「牧の心情をおざなりにした公式の罪」劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD りょうちん旦那さんの映画レビュー(感想・評価)
牧の心情をおざなりにした公式の罪
今回の映画では、牧がどう思っているかという事がほとんど描かれていなかった様に思います。夢を追いたい、頑張りたい、なのはわかりましたが、映画を見た印象では春田への気持ちや葛藤が「言わなくてもわかって欲しい」という事しかなかった。
ここで疑問なのは、映画の牧が、春田との夢と家族(結婚)というテーマにおいて、ノンケとゲイであるという葛藤を持ち合わせていないのは何故かという事です。
ドラマでは男女カップルでなければいけないという概念をとっぱらったみたいなニュアンスの事を言っていたような気がします。男女カップルの云々を男男カップルで描くというのが主題。ドラマではそれに付随して当然起こるノンケとしての春田の葛藤と、ゲイとしての牧の葛藤がちゃんと描かれていました。だからこそ、それを乗り越えた2人が純愛に見え、尊いと言えたと思います。
しかし、今回の映画において、公式が2人はもうそこを1回乗り越えたから、あとは牧が男であり、ゲイであるという設定を完全に切り落としてしまっていると思えるのです。それこそ、本当に男女カップルの女を牧にすげ替えただけのドラマ。映画の牧は、仕事(夢)を頑張りたい事を恋人に理解してもらえず苦しんでる「女性」の設定に思えます。そこしか描かれていないので、結局牧の乗り越えるべきテーマが「ちゃんと伝える事、向き合う事」になっていました。
牧がゲイであるという事に対する葛藤が、セリフででてきたのは春田の炎の中の仲直りシーンにおける「俺なんにもわかってなかった」からの台詞と、かろうじて春田と牧のお母さんが会話するシーンにおける春田の発言(牧の父が「男同士なのが気になるのかな」と推測する)のみです。牧側に至っては全くありませんでした。驚愕。ドラマにおけるゲイとしての牧の葛藤(ノンケの春田さんは本当に俺でいいのか的な)はいくら乗り越えた様に思えても、一生抱えていくものだと思います。そこが映画で一切描かれていないのに、仲直りの春田の台詞だけで解決させようとする事に強い違和感を感じます。
そう思うと公式は「人間愛」という言葉を使って、そのゲイとしての葛藤を描かない言い訳をしているようにしか思えません。「夢と家族」をテーマに掲げ、結婚するしないの描写をいれるなら、当然男男カップルがそのテーマに置いて直面する問題をちゃんと描くのは、牧をゲイという設定にした公式の最低限の責任だと思います。それなのに、映画においてこの部分がバッサリと切り落とされている上に、たった1つの春田の台詞のみで乗り越えた様に思わせようとしている。これが『おっさんずラブ』というタイトルを冠したこの映画の最大の失敗だと思います。逆に言えばこの部分をさえちゃんと誰が見てもわかる形で表現されていれば、それを乗り越えて再び結ばれた2人の絆は強く印象に残る筈で、酷評もここまで出なかったように思います。
そして脚本家と監督は林さんの芝居に頼りすぎじゃないですか?確かに素晴らしいですし、見ている方にその「感情」は伝わります。でも、やっぱり言葉として聞いたりしないと、それはあくまで見ている側の推測にしかならないと思うんですよね。喧嘩して一人花火を涙目で見るシーン。絵的には素晴らしいです。でも牧くんは何が悲しかったんですかね?もちろん想像すれば、春田に言われた言葉、疑われた事、どれもこれも悲しいですよね。でもここで、この映画における牧の最大の葛藤、つまり一番辛かった事が見ている側に伝わってないと、牧君可哀想、で終わりじゃないですか? ドラマ6話のラストを思い出してみて欲しいんですけど、あのシーンで泣けるのは、牧君可哀想、っていう感情ではなく、「牧くんの心情を思うと辛い」だと思うんですよね。つまり
牧君可哀想=客観
牧君の心情を思うと辛い=主観、共感
なんだと思うんです。ドラマ(映画)作品なので、シーンごとに別キャラに共感するのが当たり前なので、この喧嘩のシーンでは例えば春田も辛いよね、でも牧も辛い~、う~~~~!!って思えなければ、ラブストーリーとしては失敗だと思います。そうやって辛い部分に共感したからこそ、そこを乗り越えてハピエンになったときに、本当に良かった!!という多幸感が得られると思うので。
そして喧嘩のシーンの春田ですが、嫉妬による暴言が酷くないですか?もう私にはなんて酷いことを言うのだろうとしか思えなかったです。「一生ひとりで抱えてろ」というセリフはある意味ずっと一人で抱えて生きて来たのではと思われる牧に対する冒涜の様でした。
しかし、制作側はそんな風には絶対に思っていない。それは何故かと考えたら、きっとただ男女カップルの女を牧にすげ替えただけだから。そう思えば、春田や牧にノンケとゲイカップルである葛藤が1ミリもなくても納得できます。ひとりで抱えて何も言わない牧に「ギャーギャー言うな」みたい言われて、売り言葉に買い言葉で「一生ひとりで抱えてろ」と言う。たしかに感情的になったら、争っている内容について挙げ足を取ってゆくのは当たり前とも言えます。でももし、牧のゲイというバックグラウンドを考えた時に、そうやって言わない、言いたくないという性質は簡単に変えられるかという事なのです。言えない、言いたくない理由がゲイという事に起因するのではないかな、と考えざるをえないのです。もし単純に牧を女性と仮定するとその言葉もそこまでショックではないと思います。だからこそ、この言葉は映画においても重要な事に捉えられていない。牧の中のゲイとしての葛藤が一切描かれていないから、映画の牧もただの喧嘩としか認識していないんだと思います。そんなに深く考えなくても~って言われるかもしれません。でも私からしてみれば、そんなことも想像できないのか、とあきれるばかりなのです。男女カップルの様にとにかく好きであればいい、嫉妬もする、それが人間、そして人間愛、それで乗り越えられる。そんな風に思っている様にしか考えられない。あのタキシードの広告の春田が「どうして好きだけじゃダメなんだろう」と言ってるくせに、結局好きだけで乗り越えてるじゃねーか!!と突っ込まざるを得ないのです。
牧がゲイである事を切り落としていると思われるところは、春田が狸穴と牧の仲を疑う所にも表れています。牧と狸穴を疑うという事は、狸穴がゲイかもしれないという思考があるはずなんですよね。しかしそういった描写もセリフも一切ありません。でも春田は自然にそう思っている。もしも、狸穴でもだれでも男も女も平等に愛する世界を設定しているならば、こんどは逆に、春田の「俺わかってなかったわ」が矛盾した考えになってしまうと思います。確かにドラマにおけるちずが「男も女も関係ない」と言っていますが、本当にそれが実現している世界ではない事はドラマをみれば明らかです。だからその続きである映画もその世界観のはず。でも、映画はゲイだなんだという部分はバッサリと切られている。でも牧の中にゲイだという葛藤が既にないとはどう考えても考えられません。じゃあなんでそうなったか、を推察してみると、やはり先ほどの男女カップルの女を牧にすげ替えただけ、という説になるのです。
もし狸穴がゲイだと思ったら、なんだかいい雰囲気になっている牧と狸穴を見てどう思いますかね?もし自分がノンケで相手がゲイであることに少なからず葛藤があった場合、
自分より狸穴との方が幸せになれるのでは?という感情が生まれてもおかしくないと思うのです。それはドラマのバックハグのシーンにおける元彼の「武川さんにお世話になる」と牧が言った時もそうでしたが、あの時はまだ、春田自身、自分の気持ちには気付いていません。そもそも相手の事を思いやる段階には達していなかったので、武川さんに嫉妬して、牧を単純に行かせたくないという事は十分に理解できます。でも、でもですよ?映画の春田はその牧の葛藤を2人で一度乗り越えているはずなのでその牧の不安や葛藤がわからないはずはないと思うんです。でもそこは一切描かれない。と言う事は映画の春田には牧の幸せよりも、結局自分の感情しかないように見えてしまうのです。
私は春田がドラマの時から少し苦手なんですけど、映画で更に酷く作られているようで、同情する部分もあります。それもこれも、映画化を「興業的に」成功させなければならないと面白コントシーンばかりを優先させてしまった結果にも思えます。そしてまたその映画の興業的成功の為に、より万人受けを目指して男男カップルが直面する問題自体を排除してしまったのではないかとも思えます。
もし、ドラマおっさんずラブの続きというのなら、春田の心情も牧の心情も男同士であるが故の葛藤もそれぞれしっかりと描く必要があったと思います。それこそがおっさんずラブという作品の肝であり、それを乗り越えて繋がれた絆こそ、見ている人の心を動かすと思うので。
今回映画に納得されていない方々は、ここに一番引っかかっているのではないでしょうか。その葛藤も描かれず、勢いだけで仲直りしたように見える。最後は絆(指輪)はあるようですが、別々の道を歩むような描写。そりゃ、役者さんたちはしっかりとそこに至る心情を持って演じられていますから、その表情に想像する事はできます。でも、見てる方はセリフなり映像なりできっちり表現されなきゃ、つまり言われなきゃわからないんですよね。こういう事が多すぎて、本当に見る人によって受け取り方が違うし、答えが示される訳でもないので、モヤモヤ感が凄いです。
私は、ドラマ未視聴の方の感想を得たいので、見て欲しいという気持ちがありますけど、この映画を見たからと言って、ドラマのおっさんずラブの良さは1ミリも伝わらないと思っています。例え、ドラマ未視聴の方におもしろかった!すばらしかったと言われても、そうじゃない、そこじゃない感を強く感じます。
まあもちろん映画を入口としてドラマを見て頂けたら、全く違う印象に驚かれるんじゃないかと思います。リアルな事を言えば、興行成績が黒になり、それによって更にドラマなどを見る人が増え、そのファン層が広がり、利益に繋がればそれだけで、ある意味成功といえるので、映画を制作した意味はあると思います。
こうやってレビューに書き込む理由は、制作陣に、
【興業的に成功したからって内容的に成功したと思わないでくれ】
と言いたいからです。もうなんなら深夜ドラマのスペシャルで派手なシーンを全部とっぱらって作り直して欲しい位です。
最後にこの考察はレビューにはふさわしくないと思います。しかし、酷評派が何故そういう評価をするのかという所を推測してみた内容になっていますので、こちらに上げさせて頂きました。また、内容にマイノリティに言及する発言があり、知識も浅い為、当事者の方に不快な思いをさせてしまったかもしれません。お詫び申し上げます。申し訳ございません。
私もドラマからのファンで、今回の映画で自分の大切な物を汚された感じです。
りょうちん旦那さんの仰ることにも同意です。
特に
「ドラマ未視聴の方の感想を得たいので、見て欲しいという気持ちがありますけど、この映画を見たからと言って、ドラマのおっさんずラブの良さは1ミリも伝わらないと思っています。例え、ドラマ未視聴の方におもしろかった!すばらしかったと言われても、そうじゃない、そこじゃない感を強く感じます」
ここに、激しく同意します。