「主人公が選択し、その選択から目を背けなかった物語」天気の子 0014さんの映画レビュー(感想・評価)
主人公が選択し、その選択から目を背けなかった物語
音楽が良いとか、映像が綺麗だとかは他の人も言ってるので私は物語の根幹の感想を
これは人を選ぶ作品である
鑑賞前に聞こえてきた感想の、その意味が分かりました
これはセカイ系の作品です
そしてセカイ系の1つの終着点になった作品かなと思います
異常気象が続く東京を救うには天気の巫女が人柱にならなければならない
そして陽菜は世界のために人柱となる選択をする
ここまではセカイ系作品のよくある(ヒロインが世界の為に犠牲になり主人公がヒロインの選択を尊重し受けとめる)展開です
ここから帆高は世界の晴れより陽菜と生きる事を選択し、陽菜を連れ戻す
それにより東京は3年間も雨が降り続ける事になる
これもセカイ系ではよくある(世界より二人でいる事を選択し二人で罪の意識を抱いたままひっそりと生きていく)展開です
この作品でも後者のように帆高が東京の晴れよりも陽菜を選びます
帆高は世界よりも陽菜を選択した事に罪の意識を感じるようになる
けれど周りの大人達は帆高の選択を否定しないばかりか「世界は元々こうだった」「世界を変えたなんて自惚れるな」みたいな優しい言葉をかけてくる
その優しさに流されそうになる帆高だが、天気の巫女の力を失ってもなお空へ祈る陽菜を見て
「やっぱりあの時世界を変えたんだ」「この世界で生きていく事を選んだんだ」と自分達がこの世界を変えたという認識、自覚を持つ
大人達の優しさに甘えて罪から目を逸らさず選んだ世界を前向きに生きていく
「僕たちは、きっと大丈夫」
ここに天気の子の良さがあるんじゃないかと思いました
ここからは個人的な事で
イリヤの空とか最終兵器彼女とかのセカイ系ブームが青春時代を直撃していた者としては、救われるヒロインが見たかったし、救われた後も普通に主人公とヒロインが生きている世界が見たかった
セカイ系でこういう結末を望んでいた人は少なくないのでは?
そういった意味では犠牲になるのが東京の天気だけってのは良い塩梅だったのかも
ただ確かに帆高の選択は身勝手かもしれない
そう指摘する人がいるのも分かる
でも帆高の選択を身勝手と断ずる事だってそれはそれで身勝手な事です
あの世界の人だって帆高の選択を糾弾する権利は誰にもないはずです
そもそも天気の巫女が人柱になった所で、あの世界の人はその犠牲に気付きもしない
帆高の選択にも誰も気付きもしない
そして誰も気付かず世界は“いつも通り”回っていく
水没したレインボーブリッジの上を船が通り、子供は外ではしゃいでいる
水没した東京の上でも人々の生活は続き、やがて雨のやまない日々が日常となっていく
帆高がどんな選択をしようと世界はいつも通り続いていく
世界なんてそんなものですよ
雨がやまなくなったって
世界は、きっと大丈夫
(7/28 02:11)
すみません、主人公の名前の漢字を間違えていたので修正しました
理解が浅かったので来週もう1回見てきます
本当に素晴らしいレビューです。私も、世界は変わっていない元からこうだったという大人たちの優しい言葉に流されず、責任を感じながらもその世界を生きていく帆高の終わりかたにとても感動しました