天気の子のレビュー・感想・評価
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人柱な自分が観ると納得
自分が正に晴れ女なので、興味があり鑑賞しました。ただ心底悲しい時には雨にもなります。
8/9のhirotoさんのレビューに強く同感です。
そう考えると現代社会を映した映画ですね。
いわゆる富裕層や仕事の苦労を大して実感してない層が観ても何も感じられない映画かも?と思います。
仕事で超氷河期を経て今に至る層や、苦労を強いられてきた層はまさに人柱です。
ツテがなければ定職にも就けず、就いた先もブラックでパワハラセクハラが横行。想像を絶する裏社会を味わう事になる。
生きていくために社会に揉まれる若いヒロインの潔さ…諦め?
バイト先のファーストフード店をヒロインがなぜクビになったのか映画の中では触れません。悪いことをするような子には到底見えないのに。
主人公が雨の中ファーストフード店で、惨めにじっと考えるシーンが忘れられません。
お金が無ければ生きていけない社会…。
社会に出て自分を見失わない、希望を失わないように必死で生きて、上層からは自分に都合の良い口だけの正道を言われる。
理不尽に疲れ果ててどうにもならなくて、頭がおかしくなりそうになる。けれど一歩道を踏み外せば社会から逸脱して戻ることも困難。
それが今の日本じゃないかと。。
そもそも基本と正道、コミュニケーションと偉そうにうたいながら堂々と挨拶すら返さない、いわゆる上層社会の人間が日本にいかに多いことか。
人を利用して自分が楽して生きようとする人は腐った考えの人が多いです。
日本のおかしな縦社会はバカバカしくなる程滑稽です。真面目がバカを見るようじゃ日本の未来なんて無いと思うけど…。
自分を犠牲にしたって世の中は誰も助けてはくれない。有名人でもなければどんなに頑張ってきても弱った人間は人ごとのように見て見ぬ振りをされ切り捨てられる。せいぜい自分たちを守るために作られた、公共福祉制度を自分も利用できるだけ。
この映画で感じたのはそんな社会のために何かを諦めたり、自分や大切な人までも犠牲にする事もないと思えます。
そう、世界は大して変わらないのですから。
夢見がちなハッピーエンドとはまた違う映画ですね。RADWIMPSの少し切ない歌声がマッチして耳に残ります。
『君の名は。』とは違う『裏・君の名は。』 「それでも世界は美しい。」「この世界で生きていく。」
万人に伝わる内容でない点は興行映画として残念ですが,酷評する人達は物事の表面しか見てないと思います。数々の社会問題の中それでも生きて行けと,未来を生きる若者達への応援歌。比喩や象徴にも気づけなければ,奥深さを理解できない映画です。子供向アニメとは言えません。
登場人物への感情移入を容易に許さず,社会の不条理や人間の愚かさも達観し世界を俯瞰で見る描き方は『もののけ姫』に似ていると感じます。俯瞰的他人目線,かつて帆高同様無茶だった年齢を超え大人になった須賀や監督の目線とも言えそうです。同時に『ほしのこえ』『雲のむこう』のように思春期の君と僕だけの小さな世界が全てで感情の揺れが世界破滅にもなりうる「セカイ系」でもあります。全く正反対の2つの目線を併せ持つ稀有な作品と感じました。
★監督のジブリへのリスペクト
見て感動した!と爽快に叫べず「自然と人間共存できず矛盾を抱え生きていく…ジコ坊の最後の言葉の意味…」もやもや感がもののけ姫に似ています。スタッフも,神社の美術担当に山本二三氏,声優に島本須美氏,倍賞美津子氏を配し,あえてジブリを連想させる狙いを込めたと思います。『星を追う子ども』的に。後半,空から落ちる2人の場面がラピュタ・千尋に似ているのも,自己犠牲が多いジブリへのアンチテーゼとしてあえて対比してるのでしょう。最後「それでも生きてく」はナウシカ・もののけと同じテーマです。
ジブリといえば,作品同士の繋がりに気付き対比させると,より感動深まります。例『火垂るの墓』『トトロ』は同時公開ポスターで同じ場面を描き,対比すると戦争と平和の落差がより深く刻まれます。高畑監督が「もし俺がトトロを作ったらこうなる」と作った『ぽんぽこ』はシニカル目線で,悲痛な場面でも容易に感情移入させず観客を泣かせてくれません。自然破壊する人間が悪役,狸は悲劇の主役と単純明快に線引せず,仲間が死んでも命の重みをすぐ忘れてお祭り騒ぎする馬鹿な姿に,人間の愚かさも投影します。命懸けの狸,人間は愚鈍に酒呑み談笑。皮肉や批判と絶望を込め(けれどコミカルファンタジックに)人間社会に警鐘を鳴らします。最後は微かな希望を信じるけれどバッドエンド。いずれ滅びる未来でもどうにか生きていく。(天気と物語が似てない?)そして『ぽんぽこ』の続き『耳をすませば』は同じ場所,「俺達の故郷を返せ!」と叫び死んだ動物達の屍を踏む多摩ニュータウンに雫達は生活し「コンクリートロード♪山を削り谷を埋め」と自分達人間の生活を皮肉りながらも「カントリーロード♪」この町が私の故郷,友達や好きな人と笑って悩んで生きていく,と夢や希望を歌います。
気づかぬ人もいるけれど,光と闇の表裏一体を描くジブリの姿勢に,新海監督は共感や敬意を表明したのでしょう。同様に『天気の子』も『君の名は。』と対比して見えるものがあります。
★『君の名は』対比
『天気の子』は『裏・君の名は。』であり表裏一体の作品と解釈します。『君名』はハッピーエンド・エンタメだが今作は新海監督の初期の持味に戻っています。前作で「綺麗すぎて東京に見えない」と酷評され,今作はあえて「東京の汚い面」を前面に見せつけ「じゃ,あなたの見たかったのはこういうのでしょ?」と監督の反骨精神と茶目っ気を感じます。しかしそれだけでなく監督は,汚れた世界の風景にもひとすじの光と美しさを見いだせる目を持つ人です。薄汚れた路地のゴミにも風俗店のやくざうろつく街角にも,お金のため身売ろうとする少女の瞳にも,隠された物語を見出す人です。これもまた現実であり,そんな場所に生きる子供や仔猫の命もあるのだと。
共通点は後半,帆高(三葉)が夏美(てっし)バイクに助けられ「私達お尋ね者だね(これで2人仲良く犯罪者)」そして走り続ける(東京と田舎,男子と女子,の立場は逆転)。同じネタの使い回しと酷評されるが,いや絶対に監督は意図的にあえて『君』を思い出させ対比させています。同じシチュエーションを描くことでテーマの違いが際立ちます。『君』では好きな人を救うことが村を救うことになるので正しい行動と信じて迷いなく動け,みな納得できるハッピーエンドに。でも今作は好きな人一人を救うことが世界を沈め,希望や笑顔を失わせてしまう。選択を迫ります。「世界を沈めても自分達は幸せなバカップル」と酷評されるが,人命を選ぶ事は悪いの?自分の大切な人の命を代償に世界は元に戻ると言われたら,本当に自己犠牲を即決するの?物語としては賛否両論でも,人命だってかけがえないって監督は訴えてるのでは?
誰かに必要とされたのは初めてだった孤独な家出少年と,親もなく世間から捨てられた身の上で,命を削り巫女となることでのみ世界から必要とされる少女。偶然出会った二人は心を通わせ,かけがえない存在となる。「たとえ世界中を敵にまわしても僕だけは君の味方だ」そう言ってくれる人が,親でも友でも誰でもいいから世界に一人いれば命を失わずにすむ。「君にしか無い特別な能力とか個性とか,そんなの失くしてもかまわない。ただ君という存在が生きていてくれればいい。」
これは『君名』には無かった点です。就職やいじめや家庭内暴力や…色々な悩みで苦しむ全ての人へ,監督が届けたいメッセージだと思います。ずっと島で孤独を感じていた帆高が誰かに言ってもらいたくて誰も言ってくれなかった言葉。それを帆高自身が陽菜に言うことで帆高自身も救われたのだと思います。雨が降り続けいずれ沈みゆく国。ファンタジーだけどこのどしゃぶり閉塞感は今生きる私達みな現実に感じているのと同じです。(年金破綻,生活不安,環境問題,様々な問題を押し付けられる子供世代。高齢の政治家達みな「自分さえよければ」)。不安の中,ソフィー婆さん「天気なんて昔から…」の台詞は「あなたのせいじゃないよ,自分を責めなくていい,どうか頑張って生き抜いて」慰めと励ましです。個人的にはソフィー婆さんよりナウシカ婆さんに言ってほしかったけれど,ナウシカは自己犠牲ヒロインの象徴なので本作と正反対の位置づけ。世界は救わず矛盾を抱え笑顔で生きてくソフィーがより本作の主題に近いからでしょう。『ハウル』も世間で「最近の宮﨑は…社会問題を取り入れてるのはわかるが,伝えたいことがわからない,内容薄い」と酷評されましたしね。
★「気持ち悪い」酷評多数?
しかしそれは全て社会の現実です。ラブホは行き場の無い子供の最後の砦。陽菜のバスローブチョーカー姿を性的と酷評されるが,母親形見のブレスレットを肌身離さず,まして自分の死を予感している時だからこそ御守として身に着けるのは自然な行動。風呂上り(巫女としての禊)に身に着けるからこそ観客が違和感に気づき,その後に空から落ち神社に倒れチョーカーが切れたのが際立つ。ただのアクセでないと観客が気づきやすいよう誘導してくれる演出。コンビニ食に喜ぶ貧困家庭(経済だけでなく親の愛情に欠ける)でもたくましく生きようとする子供達。是枝裕和『誰も知らない』のように,社会や大人の不条理に翻弄されても生き抜こうとする子ども達の姿を描いています。
「気持ち悪い」という言葉は,陽菜が出会ったばかりの帆高の銃所持を知り,言い放った非難と拒絶の言葉。「あなたを理解できない,理解したくもない」という感情。この映画を理解できない,つまらないという人が言い放つ言葉と全く同じなのは印象的です。あの場面の台詞として他の語彙もありそうですが,あえて「気持ち悪い」を選んだのは,監督が観客の感想も全て予想してのことでは?特にセカイ系登場人物となる思春期世代にとって傷つける破壊力絶大な語です。エヴァTV最終話ラストシーン,世界に2人きりの時にアスカの一言「気持ち悪い」シンジ絶叫。他人を拒絶する最大の言葉として,監督は自作もセカイ系要素を含むことを念頭に,絶妙な言葉を選んだと思います。
★「登場人物に感情移入できない」酷評多数?
帆高の家出の理由は語られません。確かに知りたいけど,自分なら帆高に問い詰めようとは思いません。島で自転車で走る帆高,頬に殴られた痕。『ライ麦』片手に「どうしても家に帰りたくない」と呟く。それだけで余程ストレスや悩み抱えて辛かったとわかります。いじめか家庭内暴力か…理由は不明でも。よく逃げてきたね,自傷や自殺を選ぶくらいなら,家出したのは偉い!と褒めたい気分。理由を聞かない須賀と夏美,答えない帆高に「そっか」と微笑む陽菜。他人を信じ受け入れる究極の優しさです。現実社会では実に得難いふれあい。3人に出会えたことでどれほど帆高は救われたことでしょう。だからかけがえのない存在となったのです。
帆高の持っていた本『ライ麦畑でつかまえて』は大人社会への反抗,汚い悪口がこれでもかと続き,しかし汚れた世界の中で全てに嫌気がさした少年が,たった一つだけ信じられる美しい光(純粋な子どもである妹の存在)を守りたいと希う物語です。99%が反抗期の世間への悪口,ほんの数行だけ純粋な願いが光る小説です。帆高はひとすじの光を追いかけて東京に来て,汚れた世界だけど守りたいものを見つけられたのです。
映画では時間制限あるし,個々の詳細な理由は省略した方が,万人が自分を投影しやすくなります。「人それぞれみな何かを抱えている」事のみを伝え,説明無い描き方。説明されない心情や背景について考えようともせず「感情移入できない」と突き放す観客は,あの高井刑事と同じ側だと感じます。見事に悪役ですが,新海監督がそんな単純な登場人物を描くはずありません。あれは一人のキャラではなく,現実社会にいる「何もわかってくれない,わかろうともしてくれない大人達」の象徴・比喩でしょう。彼は一切人の心情を考えず理由も聞かず犯罪と決めつけ,権力と暴力で迫ります。帆高が真実を話しても聞かず「鑑定が必要か…どうせ精神疾患」と決めつけるだけ。銃,『ライ麦』,鑑定,から思わず連想させられる悲痛な事件…昔『イマジン』で世界平和を歌うジョン・レノンを銃殺した精神疾患の青年は犯行時ポケットに『ライ麦』所持し,事件をきっかけに小説は有名になったとか。帆高だって追い詰められ,間違えて殺人してしまうかもしれなかった。現実に,周囲の大人に子どもが追い詰められ「あの時一言理由を聞いていれば防げたはずなのに…」という事件は少なくありません。
陽菜の母親の死因も語られません。「死の扱いが軽い」との酷評に対し,私は「人一人の命は地球よりも重い」という言葉を思い出しました(ラスト地球の映像も印象的)。母の死際も父は不在。離婚家庭は多いが葬式にも来ず,母亡き後は子どもだけで暮らす完全なる捨て子状態。現実社会は孤独死も多く,貧しい民の命なんて政治家の保身や経済よりも軽んじられる。そして陽菜が巫女だともし知ったら,多くの人が自己犠牲を迫るでしょう。数多の映画では自己犠牲のヒーローが世界を救う(例:ナウシカ,でも生き返る)でも人命を選んだら罪なの?命が軽んじられる社会をあえて描くことで「本当に一人の命は地球よりも重いと思っている?」と監督はみなに問うているのだと思います。
万人向けでなく,理解できないと言う人も多く,監督も発表前から賛否両論あると言いましたが,ネットで多くの酷評を見て,はっとしました。かつて岩井俊二『リリィ・シュシュのすべて』は,読者がネット書込で物語に参加し,炎上をも巻込みながら物語が進む斬新な形の作品でした。本作も観客の賛否両論全てを取り込み「その声全てが街の人々の声だ。色々な人がいる。街で帆高達とすれ違い,出会ってふれあう人,困っているのに気づかず通り過ぎる人,大丈夫?と心配する人,非行少年と怪しむ人,バカップルと嘲笑う人,傍観者,楽しそうねと微笑む人,無邪気に感激し晴天を頼む人…,見た人それぞれがみな物語の登場人物だ。」という構造を狙ったのではないかと思います。観客もみな物語の登場人物として巻込まれうるからラストは大きく地球を描いたのでしょう。『君』大ヒットで様々な難題の中あえて勇気ある闘いを選び,素晴らしい作品を作り上げた新海監督に拍手です!
文字数入らず↓コメント欄に補足
人柱という日本社会の悪習
本作では「君の名は。」から物語の構造はそっくり継承しています。理不尽な運命に翻弄されるヒロインを、主人公が救済するという。この物語の構造を器に例えるなら、盛られた料理は「君の名は。」とは全く別物です。
キーワードは「人柱」です。「君の名は。」の主人公とヒロインは、高級レストランでバイトし、洒落たカフェで、豪華にデコレートされたパンケーキに舌鼓を撃ってました。本作では主人公もヒロインもバイトは怪しげな編集プロダクションの雑用にマ〇ドナルド。挙句、ヒロインは売春をさせられそうになります。食べるものはポテチやインスタントラーメンのようなジャンクフード。現実世界では、彼らのような人々は貧困層として希望を失い、ただ生きるために公の福祉制度に繋がる他はない。ネットで「ナマポ」などと蔑まれる対象、即ち「人柱」となるのです。
しかし作品世界では、主人公は勤勉でモラリストです。ビジネスセンスがあり、モバイル端末でホームページを開設するスキルや粗削りながらライターとしての才能もあります。何よりヒロインが美しい!ありあわせの材料で、ハレの料理をテキパキと作って主人公をもてなし、ラブホで風呂上りの色っぽいバスローブ姿を披露するなど、思春期の男子の妄想を具現化しています。女性は「美しい」のでなく「美しくなる」のです。丸山眞男ではないが、「である」のでなく「する」のです。こんなことは希望を失った現実世界の貧困層ではありえない。
しかし作品世界においても、有能な主人公と美しいヒロインといえど、「人柱」の運命は避けられない。主人公は「反社会」の立ち位置に追いやられ、ヒロインは異常気象を鎮める文字通り「人柱」となったのです。その意味では、就活で「御社が第一志望」を連呼させ続けられる夏美も「人柱」の変種です。貧困層と夏美のような若者が総「人柱」化することで日本の社会が成り立っている、この悪習にいつまで縛り続けられなきゃいけないのか、これに対する主人公とヒロインがラスト近くで採った決断の結果、東京は一応大変なことになるのですが、登場人物は誰も特に困窮することになったわけでなく「日常」が続いたのです。かつて三島由紀夫は昭和20年8月15日以降も「日常」が続いたことを嘆いたが、主人公とヒロインが決断した結果として、それに対する「開き直り」も有り、というのが本作の主題です。
最後に、協賛企業の「押し」が作中キツ過ぎで辟易、との評がネット上で散見されますが、これも新海監督の「戦術」のような気がします。貧困層や若者を「人柱」にするのはもうやめろ、という本作の主題に同意するね、と協賛企業に踏み絵を踏ませているのではないでしょうか?私は本作の主題に激しく同意しました。
映像はトップレベル
流石、力を入れているだけあります!
水・光・影の表現や花火、現実にありそうで生きているような怖いダイナミックで細かい雲。
これには声が漏れました。
ですが、
肝心のストーリーが心に刺さらなかった。
ラストも前作と同じ再会で終わらすのは流石に引き出しが無さすぎる。
そして、とどめの「大丈夫」…
前作はdvdで泣けて「映画館でみたかったー!」と後悔しましたが、今作は「レンタルでみればよかったー!」と後悔しました。
決してクソではないけど決して名作ではないといったところ。
映像は日本のアニメーション技術がどれだけ素晴らしいか伝わりました。
物語と景色と音楽
物語と景色と音楽が作用し合ってた
青空、水、透明感、眺望感がとにかくきれいだった
CGと手書きの境目が気にならず、見事に使いこなしてた
青春や愛に真正面から挑んだ清々しい映画だった
夢見がちな青春時代の集中力や推進力をよみがえれせてくれるような
それが童貞だけのものではないと正当化してくれるような映画
突拍子もない前提と感じたけど、なぜか説得力?迫力?があった
おっさんでもドキドキしました
どんより曇り空や雑踏との落差が良いスパイスになっている気がした
疾走感も程良い
被害妄想かもしれないが、サブキャラの余白が思わせぶりな感じは、にわかファンの自分としては少しくどいと感じた
この映画は、自分の体で「感じる」映画です。 ここにあるレビューを読...
この映画は、自分の体で「感じる」映画です。
ここにあるレビューを読んで分かった気になっている場合ではありません。
自分の感情の動きを直に感じる事の方がよっぽど大切で、素敵な時間を過ごせます。
新海誠監督はじめ、天気の子スタッフの皆さんが放った渾身のエンターテインメントを全身で感じるべきです。
楽しいです。
本当に、楽しいです。
私たちは、やっとここまで来たんだって、そんな風に思いました。
最後まで見終えた瞬間、私たちは本当にここまで来れたんだ、と感慨深い感じがありました。
素直に、「新海誠監督達、マジすげえ」と思いました。
次の選択をし始めることのできる、新しい場所にたどり着いてしまったのだと思います。
この作品は、それほどのものです。
絶対に、見るべき作品です。
エンターテインメント史として、こんな節目の作品がそう何度もあることは、めったに無い事のように思います。
もう一度言います。
絶対に、見るべき作品です。
誰かが言いそうな、不安が的中した、こうなることは分かってた、時代を掴んでいない、セカイ系が、ポスト誰々が、あの巨匠監督みたいじゃない、などど、そんな誰かが自分で勝手に作った箱の中に、新海監督達を無理やり押し込め閉じ込めてうんぬんかんぬん言って悦に入ったとしても、そのどれもがあなたの言葉では無い。
あなたは、どう感じたのか。
それこそが、この映画の最後にはまる、圧倒的に正しいピースなのだ。
最後のワンシーンで感動した
「君の名は」からより洗練された歌と演出は流石すぎ。アニメと歌の力、スゲー。
君の名はよりもストレートにラブストーリーにしたなぁという印象。
話の展開は好き嫌いありそうだけど、最後の告白シーンと再開シーンだけでそれ以外忘れて感動した。
心配してたがよかった
ところどころ気になる部分もありましたが
不満点を吹き飛ばすくらいにはよく出来ていたと思います。
映像・音楽は文句なしで最高峰。
世界の秘密を知る帆高くん視点で観ていることが重要だなぁと思いました。
そうでないと周りから見ればただの迷惑なクソガキでしかないですしね。
賛否が分かれるのも理解できる創りですが、私個人としてはとても楽しめました。
次回作も楽しみにしています。
昔からの新海誠ファンにもおすすめしたい映画
大ヒットした「君の名は。」ですが、それまでの新海誠作品から乖離した部分も多く、
一部では「新海誠は死んだ」との評もありました。私もそこまで強烈ではないにせよ、「君の名は。」に対しては複雑な感情を抱いていました。
しかし今作はその複雑な、負とも正ともつかぬ感情を晴らしてくれました。例えるならそれは鬱々とした空がすっと晴れていくようであり、イタリアの医師 ルイージ・ガバーニが新海誠の死体に電流を流し痙攣させたようでもあります。
「君の名は。」が好きな人はもちろん、それ以前の作品から監督の映画を観てきた人にも是非おすすめしたい一本です。
なんだろう、
「やっぱ画が綺麗だね〜」以外に、感想が浮かばない…。何を感じてほしかったんだろう、「愛を取るか世界を取るか」みたいなこと?純粋に楽しめなくて残念。。君の名はの面々がカメオ出演してるのはジブリみたいで面白かったけど。本田翼の声好きになれなくて不機嫌。
愛にできることはまだあるかい
出来ることはまだある!
愛する人のために!
新海誠監督の最新作!
君の名は。で一躍人気アニメ監督になった彼が3年越しに作った一作
恐らく彼は社会現象を巻き起こした次の作品という事で相当悩んだと思います。
その悩んだ末に出来たストーリー展開と"その結末"になったのでしょう。
その結果、その新海誠ワールドにまたしても引き込まれた自分がいました!
君の名は。ほど好きになれたわけではありませんが、良かったと思います。
まず、予告から思ってはいたのが映像です!
映像は君の名は。も綺麗だったのですが
、今回は作画のきめ細かさやカメラワークのスピード、光や雨の描写のクオリティが格段に上がっていました!
今回は「言の葉の庭」の滝口比呂志さんが美術監督をやっているので、雨が非常に透明感があります。
また、東京の風景も実写の映像をそのまま絵のタッチに変えたかのように立体的で圧倒されました。
今までの新海誠作品をそのまま引き継いでいるので「海獣の子供」や「スパイダーバース」のような新鮮さがあったわけではありませんが、それでもこの映像に浸ることが出来ました。
今回は主人公は田舎の離島からの家出少年であり、東京に憧れて不思議な女の子と出会います。
生活がギリギリな状態で女の子に優しく手を差し伸べられたら惚れるしか無いですよね(笑)
お互い助け合った事がきっかけで二人は交流していき、陽菜の秘密を知るに連れて離れていくのは君の名は。同様に儚さを感じました。
今回も声は全体的に良かったです。
帆高役の醍醐虎汰朗と陽菜役の森七菜はキャラクターに合っていましたし、小栗旬もなかなか良かったです。
そして、一部で酷評されていた本田翼は思ったよりも全然良いです。
予告で少し下手に感じましたが、本編はそれを忘れる演技力を見せてくれました。
RADWIMPSの音楽に関しては、インスト曲は前作よりも壮大で良かったのですが、歌の方は個人的に前作の方が好きでした。
君の名は。は主題歌がみんな良かったのですが、今回は何曲か微妙に感じました。
まぁこれは完全に個人の好みです(笑)
そして、この映画において最も賛否解れるであろうラストの展開は僕は「賛」です。
個人的に問題ありなところはありますが、僕はこの展開好きでした。
確かに主人公の行動は狂ってるかもしれません。常識や秩序を重んじる人は怒るかもしれません。
ですが、帆高くんの気持ちを考えたら否定する事なんて出来ませんでした。
だって、あの行動を取らなければ主人公は"灰色の人生"を送ることになるのですから!
ずっと後悔に苛まれながら虚ろな気持ちを抱えて生きていくでしょう。
しかしこの映画、やはり問題も何個かあると思います。
主人公は家出少年という設定なのですが、地元に帰るという選択を問われたら「帰りたくないんだ」と言って拒否するのですが、家出の理由自体が描かれていないので帆高のキャラクター性に深みが足りない気がしました。
それもあってか、ラストでの攻防戦に少しノイズを感じてしまいました。
それ以外は特に違和感は感じなかったです。
今回の映画は、10代の心で観るか、それとも大人の心で観るか。
それによって評価が大きく左右されると思います。
若い心で観ないとラストは受け入れられないと思います。
だからこそ、10代の方達は今のうちに観た方が良いと思ってます。
主題歌
天気の子の主題歌はRADWIMPSですが、
本編にシンクロしていて良かった。
天気の子主題歌
愛にできることはまだあるかい
大丈夫(movie edit)
グランドエスケープfeat三浦透子
愛にできることはまだあるかい(movie edit)
祝祭(movie edit)feat三浦透子
風たちの声(movie edit)
の5曲
安定で映像が綺麗
何と言ってもやっぱり映像が綺麗です。音楽もいい。
内容としてはやや無茶な設定ですし、なんでなんでを言いだすとキリがないのですが、ただ純粋に若者の切実な恋心や必死さに胸を打たれました。良い作品です。
音楽と映像美がすごい。
新海さんはほぼ見てますが、やっぱり映像と音楽がすごく良い。
大人になれない厨二病を、綺麗な映像と音楽で昇華してくれる感じが好きです。
ここまでいくと厨二病もすごいな、と純粋に思えます。
大画面でそれを堪能するという目線で、見る価値はあると思う。
ただ、アラサーの私個人的には以下のような順番。
言の葉の庭 = 君の名は。 >>> 天気の子 = 秒速5センチメートル
ストーリーがやっぱり若い子向けだな、と感じました。
君の名は、もそうではあるんですが、恋愛色がそこまで最初強くないのと
そうきたか!と思える部分が多かったのでいい意味で裏切られて面白く見れました。
言の葉の庭は、雨の描写と街並みの美しいアニメーション=新海さんを印象付けたと個人的に思っているので、そういった点からも好きです。これもRainの音楽が良かったんだよなぁ。
天気の子の終わり方も全然好きですが、あと10年若くないと純粋に入り込んで見れないなというのが正直なところ。ツッコミどころが多すぎた。あと前半のスピード感が物足りない。
あと個人的に主人公の声が苦手でした。分かってくれる人がいたら嬉しい。
君の名は。より天気の子を評価している知人を見ると、以下の2点を感じるので、お勧めするなら下記の方です。
・厨二病の気が強い
・純粋
・物語に酔いたい
でも音楽だけなら君の名はよりも天気の子のほうが好きかも。radwimps本当にすごい。
なんだかんだ言ってますが、面白かったです。
それでこそだ
世界か、彼女か。そして彼は、彼女を選んだ。
その選択は、まさに王道です。様々なアニメ、漫画、映画、小説……色々な娯楽の媒体の中で、幾度となく選ばれてきました。
だからこそ、良いのです。
ただ一人のためだけに、世界を敵に回す選択をする主人公。なるほど、いいじゃないですか。
僕はそんな物語を、綺麗な世界と共に見れて、本当に楽しかったです。
あとは、須賀さんがいいキャラでした。
自分と重ねていたけど、自分とは異なる選択をする主人公に対して、その価値を認め、『お前ら如きが』と吠え、背中を押してくれた。かっこよかったです。
いい作品でした。個人的には、君の名はよりも好みです。
新海監督の「天気の子」が好きな人と嫌いな人の分類について
この作品が好きな人々と嫌いな人々によくあるタイプを挙げてみました。
皆さん、どうお感じになりますでしょう?
さしずめ、10代のシンパは感動屋、アンチは潔癖厨
30代のシンパはマニアが多そうな気がしてます。
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■シンパ組
・信者
⇒新海誠様より提供されるありがたいお話にケチをつけるなんてありえない!必ず何か素晴らしい意図があるに違いないから付いて行く!映画館に何度でも通って見てやる!100回でも200回でも!この命尽きるまで!
・マニア
⇒新海のことだから、作品に色々な伏線を入れているだろう。それを味わってやろうではないか。それがバカバカしいものでも構わない。作品をしゃぶり尽くす。それ自体が楽しいことだから!
・感動屋
⇒音楽聞いて映像見たら涙が止まらなくなっていまいました。ストーリーの誤読をしているかもしれないけど、そんなの関係ありません!
・ミーハー
⇒公開3週間で60億超えってすごいよね。そんなに人気があるんだから面白いに決まっているじゃない?!
・カワイイは正義
⇒ミツハチャン可愛い、ヒナチャン可愛い、ヨツハチャンもアヤネチャンもカナチャンもみーんなかわいい!
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■アンチ組
・潔癖厨
⇒銃を撃っちゃう帆高はクズだ!風俗系のスカウトマンにホイホイ付いていて行ってしまう陽菜はビッチだ!
・ハッピーエンディスト
⇒みんなが不幸になっちゃう終わり方は映画の終わり方としてふさわしくない!みんなが幸せになってこそ映画!
・ツンデレ
⇒思春期の少年少女のラブストーリー?ふーん興味ないね!(本当は好きだけど、年甲斐もなく肯定なんてかっこ悪くて…)
・アンチミーハー
⇒人気だからって見る?そんなやつぁ薄っペラな人間に決まっているさ!
・作中人物没入型
⇒帆高クンはわけもわからず家出しましたと?!陽菜チャンはなんで弟と二人暮らししようと思ったのかわかりませんと?!そんな記号みたいな人形をポンポン配置しただけで人間ドラマが成り立つかっての?!
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映像美と演出は最高!!
素晴らしい映像美、最初の窓に映る雨の表現や水たまりに滴る雫の表現など、すごいの一言。音楽とキャラクター設定もなかなか良い。でも、肝心のストーリーが雑すぎる。乱暴な展開と要所要所のキャラの行動の選択が全く共感できない。観客は置いてきぼりを食らってしまう。
街の看板や、不自然に観客に正面を向け続ける缶ジュースなど、夢の世界では逆にリアルすぎるものが冷めてしまう原因になる。また、無理やり友情出演させた前作のキャラは前作の世界観まで壊してしまう。前作のヒットで味をしめた代理店が監督を安っぽい作品作りに駆り立てた感じの作品。
主人公とは… & 思春期とは
今回も開幕ポエムでボーイミーツガールでSF(すこしふしぎ)でしたね。「君の名は。」はその辺のポエム的な独白や台詞回しがぞわぞわして苦手だったので、今回もそうなんだろうなと思いながら見たのですが、やっぱり台詞回しは苦手でした。「決定的に、変えてしまったんだ…!」とか、ヒロインの名前連呼したりとか、そういう厨二的なものを大真面目に主軸にしている辺りが自分とはどうも合わないんだろうなと思います。この点については某建設会社のCMも同様なので、映画に限らず新海作品は全部そうみたいです。
逆に、レビューでよく聞かれる「スポンサーネタ多すぎ問題」は自分は平気でした。元々日常に溶け込んでるのと、その日常の再現性が高い美麗グラフィックだからでしょうか。
語られない部分が多すぎてモヤモヤした謎が残る件は、これも他の方からもたくさん声が上がっていますが、映画だとやはりそれ一本である程度しっかり納得して見終わりたいので、ストーリーのでっかいところに関わるような謎は残してほしくないと感じました。今回の場合、主人公が東京に家出してこなきゃ話が始まらないわけで、そこの理由付けは何でも良いんだけどちゃんと描いて欲しかったと思います。じゃないと作品が始まる理由付けがないからです。それなしに「犠牲」だの「知らないふり」だの「世界<君」だの言われても、それを訴えてる主人公の方がどんな人なのか(真面目で真っ直ぐという性格は分かったのですが)どんな価値観、不安、背景を持っているのかさっぱりなので、主人公というよりも「設定がそこそこあって目立ってるモブ」が中心になって動いているような感じがしました。
親と口論するとか、島で居心地悪そうにするとか、進路希望調査握り締めるとか、参考書投げ捨てるとか、大学案内の封切らずに机に放置してるとか、そういうちょっとした描写で良かろうに、何で無いんでしょうね。新海上級者にしか分からない何かがあったのでしょうか。「君の名は」でも実は最初から紐つけてるみたいなのがあるので、あったのだとしても「もっとアピって…」と思ってしまいます。
一回で分からないようにしてあるのは良し悪しですね。何度も通うくらい好きな人は良いでしょうが、「一回で全部分かってすっきりしたい勢」はあんまり居ないんでしょうか。
あと一つ気になったのですが、雲龍図のお寺はモデルがあるんでしょうか。専門家じゃないので滅多なことは言えませんが、800年前の禅寺か黄檗の雲龍図なら相当な文化財なのでは。
やはり今回も手放しで「好き!」とはならない作品でしたが、微エロお姉さんと平泉成さんとにゃんこで、とりあえず納得して帰ってきました。今回の微エロお姉さんは前のより好きだなァ僕ァ。
…翌日…
見に行ったのでレビュー解禁ということで、色々な方々のレビューを読んでおったのですが、やっぱりお若い方の方が高評価っぽいですね。お若い方々は自分が引っかかった「帆高さんは何が気に入らんで家出するとこまで行ったの?」というところをあまり気にしてなかったので、「今まさに同世代の人なら、もしかして言わずとも分かるのか?」と思い、その辺をちょっと考えてみました。
思春期の少年少女は何がそんなに不満なのか? 自分が子供だった時のことを思い出してどうだったかというと、「具体的に細々したむかつくことが積み重なって、その集合として気持ち悪さ、居心地の悪さ、不満、不安がある」という気持ちだったような気がします。細々した不満というのは「親の期待が重い」とか「自分の容姿が気にくわない」とか「敵わない存在がいる」とか「世界の在り様が自分の価値観と不一致で許せない」とか色々でしたが、仮にそれの一つが綺麗さっぱり解決されたところで、他にも気に入らないことはたくさんありました。これらの不満の「どれ一つ見逃すことができない」、更には「それを他人と共有するにふさわしい言葉で言い表すことができない」というのが、思春期の憂鬱だったのだろうかと、大人になって理屈を味方につけ、ちょっとだけ日本語ができるようになった自分は思います。帆高さんは「逃げ出したかった」とだけしか言いませんが、多分思春期の皆さんは、その一言で十分共感できるのでしょう。
しかし大人の皆さん、大人になっちまったら「理屈(言葉による説明)なしに不満を持つ」のは好まれる行為ではありませんね。「気に入らない」ことがあるのは全然結構。自分の価値観に照らし合わせて許容しがたいことがある、それは各々の価値観が違っているわけですから当然のことであり、それを「理性的に」表現することはむしろ、社会の中で必要な能力とすら言えます。所謂「生理的に無理」も、理論でもって考えれば「集合恐怖症」のような感性や心理の次元で考えることができます。そして理論同士の戦いに敗れた時、一部の人はやり場のない心情を漏らす手段として「芸術」を持ち出すこともあるのでしょう。大人になっちまった人々が穂高さんに感じていた「ちゃんと作中で説明せーや…」はこういうとこなんだろうなと思った次第です。
あともう一つ言いたいなと思ったのが、帆高さんの「世界<君」の決断についてです。これの対極にあるものを須賀のおじさんが言ってましたね。「一人の犠牲で世界が救われるならそれもまたあり」と。「世界>君」ですね。これを割り切った大人の残酷な考え方だと憤慨しているお若いのを見ましたが、「世界<君」だって同等に残酷ですよ。
世界という大多数の「誰か」の大事なものをたった一人のために(主人公らしからぬ主人公が)ぶっ壊したわけですからね。数の上で言うならそっちの方が愚かで残酷ですよ。「3年間降り続いた…」じゃねーよって話ですよ。何なら陽菜さんはその前にトラック爆破してますしね。水没に連鎖して死んだ人も一人どころじゃないかもしれないわけでね。描いてないけども。でも、その愚かさを取るほど、帆高さんは彼女が大事だったんでしょうね。こういう結末の作品も自分としては全然ありですし、その感動のための映画でしょうから、この辺のことを言うのは、分かって言ってますが無粋です。
それが世界というものなので、「セカイ系」を描くときにはこれは避けては通れない命題ですね。前作の主人公がカメオ出演するのが新海作品では定番になってきてるようですが、次は「世界のその他」側から、あの二人によって奪われたものの話を描いてみて欲しい気もします。(途中で失敗した気もしますけど)ガンダムSEEDみたいな感じで。
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