天気の子のレビュー・感想・評価
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10代の頃に見たかった
きっと青春真っ只中の10代だったら感動したんだと思います。個人的には君の名はの方が私は好き。
言葉では表しづらいのだけれど…
君の名はは主人公を含める主要人物達だけではなく、登場人物全ての人達がハッピーエンド。
でも今作はきっと幸せじゃない人も出てきてる。
10代の頃ってきっと、自分たちが中心、自分たちが良ければいいって考えがち。だから賛否も別れるし、私はイマイチ物足りないんだと思いました。
とはいえ躍動感やハラハラ感、冒険感は前作を超えているので嫌いではないです。
あめ【雨=天=海】とつながるための映画。人の評価など気にせず楽しんでください!
天気の子、やっと観れた。
映画のレビュー書いたりするのも最近やらなくなったが、今年もたくさんの映画を観まくり、神社やお祭りも、ライブや展覧会も、行けるときにどんどん行ってるから、その都度書きたくても追いつかないからいっそのこと書かないと決めていた。
海獣の子供がすごくよくて、いいのかこんなことを映画館で見せちゃってと思いながら、でも、今このときだからこそやらなきゃならない使命感のようなものがあったと思わせる、今まで見たアニメの中でも最高クラスに響命できる内容だった。
今回の天気の子も、前作君の名は。に海獣の子供の後でのしかかる期待を吹き飛ばすような、今このタイミングだからこそ世に放つべく公開された映画といっても過言ではない。
とてもヒットする内容とは思えない前評判のよい映画だけど、実際は賛否両論の微妙な映画だともいえる。
わたしは、もちろん感じ入る場面が多々あり、細かな不平不満のあるシーンはチャラにしてでも総合評価は高いを維持した。
新海監督の表現する世界に近いものを感じてる。
かつての勢いがなくなったジブリ世代を満足させる勢いがあるのも確かだけど、それは旬なだけで、熟した完成度の高さでいえばジブリを超えられない、まだまだ伸び代のある監督だと思う。
君の名は。で、現代社会の中に過去と未来の時空をつなげた。
今回は、現代社会の中に天と地をつなげた。
これで縦軸と横軸がクロス。
ここからちょっとストーリーにも触れるネタバレ注意。
映画のほとんどが雨のシーン。
災害クラスのはずなのに、あまりにも美しく描かれていて魅入ってしまう。
異常気象などなく、たかだか100年そこそこの観測で史上初のとか記録更新で騒いでるけど、この龍神が描かれた絵は800年前で、それ以前からずっと自然は自然らしく振る舞ってるだけだ。
東京も昔は海の入り江だった。
そこに戻ろうとしてるだけ。
異常でも何でもない、ごく自然な流れ。
別に雨が悪者ではなく、雨によって中断される人間側の勝手な都合が、雨を悪者呼ばわりしてきただけだ。
自然界にとって、夏の雨季は大切。
川は増水するために流れてる。
川の自然堤防はいつも決壊したがってる。
それが都市で起きるとどうなるか、想像どころか現実になってきている。
雨、あめ。
そう、天もあめだし、海もあめ。
雨も天も海も、中国の漢字で分別される前からあった“あめ”という言葉はすべて同じ意味でくくられていた。
高円寺にある、気象神社。
晴れは稲荷で、雨は龍神。
天気は、天の氣。
昔は旱魃があると、雨乞いで人柱を捧げてきた。
だけど、天気を恨んだり異常気象とは呼ばなかった。
雨がつづけば、雨乞いと逆の呪術を使って踊った。
天気の子は晴れ女という設定で、人柱など同じような世界を表現。
天の積乱雲にも深い海のような世界があって、不思議な魚が泳いでる。
雨と天と海は同じだと。
あめとして、今でもすべてはつながっている。
そんな、天気の子の映画だった。
監督の良い意味での青臭さを感じた
自分はちょうどよく感じたが映画館のほかの席の反応を感じとるに展開がやや早めなのかも。
特に映画の終盤に主人公がある場所に行かなければと思い立つ部分に関してはなぜそういう考えに至ったのか
なんとなく納得している層と色々ツッコミたい層とそもそも理解出来ない層が生まれると思う。
ラストの結末に賛否両論あるかと思うがあの結末を選んだ監督に自分は好感が持てる。
この映画の伝えたいメッセージを色々補足すっ飛ばしてシンプル&勝手な解釈にするなら
主人公=若者たちへ
今の社会には若者たちへ理不尽を強いられる選択があるかもしれない。しかしたとえ社会基盤をぶち壊してでも若者たちには選択権があること、そして壊れたところで元々世の中が狂ってるのだから問題ないこと。気にしないこと。
だから今、若者に見てもらいたいと
そんな希望を託してるのかなと
新海誠という人をとても若々しく感じた。
ストーリーの余白が多い
とてもきれい。特に雨粒がはねる描写、荒れた空の描写。
「君の名は」もそうだったけど、設定のつじつま合わせを考え始めるとおかしいところや語られていないところが多くて気になっちゃう。昔ならイライラしてたけど、まあアニメだしな…と思う。
「よくわかんないとこは雰囲気で」っていうタイプの監督なのかなぁ。自分であれこれ考察したり妄想したりできる、余白が多くていい映画だと思う。
映像がほんとにきれいで、映画館で見てよかったなと思った。描きたいとこだけしっかり映像にしたって感じがした。
須賀さんの奥さんも晴れ女だったのかなーそんで空に消えちゃって、彼はあきらめたのかなー娘も守らないといけないしね、という妄想をしながらみていたけど、特にそういうエピソードは出なかったな。
(追記:同じような妄想してる人たくさんいたわ。やっぱりそう思うよね?)
これが噂の「新海誠」、か・・・。ほーん( ´_ゝ`)
まず、「天気」は嘘をつきません。自然現象ですから。
ありのままを、私たちに訴えてきます。
しかし、アニメは人がつくりますので、自然ではありません。
そこには、私たち人間の野望や邪悪、虚偽や犯罪、偏屈や理不尽が混沌します。
それに対して、本作の主人公、深海真君は映画の最後にこういうらしいです。
「ふざけんなー!人間! ふざけんなー!地球!」
どうやら、現代社会に生きる我々は、作者の新海誠監督を含め、疲れているようでした。
と、
冗談はさておき、なるほど~。これが噂の新海さんですか。
「君の名は。」に続き、2019年も、大ヒットの予兆を見せていますねぇ。
まず、なぜ新海作品はヒットしているのか。
1、背景美術の美しいディテールにより、作画中毒者をわしづかみ
2、ラッドウィンプスの独創感あふれるサウンドトラックと挿入の良さ
3、アニメーター 田中 将賀による、大衆受けにもってこいキャラクターデザイン
4、青春×日本舞台×SFを100分以内、自然な流れで、展開する脚本のうまさ。
5、そもそも新海誠やラッドウィンプスが哲学系
6、俳優、女優、声優をバランスよくキャスティングし、それぞれの声を違和感なくキャラに乗せてくる演技指導
特に5は、注目すべきかな。新海誠だけじゃなく、ラッドの曲にもメッセージがありますから、憎いですねぇ。
憎い組み合わせです。
観客は「自然な哲学」が好きなんですよね~。
人とは何か。社会とは何か。「愛にできることは何か」、ってね。
でもー。
私は、ぶっちゃけ。あまり、好きじゃないんですよ。新海さんが、ではありませんよ。ラッドさんが、でもありません。
この作品が、です。
なぜ、好きじゃないかっていうとね。
「個性」が薄いんですよ。
それは、映画だからってのもあるかもしれません。映画はだいたい100分でおさめなきゃいけませんからね。
美しく細かい背景美術はそれだけで、見る人を魅了させます。
しかしながら、「細かすぎで伝わらない」んです。
細かすぎて、リアルすぎて、超現実的じゃないんです。シュールじゃないんです。
アニメって感じが、しないんです。背景が、きれいに加工された写真なんです。
奇麗なのはもちろんいいんです。しかし、アニメっぽさがないんです。これ、わかる人、いるかなぁ。まあ、アニメを良く見てる人なら、わかる人は解ると思います。
そして、「キャラクターの個性が薄いですね」
アニメって、何が一番大切なのかっていうと、「キャラクター」なんです。まずは、キャラクターを好きになってもらうことが、味噌なんです。
しかし、新海さんの作品は、「キャラが好き」ではなく、「背景や音楽が良い!」っていう、観客が多いんですよ。皮肉なことに。
つまり、キャラが弱いんですねぇ。
好きなのが、キャラクターではなく、美しい美術やラッドさんの音楽が目立っちゃってるんですねぇ。
これは、アニメとしては、うーん・・・。ですねえ。
だから、敢えて辛口に言いますと、
「少年少女が言葉だけ伝えてる」
「大事なセリフをキャラクターがキャラ自信のものにできていない」
「キャラクターに大事なセリフをしゃべらせてる感」
なんですよねえ。
キャラと言葉が別々になっちゃってるんですねぇ。
意味わかるかなぁ。
私が、新海さんの作品(君の名は。以降)に違和感を感じたのはそこなんですよ。
だから、好きじゃないんです。
私個人としては、もっと癖のある、キャラが欲しいんですよねえ。
ってか、癖があるキャラが、アニメなんですよねえ。
まあ、癖が強すぎると、敬遠しちゃう人も現れるんですけどねえ。
それでも、自分は、「個性のあるキャラ」が好きですねえ。
新海誠さん。そして、このアニメをつくった関係者さん。
その他、ここを覗いてる皆さんも、覚えておくといいですよ。
新海さん、アニメ、頑張って作ってくださいね。
4回観たので感想と考察
『天気の子』を4回鑑賞した。
5回目以降も鑑賞しようとは思っているが、せっかくなのでレビュー、考察をしようと思う。
ちなみに『君の名は。』では5回鑑賞したが、レビューする気にはならなかった。何故なのか自問自答していたが、天気の子を4回観て分かった。
1つ目は、君の名は。では、結果的に全ての人が救われるいわゆる丸く収まるハッピーエンドに対して、天気の子では世界を犠牲にして陽菜を救ったという賛否両論の残るエンドだったからだ。私はこの終わり方がとても好きだ。
「知らないフリ」をし続けて、大切なことから目を背け続けた大人達とは対照的に、迷わず大切な人を選び、階段を駆け上る帆高の姿には思わず涙した。(その際のRADWIMPSのなんと素晴らしき曲の入り方であることよ)
少し蛇足になるが、この「知らないフリ」も、物語のキーとなる要素だと思われる。考察の最後あたりに述べる。
2つ目は、天気の子では、作中に散りばめられている各々のシーンに意味が多数見受けられたからだ。そのシーンについて私が目についたものに限るが考察しようと思う。
1.帆高の家出
親戚の家に遊びに行くと須賀に嘘をついた帆高は実際は家出少年。理由は陽菜の家に訪問した際に述べていた。
「家も、学校も、息苦しくて」
また、警察が陽菜の家に来た際に帆高と帆高の父親の写真が映るシーンがあった。父親は髭を生やし、見るからに厳格そうだった。窮屈な家庭、窮屈な島で育った少年がある日体験したのは雨の中の光。その光の先を追いかけようと思いついたのは家出することだった。追いかけた先の東京ではチンピラに足を引っ掛けられるわバイト先が見つからないわで途方にくれてしまう帆高。3日間マク○ナルドのスープで飢えをしのごうとするが腹の虫は止まない。そんな時にバイトしていた陽菜にもらったハンバーガー。
「16年で一番美味しかった夕飯」と帆高は感じたのだ。
また、最初の帆高は顔に絆創膏を貼っていたが、あれは親との喧嘩の結果なのかもしれない。もしくは虐待をされていた恐れもある。これらの言動に基づけば、帆高が家出をしてきたのは最も合理的であると思った。
2.須賀の奥さん(アスカ)について
須賀の奥さん、アスカについて様々な考察がなされている。
とあるレビューの「アスカ=晴れ女」説は私は肯定する。
『天気の子』では、全般的にキャラクターの言動がそれぞれ鍵を握っていると思われる。この説では須賀が鍵だ。
須賀はしきりに指輪を触っていた。そのシーンは、(私が覚えている限りでは)晴れを依頼して陽菜と帆高の間に座ったシーン、酒を飲み「みんなそうだろ」と言い放ったシーン、刑事に問われ「俺に言われても」とぼやいたシーンなど。これらのシーンはどれも、『晴れ』や『逢いたい人』に纏わるシーンばかりだ。晴れであることと、指輪を触ることに何の因果があるのか。
それはアスカが実は晴れ女で、人柱としてこの世を去ったということに関係があるように思われると感じた。人柱としてこの世を去り、残された須賀は後悔の念に駆られてはいたが、これが大人になる事であると自身で言い聞かせ、そして次の自分になると思われる帆高にも「大人になれよ」と言い放つ。須賀の言う「大人」とは一体何なのだろうか、私は「誰にとっても良かったと思われる人になる事」つまり「自分の主張を捨てる人」になる事だと思った。
大事な人より世界を選んだ須賀と世界より大事な人を選んだ帆高の対立は胸熱だった。結局は須賀が、逢いたいと叫ぶ帆高に心を突き動かされ、捕まりかけた帆高を助けたシーンは本当に泣きそうになった。
作中の須賀の言動だけでアスカの正体が本当に晴れ女か完全に証明することは出来ない。何故なら、これは「須賀の物語」ではなく「帆高と陽菜が世界の形を変えた物語」であるからだ。作中の須賀の言動はあくまで「須賀の物語」の一部であるため、その数少ない言動だけで決めつけるのは難しいと思う。だが、証明が出来ないということは反対にそうではないとも言い切れないので、私はこの説を推す。
3.水の魚の正体
魚の形をした水を覚えているだろうか。陽菜の体に纏っていたあの水の魚のことだ。水の魚の正体についてふと感じた。あれは一体何なのだろうかと。
私は『歴代の犠牲となった巫女達』説を提唱する。
というのも、帆高と夏美がツイッターを見ているシーンで、『中に内臓の器官のようなもの』と呟いているツイートがあった。これはもしや、人柱として天に召された巫女達の身体から、あの水の魚達は出来ているのではないかと考えた。そう考えると少々グロいが、あり得なくはないと思う。
4.陽菜が助かったのは本当に帆高のおかげ?
帆高が彼岸に行き、陽菜を見つけ出し2人で逃げ出したことで陽菜を人柱から解放し、救い出した結末。陽菜が助かったのは帆高のおかげなのか、そもそも帆高は何故彼岸に行けたのか。
3回目までは私は帆高が救ったと信じて疑わなかったのだが、4回目を観たときにアレ?と思った。
2人が鳥居で倒れているシーンで、陽菜のチョーカーが割れているではないか。あのチョーカーは元々陽菜のお母さんのものだったと思われる。というのも、最初の病室のシーンで、陽菜の母親の手に、今の陽菜がチョーカーとしてつけていたアクセサリーがつけられていたのだ。その頃の陽菜の首にはチョーカーはついていない。つまり、母親を亡くしてから、陽菜はあのチョーカーを着けるようになったのだと思う。いわゆる形見である。
また、立花家に晴れを届けた際に、冨美ばあちゃんが初盆について話した時に、「お母さんに守ってもらえるよ」と言ったあのシーン。あのシーンに意味を持たせるとするならば、いや、新海監督ならきっとあのシーンに意味を含めているだろうと感じた私は1つの結論を導き出した。陽菜が人柱を回避できたのは、『母の守りがあったから』である。立花家のおかげで初盆を迎えることができた陽菜は母親に守ってもらうことが出来たのだ。その媒体となるものが形見であるチョーカー。役目を終えたチョーカーは世界に帰ってこれたときに割れたのだ。
では帆高は必要なかったのか?と言われるとそれは否定したい。帆高は世界で唯一陽菜に会いたいと強く願った人物。(凪は置いといて)そんな帆高の目の前に落ちてきたのは、つい先程、陽菜にプレゼントした指輪。この指輪が、帆高を彼岸に連れて行ったキーアイテムと思われる。
そもそも、空へ行ってしまった陽菜がチョーカーは落ちず、指輪だけ落ちて行ってしまったからにはそれなりの理由があると思う。
(もらって日が浅いため、天に持ってこれたものの陽菜の所有物として結局認識されなかった。など)
何にせよ、指輪は一度天に行ったのだ。それが、帆高が天に行けたことと繋がると思われる。
本来、人柱として巫女だけしか、つまり女の人だけしか行くことができない天に、帆高が行けたのは、陽菜が天へ持って行った指輪が入場券のような媒体として働き、辿り着くことができたからだと思われる。もしあそこで帆高が指輪を持たないまま鳥居をくぐったら、何も起こらずに熱血刑事に顔面床ドンされてまた血塗れになってたんだろうなと感じた。
どうあれ、帆高は指輪のおかげで天に行くことができ、人柱として身を捧げようと諦めた陽菜を救い出す逆転劇を行うことができたのだ。
5.帆高の言い放った「知らないフリ」
追い込まれた帆高が銃を向け、「皆何も知らないくせに……知らないフリして!」と言い放つシーンを覚えているだろうか。
このセリフこそ、作中の自分達以外の人間(つまり"オトナ")への最大の反抗、皮肉だと思う。
須賀の奥さんの母親の「現代の子達は可哀想。昔は春も夏も素敵な季節だったのに」も、須賀の「ま、人柱一人で世界が救われるってんなら、俺は喜んで〜〜てか、皆そうだろ」も、刑事からの質問にも。
もちろん刑事は陽菜のおかげで天気が戻ったなんて考えもしないし、須賀の養母だって同様だ。
そうやって"大人達"が知ろうとせず、目を背け、知らないフリをし続けた結果が、この世界なのだという現代の大人達への反逆を示唆した台詞が、帆高のあの台詞なのだと思う。
6.瀧と三葉
これはほぼ余談なのだが、瀧と三葉は果たしてこの世界線で出会っているのか、考察をした。
終盤で帆高が立花家に再び訪問した際、冨美さんの右腕に注目してほしい。組紐のようなものを手に巻かれていると思う。これが、もしも三葉、もしくは瀧からのプレゼントだとしたら、三葉と瀧は出会っていて良好な関係を築いているのだと私は思っている。
様々な考察を述べたが、この考察が合っているかはどうでも良くて、言いたいのは天気の子は、ちょっとしたシーンが実は深い意味があったり、結末に賛否両論あったとしても大丈夫なんだってこと。
とても味わい深い映画だった。
5回目以降と観ようと思うので、また考察が変わってしまうかもしれないがそこは追記しようかと思う。
ふんわりしてる…これが今の若者?
「君の名は」と比較すると、前作超えません。
率直な感想は、
・スポンサー付きすぎてカオス
・東京に縁がない人が見ても面白いのか?
以下、ネタバレです。
映画を観ての疑問点を羅列すると、
・帆高があれだけの家出をした理由が最後まで明かされない。
・須賀が帆高の故郷(島)に滞在していた理由が語られない。
見ていていまいち感情移入できないのは、拳銃を拾って携帯している帆高に信念やらが感じられない点。社会への反逆でもないし、ただ一人の女の子を守るためにしても所持している意味が弱い。
それと、警察から逃げまくるのは非現実的すぎますね。シティーハンターかと(笑)
陽菜が晴れ女の力を手にした理由も都合がよすぎる…それを言ったらキリがないが、「君の名は」のキャラクターを登場させる意味はなんだろう?せっかく瀧たちが守ってきた世界はなんだったんだ?と思わざるをえない。というか、たった一作のヒットで新海ファミリーって早くないか?いつからCLAMPの世界になったんだ。
新海誠がもっているのは、映画の世界と2019年の気候が似ていたという点。雨ばかりで異常気象、そこのところは今年のためにあるのではないかと思う冒頭だった。
愛を貫いたことの正しさ、美しさ
『君の名は。』よりはタイムスリップとか入れ替わりみたいな複雑な要素がなく、綺麗にまとまっていて観やすかったです。また、前作よりも会話や流れのテンポが上がっているように感じて、気持ち良く観ることができました。絵は圧巻の美しさで、曲も不自然なものは無く映画とよくマッチしていたと思います。話の流れは大体予想できるものだったので後は終わり方がどうなるのかということをワクワクしながら観ていました。結論からして私はあの終わり方が最善だったと思います。これはトロッコ問題によく似ていて、陽菜と街の人々の暮らしのどちらをとるのかというのがEDの分岐点になっています。私はどちらをとっても正解だと思います。帆高は陽菜を選んだというだけで、別に何も解決しない(雨が一生やまない)としてもそれは正解の選択肢だったのです。だから何も解決しないことが間違っている、意味が分からない終わり方だというのはすごくナンセンスな意見だと私は思います。帆高の「陽菜と一緒にいたい」という真っ直ぐな気持ちのもと走り出す様は私の心を強く打ちました。その意志の強さは我々もアニメのキャラとはいえ、見習わなければならないと思います。一つだけ不明瞭な点があるとすればなぜ拳銃がばら撒かれているという設定があったのかという点です。大人に対抗するための武器を帆高に与えたかったということだけが理由では無いようには思いました。しかし社会の黒さを表す象徴だとしたらちょっとオーバーかな…?とも思いますし、そこだけがもやもやではあります。でもそれを差し引いても良い作品だと思います。
「それでもなおしがみつく」帆高と陽菜は私には綺麗に思えました。
映像と音楽は絶品、でも感動できない自分がいる
映像は文句なしにすばらしい。雨上がりの東京に日が差し込むシーンは、リピートしてずっと見ていたい。
でも、感動できなかった。エピローグがなければよかったのに。スパッと終わっていれば、余韻を楽しめたと思う。
少年が出した答え
現実とファンタジーがうまく混ざりあっているのが素晴らしいと思った。
実際にある場所、協賛企業のであろう商品がそこかしこに出てくるけど、そこが現実感を出すのにうまく使われていてすごくうまいなと感じた。
とても美しいシーンと絶妙のタイミングで流れる歌が都度都度涙腺を弛ませる。
主人公の行動は滅茶苦茶なところも多いけど、追い詰められたらああなるんじゃないかなっていう共感の部分が勝った。
俺なら冷静にこうするねっていうのは心のなかに秘めておけばいいと思う。
荒削りで唐突なところもあったけど最後にはひとつの答えに到達していて、それには賛否両論はあるだろうけど自分はとてもいいなと思った。
気分爽快🌥️
まず、今年の長梅雨を予測していたかのような気象設定で驚きました❗
ストーリーはSFと日本神話を織り込み、まさかの流れへ展開して楽しめました
背景画の美しさは流石です
音楽も良かったです
拳銃については賛否両論あるのでしょうが私は違和感がありました。
もしかすると「現代の東京の現実」を知らないだけかもしれませんが………(東京こえ~~~)
キャラクターは魅力的で、感情移入に時間はかかりませんでした
自分の気持ちにまっしぐらなのが、非常に清々しく気分が良かったです
世界は元から狂ってる
見てよかった!君の名は。よりストーリーは単純でファンタジー感が増したなーと思いました
瀧くんと三葉出てきたの気づけてめっちゃ興奮しました笑てっしー出てたことは、エンドロールで気づいたのでどこかわからなかった...
ヒナさんとほだかの声はいい意味で特徴がなくて、なににも染まっていない少年少女という感じがしてすごく好印象でした。小栗旬さんの声も対比で垢まみれのおじさんって感じがしてよかった笑
君の名は。の時にすごくストーリーが作り込まれていて、ファンタジックな題材ではあるけどアニメなのにリアリティを感じていたので、今回はそのリアリティはあまりなかったかなという感じ。なんでそうなるの、え、展開早っというところは多かった印象。加えて、前半部分がシーンが展開する変わり目で音楽流しちゃうのが舞台の場転みたいで違和感ありました。でも映像とか終わりかたとかがすごくよかったので結果的にあまり気になってないです笑
新海さんの空と天気描写好き
雨の描写がたっぷりでしたねw
雨雲から差す晴れ間も美しい。
多分きっと空が描きたくて映画作ってんじゃないかなこの人ってちょっと思うけどw
秒速。。の時も雪の中のシーンが印象的だったけど。天気1つで人の心は明るくも暗くも淋しくもなる。
気候変動が叫ばれる今だけど、自然はもっと大きなサイクルで動いてるんだよっていう達観したジジババのセリフにハッとさせられたり。
きっと観客の世代によって受け取り方とか、熱とかが違ってくるそういう映画だろうなって思った。
初めて映画館で秒速5センチメートル見た時から、新海作品の天気の大ファンです。
映像や音楽自体は最高でした
いい意味で変態なんじゃないかと思うほど丁寧に丁寧に描かれている絵は素晴らしいのですが、演出がどうしても音楽に寄りかかってしまっているように感じてしまいました。
「ここで良い曲が、かかります!!」
みたいな帆高の台詞が際立ち過ぎてる気がしました。
確かに素晴らしい曲なんだけど、二回ほど気になって「お、おう…」となり、直後のシーンは素直に浸れなかったです…。
恐らく考察してもらうためだと思うのですが、描かれてないバックグラウンドが多すぎて、感情移入がし辛かったかな…
しかし、16歳くらいの頃は「大人が居なくても生きていける」とかいう考えに至るほど、自分への謎の自信があったなぁと思いますし、直向きになにかへ取り組む熱意などは持っていたように思います。
君の名は。などもそうでしたが、作品が若い子たちにウケるのは、そういった姿が主人公たちへ共鳴する部分もあるからではないでしょうか。
あと「これは提供だから出てるのか…?」という商品などが多過ぎて、大人になってしまった私にはその辺り素直にみれませんでした。。笑
SF(少し不思議)なラブストーリー
安定の新海誠作品だった。…良くも悪くも。
映像は綺麗だし、音楽もキャッチャーで物語とも しっかりとシンクロしていた。
本田翼 良かったな。小栗旬は…実写版ならば あのキャラは小栗旬でバッチリだっただろうな。
まぁテレビ放送まで待っても良かったかな。
IMAX鑑賞
追記:タイアップが多過ぎ。CM等でバンバン映像が流れていたので 観る前から少し飽き気味だった。
天気の子、と言うより…
太陽の子、だな。天照大御神的な🙂
神道信仰を主軸にしたストーリーは、前作同様、非現実的だけど、何故かすんなり受け入れられる。日本人だからかな?
絵、声、音楽、どれも素晴しく、また、細かな仕掛けもあり、とても楽しめました。
全1951件中、1021~1040件目を表示