「人権映画」アス 岡部 竜弥さんの映画レビュー(感想・評価)
人権映画
この映画の題名「アス(us)」がアメリカ(us)とのダブルミーニングになっているのは今更言うまでもないと思う。
反逆する地下を住処とするクローンの黒人、物語上で地上の人間の死者のほとんどが白人であること、クローンが奪ったその立ち位置を本来の持ち主から脅かされるという展開。
これらの劇中での出来事を顧みれば、これはなるほど人権映画だと言える。
おそらく監督は、ホラーが持つ「日常への強行的な侵食」と、アメリカで起こっている「マイノリティの復権」に共通性を見いだしたのだろう。
確かにこのふたつの分野の共通性はを上手く使えばかなりの面白い作品ができたのかもしれない。
しかし、この映画においてその目論見は失敗してしまっていると言わざるを得ない。
その理由はこの映画においてマジョリティ、つまりクローンたちの反乱を先導したのが主人公のクローン、レッドであるからだと言える。
ラストシーン、レッドの正体がオリジナルのアデレードであり、地上でくらしていたアデレードこそが実はクローン出会ったということが判明する。
このシーンがこの映画の持つマイノリティの反抗という側面を台無しにしているのだ。
この映画においてクローン達はろくな教育を受けておらず言葉を理解することが出来ない。
かれらの地下での暮らしを見るに、自らの意思も希薄であることも伺える。
もし彼らの中の誰かが自我を持ち奮起することでクローンたちが反抗をするというのであればこの映画の大きな要素である「マイノリティの復権」も大きな意味を持ったはずだ。
しかし作中で彼らの先頭にたち率いていたのはレッドであるような演出がなされている。
これにより、彼らの反抗はレッドの私怨のとばっちりとなってしまった。
さらに言えば、「地上である程度の教育を受けた少女が地上の芸術(バレエ)によって選ばれしものとして崇められ、教育を受けていない無知なクローンたちを扇動する」という構図にも取れてしまう。
この映画の中で人権の要素を入れるのであれば、レッドが地上の人間を率いるような構図にしては行けなかったのだ。
ただ、少なくとも物語中の悪趣味な演出や、教育を受けることが出来なかったクローンたちの生理的に嫌悪感を産む動きはとても見応えがあった。
アレクサ(のようなもの)のくだりは「よくもやってくれたな!」とテンションが大上がりしたものだし、 ゾーラがクローンをゴルフクラブの柄の部分で刺し殺すシーンの音響は「どんな発想してやがる!」と驚愕もした。
そういった「悪趣味意地悪表現」を楽しむのであれば、見応えはある。