「映画は芝居が命。芸達者の俳優陣が全力でぶつかりあう最高の芝居を堪能できる映画。」劇場版おっさんずラブ LOVE or DEAD ぽよさんの映画レビュー(感想・評価)
映画は芝居が命。芸達者の俳優陣が全力でぶつかりあう最高の芝居を堪能できる映画。
日本の映画やドラマ、舞台に欠かせない熟練職人の俳優たちが勢揃いして、がっつりぶつかり合って生まれたナマの芝居の現場をそのまま撮って出ししたような熱量と見応えのある映画。
主演の田中圭の芝居が抜群に良い。『徹子の部屋』出演時に黒柳徹子氏に絶賛された田中圭の顔芸は、なぜ急にそんな顔が出来るのかそれはCGなのかと疑うレベルの柔軟な表情筋を駆使しており、そもそも自分をかっこよく見せようなどという気などさらさらなく、されど低俗卑俗に流れることは一切なく清潔感にあふれて上品で愛らしく魅力的で心地よいのである。顔芸が魅力的でもっと見ていたいと思わせるのは田中圭が生まれつき備えた気品と計算し尽くした技術のなせるわざである。顔芸ひとつひとつをとってみてもよく考えられたものであり、自然とその場にとけこみ「春田創一」のキャラクターを愛すべき存在にしている。この人間国宝級の田中圭の顔芸を見るだけでも1900円の価値がある。
映画公開時点でキャリア19年を誇る田中圭は脇役生活が長く、画面上でどのように振る舞えば観客が物語に集中できるか十分に理解しているからこそ、個性的な俳優陣全員の芝居を受けて100倍にして返す実に多彩で柔軟な芝居を見せている。自分の目線の動きによって相手の俳優に観客の注意が自然に向くように誘導したり、相手の言葉を聴いたリアクションの豊かさによって物語に奥行きと深みを与えている。というと当たり前のように聞こえるかもしれないが、緻密な計算をしながらごくごく自然に役を生きることを同時進行でやりこなせる俳優はそうそういない。それを力むことなく自然に普通にあたりまえにできるのが田中圭という俳優なのである。コメディパート以外でも実に繊細な演技を見せており、花火大会の場面、ラストシーンに至るまで田中圭の繊細な表情の変化、くしゃくしゃの泣き顔を晒している姿をただただみつめているだけで十分に元は取れるどころかお釣りがくるだろう。
吉田鋼太郎は暑苦しい、大げさな芝居をする俳優だと思いこまれがちである。しかし実に繊細で多彩な表現ができる俳優だとこの作品で認識を新たにされることと思う。テレビドラマなどで見ている役柄は、ただオファーに応えてそう演じているだけのことで、吉田鋼太郎の本領が発揮され尽くしていなかったことが分かる。この映画では(ドラマ版でもそうであるがとりわけ)吉田鋼太郎の繊細かつダイナミックな存在感が物語の大きな安心感を与えるとともに笑いの軸となっている。春田に恋してからの黒澤部長の役を生きる吉田鋼太郎の姿は目が離せないほどかわいらしく、あたかも某マヨネーズのマスコットキャラクターに見えてくるだろう。コミカルであるけれどやはり品が良いのだ。それもまた吉田鋼太郎の芝居を受ける田中圭との相乗効果であろう。サウナシーンは日本映画史上における名場面である。またクライマックスにおける台詞のかっこよさには胸を打たれる。かわいらしい姿を見せつつ要所要所でダンディズムと凄みを感じさせる吉田鋼太郎の存在感もまたみどころである。
林遣都もまた恐ろしいほどの存在感を発揮している。憑依型俳優と呼ばれる林遣都は目ひとつで役の感情を見事に表現している。上司役として共演した沢村一樹は、自分を見る目と恋人の春田を見る目が一瞬で変わったと証言している。役どころとしては若くして大型プロジェクトに抜擢されたエリート社員であり、そのスマートな振る舞い、営業所の仲間に対するさりげなく気遣いをみせるときは大変好青年である。しかし林遣都の本領が発揮されるのは、サウナシーンや救出シーンにおいて黒澤部長と春田を取り合う場面である。スイッチが切り替わったように林遣都の目に宿る野獣のような凶暴性は、決してとってつけたものではなく、「牧凌太」を生きるからこそ湧き起こる激しい情動であり、牧凌太は表面にさほど現さないものの心の底には激しく渦巻く情念を抱えて生きていることを観る者に理解させる説得力がある。春田の前ではその激しすぎる情念は意志の力によって潜められ、伏せられている。しかし春田をみつめるまなざしにはどうしようもないやるせなさと恋情がこもっている。もしかすると1回目では展開の速さについていくのが精一杯で、林遣都の繊細な演技を見逃してしまう観客もいるかもしれない。しかしそれは大変もったいないことである。林遣都の芝居を堪能するために何度でも映画館に足を運ぶことになるのだ。
以上、メインキャスト3人について述べてきたが、そのほかのキャストについても。
志尊淳は、春田と仲良くなる存在として登場することが発表された時から、難しい役柄になることが想定されたが、蓋を開けて見ると実に気持ちの良い存在感で画面の中に生きている。とある過去を春田に語るシーンでは思いがけない激しさをみせている。そんな声が出るのかと思う位、今までのイメージを覆す振り切れた演技に胸を打たれた。うどん屋でのシーンは素のリアクションだと本人が語るとおり、豆鉄砲をくらった鳩のような自然な表情をしており、志尊淳の新たな魅力となっている。サウナシーンでも負けてはいないし、要所要所で存在感を発揮している。
沢村一樹は言うまでもない安定感を発揮している。珍妙なシチュエーションの場面でも成立させているのはさすが。そこにいるだけでただ笑いをもたらすのは大変難しいことだが、沢村一樹は難なく観客の笑いをとることに成功している。芝居のうまさはもちろん、天性の華があり、ふとした手つき目つきに色気が漂い、彼の凜とした佇まいは田中圭ら他のキャストの気品とも見事に調和していることからも、彼がこの作品に参加したのは大正解だったといえる。
眞島秀和の振り切った演技はこの作品のもうひとつの魅力の柱である。ひとが真面目に生きている、真面目に考えている、ただそれだけで笑いがもたらされる。眞島秀和演じる武川主任の存在は、まじめに生きるひとを蔑む笑いではなく、まじめだからこそ知らず知らずに中庸を通り過ぎてしまいがちな人間の愛おしい「さが」を感じさせ、片想いの切なさと美しさを思い出させ、孤高の存在でありながら観客にとっては親近感を覚えるかけがえのない存在となっている。
金子大地と大塚寧々の年の差カップルの場面はさほど多くはないが、心温まる場面となっている。大塚寧々演じる蝶子が金子大地演じるマロのフラットな関係性が自然で、もっと観ていたいと思わせるふたりである。ちなみに大塚寧々のツッコミは反応速度が速くスカッとしてかっこいい。
内田理央はドラマ版よりも出番が少ないが、春田に重要な示唆を与える言葉を「ちず」らしく言い放っていて爽快である。働く女性の声を代弁するような台詞もきちんと自分のものにして説得力があり、「ちず」も重要な登場人物なのだ。
伊藤修子と児嶋一哉の居酒屋『わんだほう』の場面も今回は少なめだが、この芸人コンビの2人の声の良さはさすがである。特に伊藤修子の声がいい。一度聞いたら忘れられない声である。その声と絶妙なタイミングと声調で言い放たれるツッコミはこの作品の笑いを成立させるためにも場面の展開をリードするためにも欠かすことが出来ない存在である。
以上のような個性溢れるキャストが一堂に会し、台本の枠にとらわれずにその場その場で生まれた感情をぶつけあい、座長の田中圭が全て引き受けて絶妙のリアクションで返して、シークエンスひとつひとつをきちんと成立させている。
とかく批判されがちな「爆発」は世界の不確実性のメタファーである。不動産取引の話からいろいろあって爆発に展開してもよかろう。理系出身の脚本家・徳尾浩司は何もかも計算尽くでこの脚本を書いている。これは往年の日本映画が持っていた自由奔放さへのリスペクト、老若男女が楽しむ夏休みお祭り映画へのオマージュである。映画は芝居が命。その芝居を引き出すものが舞台装置である。それが今回は爆発であったにすぎない。
爆発という舞台装置そのものを目的としているのではなく、想定外の突発的な爆発によって引き起こされる人間の姿を描こうとしているのである。その中で描かれる登場人物たちの姿は「観る」というよりも「体感する」という表現こそふさわしい。それは東日本大震災など大きな災害やあり得ない事故が多発する社会を生きるわたしたちへのメッセージでもあるのだろう。大上段に構えたテーマとしてではなく、さりげなく奇想天外な展開として笑いをまぶしながら、明日会えるとは限らないし明日何が起こるか誰にもわからない、確かなものは何もないこの世界でひとはどのようにして状況を生き抜くのか、何が大切なのかに気付く過程を描いており、緊張と弛緩の合間に笑いがもたらされる。その笑いも必死に生きる人々を蔑むものでは決してない。彼らが生き抜こうとする姿は、追い込まれた状況で必死に生き抜いてきた人間存在への大いなる賛歌であり、今を懸命に生きるひとたちへのやさしく温かく共感に満ちたまなざしであり、観客に向けてひそかに贈られたエールでもあるのだ。
『おっさんずラブ』は春田と牧の恋愛物語である。その物語についてはここでは言及することは避けるが、もどかしさといとしさと…心を揺さぶられる場面となっている。恋愛映画としてもとても上質で品の良い、美しい映画となっている。
スキマスイッチの「Revival」が流れるエンドロールの後も席を立たないように。その後のエピローグについてきっと誰かに語りたくなるだろう。
そう、誰かに語りたくなる映画、誰かと会って語りあいたいと思う映画。この映画が俳優陣のナマのぶつかり合いの現場を撮って出しするようなかたちで世に送り出されたように、この映画を観て誰かに直接会いたいという気持ちを観客の心の中に湧き起こさせる映画、それが『劇場版おっさんずラブ』という映画が目指しているものなのだ。ツッコミであれ、笑いであれ、感動であれ、LOVEであれ、DEADであれ、自分の心に湧き出たものを誰かに語りたくてたまらなくなるほど心を揺り動かされる、心の中に新しい爆発が起きる映画である。ハマれば中毒になって何度でも通うことになる。まずは観ることをお勧めする。