「なんだか惜しい作品」天気の子 映画大好きマンぼっち見さんの映画レビュー(感想・評価)
なんだか惜しい作品
SFの設定と社会風刺の設定がどちらも視聴者にとって、中途半端で混乱させるものであった。
まずSF面について。天井画のおじいさんのところで昔から人柱になってきたという話をされた上、おっさんが「大人になれよ!」とか「一人を犠牲にして晴れてくれるならええわw」みたいなことを言っていたことからおそらくこの人の失踪した奥さんが晴れ女であった可能性が浮上する。さらにこのおっさんの娘は喘息持ち。晴れを願う気持ちがあるだけで存在が消えてしまっていくと言う説明が少女からなされている。ここから、おっさんの奥さんが娘の喘息のために晴れを願ってしまったことにより消えてしまったのではないかと考えられる。
ここまでの考察を要求するのは無理がある感じもする。映画を視聴しながらずっと考え続けてやっとそうかな〜?とぼんやり思えたぐらいである。だから賛否がかなりはっきり分かれるのではないかとも思う。
さて、社会風刺の面である。この作品において雨天は我々を取り巻く憂鬱な社会状況を風刺しているのだと思う。少年は社会の濁流から抜け出して自分の進む意思を示した。それが社会に刃向かう結果をうもうとも。この憂鬱な社会状況はアニメの冒頭のシーンであからさまに描かれている。冷たい都会の人々、他人のことなど微塵も気にしないで自分さえ良ければ良いと言う人々(ちなみにおっさんに関しても自分が娘の親権を取り戻すためにほだかを引き止めて事態を収束に向かわせようとしていたから同様。しかし、少年の熱い想いと彼に自分を重ね合わせたことにより濁流から抜け出した。)、ませたガキ(性関連の低年齢化だろう)、子供が自分のことを売り買いしているのもそうだろうし、ケータイでなんでも呟くのもそうだろう。随所で虚しい社会構造を浮き彫りにした。そして、皮肉にもそれを環境すなわち雨雲によって表すのである。直接表現では人工物、関節表現で自然物。大きく二重の構造でこの社会を皮肉るのだ。
しかし、問題はこれは私の推測の域を出ないことだ。映画から自分の思うようにメッセージを読み取れば良いと思う。いろいろメッセージは読み取れるがそれは逆にメッセージを込めすぎとも捉えられる。伝えることが割と多い感じがするし、ごちゃごちゃしてて集中できない。これだけは問題だと思う。
監督の前作「君の名は。」においては希薄化する人間関係を風刺していると思われる。このワンメッセージだけであると思う。要は結びである。だからわかりやすくあらゆるレベルの人々にあっていたと思う。
書きなぐりであるから文章とおよそ呼べるものではないかもしれないがまとめるとこうだ。
SFと社会風刺がどちらも中途半端でごちゃごちゃしてて分かりにくい!!!!!けど、もう一度この考察を踏まえて見たら頭を整理して見られるかもしれない。もう一度見て見たい。
追記
ほだかとひなは社会の濁流から抜け出したかのように見せかけて結局は自己中心的な世界に囚われている。自分のために祈れと言う最後らへんの言葉にそれが現れていると思う。忌避したはずの冷たい自己中心的な都会の人々に自分たちもなってしまっている。若いエネルギッシュな人々は社会にあらがいそこから抜け出そうとしても周りがあしをひっぱる。そして結局社会から抜け出すことは自己中心的な世界にこもることを意味してしまっているのではないか。そして社会はその自己中心的な世界に対して踏み込んだり壊しにかかる。そしてみな苦しみことになる。自分のために祈るひなとほだかには果たして自分たちの世界があるのだろうか。彼らも完全に冷たい社会に囚われて染まってしまうのだろうか。とにかく鑑賞者に考察を強いる映画だなぁと思う。結構好きだけど。