天気の子のレビュー・感想・評価
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どんどんファンタジー寄りに
これはもう新海作品は今後ファンタジー物しか製作しなくなる流れなのでしょうか…秒速や言の葉みたいな作品がまた観れたらなぁ…と思ってしまいます。
今回のは流石に色々とやりすぎなような…主人公たちがあまりに表舞台に出過ぎだと思いました。どこが「これは僕と彼女だけが知っている〜」なんでしょう?観る前はひっそりと晴れにする能力を使うのかと思ってましたが、いざ観ると堂々と人前で能力を使っていてポカーン…となりました。線路は走るわ、警察は殴るわ、あと子供3人だけで生きていけると本気で思っている穂高にも呆れました。これではそこらへんのアニメーションとなんら変わりません。君の名は。と今作しか観てない方々よりは新海作品に触れてきたつもりですが、ハッキリ言って新海さんらしさがどこにあったのかよく分かりませんでした。
あと、「ソフトバンクのイヌが作中にいるから探してみよう!」みたいなの、本当にどうでもいいです。よくよく考えればこれがなんだか1番ガッカリしました笑。うまく言えませんが…なんか、見損ないました。
新海誠は僕には合わないとしか言いようがないが…
「君の名は」でもそうだったが
基本的なストーリーの辻褄のあわなさ・破綻
解消されない疑問が続く気持ちの悪さは本作でさらに悪化している
街をリアルに描写しているからこそ
リアリティにかけるご都合主義が気にかかるし
その人物がなぜそこにいるのか
なぜそういう行動に至ったかの説明はまったくない
映像は文句なく美しい
だがそこに人間やドラマは一切ない
お金や人を養うプレッシャーが監督を狂わせているとしか思えない
映像が綺麗ならアニメとして成立しているのかもしれないが
映画としては成立していないもどかしさだけ残った
隣で見ていたカップルが
「1回だけじゃわかんないのかもしれないね…」と呟いていたが
このカップルが2回目を見ることはないし
このコメントがどういう意味かは造り手が一番理解しているところだと思う
宮崎駿をはじめとするジブリ作品のすごさを改めて感じるところでもあるし
この作品を表立って駄作だと批評できないマスコミにも恐ろしさを感じる
(゜゜)うーん
相変わらずの映像のハイクオリティさと音楽の使い方には感心しました。ストーリーも概ね良かったと思います。
只、今回にあまりにも主人公の行動が自己中過ぎんかい?と思いイマイチ感情移入できませんでした。あとタイアップCMがまんま使われているのもチト気になりました。
ターゲットとしている範囲が狭すぎる
画面から伝わってくる色彩はスゴく綺麗で風景、街並みの画力が繊細で細かい。
「君の名は」もそうだが映像美は映画館で見るべきもの。
だが映画は映画
映像美だけでは映画ではない。
ストーリーの陳腐さ、二番煎じ感が否めない。
途中途中で垣間見える性的描写は監督の性癖を表しており、中高生の時に思い描いていたこと、出来なかったことをアニメで具現化していると思われる。
そこに嫌気が差す。
映画館で見終わったあと、周りの中高生が歓喜し共感しているのを見たとき、今の自分に照らし合わせ、映画と同じ様な事が自分に起きれば良いなと思っているのだろうと想像する。
不快だ。
新海作品は新海誠と同じ様な性癖に共感する異性との交流が少なく、それでいてメルヘンを追うカテゴリーをターゲットにしているのだろう。
狭すぎる。
まだ新海誠は宮崎駿には到底なることは出来ないだろう。
比較することさえ失礼な事だ。
対象を絞った作品?
映画を見て真っ先に感じるのは、企業への忖度。ここまでして忖度すのには、制作費、宣伝費等々の捻出のためなのか?不自然な程の忖度に胸焼けがする。
さて本編の内容であるがラストが意味不明。今までの新海監督の作品は、歯がゆい恋愛模様、後味の悪い終わり方それらが他のアニメにない大人な作風を作り出していた。しかしながら「天気の子」はどうか?スポンサーにとどまらず鑑賞している客にまでも忖度をして、全てが中途半端なのである。誰もが安心して観られるアニメ映画の製作によって生まれたモノは、内容が薄っぺららいFラン大学生の会話の様で、それでいて世間知らずで、夢や希望だけ壮大だから始末が悪い。放映中、無音のシーンで頭の悪そうな女のすすり泣く声がクソ映画をさらに確信的なものにする。映画の終わりに馬鹿な女どもをニヤニヤしながら慰めるエグザエル気取りの馬鹿な男。馬鹿同士ラブホでも行って一発やった後に、ルームサービスのフードなんかを食べて盛り上がるのだろう。
作画は文句なし。だが
作画は新海監督と言うだけあって毎作文句ありません。
率直な感想を申しますと、前作「君の名は」でも同様でしたがファンタジー感が非常に強く自分には合いませんでした。
新海監督の作品は現実味のあるストーリーが多く登場人物それぞれの心理描写も多かったので好きでしたが、今作も方向性は逆でした。
物語は現実とはかけ離れてるのにリアル過ぎる東京の見慣れた風景に違和感さえ感じましたし、前作大ヒットしたからスポンサーが多いのかと余計な事を思うほどに内容的には退屈なものでした。
主人公とヒロインが最終的には結ばれるような描写で幕を閉じますが、そこに至るまでの苦難等の設定が薄く感じましたし、主人公に至っては生立ちなどの説明も不十分に感じてしまいました。
やっと会えた場面でも感動よりクサすぎて恥ずかしくなるような感覚です。
駄作とまでは思いませんが、あまり観に行ってよかったと思える作品ではありませんでした。
中学生のオタクが考えたストーリーっぽい
新海作品は初めて見ました。
「最後までキャラクター達の感情について行けないオタクアニメ」というのが素直な感想でした。
風景はリアルなのに、キャラクターたちがアニメのテンプレートをなぞった様な存在で、いまいち感情移入もできず。
異様にリアルな看板や商品に目が行き、気が散りました。
モノローグや、見せ場でドカンと大きな音楽を流して感動させることに頼っている様に感じました。
この監督のことは全然知らないのですが、街や空などの風景には興味があるけど、人には興味がないのかな、と思いました。
ラブホテルのシーンで弟の横でセックスし出してたら、スタンディングオーベーションしてました。
歌の使いすぎ あと伝えたいことがわからないと言う人に対して
歌が良いのは確かです。しかし、途中でたしか3か4曲使っているのは使いすぎでは?オープニングとエンディングの歌の大切さが欠けてしまっている。価値が下がっているとも言えるだろう。今後の作品が歌多めになると、『ストーリー』ではなく、『歌』を目立たせすぎてしまう作品もでてきてしまうかもしれない。臨場感を引き立たせることや、感動を呼ぶのに歌ではなく持ち味のグラフィックを使うべき。もしくは肝心のストーリーで取らなければいけない。今回の作品は最初の方と言っていることは似ているが、新海誠さんはストーリーがとてもなにかは分からないが欠けている気がする。だから歌でカバーしたのかもしれない。悪くはない判断だ。だが、もしも自分にストーリーを作る自信がない。もしくは下手だと思っているのなら、新海誠さんはもうグラフィックを作る役でいいと私は思う。そのグラフィックの綺麗さという才能を活かせきれないなら、他の監督にあなたの力を貸す方向に専念させてもいいと思う。あと、「伝えたいことがわからない。」というのであればこう考えましょう。【勝利やハッピーエンドには犠牲がつきものだ。】っと。途中趣旨と離れてしまったがこれで終わりたいと思う。長文失礼した。なにか思うことがあればコメントに書いてくれると幸いです。
私好みのシナリオではなかった
「それ、あなたの感想ですよね」と言われようが、実際、ここは個人の感想を書く場でもあるので。
だったら見るなと言われても、外を歩けばあの歌と広告のオンパレード、家に帰ってもTVをつければCM、CM、CMと、この推しっぷりなので、普通の神経してたら一遍見てみようとはなるでしょ。
恋愛モノということで、もともとこのジャンルは守備範囲外なのですが、せめてもっとカラッとしたコメディタッチならまだしも、必死な発情期の猿って感じでとにかく気持ち悪い。
気持ち悪いんです。
美麗な作画では相殺しきれないくらい不快でした。
若気の至りのハッピーセットとか黒歴史でしかない行動を観たい観客っているんですか?
とはいえ、「世界より惚れた女を取る」オチだけに限れば個人的に支持できるので、星1のところをひとつプラスして星2となります。
仮にも宮崎駿の後継者と言われている方なら、万人に受ける作品づくりを心がけてほしいです。男視点に寄りすぎです。
せめて次回作は「少年少女の純愛」以外のジャンルも書けるということを、ぜひとも証明してほしいです。
逆に言えば、この化石のようなジャンル主体でしか書けない人間を次世代の巨匠と呼ぶのはどうかと思います。
作家の人生観の薄さが原因
『天気の子』は、『君の名は』同様に画はとても綺麗で、感動しました。そこはさすがだなぁ…と。
しかし、物語としてはあまり心打たれるものはありませんでした。
テーマの部分は、作品からも、インタビュー記事とかでもわかりましたが、お世辞にもよく描けていたとは思えませんでした。
過去の作品とかを見返して、登場人物を引き裂く、悲しい、苦しい設定も沢山されていますが、なぜかあまり感動や、心を揺さぶるものがないのは……。
『君の名は』が公開された年に公開された『この世界の片隅に』は、戦争時を舞台にさているとはいえ、前編にはほのぼのした雰囲気が漂いながらも、心につきささる、心に残るテーマが感じられました。
別に比べる必要もないのですが、新海誠監督は、あまり深い感動や、心の揺さぶりを生じさせるような作品作りは、今のような、画のかきこみの力や、歌の力に頼っていては、永遠に克服されない気がしました。
だからといって、いまのままであっても悪いとはおもえません。大勢が喜ぶデートムービー監督でも、十分誇りにできると思います。
しかし、今回の作品を見る限り、テーマを突き付けて
見た人の心に訴えかけるような作家には、まだ程遠い気がしました。
これを克服するためには、川村元気とも縁を切って、画も比較的簡素なものにして、歌(アーティスト)にも頼らない作品作りに挑んでみては?と思いました。
『天気の子』。歌がしつこすぎて、感動の押し売り臭く見えて、残念でした。あと、主人公の少年の家庭ももう少し描かないと、主人公のリアルな人間の素顔が見えてこないので、薄っぺらく感じてしまい感情移入出来ません。
いろいろ、もう少しな作品。
フェアネスに貫かれた、醜くも美しい青春の幻影
これはきわめて私的な体験からくる感想にすぎないのだけど、穂高のようなことは誰でも一度は考えたことがあるんじゃないだろうか。
横断歩道の黒いところに足を入れたらマグマに焼かれて大ダメージを負うという類の妄想の、もっと儚く切実で美しい衝動からくるもの。
しかしその時の自分には、掴みどころがなくてよくわからない現実よりももっと確実な質感を伴って真実に近いと思えるもの。
そんな感覚は私的なもので、誰かと共有はできなくて、それでも自分自身にとっては一番身近で堅固な価値観になりうるのだ。
この映画のすばらしい点は、そんな感覚の輪郭をきわめて美しく浮き彫りにして見せてくれたところにあると思う。しかし、一方ではその描写が極めて精確・フェアネスであるがゆえに自分自身ですらも客観視してしまい、醜くて未成熟なものとも感じてしまうのだ。
例えば陽奈の不幸の原因・あるいは救いの原因となった天候操作の力は、作品世界ではおそらく確実に存在するのだろうけど、それが裏付けられることは結局はなかった。
大人たちはそれぞれが見ている世界観を前提として行動するし、失われてしまったあまりにも大きなものに対して、超常現象を引き起こしたとして主人公たちが責任をとれと糾弾されることもない。
主人公が実際に見て体験したものであっても、それが一部の登場人物にしか共有されていなければ、それは社会的には妄想と同じなのだ。
この理解を与えてくれたのはひとえに作中世界の人物たちの描写が無駄なくフェアネスであるためで、こんな作品は今まで見たことがなかった。
そして、僕は最後に再会する陽奈にとってすら、あの出来事が妄想として理解されているのではないかと恐れる。
穂高と比べて、陽奈はその年齢相応の、未成熟で流されやすい人間のように描かれていると思う。しかし流されながらも、一つひとつの瞬間にだけはしっかり人間としての喜び・悲しみ・恐れといった感情を受け止めるのだ。そのありようが、終幕時の穂高にとっては儚く頼りなく大事なものと感じられたのではないだろうか。そして、「僕達は」大丈夫だという言葉には、そんな陽奈を一生かけて守りたいという願いと、穂高たちにとっての体験が妄想として片付けられてしまうのではないかという恐れに対して「それでもいいじゃないか」と言い聞かせたい気持ちがあったのではないだろうか。そう思えてしまう。
いったい人々にとって何が真実で、何が虚構か、という問いかけは、この世界で何か大事なことを自分が果たすべきと考えて日々努めている人たちに響くだろう。それは本当に真実なのか。それともただの思い込みなのか。その人を助けなくても実は大丈夫だったんじゃないの?もっと楽をして生きればいいんじゃないの?
でも違うのだ、と僕は思いたい。自分が幼くて、醜い妄想によってひとりずもうをとっていたとしても、自分にとって美しいものを守りたいという気持ちはきっと、わずかでも誰かの支えになっているのだから。
そういう覚悟を呼び起こす感覚があって、僕は映画館の外で少し背を伸ばしたのだ。醜いよね。
またもや神話、+ブレードランナー?
何となくの類似性
ブレランは核戦争後に雨が止まない世界
君の名は。は、神を信じれば奇跡は起きると。
今作は、でも神への人身御供は嫌、と。
世界(世間)なんて知ったこっちゃない、か。
ブレランも最後デッカードは女と逃げるしね。
心が痛まないかね‥と思いきや、最初から世界はロクでもないんだ、というエクスキューズ。
なるほどねえ(笑)
貴女何度目?
面白かったです、とても。
画も綺麗だし音楽もいい。
今は観た後に色々検索出来るからそれ見て「あぁ、なるほどそういう伏線と回収⁈」ってなって複数回観る層が一定数いるんだよね。実際また観たいもん。
大人なもんで“そういう仕組みが出来上がったのかな”“この映画で実証されたのかな”って思ってしまいました。
ゴメンナサイ。
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