような妄想してる人たくさんいたわ。やっぱりそう思うよね?)
これが噂の「新海誠」、か・・・。ほーん( ´_ゝ`)
まず、「天気」は嘘をつきません。自然現象ですから。
ありのままを、私たちに訴えてきます。
しかし、アニメは人がつくりますので、自然ではありません。
そこには、私たち人間の野望や邪悪、虚偽や犯罪、偏屈や理不尽が混沌します。
それに対して、本作の主人公、深海真君は映画の最後にこういうらしいです。
「ふざけんなー!人間! ふざけんなー!地球!」
どうやら、現代社会に生きる我々は、作者の新海誠監督を含め、疲れているようでした。
と、
冗談はさておき、なるほど~。これが噂の新海さんですか。
「君の名は。」に続き、2019年も、大ヒットの予兆を見せていますねぇ。
まず、なぜ新海作品はヒットしているのか。
1、背景美術の美しいディテールにより、作画中毒者をわしづかみ
2、ラッドウィンプスの独創感あふれるサウンドトラックと挿入の良さ
3、アニメーター 田中 将賀による、大衆受けにもってこいキャラクターデザイン
4、青春×日本舞台×SFを100分以内、自然な流れで、展開する脚本のうまさ。
5、そもそも新海誠やラッドウィンプスが哲学系
6、俳優、女優、声優をバランスよくキャスティングし、それぞれの声を違和感なくキャラに乗せてくる演技指導
特に5は、注目すべきかな。新海誠だけじゃなく、ラッドの曲にもメッセージがありますから、憎いですねぇ。
憎い組み合わせです。
観客は「自然な哲学」が好きなんですよね~。
人とは何か。社会とは何か。「愛にできることは何か」、ってね。
でもー。
私は、ぶっちゃけ。あまり、好きじゃないんですよ。新海さんが、ではありませんよ。ラッドさんが、でもありません。
この作品が、です。
なぜ、好きじゃないかっていうとね。
「個性」が薄いんですよ。
それは、映画だからってのもあるかもしれません。映画はだいたい100分でおさめなきゃいけませんからね。
美しく細かい背景美術はそれだけで、見る人を魅了させます。
しかしながら、「細かすぎで伝わらない」んです。
細かすぎて、リアルすぎて、超現実的じゃないんです。シュールじゃないんです。
アニメって感じが、しないんです。背景が、きれいに加工された写真なんです。
奇麗なのはもちろんいいんです。しかし、アニメっぽさがないんです。これ、わかる人、いるかなぁ。まあ、アニメを良く見てる人なら、わかる人は解ると思います。
そして、「キャラクターの個性が薄いですね」
アニメって、何が一番大切なのかっていうと、「キャラクター」なんです。まずは、キャラクターを好きになってもらうことが、味噌なんです。
しかし、新海さんの作品は、「キャラが好き」ではなく、「背景や音楽が良い!」っていう、観客が多いんですよ。皮肉なことに。
つまり、キャラが弱いんですねぇ。
好きなのが、キャラクターではなく、美しい美術やラッドさんの音楽が目立っちゃってるんですねぇ。
これは、アニメとしては、うーん・・・。ですねえ。
だから、敢えて辛口に言いますと、
「少年少女が言葉だけ伝えてる」
「大事なセリフをキャラクターがキャラ自信のものにできていない」
「キャラクターに大事なセリフをしゃべらせてる感」
なんですよねえ。
キャラと言葉が別々になっちゃってるんですねぇ。
意味わかるかなぁ。
私が、新海さんの作品(君の名は。以降)に違和感を感じたのはそこなんですよ。
だから、好きじゃないんです。
私個人としては、もっと癖のある、キャラが欲しいんですよねえ。
ってか、癖があるキャラが、アニメなんですよねえ。
まあ、癖が強すぎると、敬遠しちゃう人も現れるんですけどねえ。
それでも、自分は、「個性のあるキャラ」が好きですねえ。
新海誠さん。そして、このアニメをつくった関係者さん。
その他、ここを覗いてる皆さんも、覚えておくといいですよ。
新海さん、アニメ、頑張って作ってくださいね。
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