「ホラーというより不気味系スリラー ※ネタバレは纏めて最下部」アス alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
ホラーというより不気味系スリラー ※ネタバレは纏めて最下部
ジャケ写が完全にホラーですが、見てみると完全にスリラー。設定がちょいホラーかな…程度。
ただ、宗教(キリスト教)要素やアメリカの社会問題(格差社会・白人特権・ネイティブアメリカン迫害等)を多分に含んだ内容なので、それらに関心のない人はスリルを楽しむだけになってしまうかも。それだけでも充分楽しめますが、やはり知っていた方がのめり込めると思います。日本人には知識量の面でちと厳しい。
映画.comで評価見た時、何でこんなに低いんだ!?とガッカリしたんですが(現時点で☆3.3)、そのせいかな。同監督のデビュー作『ゲット・アウト』が良すぎたせいもある。
オカルトホラー要素はなく、どちらかというと中盤からはスプラッター。ちょっと激しめの流血あり。R-15なので、殺人シーンもグチャァ!ブショァ!みたいな、なかなかの音がします。苦手な方は要注意。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』『キル・ビル』辺りを見られる人なら大丈夫。
ホラーによくある大量の虫や無意味なエロシーン、やたらと傷口の断面をアップで見せる、突然の爆音でビビらせる等の不快表現はなく、怖がらせ方はかなり正統派。ちゃんと演技とストーリーで怖がらせてくれるので、安心して家族やカップルで・音量は最初から最後まで大き目で・食事中でも観賞できます。虫は序盤で蜘蛛が1匹出てくるだけ。
「もう一人の自分」達が襲ってきてからの本筋はほぼ夜のシーンなので、洋画あるあるですが画面が暗くてちょっと見づらいです。白人監督の作品よりはマシだったような気もしますが…(白人が人種の中で一番光に対して目が敏感なため、白人は暗い方が見やすい)
黒人監督ならではの(ってのもおかしな話だが)、主人公アデレードのドレッドヘア。良いですね。個人的にまったく違和感なく、本人が望めばどの作品でも黒人はこの髪型の方が良いんではないかと思うくらいしっくりくるんですが(これも偏見か)、監督は特典映像で「主人公の女性が細いドレッドヘアにしている、これは映画史上とても重要なこと」と語っています。
…いや、良くね?別にドレッドでも。違和感ないよ。むしろ似合ってるよ。人の誇りにまでいちいちケチつける奴がいるらしいけど、気にせず今後のスタンダードにしてこうぜ。
主演のルピタ・ニョンゴはMCUの『ブラックパンサー』で主人公の婚約者役で出てたけど、全然存在感なくて記憶に残らなかったんですが(主人公に婚約者なんていたっけ?レベル)、本作では圧倒的。撮り方ももちろんあるんだろうけど、普段の愛嬌がある可愛い系の顔から何故ああなる???1人2役の演じ分けが凄すぎて、「コレ本当に同一人物?」と笑ってしまいました。
こういうの見てしまうと、MCU映画ってやっぱり雰囲気で乗り切ってるところも大きくて、俳優陣の実力を充分に引き出せてはいないのかなと思ってしまったり(※MCU大ファンの言い草)。
本作の監督ジョーダン・ピールは、前作『ゲット・アウト』でも思いましたが、特に有名俳優ばかり起用しているわけでもないのに違和感ない人選をしていて好感度高いです。見た目やキャリアより演技力にこだわり、「有名俳優を起用して、その名前を利用して宣伝して一定の視聴者数を稼いで…」というセコさを感じさせない、2作とも実力勝負の映画という感じがします。ルピタは賞獲ってますけども。
どうでもいいけど、本作の直前に『透明人間』も見たんですが、『透明人間』の主演エリザベス・モスが本作では主人公の友人役で出てて「アレーッ!?さっきの人!」と心の中で突っ込んでしまいました(ほんとにどうでもいい)。
意図せず数時間のうちにエリザベス・モスの演技力の高さを思い知ったのでした…
あらすじ:
主人公アデレードは幼少期に海辺の遊園地で迷子になり、ミラーハウスで自分と全く同じ姿の少女と出逢う。親元へ戻った時にはPTSDを発症し、失語症になっていた。大人になったアデレードは失語症も治り、結婚・出産を経て普通の生活を送っていたが、家族の要望で故郷サンタクルーズへ帰ることに。夫ゲイブがしつこく誘い、トラウマの原因になった海に行くことになるが、息子ジェイソンが誰にも言わずトイレに行ってしまい、行方不明になったと勘違いしたアデレードは激しく取り乱しジェイソンを叱責する。別荘に戻った後もアデレードの不安は刻一刻と増していき、遂には「もう帰りたい、見張られている気がする」と言い出す。最初は馬鹿にしていたゲイブだったが、アデレードの必死の形相に押され始め、そこに停電、見知らぬ不審な家族の不法侵入が重なり、ゲイブも徐々に事の深刻さを理解し始める。
あらすじ読んでわかる通り、ゲイブがちょいウザ系キャラ。つまんないジョークや変なタイミングで空気を和ませようとして頓珍漢なことを言う、ノリもちょいウザだし子供より子供っぽくて、一番お荷物というか、役に立ってはいるんですが役に立ってる感よりウザ感の方が強い。
作中では緩急の「緩」担当という感じで、ゲイブが出てくると良くも悪くも雰囲気がちょっと緩くなる。
監督は元々コメディアンだそうで、緊迫した雰囲気を壊さない程度にちょっとだけおもろい台詞を入れてくるのが上手いです。とはいえ爆笑とか、心が和む笑いとかではなく、鼻で笑う感じというか、「いや今そんな場合ちゃうやろ」と心の中で突っ込んでしまうような、一人だけ空気読めてないゲイブを「オイオイ、ええ加減にせえよ」と呆れ笑いというのかな。とにかく笑いは笑いなんだけど、明るい笑いじゃない。だからホラーの中に入れても違和感がないのかも。
アメリカのコメディ映画が馬鹿で下品な内容が多いせいかよく誤解されていますが、アメリカのコメディアンは基本的に、日本でいう「馬鹿やって笑わせる」芸人とは違います。
どちらかというと噺家の類で、割と社会批判や、皆が当たり前と思っていることをあえて深堀りし、痛い所を突いたり風刺をしたりする人が多いんですが、そういう意味でコメディアンの監督がこういった作品を撮っているのは当然といえば当然の成り行きな気がしますし、それで更に美術的センスがあるならば、映画監督やるの自体が理にかなってるなと感じます。
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ネタバレ
あり
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上にゲイブがあまり役立ってる感じがしないと書きましたが、これには訳がありまして。
アデレードや娘のゾーラ、ジェイソンも、自分の意思で人を殺すシーンがちゃんとあるのに、ゲイブだけは自分の分身アブラハムを殺したのは俺だ、と自己申告するのみ。ゲイブがアブラハムと闘い始めたところで場面転換してしまうため、死闘が映らないどころか、本当にとどめを刺せたのかどうかすらわからない。
2019年の映画とあって、女性主演の作品が圧倒的に少ないというのはアメリカで既に問題になっていたので、そういう意味でも女性主人公だからってヘナチョコにするのではなく(女性主人公だと何故かサポートの男性が見せ場を攫っていく映画は結構多い)、女性でも主人公最強設定でいくぞ!みたいなのもあるのかなーとかユルユル考えてたんですが、最後まで見ると多分違うんでしょうね。
衝撃の(そうでもないか?)ラストで、結局アデレードが「地下の住人」、異常者と思われていたレッドが本来のアデレードであり元々「地上の住人」だったことがわかります。地下の住人はまるで獣のようで、地上の人を殺すことに全く抵抗がありません。だから、アデレードは「強い」のではなく、殺すことに抵抗がない、だから強く見えるのかなと。
そして、アデレードだけならば「幼少期の地下で育った経験が猟奇的な側面を残した」と考えられなくもないのですが、子供達も結構マジになって殺してるんですよね。無論やらなきゃ自分の身が危ないし、相手が明らかに異常者だとわかった上で「もう殺すしかない」となるわけなんですが、それにしてもとどめの差し方がかなり激しい。子供だから容赦ないだけ…??
ジェイソンはそうでもないのですが、ゾーラは友人の分身をゴルフクラブで何度も殴打した後、クラブの柄で滅多刺しに。アデレードに至っては獣のような唸り声を上げながら分身を植木バサミで滅多刺し、火掻き棒で滅多刺し。その後すぐに普通の「子供を心配する母」に戻るのが逆に不気味。
恐らく視聴者に対し、「子供のために必死な母親」とギリギリ思わせられる線を狙ったかとは思うのですが、既に1回目の唸り声で「おっと、コイツは…」と割と勘付いてしまった人は多いと思います。
地下で育ったせいというより、テザードとしての「本性が出た」が正しいのでしょう。そして、その本性を見たジェイソンは怯えた顔で仮面を被る。
ゾーラとジェイソンは、いわば人間とテザードのハーフです。自分達もいつ母と同じように本性が出るかわかりませんし、沢山のテザード達の殺戮を見たジェイソンからすれば、母がいつまたその本性を現すかもわかりません。アホの父は多分今後も気付かないでしょう。
ラストの地下の住人が手を繋いでいる長さを見ても、この先生きていくのも一筋縄ではいかないことが想像できます。ただ、恐らくこの手を繋いでいる地下の住人(=テザード=「繋ぐ人々」の意)はアメリカ国内だけなんですよね。何故なら、冒頭で流れるCM、"Hands Across America"(アメリカの西海岸から東海岸までを人々が手を繋ぎ1本の線にして貧しい人間を支援してやろうという試み)を模しているから。
アデレードの言う通りメキシコまで逃げてしまえば安全…なんでしょう。きっと。
『アス』というタイトルは原題も"Us"で英語で「私達」という意味の単語ですが、同時にU.S.=United States=アメリカを表してもいるそうで、作中でも「お前ら一体何者なんだ?」と尋ねたゲイブにレッドが「私達はアメリカ人」と答えています。
ぼーっと見てたので「唐突に!?」と思ったのですが、地上に住む人=持つ者、地下に住む人=持たざる者と考えると納得。つまり、「私達は(お前らと同じ)アメリカ人(なのにお前らと違って人として扱われない)」と言いたいんですね。
地上に住み、当たり前のように自分の意思で貧しいながらも自分の好きなことをして生きる人間たちと、地下に住み、地上のオリジナルの操り人形として生きる以外の道を知らないクローンたち。
「私達はアメリカ人」、この一言がそのまま、「持つ者は持たざる者の気持ちも境遇も何一つ知らず、知ろうともせず、搾取していることにも気付かない」という痛烈な批判に繋がっています。
そして、操り人形として生きる地下の住人達の中でレッドが唯一「自分は特別だ」と気付きます。気付いたこと自体が特別ですし、彼女は地上のオリジナル(アデレード)に操られずに動くことができ、だからアデレードと成り代わることができた。むしろオリジナルを操ることすらできたのかも?
これが、社会が無視してきた底辺の人々が革命を起こすキッカケとなる。
そのほか、宗教的な話やネイティブアメリカンの伝説など、語り切れないし詳しくもないので割愛しますが、こうして書いてみると『ゲット・アウト』の時より盛り込み過ぎかなという印象はあります。個人的には社会的な意味など考えずに見ても充分楽しめましたが、アメリカ人には身につまされる話だったのでは。
日本人には、少し前に話題になった韓国の映画『パラサイト 半地下の家族』(こちらも2019年)の方が、貧困層との圧倒的格差をわかりやすく感じられると思います。
こちらは本作と違い、宗教だの特定の人種の歴史、伝説、その国の社会問題など、その国に住んでないとわからない問題ばかりをネタにするのでなく、恐らく最初から海外に向けて「韓国社会の今」を発信するつもりで作ったのかなと思います。
なので韓国国内の状況をよく知らなくても本作よりはわかりやすいですし、ただ格差社会の問題に触れたいだけなら『パラサイト』をお勧めします。
が、俳優の迫力、演出、テンポなど、全面的に本作の方が良かったと個人的には思うので、アメリカの社会問題などは抜きにしても、ぜひ一度見てみていただきたいです。