天気の子のレビュー・感想・評価
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粗はあったと思うが、それでも良かった。
内容に関しての詳細はすでに他の人が書いているので書く必要はないと思う。
この映画からは、素晴らしい映像美、音楽、そしてストーリーからすごく熱量を感じる良い映画だったと思う。
自信を持って、まだ見ていない人に一度見てみると良いと進めることができる映画だと感じた。
5点ではない理由は、いろいろと意味ありげに書かれていて特に回収されなかった伏線が少し気になったから。
久しぶりに見た後にもう一度見てみたいと感じた映画だった。
行動に理由はない
何度か「これは意味があるんだろうか」と考えられるシーンがあるが、特に意味は無い。
帆高の家出は特別な理由がある訳でもない単なる家出。
拾って一緒に暮らし始める猫は本当にただの猫。
天気を操るチカラは特に理由があって陽菜に宿った力ではなく、たまたま陽菜だっただけ。しかも「晴れて欲しい」と願いながら鳥居をくぐるだけという。
天気を操ったりとファンタジー強めかと思いきや、泊まれるホテルがないからとラブホに泊まったりと変に現実的なところがある。かと思えば、オチは海に沈むという、またちょっと現実味がない(天候の悪化でそうなる可能性は無くもないが、少なくとも数十年は先の話だと思う)
どこかで見た話をよりあわせたような、真新しさを感じるところがない話だった。
君の名は。は何度か見たが、これは見るとしても1回でいい。見返したいと思うシーンがない。
あと、最後の廃ビル?のシーン。
なんであそこに凪と小栗旬がいるのか不明。
前作もだったけど、妙におっぱいを主張したがるのはなんなんだろう…
今回は陽菜が自ら水商売しようとしてたし、これじゃ子供と一緒に見れないじゃん。
あと主人公らに魅力を感じない。帆高、かっこよくないもん。
最後の再会のシーンも、君の名は。と違って、全然感動的でもなんでもない。
最後に一言。映像はどこまでも美しかった。
感動
池袋HUMAXで、みました。満席で。
なんといっても映画の場面に出ちゃうんです。
池袋とか都電とか目白の線路脇の道とか地元が、
めっちゃ出て。
野田洋次郎の曲もピッタリ素敵過ぎて
2年前くらいに鬼子母神前の都電の踏み切りで、すれ違ったのを思い出しました。天気の子の事で来てたんですね。
豊島区でるでる。田端も。柳家喬太郎さんもネタでやってる池袋界隈路地でるでる!
エヴァへの挑戦状
「こんなモノ知るか…!」と『責任』も『運命』もぶん投げた「セカイ系」のカタチの提示。少なくとも私にとっては新鮮で爽快で気持ち良い作品だったけれど、一方でブチギレる人が多数居てもおかしくない、本当の意味で「賛否両論の」映画ではないだろうか。
正直、ほだかの選択は全く共感ができない。私は(例のすがに関する考察の通りなら)、すが側の人間で、この世に生きる殆どの人間もこっちのタイプだ。「仕方がないことは潔く諦める」「自分(たち)が犠牲になることで他人が救われるのならそれでいい」。私はこの指標に従って、多かれ少なかれ苦しみながら生きてきたし、これからもきっとその姿勢が変わることはないだろう。
一方、ほだかたちは、その常識に風穴を開け、私が取りたくても取れなかった選択肢をいとも簡単にとってしまった。おそらくその点に賛否の境目がある。私は、そこが爽快で仕方がなかった。理想が見れたことが嬉しかった。一方、現実で耐えて苦しんできた人間であればあるほど、このほだかたちの選択は自分勝手で許せない。
今まで多くのクリエイターたちが「セカイ系」と言われる分野の中で、「自分の理想を押し殺して人(の理想)のために生きていくこと」と「そこに至るまでの葛藤・苦しみ」を描いてきた。それこそが作品の「面白さ」であり、同時になんとも言えない「閉塞感」の原因だった。
しかし、『天気の子』はその道から外れ、新しい道を示した。つまり『天気の子』は「今までセカイ系作品」に対するアンチテーゼ、もしくは挑戦状と言えるのではないか。(要は「逃げちゃダメだ」の状況の中で「逃げた」のが『天気の子』なのだ。)
新海監督は『天気の子』で、今まで名だたる監督たちが長い時間と労力をかけて描き続けてきたものに対し、堂々喧嘩をふっかけたように見える。この点が本当に面白い。
私は今まで、新海監督は彼らの後継になろうとするものだとばかり思っていた。しかしまさか真っ正面から対抗するような作品を作ってくるとは…(!)。新海監督は、現代の東京を美しく描ける唯一無二の監督だという話を聞くが、まさにそういうところなのではないだろうか。
関連して、物語「後半」が「本編」なら「前半」は一体何の意味を持っていたのだろうか?ただの長い導入なのか、それともやはりなんらかの大きな意味を持つものだったのか。
少なくとも前半部分は単純に見ていて楽しかった。これだけの「盛り上がり」を複数ポイント、決して長くはない尺の中で作れるのは本当に凄い。映画の前半と後半で「楽しい/面白い(興味深い)」の棲み分けがなされていた気がする。だからこそ、この映画の「より前半が好き」な人と「より後半が好き」な人がいるのだと思う。
色々伏線らしいモノがあった。気になる描写もあった。小説読んでインタビュー読んで考察読んで満を持してもう一回(もう二回?)観よう。あと、今まで何となく避けてきた「本格派セカイ系」作品をじっくり見て比較してみたい、と思った。
以上。異論は滅茶苦茶認める。
気軽にコメントしてください。
普段あまりレビューを書き込むことはないけれど、『天気の子』については人の意見を色々聞きたい、と思える程度の非常に面白い映画だった。ぜひ、多くの人に観て欲しい。
久しぶりの映画
晴れ女、雨女という言葉は時々耳にする。
もし本当に天気を変えることが出来たとしたら。
ヒナとホダカを中心に描くヒューマンヒストリー。
青春のような甘い香りと、大人が見る現実の世界。
その狭間にたくさんのドラマがある。そこに行くことで何が起こるかは分からないけれど、その場所に向かうことでしか得られないものもある。
変えるものが出来ないものを嘆くより、今出来ることやあるものを大切にしたいと思った。
雨、雨、雨、雨。決定的に変えてしまった青春
島の家出少年が、東京の女性と出会い繰り広げられる話。100%の晴れ女と自分の犯した罪により繰り広げられる話。その夏の青春を捧げていく。
まず、色彩が美しい。細部に至るまで完璧。途中、見ている映画館の近くの場所が映画に出てきて「おっ」と思った。
ツッコミたいのは、主人公が犯す罪がすぐそばでそんな簡単にやっちゃうの?とも思った。
自分がしっている場所が出るとやはり楽しいし、挿入歌・主題歌のRADWIMPSさんは最高。
ー「君の名は」と比べてー
「君の名は」は明るく都心の忙しいの表しているのに対して、今回のは少し怖い東京を描いているようにも感じた。
面白かった
ラストの展開は賛否が分かれるところだと思うけど個人的はすごく好き。
ただバスローブ姿でホテルからお空に連れてかれたヒナさんがなぜいつもの服を着ていたのかがなんか気になった。流石に神様もスクリーンで真っ裸にするのは躊躇ったのかな?
新海の崇拝者ならともかく
ここ数年見た中で最低最悪のアニメだった。
君の名はストーリー・映像ともすばらしかったが、今回の新海作品は
その名声にふんぞり返った超駄作としか言えない。
家出少年が少女と知り合って晴れ女バイトをさせたから東京が水没する
奇想天外というよりも支離滅裂!
主人公の声もうるさいだけで全く共感を呼ばない。
新海の崇拝者はこれをみて素晴らしい!というのだろうが、
こんな作品創ってるとお先真っ暗だな。
本当に生きていてよかった。
前作の君の名は。にハマった人は間違いなくハマる作品。絶対に見るべき!!!最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高最高!
大して普通
「君の名は」は凄い人気作品となったからって「天気の子」に過大評価し過ぎじゃないですか?
新海誠監督へのインタビューでは「光の描写に力を入れました」なんて言ってたけど普通のアニメでもあれ以上の作画や描写のものは多々ある、だが音楽との合わせ方は今までの作品のどれもが素晴らしいと思うので1度は観た方がいいと思いました。この「天気の子」は「君の名は」と違って時の流れを掴まなくても楽しんで観れるのでどんな人でも1度観るだけで話が理解出来ると思いますよ。
何も解決しないまま終わる
主人公が地元に居心地の悪さを感じていた理由や、児童相談所に連れてかれたら弟と離れ離れになるから逃げると言った理由がよく分からなかった。
それと主人公がお尋ね者になる必要なあったか?って感じだった。
そして極めつけは東京が沈んだのに俺たちは大丈夫で済ませるというラスト。
作画の良さと豪華俳優陣とRADWIMPSで誤魔化してるけど正直内容は微妙に感じました。
噛めば噛むほど
結論から言うと、結構好きです。
声優を含めたアニメとしての完成度は、新海さん前作より高いと思います。
主演2人の若くて完成されてないけど今しか出来ない声とか、凪の声優とかベテランかと思ってたらもっと若い声優でホントに「先輩」と呼んで良いレベルだし、「役者の声」が目立つ役は、脇の方が良い。
前作はどうしても「瀧くん」というより「神木くん」という感じで終始してた。
森七菜はどストライクでした。
本田翼も良かった。
平泉成は目立ちすぎだった。
ストーリーは、一見すると分かりやすそうな気もするが、いきなり出てくる銃が最後まで引っかかっていたりとか、陽菜と須賀の家族の過去とか、帆高の上京理由とか、突き抜けたラストも含めてサイドストーリーを沸々と掻き立たせられるプロットには大人がハマるドラマになっている。
新海監督は、アンチオリンピックなのかとも勘繰ってしまう。
前作より評価したいのは、かなりファンタジーに振り切っている事。「君の名は。」はかなりのリアリティを捻じ込んでまとめようとしているのに対して、今作はアニメならではのファンタジーを堂々と見せて着地させている。そのファンタジーも迷信レベルの昔話を織り交ぜる事で天気や陽菜の歩みに説得力を持たせている。
ファンタジーさや色遣い全てが「ジブリオマージュ」に感じた。
ポニョよりも、千と千尋かな。
ただどうしても納得し難い点もある。
ファンサービスと言えば聞こえの良い、大衆迎合で日和見的なアレ。
必要かなー?
自分としては、全く別個の作品として観に行ってアレがあると、少し冷めたなぁ。
新海作品てそういう流れがあるんですかね?
アレもそうだし、ストーリーの「隠された伏線」も探したくなったりと、後からまた観たくなる良い作品でした。
前作からのニワカファンでした。
不満ばかりが残った。
だんだんキレイな映像に目が慣れてきてしまったせいか不満ばかりが残った。
まず主人公の家出の動機くらいちゃんと描いてほしい。登場人物の行動原理や方向性が見えなまま、えんえんと
「警視庁密着24時、東京って怖ぇ~」
をやられても感情移入や共感はない。
台詞は随所にスベってる。
実名CM多用はうざったいし、設定は安易。
簡単に使われる拳銃。
このご時世に水没。
主人公が電車の線路内を走り続けるとこなんか痴漢容疑者がえんえん逃げてるように見えた。JRもあれがカッコいいとされちゃたまったもんじゃない。
今作は前作のヒットにすっかり味を占めてしまった作風。
次回作も「君の名は」風の顔をした主人公とヒロインが登場し、あだち充漫画のように髪型だけ変えて、無条件で恋に落ちるのだろうか。まあ、あだち充は同じようなキャラでも話が面白いけど新海誠の場合は今回の脚本を見る限り苦痛でしかない。
大ネタバレ
映画 天気の子を2度見てきました。小説も読ませていただきました。結論から言って、大満足の作品でした。
誰かに頼らず、指図されることなく、光の中に入りたい。自由を得たい。自分らしくありたい。そう願う主人公の家出少年帆高が向かった雨続きの東京にいた100%の晴れ女陽菜。帆高は自分の中での正解というものを突き詰め、それが正解だと信じ、自分を信じ、世界の在り方が変わってしまうと分かっていても、行動をする。それに応える陽菜のことも、また勿論帆高のことも、だれも責めることはできないのでした。
映画や小説では、『帆高が家出をする理由』を明記することはありませんでした。最初映画を見たときは僕にもわかりませんでしたが、小説を一読し、再度映画を見て、自分なりにその理由がわかった気がします。
帆高は光に入りたかった。高校生というものは、思春期も熟し、自我というものが明確になってくる頃です。小説の一部でこんな描写がありました。
"つい先月(島にいた頃)まで誰かに命令されることや押さえつけられることをあれほど憎んでいたのに。"
"自分が今までそんな経験をしていなかったことに、僕は今さらに心の底から驚く。そして唐突に、すとんと理解する。" "僕を叱りながら、お前はもうちょっとマシになれる、彼らはそう言ってくれているのだ。"
帆高はK&Aで須賀と夏美に出会い、多くの雑務を任され、叱られます。
島では受け入れられなかった行為が、東京では受け入れられる。いや寧ろ、成長させようとしてくれているとさえ捉えられる。島から東京へ家出してきたことによって、帆高は180度 物事の捉え方がかわったのです。これは、帆高の中にある あの光の中に入りたいという願いを 自身の中でおよそ半分くらい達成した気分になっている状態なのだと僕は思いました。東京に出て1人で生きていくんだ、と強い思いを持った帆高のスタートダッシュ。帆高は島から出て光を探しに行きたかった だから家出したんだと、僕はそう捉えました。
作品中で帆高は強い信念を持ち続けています。自分自身が行動の指針であり、大義でありました。それは決して自己中心という言葉とは違うと僕は受け取りました。
この部分は他のレビューも見てわかる通り、かなり賛否が分かれている部分だと思います。しかし、水商売に身を染めそうな陽菜を守ろうとする時も、警察を振り切ってでも陽菜を助けようとする時も、それまで沢山の経験を積ませてくれた須賀にさえ拳銃を向けた時も、帆高の思いはいつだって不動なのです。目的のために手段は厭わないということは、一見自己中心的に捉えられるかもしれない。でも、本当にこれらの行動は自己中心というマイナス的な意味をもつ1語で済まされるものなのか?というところなのです。常識人に対抗する帆高は ピストルの引き金さえ引きます。常識人が望む晴れた世界のために、愛する彼女を見捨てる行為を帆高が望む訳などない。寧ろ警察に捕まって、世間が晴れに喜ぶあの場面ですんなりと帆高が陽菜を諦めていたとしたら、もうそれは帆高が帆高じゃなくなっているとさえ言えるでしょう。家出少年帆高が取った全ての行動は、必然的行為であり、誰も止めることも非難することもできないのです。陽菜と大空の中で再会し、陽菜の『私が戻ったらまた天気がーー』という言葉に対して、『天気など狂ったままでいい』と即答した帆高は何よりも白く、揺るぎなく、美しかった。そこに僕は胸を強く打たれました。
帆高は『世界の形を決定的に変えてしまった』というメッセージを残していますが、それで良かったんだよと僕は言いたいです。『世界の形を決定的に変えることができた』でいいんじゃないかなってくらい。
帆高が拒絶したのは"1人の犠牲を経て、得ることができた晴れた現世界"であり、選んだのは"荒れ狂った天候の世界の中でも誰1人として犠牲が生まれない未来"であり、須賀が帆高に言い放った『もう大人になれよ、少年』『誰か1人の犠牲で狂った天気がまともになるなら、誰だってそれを望むだろ』という世間を風刺するようなこの意見は 正義に反した大多数の人間の本当の自己中心的発想なのだと思いました。
それが現世における思想とは全くもって別として、この映画、新海監督の中における視聴者に提供したいエンターテイメントワールドの中で描かれた帆高の行動は、真に受け入れるべきものでした。
ラストシーンの『僕達は大丈夫』という言葉。主題歌や挿入歌、BGMを担当したRADWIMPSのEDテーマから取った言葉であったそうでしたが、この曖昧に流したような、ぱっと見自分らだけが良ければ大丈夫と聞こえそうなこの言葉も、作品全体を振り返ってみればやはり、帆高の信念に基づいた『大丈夫』なのだとおもいました。
また須賀という人物。僕はこの人物に奥行きを感じています。
作中で、大人になれよ、少年。もう島に帰れ。というシーン、警察の人と話している時に不意に涙を流すシーン、それから何故か帆高より先回りして廃墟ビルに入っていたシーン これらを何となく見ていた僕ですが、他の方の推察を見てそういう見方もあるのだなあと思いました。
僕が拝見したその方の推察をまとめると、須賀の奥さんはひょっとしたら天気の巫女だったのではないか、という説でした。喘息持ちの娘は雨の日になると喘息が悪化してしまう。だから須賀の妻は娘のために何度も天気を晴れさせようとして天に消えた。空からは奥さんのリングが降ってきて、須賀はそれを付けているために薬指にリングが二つ。全てを知っている須賀は、帆高と自分を重ね、大人になれよ、と告げることが出来、警察と話したとき自然に涙が出て、あのビルにも先回りできた。
K&Aに入りたての帆高にお酒を何回も渡していたのもきっと、須賀も経験したであろう少年時代ならではの帆高の熱意を冷めさせて、世間一般のような感覚を持たせようとする須賀の意思表示だったのかななんて 想像したらより一層面白かったです。
ところで作中に君の名は。の登場人物が数名でてきていたけど、あれに関してはよくわかりませんでした。懐かしいなあとは思ったけど、それくらい。
君の名は。ではラストの階段での再開シーンは晴れていたので、もしもあのシーンが時系列的に成立しないとなるので有れば、新海誠ワールドの中で帆高と陽菜は"世界の在り方を決定的に変えてしまった"のかもしれませんね。
そんなこんなで、文章を推敲することなくこんなにも書いてしまいました。誤字脱字等お許しください。あくまで感想なので。
皆さんも是非、見てみてください。
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