劇場公開日 2019年7月19日

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「私の一番の願いこそ、神の願い」天気の子 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0私の一番の願いこそ、神の願い

2025年3月8日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

新海監督がこの作品にたどり着いた軌跡は結構長いと思われる。
ほしのこえ (2002年)
雲のむこう、約束の場所 (2004年)
秒速5センチメートル (2007年)
星を追う子ども (2011年)
言の葉の庭 (2013年)
君の名は。 (2016年)
これだけの作品で、彼は恋愛と純粋さと切なさなどを交えながら人を描いてきた。
その集大成のひとつが「君の名は。」
そしてその片割れがこの作品なのかもしれない。
今まで試して来たことのもうひとつの着地点
「君の名は」が犠牲になった人を救う物語であるのに対し、「天気の子」は世界を破壊してまで一人の大切な人を救う物語といえるかもしれない。
「すずめの戸締り」は、また新たな挑戦なのだろうと思われるが、猫の雨がダイジンとなって登場している。
言の葉の庭のユキノが、君の名はの国語教師として登場している。
瀧と三葉も。
そして、この作品のナレーションは穂高にさせている。
つまりこの物語は彼が見たことだ。
登場人物によるナレーションは新海監督の手法。
「僕らは世界の形を変えてしまったんだ」という大きな言葉。
自分自身の一番大切な犠牲を払ってでもこの世界を元通りにしなけれればならないという昔からある概念は、この作品で終了した。
自分にとって一番大切なものを絶対に守るというのが、今現在の最大の価値観となった。
世界が変わってしまってでも。
さて、
秀逸な作画とプロットが光るこの作品だが、
ヒナが母の病室から外の光を見て「母にもう一度青空を見せてほしいと願った」というセリフがあるが、それは本心だったのだろうか?
普通は母の病気を治してほしいと願うように思う。
それともヒナは、2番目の願いを先に祈ったのだろうか?
神が叶えた半分だけの願い。晴れ女とその代償である人柱。
凪も話していたように、ヒナはずっと自分を犠牲にして家族のために尽くしていた。
ヒナにあるのは昭和時代からずっとある犠牲心の象徴だろうか。
自分の本心さえ、よくわからないというのが本当のところかもしれない。
彼女にとっては生きるための生活費だけが必要で、願いなどというものを考える余裕さえなかったのかもしれない。
母に少しでも青空を見せてあげたいというほんのささやかな願い、純粋な心に神は答えたのだろうか。
穂高は彼女の生活を垣間見たことで、彼女の様々なことを思い描いたのだろうか。
マックをヒナからもらい穂高は言う。「16年間で一番おいしい夕食」
そしてヒナの自宅で食べた食事は、「言の葉の庭」のオムライスと同じだろう。
年齢差や無力さ、その他別の理由で裏切られた「言の葉の庭」とは、この点が大きく違う。
穂高はこのとき、自分の一番大切なものを見つけてしまったのだろう。
「神様、僕らから何も足さず、何も引かないで」
穂高は神に天気よりも彼自身が一番大切にするものを取り戻したいと願った。
ファンタジー
間違いなくファンタジーだが普遍的だ。
穂高もまたヒナと同じ純粋な、しかも一番の願いを神に申請した。
「天気より、俺はヒナがいい」
「世界なんか、狂ったままでいい」
さて、、
最後にヒナは何を祈っていたのだろう?
晴れることを祈っていたのだろうか?
しかし彼女にはもうその力はない。
多義的ではあるが、彼女は変わってしまった世界で高校生として生活できていること、いま普通でいられることを感謝していたようにも思う。
そしてその上で、ヒナは穂高との再会を神に祈っていた。おそらく毎朝あの場所で祈り続けていたのではないかと思われる。
その願いがようやく叶った時、彼女の顔に太陽の光が差す。
穂高は言う。
「僕らは確かにあの時、世界を変えた」
「僕があの人を選んだ」
「この世界を、ここで生きていくことを」
「僕たちはきっと大丈夫だ」
この穂高の一番の願いこそ、一番大切なこと。
そのために世界が変わったとしても何も問題はないのだろう。
パラレルワールドの基本形を見たように思った。
この自分の想いを最優先にできれば、恐れるものなど何もないのだろう。
これは「ドッグマン」にも描かれていた。
この新しい価値観 素晴らしかった。
何度見ても飽きない。

R41
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