「(設定がアニメ作家として無自覚にすぎるのでは?)登場人物が中高生なのに、中高生にオススメしにくいという矛盾。」天気の子 にゃもさんの映画レビュー(感想・評価)
(設定がアニメ作家として無自覚にすぎるのでは?)登場人物が中高生なのに、中高生にオススメしにくいという矛盾。
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素晴らしい映像美と音楽のハーモニーに酔いしれながら、
この映画が現実世界にもたらすマイナスの影響が想起され、憂鬱になってしまった。一大人としてそんな感想です。
前作でこれだけ一世を風靡した監督の新作の舞台が、
なぜ、敢えて、新宿歌舞伎町?池袋のラブホテル街?ネットカフェ?マク○ナルド?
登場人物と同世代くらいの多感な少年少女が、
いかに映画に自分を重ねたり、登場人物の真似をしてみたり、あるいは聖地巡礼をしてみたり、思考や行動に大きな影響を受けるのかについて、
アニメ作家として無自覚にすぎるのではないでしょうか。。
大人であればある程度理解をして危険な場所として近づかない新宿歌舞伎町やラブホテル街、それらに風俗やら何やらを知らずに、映画を見て聖地巡礼をという理由だけで、今後中高生や外国人観光客が訪れるのかと思うと、正直監督の罪深さが思われてなりません。
「稼ぎのいい仕事につきたかった」そんな陽菜の台詞に誘われて、その先に行ってしまう人もいるかもしれません。
これだけの映像美、映画を作る力を持ちながら、全年齢に安心して観せられるような設定にしなかったのが本当に残念で勿体無い。
大人であれば作品を批判的に見れますが、判断力のまだ十分でない中高生以下には積極的にオススメはできないかなあ、、と思います。
登場人物が中高生でありながら、風俗街に行ったり拳銃を持ってみたりと、実際の中高生が感情移入しにくい、というかしてはいけないような人物設定という矛盾が作品として惜しすぎる。
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監督が描きたかったのは、大人になりきれていない少年VS大人たち、という構図ではないかと思います。
最後の方の、穂高が陽菜を助けにいきたいばかりに、自分の就職先を世話してくれた恩人にまで銃口を向けるシーンにそれが如実に表れています。
穂高の目には、目に映る大人は皆、自分の行く先を邪魔する存在にしか見えていないのでしょう、ただひたすらに青く未成熟な願望ばかりを振りかざす。
そんな思春期の一途さ、そして危うさ、が監督の表現したかったことなのかと感じました。
また一方で物足りなかったのが陽菜の心情描写。
「天気の子」としての人に褒められ稼ぐ経験を重ねるうちに、自信を持って
「わたし、自分の役割みたいなものが分かった気がするの」と話します。
何者でもなかった15歳の少女が、天気の子という役割を与えられ、自らのアイディンティティを獲得する。
彼女が人柱として消える役割を比較的あっさりと受け入れ、天に消えて行ったのは、彼女自身が、人柱になることも含めて、天気の子であることを自分の役割と認識していたから、とも読み取れます。
けれどその過程で、葛藤や辛い気持ちがなかったはずがない。
結果として避けられなかったとしても、「世界を救うために、自分が今ここで犠牲にならなければならないのかー」そんな命題がよぎらなかったはずがないのです。そこを描き出せれば、より深く切なく共感ができたのになぁと個人的に思います。
(それは、のちの穂高の行動で、少女を救い世界を救わなかったという展開で逆説的に表現されるので、それが監督の主張と思われますが)
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とはいえ、見事な映像美は相変わらず。
特に、ドローン空撮のような華やかな花火は綺麗で、屋内花火大会のようでした。かつて中高生だった方向けの、大人向け映画かなと思います。