「人と読書」マイ・ブックショップ ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
人と読書
最近は、芥川賞や直木賞、本屋大賞などイベント化してて、おまけにテレビでは、読書芸人なる人が沢山いて、文豪の本を喧伝して、あれこれ面倒臭い世の中になった。
本屋が街から減る一方、上手くメディアやネットで取り上げられれば、ネット通販なんかで本が売れるから、それで良いだろうということかもしれない。
読書は極めて個人的な行為だ。
本人が、読もうというモチベーションがないと読めないし、感動するしないもの個人の体験と大いに関わってくるからだ。
この映画は、本を読む人と、本屋と、本を結びつける書店主の物語だ。
作中に取り上げられる「華氏451」は本をテーマにしたSFというか近未来小説だし、今でも読むべきSFとして候補を募ると上位にランクする作品だ。
「ロリータ」は、発行当初はエロ小説に分類されるほど問題視された作品で、今は古典だし、スタンリーキューブリックも映画化している。
こうした本の引用も、エッセンスが効いていて、時代時代で読まれる本はあっても、語り継がれる古典になる本は、決して多くはないのだと改めて認識させられる。
そして、読者も本屋も、ジャンルを選ぶのではなく、読者のもっと奥深いところを揺さぶる何かを見出そうとしていることも示唆してるように感じる。
それは、作者も同じだ。
カズオ イシグロの小説だって、舞台もジャンルもいろいろじゃないか。
大切なのは何を伝えたいかなのだ。
読書は極めて個人的な行為だ。
だから、書評もちゃんとしたものを読みたいと思うし、信用のおける書店主が、面白いと推薦してくれたら、積極的に読みたいと思う。
本屋には、そんな人と本との繋がりだけではなく、人と人との繋がりや、人と…実は作者との繋がりもあるのだ。
この物語は、本屋が減ってる現代には少し皮肉っぽくもある。
また、本が簡単に手に入るようになって、選択肢が増えても、僕たちは本当に良い本に巡り会っているだろかと、ふと考えさせらるところもある。
だが、本も読者も基本的には自由だ。
だから、物語の中だったら、本屋を焼いたって良いじゃないか。
自由には、不自由や、くだらない因習を打ち負かす力がある。
そして、困難や悲しみから人を救う優しさもある。
だから、読書はやめられない。
本屋の書店主と、本屋を阻止しようとするお金持ちの女性の話にとどまらず、いろんなエッセンスが少しずつ散りばめられた作品と思ってもらいたい。