「ホワイトトラッシュロードムービー」ガルヴェストン いぱねまさんの映画レビュー(感想・評価)
ホワイトトラッシュロードムービー
逃避行を丁寧に描きながら、疑似家族的な関係性を徐々に作り上げようと藻掻く主人公とヒロインの物語である。原作は未読であり、ネット情報だと監督の余りにも原作改編が過ぎるので、作者が降りてしまったといういわくがあるそうだ。まぁ、小説を一字一句間違えずに表現することが映画ではないから、あくまでも別作品として観るべきではないだろうか。特にラストが原作と違うようで、小説では訪ねてくる妹(実はヒロインの娘)の事を自分の娘のように思って心配してしまう主人公の心情、映画ではあくまでヒロインの忘れ形見として、その娘の先に赤いドレスを着たヒロインの面影を追ってしまっている主人公、要するに前者は未来への淡い願望、後者は過去の郷愁への強い拘りという、逆ベクトルな落とし処に隔たりがあったようである。勿論、その両方とも正解なのだろう。
それにしても、やはり今作もエル・ファニングが光る存在感を放っている。濡れ場こそ無いのが残念だが、それでもいわゆる“汚れ”役をきちんと演じるその役者魂に感服である。相変わらずのキュートさも披露しているし、多分尤も活躍するアクトレスの一人として成長してゆくと断言できる女性であろう。エマ・ストーンの様にビッグになるのだろうね。
さて、今作の秀逸さは映像の色彩設計かと感じる。ザラザラした質感や、しかしテキサスの太陽のギラギラと青が鮮やかなメキシコ湾の海、その自然の大胆さと同時に、行なわれている底辺の人間の生活の凄惨さ。その対比の中で、藻掻きながらもしかし一縷の希望を信じて生き抜こうとするいじらしさ。しかし自然と同じでやはり弱い者は踏みにじられ陰惨な目に有ってしまう理不尽。本当に愛すべき人間をみつけたと同時にまるで掌から砂が零れるように消えていく儚さ。逆に醜い自分に病魔が襲うことでの一種の安堵感やだからこそ出来る無茶が、実は勘違いだったことでの呆け感と、醜態を曝しながらしかし生きることを決めること。20年も塀の中にいても、多分そのヒロインのことを忘れることが出来なかったのだろう、その逃避行は主人公が男として一番輝いていた時間だったのだ。いろいろな感情がまるでトルネードのように地表の全てを巻き上げながら昇華していくような、そんな描写が脳裏に焼き付く、上質なアメリカ作品である。ベクトルの先はクリント・イーストウッドだろうか・・・
PS:劇伴のチョイスや、効果音としての”耳鳴り”を登場人物の心情に重ね合わすような演出はとてもマッチした素晴らしいものである。