「ドッペルゲンガー 瓜二つの私たち」アス 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
ドッペルゲンガー 瓜二つの私たち
『ゲット・アウト』で彗星の如くその才能を知らしめたジョーダン・ピール。
待望の監督第2作目となる本作でも、前作一回限りの才能だけではなかった事を魅せ付けてくれる、これまた秀逸なスリラー!
とある4人家族。夏休みを過ごす為、米カリフォルニアのサンタクルーズの別荘を訪れる。
しかしそこは母アデレードにとって幼少時、恐ろしい体験と遭遇した地。
訪れた時から、再び何か起こりそうな予兆…。
そしてそれは実現する。彼女たち家族の前に現れたのは…!
『ゲット・アウト』では人種問題をホラーに転換した斬新なアイデア。
本作でもありきたりなものではなく、様々なテーマやメッセージが込められている。
かつてのトラウマ。内面、精神面への恐怖。
何処かシュールでもある周囲の“変”。これは前作『ゲット・アウト』にも通じ、不穏なムードを煽る。
そして本作のメインディッシュはやはり、ドッペルゲンガー。
主人公家族の前に現れたのは、自分たちにそっくりな家族=“私たち”だった…!
夜突然停電し、庭に現れたドッペルゲンガー4人の影。
このシーンがかなりゾクゾクさせる。
襲い掛かってきた4人。片言で喋ったり、唸り声しか上げられなかったり、不気味な白いマスクを被っていたりと、異様。
狂悪で、暴力的。
真っ赤な服に、手にはハサミ。
“私たち”は一体、何者…? 目的は…?
分からない。分からないから、怖い。分からないものこそ、怖い。
本作のアイデアの源は、監督自身が昔見たドッペルゲンガーの悪夢と、ドッペルゲンガーそのものに対する恐怖だとか。
確かに、突然目の前に自分のそっくりが現れたら、無条件で恐ろしい。
名作へのオマージュもふんだんに。日常が突然恐怖に陥っていく様はヒッチコックの『鳥』、自分たちだけに起きた事件かと思いきや終盤予想以上の拡がりに発展していく様はロメロの『ゾンビ』、その他諸々。
『ゲット・アウト』同様、恐怖の中にシニカルなユーモアを交え、張られた巧みな伏線。
まだ監督2作目だが、もう充分に“ピール節”と言っていい。
尚、劇中印象的に登場するウサギは、単に監督がウサギ嫌いなんだとか。一応これも、“怖いもの”を表している。
ドッペルゲンガーを題材にしているので、キャストのほとんどが一人二役。
『それでも夜は明ける』でオスカー受賞後、なかなかその実力を発揮出来ないでいたルピタ・ニョンゴが、再びその実力を存分に発揮。
アデレード役での恐怖演技と、ドッペルゲンガーでの怪演。その演じ分けが見事!
前哨戦では主演女優賞を快勝しながらも、オスカーではノミネートすらされず。何故!?
エンタメ・スリラーとしても勿論充分楽しめる。
が、監督が本作に込めたもの…。
人の二面性。突然現れたもう一人の自分が、自分とは真逆だったら…?
いや、それとも、その真逆が自分の奥底に眠る本当の自分の姿なのか…?
ほとんど素性が明かされない“私たち”。
が、アデレードのドッペルゲンガーが、自分の事を語るシーンがある。
それはまさしく、今映画界を席巻しているテーマ。
裕福な光のような暮らしと、そうではない影のような暮らし。
「アメリカ人だ」という台詞がそれを象徴。
同じ国で暮らしていながら、暮らしや存在のこの差…。
戦慄のやり方だが、練りに練った計画を実行する時が遂にやって来た。
これもまた別の“パラサイト”と言えよう。
徐々に明かされていくドッペルゲンガーの正体。
冒頭のアデレードの恐怖体験が、ラストの驚きの展開に! ラストシーンの“笑み”にゾクッ…。
ドッペルゲンガー。もう一人の自分…。
最初は何のこっちゃ?…と思った開幕の文章だが、見終わると確かに本作を物語っている。
多くの人が気付いてもいない。その存在を知りもしない。
しかしある時、それと遭遇したら…?
他にも宗教的な意味合いや『ゲット・アウト』に続く人種問題、色々なテーマやメッセージが込められていると知ったかぶりのように語ったが、結局のところ本作は、ドッペルゲンガーのアメリカ版“都市伝説”でもある。
信じるか信じないかは、あなた次第!