「軸がブレまくった残念な作品(※追記あり)」劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD やまさんの映画レビュー(感想・評価)
軸がブレまくった残念な作品(※追記あり)
そもそも、『おっさんずラブ』というドラマの続編・完結を、一般受けするファミリー映画として描こうと決めた時点で何もかもが間違っていたと思わざるを得ません。
視聴率が低かった深夜ドラマがどうしてこれほど話題を集めたのか、ファンがドラマに何を求めていたのかを精査したのならば、こうなってしまうことはまず考えにくいです。
映画だからインパクトのあるシーンが必要だ、というのは分かります。しかし、一般受けを狙おうとして、ドラマとは違う方向に舵を切ってしまった。
興行成績など、大人の事情が絡んだことは容易に想像できますが、はたしてドラマで作られた世界観を壊してまでやる事だったのかどうか、理解に苦しみます。
そして、インパクトのあるシーンありきで物語が作られたため、肝心なストーリーは中身が薄いものになってしまっています。ドラマでは存在した丁寧な心理描写がほとんど見られないため、登場人物たち(特に春田と牧)が何を思ってそのような行動に出たのかが分かりにくい。ドラマをよく知り、事前にインタビュー記事を読んで予備知識を得ていたなら「これはそういう事なのか」と、なんとか想像しながら観ることができますが…
映画だからそうなってしまうのは仕方がない、と割り切れるレベルではありません。
ドラマファンであるならば、たとえ映画化となってもドラマと同様の世界観を期待します。それが至極当然の流れだと思うし、悪いことだとは思いません。
また、ドラマの時と軸がブレていると感じる部分は、ラストシーンでも見られます。
このシーンについては、シナリオ本の対談の中でプロデューサーがこんな事を話しています。
「誰かの恋人である前に、ひとりの人として、ふたりがそれぞれ自分の道を見つけていく物語だと考えていたので(以下略)」
たしかに、人は誰かの恋人である前に一人の人間です。それは私達もよく分かっています。
そもそも、おっさんずラブは「人が人を好きになるというのはどういうことか」を真っ直ぐ描いた作品だったはず。だからこそ、他人同士である二人が家族になりたいと願い、ともに生きていくという展開を期待していたのだけれど、なぜ敢えて離れ離れにする必要があったのか?仕事人として生きる彼らを描きたかったのであれば、それは既にドラマとはテーマがすり替わってしまっています。
劇中ではシンガポール行きの話が出てから結婚に至るまでの話が省略されているし、別れ際の春田の表情が明るいものではないため、観る側からすると納得がいかない部分が多いのです。
どうしても仕事人としての彼らを描きたかったのであれば、まずは結婚に至るまでのプロセスを丁寧に描き、さらにその先の続編でそうなる姿を描いても良かったと思うのです。
とにかく、2時間の尺の中に派手なシーンやらエピソードやらをたくさん詰め込んでしまったが故に、結局何を伝えたかったのかが分かりにくい作品になってしまったと思います。
話題にもなったし、熱心なファンが足繁く映画館に通うため、興行成績の数字だけ見れば大成功だと思います。しかし、観た人の心を掴んだかどうかは疑問です。
ちょっと興味があっただけの人ならば「面白いコメディ映画だったなー」程度の感想しか持たないでしょうし、ドラマからのファンならば、今回の映画に絶望し、離れていってしまう人もいるでしょう。
そして、この映画をもって「おっさんずラブ」の完結編としてしまうのは、本当に寂しいし、悲しいです。
もう一度、連続ドラマとして続編を作り直すことを希望します。
(2019.9.3 追記)
「はたして、制作陣は同性婚を作品の中で取り扱うつもりがあったのだろうか」というのが一つの疑問として思い浮かびました。
“大衆向け映画として続編を作る”という事が内容より先に決まったが故に、題材として取り扱うのが難しくなったのか。あるいは、最初から制作陣の中に同性婚に対する明確な答えが無かったのか。
どちらにせよ、この題材を真正面から扱うことを意図的に避けたのではないかと考えます。
そう考えると、結婚までの経緯が省略されたこと、さらには、作品のテーマがドラマの時からすり替わっている事にも合点がいきます。
しかし、私個人としては、そういう難しい問題を乗り越えて家族になる春田と牧を見たかったんです。
ドラマでは親の問題を出し、プロポーズまでしておきながら、続編では具体的な回収をせず、テーマをうやむやにして着地点を別の所にする。
そういうやり方には納得がいかないし、無責任だと思うのです。